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八神家の大黒柱



 お腹減ったなー。


 割り当てられた書類の入力も終わったところで伸びを一つ。処理済みのファイルの山に積む。


 周りを軽く確認。入ったばかりの後輩が苦戦しているようなので山を半分切り崩してやる。元ラグビー部の角刈りはそれだけで涙目だ。


「せ、せんぱいっ」


「おう、そうだ。僕は先輩です。お前に後輩が出来たら同じことしてやれよー」


「うす!」


 餅をつくアレだね。


 書類を半分譲り受けたが、進めるペース的に僕の方が速く終わるだろう。書類を自分のパソコンの前に置いて一先ず飲み物を買いに外に出る。


 平日はライン業務なのだが、今日は後輩の書類整理を手伝っている。年休要員が抜けてなくて休みの人がいないときだけ事務仕事に回される。英語が出来るので和訳なんかが多い。


 年季の入った黒い小銭いれから五百円玉を取り出して自販機に入れる。確か……ストレートティーが好きだったよねー。紅茶とお菓子が好きなのにラグビー部、マッチョで工場勤務なのに事務。あいつも大変だな。


 母さんも事務なのだが、今日は珍しく別行動だ。結婚してから殆んど毎日一緒にいるので、本当に珍しい。今日の晩御飯はどうするかなー。


 お腹の脂肪がとれるらしいお茶と紅茶を持って戻る。日もだいぶ暮れてきたからか廊下に人気はない。まあ工場はまだ稼働しているだろうけど。


 そういえば、今日は家に一人だ。子供たちは旅行やら外泊やらでいないし、母さんも用事。しかしワクワク感より寂しさを感じるのは年のせいだろうなあ。子供も手が掛からなく……最初から掛かった覚えがないな。


 後輩に子供が出来た時のアドバイスは出来ないなと考えながら部屋に戻る。


「……トイレかな?」


 角刈りが奮闘しているだろうと思って覗いた部屋の中に、その姿はなく、パソコンの画面だけが寂しく光っていた。


 紅茶を角刈りの机に置いて自分の席に戻る。キャップを回してお茶を一口。


「あー、苦い」


 本当にこんなのでお腹の肉は消えるんだろうか? 体重に変化はない。


「きっと筋肉になってるからだな」


 うん。筋肉の方が重いらしいし。マッチョの後輩も言ってたし。


 腰掛けた椅子が反論するように軋んだ。だいぶ古いからね。備品申請の刑だね。


「さてと、頑張りますか」


 気合いを入れて後輩の机から更に書類をとる。ファイルを開き、キーボードを叩く。カタカタという音だけが響く部屋で、ぼんやりと晩飯を考える。


 …………もうめんどくさいし、焼き鳥にビールでいいかなー。ポン酢に鶏皮、つくねに……ああ、イカ身とかもいいな。タレに塩で、ダラダラと漫画でも見ながら、……いいな。


「おっと」


 垂れそうになった涎を手で押さえる。セーフ。ティッシュティッシュ。


 ……おっと。


 視線を上げた先には長い黒髪の偉丈夫。闇に溶け込むかのような黒いコートに暗い瞳。


 明らかな不審者だな。アウト。


 一つ頷くと内線ボタンをタッチ。コール!


 ポチポチポチポチポチポチ。繋がらないんですけど? 備品申請の刑だな。


「八神の分家筋、その次席で相違ないか?」


 渋い声だね。憧れる。


「家違いでは? 八神って地元ではよく聞いた名字だし……」


 周り親戚だらけだったし。だいたい、うちって別に分家頭じゃなかったし、次席って言われても……親父の息子ってだけなんですが?


「一鬼を娶ったと伝え聞く」


「あ、全然、全く持って、何をおっしゃられてるのか、さっぱりで、毛ほどもというか、おっと飛行機の時間だ」


 うちですね。


 自分にある演技の才能を全開。残像が出来るほど手をブンブン。息子曰く、目は合わせないほうがいいらしいので、自然な感じでスーっと外す。海を泳ぐ魚のような反らし方だ。息子もよくやってる。


 架空の腕時計を確認。ふぇーど……なんだっけ? ああそうそう、フェードイン、フェードインする。


 意外にも相手は追ってこない。役者になれるかもしれない。恐ろしい。


 自然な感じに自然ってなんだっけ? と思いながらドアノブに手を――――掴めない(・・・・)。


 そこに確かにあるドアノブが、触れない……まるで絵を触っているように。いや、立体であるのは間違いないのだが、見えているだけと言えばいいのか……。


 扉には触れる。しかしノブを回さないと開かないわけで……触らなければ「あか、開かない?! 開かないんだけど?! あか、助けてえええ!」もやれないわけで。


「なんだこれ?」


 ふむ。


「ボケ殺しかね?」


 振り返って聞いてみた。相変わらずハードボイルド立ちでそこにいた。もしかしたら消えてるかもって思っていたのに。


「しばし身柄を預かる」


 誘拐……いや待つんだ。よく考えてみよう。…………………………いや誘拐じゃん?


「……えーと……断っても?」


 可?


「こちらの予定に変更はない」


 不可!


 そちらになくてもこちらは大有りなんですけど? せめて食事にはアルコールをつけることを要求する! あと明日も仕事なんで朝方には解散の方向でお願いします。


 ……本当にどうしようねえ。自慢じゃないが喧嘩なんて殆んどしたことがない。拳を作るのにも親指を握り込んじゃうぐらいだ。この方が力が入る気がするし?


