化かし、化かされ、化かしあう・3
貴族たちを見回した後、ちらりと横目で見れば、顔を俯かせた少女。
……これは、さすがにこの少女でも辛い状況だろうか?
よく見れば、ふるふると身体が震えている。
泣いているのか?と心配する気持ちが生まれたが、これで終わりか、と残念に思う気持ちのほうが胸中を占める。
ふぅ、と小さく溜息を漏らし、ここまで耐えてくれた少女に敬意を評して、魔法陣を組み立てようとしたとき、少女に似つかわしくない声が聞こえた。
「ピーピー、ピーピーうっせーんだよ!」
感情の一切を押し潰したような低い声。
それでも、一文字一句聞き逃すことはなかった。
それを裏付けるかのように、一瞬にして静寂が満ちる部屋となった。
「大の大人がふざけたことぬかしてんじゃねーよ」
低音が広間に木霊する。
その瞳は研ぎ澄まされ、人一人殺してしまいそうな程、威圧感を帯びていた。
「“聖女”だから、何?ねぇ、聖女だの神の子だの、あんたたちにとって都合のいい存在に仕立てようとするの、止めてくれない?押し付けられても迷惑だから」
ひたと、一番初めに声を上げた貴族に視線を向けながら、まるで呪詛を紡ぐように低い声がその口から溢れ出す。
「つ、都合のいいって……っ、あ、貴方は、神に遣わされた“神の子”なんだろう!?」
冷や汗を流しながら青ざめる彼を見ていると、本当に不憫でならない。
まさか、ただの暇つぶしで始めたものが、このような展開を迎えようとは、彼も思わなかったはずだ。
「ふざけるのも大概にして下さい。そもそも、神の子っていう先入観をどうにかしてくれません?不愉快です。
何を基準として神の子、聖女だと定めているのか知りませんが、私は貴方がたと同じ人間です。
私の住む世界には、貴方たちと同じように、そこに私の居場所があって、家族がいて、笑ったり、泣いたり、怒ったり。
人として当たり前のことを享受しているんです。
もう一度はっきりと言います。私と貴方がたは同じ人間です。
そんな平凡な人間を神聖化して、聖女に祀り上げるのは止めて下さい」
静かに憤る声。
先ほどまで幾分か口調も軽かったためか、親しみすら感じられたのだが、今は全く違う。
口調一つでこうも変わるものかと、そう思った。
じりじりと責められているようで、居心地が悪い。
「貴方がたは、私を聖女としてこの世界の平定を成してくれと、そう言いましたよね?それって、かなり危険ですよね?
だから私は、安全性を問いました。そこで返されたのは、根拠のない保障。
貴方たちの言う“国を救ってください”というのは、ようは“国の為に死んでくれ”と言っているようなもの。
ねぇ、どうして私がこの国のためにそこまでしなくちゃいけないの?
する意味なんてあるの?ないよね、そんなの。
いきなりこんなところに呼び出されて、訳のわからないことばかり聞かされて、挙句、自分の世界でもない知らない世界を救え?
これが、自分の意思で来たのなら、少しは許せるかもしれない。
けれど、私の意思一切関係なく呼び出されている。
だから、ここに私が知る人も、私を知る人も誰一人として居ない世界。
……ここには、私の居場所なんてものは、初めからないの。
なのに、貴方たちは私の心情から目を逸らして、危険なことを押し付けようとしている。初めから選択肢がないことをいいことに。
ねぇ、どうして、そんな無神経なことが言えるの?
神の子がどうしたの?
それって、そんなにも大事なこと?
そんな言葉で私を縛り付けて、偽りの“聖女”にしたいの?
……そう、よね。私を何が何でも聖女にしたいよね。
貴方たちは。だって、私を聖女としたほうが、都合がいいものね?だって、聖女は……、」
一旦、言葉を切ると、少女は高らかに両腕を挙げ、嘆き、悲しむ。
“神に遣わされし聖女様は、我らの醜き争いに嘆いておられる。このままでは、神の怒りに触れようぞ!!”
