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悪魔の子  作者:
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前編

一部、少しですが流血、蜘蛛の出てくるシーンがあります。苦手な方はご注意ください。

 サラとマークの夫婦に、子供ができた。

 遅く出来た子供に、二人はたいそう可愛がり、愛情を一心に受けた子供は、すくすくと育っていった。

 

 その子が3歳になった頃。

 子供は異様に頭が良く、すらすらと言葉を覚えていった。

 この子は特別な子ではないか。サラは思うようになった。

 しかしサラはふと、異変に気付いた。

 良く泣き良く笑い、表情をくるくると変えるその子が、ちっとも泣きも笑いもしなくなったのだ。

 どこか悪いのかと方々医者に診せてまわったが、どの医者も異常なし、というばかりだった。

 マークはそんなサラに、一時的なものだろうと慰め、育児で疲れているだろう、と様子を見るよう諭した。

 サラはそうかもしれない、と受け入れた。

  

 子供がもうすぐ5歳になる頃。

 子供は健康に育っていたが、相変わらず泣きも笑いもしなかった。

 頭の良さも相変わらずで、数式や化学式などもすぐに覚え、楽器を持たせれば淡々と弾きこなし、身体能力も高かった。

 マークは誇らしい、とそんな子供を抱きしめて愛情を伝えたが、サラはおそろしくなっていた。

 決して頭が良いとはいえない自分と自分の夫。どちらも、運動も得意ではなかった。楽器の弾き方など何一つ知らない。そして何よりも、子供の顏。

 成長するごとに、愛らしく、美しくなっていくその子供に、すれちがうと誰もが思わず振り返った。

 その顏は、平凡なサラにもマークにも、どちらにも似ていなかった。


 やがて子供が6歳になった。

 本来初等部に入る予定の子供は、その有り余る知識をもって、高等部からのスタートとなった。

 小さな町で、無表情の美しい子供は一躍有名人となり、似通ったところがひとつもないマークとサラは、本当に血縁なのかと疑われるようになった。

 その頃マークは遠方へ出張を命じられていて、専業主婦のサラはひっきりなしにかかってくる無言電話や、買い物に行けばあちらこちらでひそひそと中傷する声に一人で耐えていた。

 苦しむサラに、子供は言う。

「おかあさん、どうしたの?」

「なんでもないわ」

 サラは応えた。


 そんなある日、ひとりの女が、サラに声をかけてきた。

 この町でサラに話かけてくる者など滅多にいない。サラは面食らって女を見た。

 女は醜い老婆だった。サラを差すその指先には異様に長い爪があり、サラに魔女を連想させた。

「お前の子供は悪魔だよ」女はにやり、とわらって言った。「本当は、すり替えた、私の子」

 サラは後ろも見ずに走って家に帰った。

 家に着き肩で息をしていると、見計らったように電話が鳴った。

 ほとんどが無言電話だったが、中には、サラを救い上げる夫からの電話もかかってきていた為、電話線を抜くような事はしていなかった。

「もしもし?」

「サラさんですね。お子さんの事で、お話があります」

 受話器を置いたサラの顔は蒼白だった。

 子供が、同級生に怪我を負わせたと言うのだ。

 詳しい話は学校ですると言われ、サラは震える体をなんとか動かして、家を出た。

 車に乗ろうとして、ひっ、と声を漏らした。

 サイドミラーにびっしりと、蜘蛛の巣がこびりついていた。中央には、大きな蜘蛛。ねばねばと粘着する糸に、餌の残骸――小さな薄い羽や、脚の一部がまとわりついている。

 サラは夢中で蜘蛛の巣を除くと、急いで子供の学校へと向かった。

 その姿を、あの老婆が家の影からじっと見つめていた。 


 サラが学校に着くと、子供は、固い仮面を張り付けたような顏でサラが来るのを待っていた。

 教師から話を聞くと、子供が、同級生の背中を押して階段から突き落とし、同級生は骨を折る重傷だと言う。教師がいくら理由を尋ねても子供は泣きもせず何も言わないのだと、途方に暮れた顏をした。

 だが不可解な事に、その同級生は高等部の中でもかなり大きな体格で、不意をついたにしろ、6歳に過ぎない子供が、果たして本当に突き落せるのか疑問だとも言った。自分を落ち着かせる為か冗談めかして、超能力でもあれば別でしょうけれど、と言う教師に、サラは笑えなかった。

