自衛隊 1
基本的に「それ」と呼ばれる組織の対処は自衛隊によってなされる。関東では、陸上自衛隊第一師団が群馬、栃木以外の首都圏に静岡を加えた地方を担当する事となる。そしてさらに師団隷下の連隊が各地域ごとの対処、警備を担当する。例えば、東京23区は第一普通科連隊が担当するという風に。
そしてここ山梨及び静岡のほぼ全域の担当は、第一師団隷下第34普通科連隊が担当している。
「最近確認されるようになりました静岡県、山梨県間における暴力団の抗争は、『それ』も巻き込みまさに混沌と化しています。資料をご覧下さい。静岡県では山梨県との抗争に対抗すべく暴力団が『静岡連合』を結成しており、それによる発砲も数件確認されています。『それ』の戦略は、暴力団に食い込みその勢力圏を奪い、県を勢力下に置くということが予想されています」
本来この陸上自衛隊板妻駐屯地には来ないはずの警察官がいる。自衛官と警察官のマッチングというのは俺には違和感しか感じさせない。本来「それ」の対処は警察ではなく自衛隊が行い、警察は主に関与する事はない。しかし、暴力団が絡むと話は違ってくる。基本的に「それ」と暴力団ではある程度住み分けがされており、双方がお互いの領域を侵すことは少ない。だが暴力団の他県との勢力争いに乗じ県内に複数は存在する「それ」は干渉を行っており、山梨、静岡ではすでに複数回の発砲や「それ」の出現が確認されている。この騒乱を鎮圧するためには、警察、自衛隊双方の情報交換が必要不可欠として、数日前から始まっていた。おかげでここの会議室は連日使用中だ。
「また、県内の『それ』はそれぞれ別の暴力団を支援しており、それによって静岡連合内でも内部で争いが発生しているとのことです。『それ』同士の抗争も確認されています」
そう警察官が続ける。6.23事件後、「それ」の対処から半ば強制的に身を引かされることとなった警察と、彼らの目から見れば出しゃばってきた防衛省との中は最悪で、防衛省は財務省の他に、警察庁と警視庁を相手にしているとも揶揄されているくらいだ。そのせいで連日の会議も中々進まなかった。心の中で溜息をつく。会議室の奥では連隊長がイライラした顔でその警察官を見つめている。「それ」が世界で一番嫌いな彼にとっては、こんな所で邪魔をされるのが気に入らないのだろう。そのせいか先ほどから話している警察官の声は緊張で強張っていた。
この憂鬱で長く退屈な会議の結果、自衛隊はこの山梨、静岡間抗争の鎮圧のため、暴力団と「それ」の殺傷を伴う大規模作戦を提案。自衛隊の常套手段とも言ってもいい多地点一斉奇襲という手法が採られたこの作戦は、抗争を長引かせずに短期間に鎮圧するのが目的だった。この作戦は直ちに防衛省に具申され、政府や省庁に許可される事となる。だがその後、警察から俺は妙な噂を聞いた。
「人を守る『それ』?」
数日前に富士市のとある道路で襲われた男性を、どう見ても「それ」としか思えない存在が助けている。電灯や信号に備え付けられた防犯カメラからそう分かったという。それを話すのは、警察の鑑識係だった。画像を見る限り、どう見ても眉唾には見えなかった。服装は悪の組織と言ってもいい。現実、「それ」に対抗できるのは同じ「それ」か自衛隊位なものであり、さらに該当する地点からは異形や戦闘員の死体が発見されている。
「ナイフで刺突されています。急所を一撃でブスリッ!いやぁ、まるで暗殺者みたいです」
鑑識係はジェスチャーを交えながら興奮気味に話す。
「興味でもあったのですか?」
「いやあ、ロマンでしょ。人を守る悪の組織って、物語に出てきそうでいいじゃないですか?」
ロマン。そんな考え方は余り好きではない。どの道戦わされるのは自衛隊であり、命を危険に晒すのも俺達である。それが任務といってしまえばそこまでだが。
「安西二尉、出動命令です。富士市にて暴力団と『それ』との抗争が発生。直ちに出動せよとの事です。」
その考えを遮ったのは、同じ小隊の山村だった。富士市への出動命令、先ほどまで鑑識係が話していた場所の近くだった。
