現実
美馬君は、私の腕を乱暴に扱ったりしない、何かの間違いでしょと瞳は混乱していた。顔は同じだが、目がつり上がっていて表情も口調もきつかった。まるで彼は別人だった。
「こんなの美馬くんじゃない。ねぇそう言ってお願い、違うでしょ」
小口の顔を睨みつけた。
「違うように見えているが、本物です」
さっきまで美馬君と親しく話していたのに、瞳は彼との距離感を遠く感じた。小口は彼女の言葉を聞きながら、研究員を呼んで美馬を隣の部屋のベットに寝かすように指示した。
「僕達の研究で彼をおかしくしてしまった、本当にすまない。ちゃんと納得してほしいから説明するよ。人の記憶というものは、眠っている時に整理されるのは知ってるよね。」
「ええっ知ってるわ」
「1日の中で楽しかった事は記憶に残される。嫌な事の記憶って奥の階層に追いやられる、つまり引き出しにくい所に閉まわれる。小さかった頃の嫌な事って思い出したくないだろう?」
「そうだけど」
「それと同じ。年数が経つと嫌な記憶は最下層まで落ちていき、封印状態になる。視床下部と呼ばれている所だ。その嫌な記憶は憎悪でもあるんだ。最下層には制限がありリミッターが外れると憎む、恨む、怒り、衝動にかられる、それが悪の力になる。それを引き起こしてしまったのは実はコウモリの血なんだ。人にストレスの改善策と思われたコウモリの血の混入で、最下層の記憶までおかしくさせてしまったと解釈している」
「なんで、コウモリなんか」
人間の体内に動物の血を入れるなんて、考えただけでもおぞましい。背筋を震わせた。考えられないと瞳は、思考することを遮断出来るものであれば遮断したかった。
「コウモリは哺乳動物の中でも老化が遅く、人間の病原菌やガンを抑制してくれる事が他国の研究所で判明したんだ。世界中の研究所で効果が見られましたので、ウチでも取り組む事になったのです。研究対象が多い方がいいので治験者を募りました。そこで美馬くんが希望してくれた訳なのです」
「そんな事、私には何の相談もなかったですよ」
「あなたへのプレゼントの為に、隠していたのでしょうね。話を続けますね。美馬君の少量のコウモリの血を粉末にしたものを投与して、反応をレポートしてもらったのです。もちろん人に害はない程度の微量のもので、他国では何も問題はありませんでした」
「何も問題はないって、例外が起きたって事なの?」
「元に戻してよ理由なんていいから、ねぇ元に戻してよ、お願い。私のプレゼントなんて何でもよかったのに」
「今、世界の研究機関にその答えを求めている所です」
「お願い、美馬を元に戻して」
「あぁ彼を助けてみせる」
クルミは、瞳に声が届かないように小口の袖を引き寄せ耳元でささやいた。
「私、ヴァンパイアって好きにゃんだ」
夏の日差しは短いはずだったが、やっと夜の帳を降りようとしていた。
小口の車で目的の場所についた。美馬のマンションだった。
車から眠っている美馬の体を研修所員と小口、男2人で担ぎ出し重い歩を進めた。瞳の先導で、ようやくマンションの入り口前まで来た時。
ザザッという音が、瞳の耳を五月蝿くした。
目の前で、美馬を抱えている2人は瞬く間に闇に覆われた。
何者かに前、真横に、真後ろに取り囲まれていた。
闇に近い黒い人達は、背中に荷物を背負っているように思えた。
街灯の光が遠すぎて、暗くて相手の顔が見えない。
「えっ何、誰」
鈍い音だけがする。瞳の焦点はブレて、手足は固まって動けなかった。
「いやっ、小口さん、どこ」瞳の声よりも、嫌な音が大きく響いた。聞きたくない。
その光景は、大きなカラスがゴミ袋をつついて漁っている風景に似ていた。
黒い人達は素早い動きで、3人をぶん殴っていた。蹴っていた。叩きのめしていた。
「いやっ」瞳は体を後ろにつんのめり尻持ちをついた。逃げ出そうとしたが、美馬がいる。逃げられない。
黒い人達に近づきたくはない。誰か助けて。助けを呼ぼうとしたが、あたりを見渡すが誰もいない。瞳は力なく立ち上がり恐る恐る彼らに近づく。
さらに近づくとはじき出され、マンション入り口にある花壇に体を放たれた。
腰に痛みが走る。瞳が脚元をふらつかせながら立った時に、もう黒い人達は目の前から消えていた。
3人は崩れていた。仰向けに。俯けに。黒い血を浴びながら。
瞳は体をよろけながら、美馬を探した。
研修所員の男と小口を見つけると、体の所々に斑点模様の血が見えた。
瞳は美馬に近づこうと、重い足を引きずった。
信じられない光景に瞳は目をきつく閉じ現実ではない事を祈り、ゆっくりと目を開けた。駄目だ、目の前の惨劇は変わらなかった。
そこには血だらけの美馬の姿が痛々しく映った。
わずかに美馬の左手が動いたのを瞳は気付いて、手を差し伸べた。
「ごめん、倒れていたみたいだ」美馬は、力ない声を出し、瞳に笑顔を作っていた。
変貌する前の美馬に会えた。戻ってきたんだ。
「美馬くん、いいよ話さなくって」
顔の大半が血とアザで覆い被さっている。でも表情は感じた。
瞳は、もう元の姿には戻れないかもと思っていたので安心して涙が出た。
少したって美馬は気を失って、目を閉じた。
小口は瞳の声で、ようやく立ち上がり美馬を探した。その体の容態を見た。
「危ない、このままでは」
「救急車を呼びますね」瞳は携帯に手を伸ばした。
「いらない、呼んでも仕方ない」小口は首を振った。
「えっ、だって」
「車に連れてってくれ」言われるまま瞳は重い小口に肩を貸し、ゆっくりと歩き車へと乗せた。
彼は車を動かし、美馬と研修所員の男を車に乗せた。
「研究所にいきます、このままでは美馬は死んでしまう輸血しないと」
「でも病院にいけば輸血できますよ」
「それじゃ駄目なんだ、今はコウモリの血も入っているから、最善の注意を払わないといけないんだ。研究所で処置するんだ」
「博士、ミッション完了しましたにゃ」
「ごくろう。やはりイレギュラーは生まれたか、私のオリジナルには叶うまい」
紫のジャージ姿をした長身の博士。クルミには、とても年齢よりも若く思えた。