 後からやってきた同級生の親は怒り狂っていたが、何故か子供の顔を見ると、小さな子供のやった事だと態度を激変させ、慰謝料を払う事で話は終わった。

 家への帰り道も、子供は何も言わなかった。

 家に入る時、ふ、と子供が外を振り返り、サラもそちらを見たが、何もなかった。

 疲れ切っていたサラは無理に話を聞き出す事はしないで、早めに子供を寝かしつけた。

 頭の中には、老婆の言葉が渦巻いていた。

 あのような老婆が子供を産めるはずもない。だが、魔女であれば可能なのか、と浮かぶ疑念。老婆の言葉と混じり合い、いつまでも消えてはくれなかった。 


 良い報せもあった。

 マークが帰って来るのだ。

 長期に渡った遠方の出張が終わる、もう少しで帰れる。そう、連絡があった。

 サラは喜びを隠せなかった。受話器を置く、しばらく見る事のなかった母の笑顔を、子供は無表情に眺めていた。


 その日、町は騒然としていた。

 刃物を持った男が、突然、学校に乱入する事件が起きたのだ。

 襲われたのは、子供の通う学校、それも、子供のクラスだった。

 報道の取材に応じた関係者は口を揃えて、犯人はずっと同じことを言っていたと話した。

『悪魔が俺に言ったんだ、殺せ、ボクを楽しませてみせろ、殺せ、殺せ、殺せって……!』と、繰り返したと。

 子供のクラスは紅い海に呑まれた。男は駆け付けた教師らに抵抗するようにいっそう暴れ、最後は自分の胸にナイフを突き立てたという。

 軽傷の者、重症の者。怪我をしたものがほとんどの中、無傷の者はたったの二人。そのうちの一人が、マークとサラの子供だった。

 警官に保護された子供を抱きしめるサラ。

 がたがたと震えていたのは、子供ではなくサラだった。

 それまで表情ひとつ動かさなかった子供は、サラに抱きしめられながら、何故か口角だけは上がっていた。 

 学校はしばらく休校となり、町は徐々に平穏を取り戻していった。

 子供は家で静かに過ごしていた。サラは窓の外にあの老婆の姿を見つけ、子供に絶対に外に出ないように言うと、昼間からカーテンをきっちりと閉め、厳重に鍵をかけてまわった。

 真っ暗な部屋で。子供は何も映していないような瞳で、サラを見つめていた。


 あくる日の夜。

 ひさしぶりに家族がそろい、食卓にはごちそうが並んでいた。

 いつの間にか大きくなった子供に目を細め、凄惨な事件に無傷であった事を神に感謝し、マークは子供を力いっぱい抱きしめた。

 子供もまた、その大きな背中を、ぎゅっ、と握り締めた。

 

 食事を終えひとしきり談笑していると、子供は眠そうに目をこすった。

「明日になっても、おとうさんはいるよ」

 マークがそう言うと、子供は小さく頷いて寝室へ向かっていった。

 

 子供が眠ってから、サラはマークがいない間の出来事を話して聞かせた。

 出張に出ていた間は、余計な心配をかけないようにと話さないでいたが、無言電話の事も、心無い噂話も、老婆の事も、学校の出来事も洗いざらい話した。抑えていた不安や恐怖、負の感情が一気に噴出する。

 突如、強烈な孤独の闇が、サラを襲った。

 サラがもがけばもがく程、いつか見た蜘蛛の巣のように、どろどろと絡みついて離れない。ただその主は蜘蛛ではなく、人の形をしていた。複数の人の形がサラを取り囲み、蠢いている。

 あれは、いわれのない扱いをする町の人間。それは家の周りをうろつく不気味な老婆、子供を悪魔だと疑うサラ自身。そして、不吉な出来事のすぐ傍にいる、無表情の我が子――? 

 人の形をした闇が、ずぶずぶと、サラの足を掴んで飲み込んでゆく。

 話を聞き、段々と表情を険しくさせるマークに、サラは言った。

「あの子が悪魔だったら、どうしよう」

「悪魔だって?」マークは静かに言った。「例えそうだとしても、あの子は大切な僕たちの子に変わりはないよ。おかしな老婆は放っておけばいい」

「でも! もし、本当に、すり替わってたら? 本当の、私たちの子供が、どこかにいるとしたら?」

「ばかばかしい。せっかく帰って来たのに、そんな話をされるなんて」

「あなたには分からないんだわ! 私がどんなに不安な毎日を送っていたかなんて」

 つい先程までの和やかな余韻はどこにもなく、マークとサラは口論になった。

 ついに夫の姿までもがサラを引きずり込もうとする闇の中にあらわれ、サラを襲う孤独の色はいっそう濃くなった。

 ああ、何故、こんなにも苦しまなければならないの? この影たちのせい? コレは――悪魔?

『お前の子供は悪魔だよ』

 苦悩するサラの脳裏に、老婆の言葉が浮かんだ。

 ――そうか。全部、子供のせい。あの、子供の姿をした悪魔のせいだ。学校を襲わせたのも、あの悪魔がそうさせた。だって、悪魔は楽しませろって言ったんでしょう? だから、目の前で見るために、子供のクラスが襲われた。証拠に、ほら。あんなに怪我人がいたのに、あの子供は無傷だった。

『本当は、すり替えた、私の子』

 ――何の為に? ああ、いいえ、そんな事はどうだっていいわ。きっと、本当の子供はもういない。いつか悪魔は私もマークも殺してしまうんだわ。何とかしなければ。殺されてしまう前に、殺してしまえばいい……。


「サラ」

 闇がサラの頭まで覆い尽くそうかという時。マークのやさしい声が降り注いだ。



読んで下さりありがとうございます。

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