小隊が乗る高機動車内に備え付けられた無線機から、今回の任務内容が流れる。高機動車は数両に別れ隊員を輸送している。現場まで急行し、その中にはなんと富士教導団の普通科教導連隊の所属だろうか、96式装輪装甲車の姿まで見える。
「出現は富士市市街部他12箇所。付近には製紙工場も隣接しており、警察が地域近隣の民間人の避難誘導を行っているものの、現場は混乱に陥り負傷者が数人発生し、事態は一刻を争う。また市街地での戦闘に伴い、物品の損傷や破壊は最小限に留め……」
例を見ない市街地での同時多発的な戦闘。そして暴力団と「それ」が大きく絡む事案は全く例が無い。どうやら普段姿を見せる筈が無い教導連隊まで出てきたのは、それなりの事情があるようだ。そこまで考えが至るとこの小隊が属する中隊宛に通信が入る。
「これより約3分後に現場に到着する。貴中隊の担当は富士駅周辺の暴力団および「それ」。総員降車用意」
道路一面に自衛隊の車両が走る。まるで事情を知らない人間が見れば行進とも見間違えるだろうが、これから行う任務はそんな物じゃないのだ。俺達は、どんな形であれ人を殺しに行くのだ。そこでは個々の活躍など必要無い。自衛隊という名の極めて精密な暴力装置の中の微細な歯車の一つとなること。それが今の俺達に求められている事。
今思えば、それが数年前の俺には足りなかったのだろうか。その痛く辛い経験を思い出しながら、俺は高機動車の急ブレーキに体を揺らした。
小銃を抱え高機動車から降車する。駅前に民間人はいなかった。おそらく駅構内に避難しているのだろうか。人が居ないことを除けばまるで平常時のようだった。しかし、所々に見える血の跡がそれを戦場と認識させた。
中隊長の指示の元小隊ごとに陣形を移動する。抱えた89式小銃の切り替えレバーを「タ」に合わせる。単射で戦闘員を打ちながら掃討して行く。暴力団も見られるが基本的な対処は変わらない。だがその場合は持っているかも知れない拳銃に注意する事が必要となる。ボディーアーマーを装着しているといっても手足や頭に当たってしまえば一巻の終わりだ。近接戦に持ち込まれては危険というのはどちらも変わりはない。相互援護という目的から、二人一組での対処が推奨されている。そしてそれより危険なのが異形である。人間をはるかに超える身体能力。中には特殊な力を持つ者も存在し厄介という他無い。小銃弾が通じないものも報告されている。異形はその俊敏さを生かしこちらを翻弄し、小銃の狙いが全く定まらない事もある。
しかし幸いな事にまだ異形とは出会わない。掃討の大半が終了し、中隊は合流する。負傷者は0。散開し周囲の捜索に当たるが「それ」は隠れていなかった。そこで撤退命令が出る。幸いにも騒乱は鎮圧された。「処理」した「それ」の残骸を回収し輸送トラックで輸送していく。戦闘員はどこの組織も作りも性質も同じだ。ただ回収して焼却する。暴力団のほうは身元を割り出すために警察に運ばれる事になる。そこで身元を割り出した後は同じように焼却される。まるで、存在していなかったものを消し去るのかのように。その必要性も理解している。戦闘員が誰であったか。それは誰もが理解しているだろう。しかしそんな事一言も口に出さない。それは、自分達の存在意義そのものに異論を持つことになりかねないからだ。そして割り切る。自分達が倒すのは悪の組織であると。国民を傷つけ、国家そのものに危機をもたらすものだと。そう割り切れ無い人間は今頃PTSDで精神病院行きだ。日常生活なんて送れるはずが無い。
人間だったものを殺す。これまでは「もの」と認識していた。ならばそれで耐え切れるのかもしれない。割り切れるのかもしれない。しかしだ。今日は人を殺した。それは隊員の心に少なくとも楔を打ち込んだ。そして俺は、数年前に消し、意識しないでいたはずの感情を思い出した。
この話が目指すものは、正義の無い話です。尚自衛隊視点はこれからもちょくちょく出てきます。