振り上げていた両手で顔を覆い尽くした。そして、のろのろと顔から手を外し、暗い色を落とした瞳が現れる。
「そうやって民衆の心を煽り、神の怒りに触れたとして他国を糾弾し、敵兵の士気すらも下げる。
ここが、貴方たちのように神を信じる人が多いというのなら、その効力は最大限に発揮される。
――そう、聖女は、生きている内も利用価値があるけれど、死んだ後も価値のある存在。
貴方達にとって、なんとも利用しがいのある存在。
だからこそ、戦争が終結した後で貴方たちが私を還す可能性は低い。
生きていれば、人々の生きる希望となり得る。
だけど、人々の生きる糧としなくても良くなった後が問題。
だって、聖女は世界が混乱しているときにこそ真価が発揮されるモノ。
だから、平和な世界に存在していては、反対に乱す象徴にもなりかねない。
邪魔になるようであれば切り捨てればいい。そのときも、こう言えばいい。
“役目を果たした神の子である聖女様は、天へと還られ、今後も我らを見守ってくれることであろう!”と言うだけでいい。
……人の死は、あまりにも重い。だけど、神の子は?
その死ですら神聖なものとして人々の目に映る。
幸いなことに私は、この国の……この世界の人間じゃない。
だから、貴方たちにとって私の死は、とてもちっぽけなもの。
私の死すら貴方たちにとって、どうでもいいこと。……そうなんでしょ?
だって、私は貴方たちからしてみれば、知らない世界の、知らない存在なんだもの。
そうであるのと同時に、私にとっても貴方たちは知らない、得体の知れないモノでもあるの。
だから、ね。私が貴方たちを救ってあげる道理なんてものは、初めから存在しない」
「貴女が仰ることは御尤も。重々承知しております。しかし、私たちには貴方の存在が必要なのです。
どうか、受け入れて貰えませんか?」
「……ねぇ。もし、もしもよ。貴方が知らない間に、知らない世界にいきなり飛ばされていたとして、そのときどう思う?何をする?何が、出来る?」
「それは、まずは現状の把握に努めます。魔力の痕跡を辿ることも忘れません」
「……そう。それは、すごいね。けどね、私の世界には“魔法”なんて便利なものなんてないの。
私の世界に魔法とかの言葉はあっても、所詮は小説……物語上でしか登場しない単語。
だから、ね。知らないの。分からないの。
どうやってここに来てしまっただとか、帰り方だとか。
ほんとうは、怖くて、怖くて仕方ないの。
強がって何か言っていないと自分を保てないの。
だって、この世界には、私の居場所なんてないんだよ?
今の今まで平和な世界で暮らしていたのに、いきなりこんなところに投げ出されて、私が知っている人なんていないんだよ?
愛する家族も、友達も。
知っている光景すら、何もないんだよ?
全てのものを取り上げられた挙句、国を救え?聖女という名の居場所を与えるから?
ねぇ、ふざけないで。
残された家族はどうなるの?さっきも言ったように私の居た世界には、魔法なんてものはないの。
だからね、誰一人として、どこか違う世界に行っていることも知らない。
気付かない。気付けるわけがない。
せいぜい、行方不明扱いとなって捜索してくれるか、若しくは何かの事件に巻き込まれたか、そういったことしか思いつかないの、私の世界では。
だから、知らないどこかの世界で私が生きていることも、そこで聖女として祀り上げられて“死んでください”って言われていることも知らないのよ?」
悲しげな笑みが。瞳が、痛々しい。
……どうして、最初の段階でこの少女を還さなかった?
例えこれが、実験のための茶番であったとしても、安易に召喚してはいけなかった。
寧ろ、すべきではなかったとさえ思わされる。それ程までに、少女の言葉が胸をつく。
知らず、心臓近くに伸ばされた手が、服を強く握り締めていた。
「……だ、だが、この世界で聖女様となれるなら、名誉なことじゃないか!貴方の親もきっと喜ぶに違いない!!」
はっとして、貴族席に目を向ければ、妙齢の男が、そう叫んでいた。
「……何故?」
ぽつりと、そう言葉が漏れた。
どうして?何故?このくだらない茶番を続ける?
もう、止めろ。
これ以上、この少女の傷を抉らないでくれ……っ!
思いは言葉として口に乗らず、この茶番は続けられた――。
『化かし、化かされ、化かしあう・3』 了