「あー、何が目的なのかは知らないけど、僕なんて捕まえてどうするの? うちなんて共働きの平均所得だよ? 君が今言ってた家は、確かに僕の家筋に当たるかもしれないけど……うちは傍流も傍流の端で、ぶっちゃけ普通の家庭なんだけど?」


 一姫二太郎の核家族。妻の実家はデカいけど、半ば駆け落ちみたいなもんだしねー。


「あなたは楔だ。歩みを止め思考を鈍らせるのに使う」


 …………ふむ。


 不審者は懐から一枚の符を取り出す。呼応するように胸ポケットからボールペンを抜く。


「……何を」


「おっと。それ以上は動かないでくれ」


 言葉を被せると同時にボールペンの先を、自分の喉元に添える。


 二度程気温が落ちた部屋で暗い瞳の侵入者を真摯に見返す。


 声のトーンは先程までと違い力が籠ったものに変わる。


「家族の枷になるつもりはない。ここで散らすことで子供や愛する妻に有利に働くのなら、それで構わない」


 ――腹には力を、言葉には意志を込め、ただ静かに。


「――――父親だからね」


 軽く微笑む。


「……侮った」


「それはありがとう」


 ガン決まりした。僕の人生クライマックス。うへへカッコいい。


 喉に軽く刺さるボールペン。少しばかり滲む血。徐々に落ちていく夕日。暗さを増していく室内。最高のシチュエーション、だが。


 ――――意外と痛いな?


 互いに動く瞬間を狙っているように視線を交わしているが、正直心は折れかけてます。ヤバい。想像以上に痛い。ちょっとタイム。


 そんな願いが聞き届けられたのか、強い風が間をすり抜ける。ふと上がった室内の光量は西日が原因だろう。


 ――――壁のなくなった向こうから刺す西日が。


 たった今まで密室だったはずなのに、部屋の、いや建物(・・)の西側は壁なんて最初からなかったかのように吹き抜けになっている。唐突な消失に遮られていた筈の風が吹き込む。


 これには不審者も驚いたのか視線を外す。西側はコンクリも鉄骨も綺麗に抉りとられたような断面を晒している。


「あ(・)た(・)し(・)の旦那様を害するのが、あ(・)な(・)た(・)()の目的なのね?」


 いつの間にか、西日を遮ったシルエットが金色に輝く目でこちらを見ていた。


 出会った頃と変わらない姿で、妻がそこに立っていた。


 子供が産まれたのを機に、恥ずかしいからと止めてしまったツインテールに、なるべく被害を広げないためのガントレット、肩出しのTシャツにショーパン、ランニングシューズ。


 そして首から上以外の肌は呪符でグルグル巻きにされ見えない。


「母さん落ち着いて、話し合おう」


 喋り方が昔に戻ってるから。姿と相まって一瞬まだ結婚してないんじゃって思っちゃったよ。悔いてない、悔いてないよ?


「なあに?」


 クイっと小首を傾げる我が妻。いかん危険信号だ。


 完全戦闘体勢な上に問答無用感を出してる。勤め先が消えちゃう。


 妻がこちらを向いたのを隙と見たのか、不審者が符を飛ばす。


「招雷」


 呟くやいなや、符から虎を象った雷が妻に向かう。瞬き一回分ぐらいの出来事。激しい破砕音と放電が巻き起こる。


 パソコンのデータが……。


「……お父さん、ごめんなさいね。心配したでしょ?」


 いえ全く。


「心臓止まるかと思ったよ」


 無論、僕の。


 煙の中から出てきた妻に微笑みかける。妻ははにかんで応えてくる。


 ああ……なんか懐かしいやりとりだな。思い出、したくない(妻の)青春時代。苦労したよな。本当に。野犬の群れを千切っては投げ(妻が)、悪霊の群れを千切っては投げ(妻が)、聖霊の群れを契っては投げ(妻が)、人間の群れを千切っては投げ(略)してたからなぁ。駄目だよーって注意すると、返り血を頬につけて小首を傾げてたっけ……。「なんで?」「なんででも」って。万回のやりとり。


 あのクソ小娘と結婚することになるんだから。人生って不思議。どうかこのトラウマが遺伝しませんように。隔世っていうから、孫辺りが心配。


 昔を思い出す僕に妻が元気付けるように頷く。


「あなた、安心して」


 不安しかない。心がない。


「すぐに片付けちゃうから」


 散らかしちゃうの間違いでは?





 それからチャッチャッと片付けられる不審者の抵抗は僕には及びもつかなかった。ていうか見えない。速すぎ。


 結果として分かったのは、倒壊した事務所と明日からの職探しぐらいだろうか。あまり驚かなくなった自分にビックリ。


 慣れってあるよ。習うより慣れるのが結婚らしいから。


 だからスキップしながら戻ってくる無傷の妻に、ホッとすることはあれ苛立ちはしない。昔は責任とか罪悪感とかその他モロモロに押し潰されそうだったけどね。今や中年。若くはない。


 この後の事後処理を考えながら、どっしり構えるのがダンディズム。徹夜かなー。


「おかえり」


「ただいまー。えへへ。……どこ食べいく?」


 この小娘。



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