恋を知らない 後編
頬を伝った涙も拭わないで、ジークへと視線を向けたものの、頭の中はどこかぼーっとしていて、どうして彼が私の部屋の中に入ってきているのかとか、そういった疑問も生まれてこない程に。
「……じー……く?」
『恋を知らない 後編』
「お前が泣けば泣く程、あいつは自分を責める。俺らは、そんなあいつを見るのが嫌なんだよ」
カツカツと音を立てながら、こちらに歩み寄ってくるジーク。
彼は、私から一歩離れた場所まで来ると、私を見下ろしながら再度口を開いた。
「……で、お前は一体いつまで泣いているつもりなんだ?」
憤ったような声。
……それも、そうだよね。
彼らにとって、素性の分からない人間なんかよりも、罪悪感に苛まれる彼の方がよっぽど大事で、大切な存在。
彼の為に私を責めても、それはしょうがないことだし、おかしなことじゃない。
けど、頭の中ではちゃんと彼らの行動の意味が分かるのに、感情が追い付かないの。
いつだって思ってる。どうして、私が責められなくちゃいけないの!?って。
分かってもらえないもどかしさと、哀しみと、憤り。それらが、ごちゃごちゃになって私は、抑えられない感情を目の前の男に吐き出していた。
「いつまでって……!そんなの、私に分かるわけないじゃない!!!!なんで?どうしてっ!!
どうして私だったのよ!!??どうして、私なんかを呼び出したのよ!!!!」
叫んだ後、唇を噛みしめた。
……本当は、分かっているの。彼が故意にしたわけじゃないってこと……。
分かってる!そんなの、言われなくたって分かってる……!!
けど。……けど。
震える声もそのままに私は、溢れて止まらない悲しみと、寂しさと、苦しみをジークにぶつけることしか出来なかった。
「……っ、……。……あの人が、わざと私を呼び出したわけじゃないって分かっているけど……。けどっ……!!
私は……、ココにいる。ココに、召喚されてしまった!!
家族と引き離されて。もう二度と会えないって言われて!!そんな……こんな理不尽なことってないよ!!
ココに、私の居場所なんてないのに……っ!!
……帰してよ。私を帰して。お願いだから、帰してよぉ……」
ぽろぽろと溢れる涙。引き上げたシーツに顔を埋め、ただただ帰してと願った。
けど、そんなことをしても帰して貰えないって分かっているけど、感情が溢れて止まらない。
悲しくて。痛くて。苦しくて。――心が、軋む。
「……居場所、ね」
そんな時だった。不意に呟かれた言葉を拾ったのは。
ゆるゆると顔を上げれば、深紅の瞳が私の姿を捉える。
「お前に“居場所”を与えれば、お前は泣き止むのか?」
「……え?」
一瞬、目の前の男が何を言っているのか。何を言いたいのかが分からなかった。
……。
………あ。
“ココに、私の居場所なんてないのに……っ!!”
……もしかしたら、この言葉?
「……っ、……例え、居場所を得たとしても、私が居た世界にいる家族がいないと、意味なんてないじゃない」
――そう、“居場所”を与えられたとしても、それはあくまで押し付けられたものでしかなくて。仮初の“居場所”でしかない。
だから、元の世界にあったような無条件で私を受け入れてくれるような、そういうものじゃないと駄目なの。
“居場所”だけじゃ足りない。私を優しく抱き締めてくれる親がいないと駄目なの。
「……だがな、お前はもう元の世界には戻れない。それは、お前だって十分に理解していることなんだろう?
――だが、まぁ。心では納得してなさそうだが」
何故かは分からないけど、顔を隠すように垂れていた前髪を優しい手つきでそっと梳かされ、耳にかけられて行く。
「お前が納得しようがしまいが、お前は嫌でもこの世界で生きていかなくちゃいけない。お前がそれを望まなくてもだ。
――まぁ、お前がこの世界で生きるくらいなら、死を選ぶというのなら話は変わってくるわけだが……。
……女、お前は死にたいか?それとも生きたいか?」
……何がどうなって、生きるか死ぬかの話になったのか。
私には、まるで理解出来なかった。理解出来なかったけど、ジークの瞳は真剣そのもので、きっと私が死にたいと口にした瞬間、望み通りに私を殺すのかもしれない。
……っ、そんなの冗談じゃない!どうして、こんなよく分からない世界に連れて来られた挙句、殺されなくちゃいけないのよ!?
「死ぬなんて嫌っ!こんなよく分からない世界で死ぬなんて嫌よ私は!!」
気付いた時には、ジークに噛みつくように吠えていた。
「……そうか。なら、お前が泣いてあいつを困らせないよう、いつだってお前の傍にいてやる。
お前にとってのこの世界でいう“居場所”になってやる」
……ジークの言葉は、さっきから一体何が言いたいのか分からない。
けど、私はこの血のように紅く染まる瞳に射抜かれ、彼の言葉を受け入れていた。
彼が私にとっての唯一の“居場所”になると。
決して彼が家族の代わりになれるわけじゃないけど、この世界で言うところの“家族”のような、私という異分子を無条件で受け入れてくれるような存在になると。
だから、もう泣くなと、そう言いたかったのかもしれない。
……何もないこの世界で、初めて出来る繋がり。その事実は、意外にも私の心を熱くした。
ぽっかりと空いた喪失感が、温かな何かに満たされるような。ほっと安心出来るような。
よく分からない感情。けど、決して不快じゃないモノ。
ジークとのやり取りで、いつの間にか止まっていた涙。
それなのに、頬を伝った涙を拭うように目尻から頬、そして口元近くまで、彼の唇がなぞって行く。
不思議にも私は、抵抗することなく彼の行為を受け入れながら、このとき私の中に芽生えたこの感情は何だったのか?と、そればかりを考えていた。
* * *
あれから月日は流れ、私はこの世界で生きている。
たまに元の世界を思い出して泣くこともあるけど、殊の外ジークの言ってくれた“俺が居場所になってやる”という言葉が、私の心を救ってくれたようで、彼を中心に私の世界が、ゆっくりとだけど広がっている。
これも全て、あのときがきっかけとなって私の世界が動き始めている。もしも、あのときジークの言葉がなければ、私の心は壊れていた。
ううん、壊れる前にきっとジークに殺されていたのかもしれない。
今の自分がいられるのは、ジークのおかげだと、そう思う自分がいる。
こんな時いつも思い出すのは、あのときのこと。あのとき、私の中に灯った一つの感情。
もし、これが小説だったら、私は彼に恋をしたのかもしれない。
……けど、きっとこれは違う。
私は、ただそう思う込むことで、この感情を正当化したいだけで、本当はただ、……彼の存在に縋っているだけ。
彼がいるから、私は生きていられる。私がこの世界で生きるためには、彼の存在がいないと駄目なんだって。
そう気付いてしまったから、これは恋とかそういうものじゃなくて、――依存。
恋愛感情のようだけど、どこか違う。
何もかもなくなった私に初めて出来た繋がりだから、それに固執しようとしているだけに過ぎなくて。
そんな自分が醜くて。浅ましくて。また、泣きそうになった。
* * *
私は、彼に恋をしたわけじゃない。
私が私である為に彼が必要だった。言葉は悪いけど、本当にただそれだけで、恋と錯覚しそうになっていた。
これじゃあ、ジークの友人で、私を召喚してしまったあの人の罪の意識を省く為とはいえ、“居場所”になると言ってくれたジークの好意に対して、申し訳がなくて。
けど、今更彼との繋がりを失う覚悟なんかも持ち合わせていなくて。
きっとこれからも私は、ジークに恋にも似た感情を抱き続けると思うの。
私の居場所を奪われない為に。私は、所詮弱い人間で、自分のことしか考えられない、ちっぽけな存在でしかないから。
だから、
だから、ごめんなさい。
きっと私は、誰よりも何よりも貴方に執着してしまうと思うの。
例え貴方に好きな人が出来ても、それでも私は貴方を求めてしまう。
だから、いらなくなったときは、ちゃんと私を切り捨てて。
貴方にもう二度と近づけないように。ちゃんと、突き放して。
じゃないと私は、貴方を求めてしまうから。
『恋を知らない 後編』 了
「番外編・男の思惑」に続きます。