本屋と作家
推理小説といえるのかがよくわかりません。
たぶん推理できないかも。
田舎の町にたたずむ小さな書店。
樋口貴章はここのアルバイトをしていた。
店内には誰もいないので、レジに座って本を読んでいた。
昼の日差しが背中にあたって気持ちがよかった。
昼番を任されていたのだ。
店長は昼ごはんを食べに出かけている。
まぁ、この時間帯に客がくることは少ないから、
たいしたことではない。
レジカウンターは店の表側の壁にあるので、
レジから、右手を見ると、入り口となるドアが見える。
そう、今時、自動ドアではない、ガラスのドアが見える。
ドアの上にはベルが備え付けられている。
ドアが開け閉めされると、ベルにあたって、
音が鳴るわけだ。
これなら、奥にいても、客が入ってきたことがわかる。
ちょうど、そのベルが鳴ったので、
レジの下の棚に読みかけの本をしまいこんだ。
右手を見ると、一瞬ひとりでにドアが開いたのかと思った。
しかし、よく見ると、背の低い小学生がドアを押していた。
「いらっしゃいませ」
店長の言いつけどおりの挨拶をした。
小学生はこちらをちらりと見て、すたすたと奥に歩いていった。
奥には児童書があったはずだ。
それ目当てだろうか。
あんなに、小さいのに本を読むなんて感心だな、
と20歳の僕は年寄りくさく思った。
暇つぶしにと、レジを出た。
先ほど、彼が歩いていった、通路へと向かった。
思ったとおり、奥の児童書コーナーで
品定め―小学生だから、品定めとまでのものではないだろうが―
をしていた。
驚かせないようにと、足音を無理に立てて近づいていった。
急に話し掛けると、驚くと思ったからだ。
自転車に乗っていても使う手だ。
人が道をふさいでいるとき、ベルを鳴らすのはなんだか気が引ける。
だから、こぐ足をとめて、車輪の空回りした音を出すのだ。
そして、前方の人に存在を感じ取ってもらう。
すると、だいたいは端に寄ってくれるので、
ベルを鳴らさずに平和的に解決するのだ。
思惑通り、彼はこちらの気配に気づいてくれた。
こちらを向きはしなかったが。
後姿の変化でわかった。
人の気配を感じ取った微妙な動きがあったのだ。
小学生の横に行った。
その子は、見たことがない顔だった。
こんな小さい店だからきた客の顔はだいたい覚えている。
母親に連れられて、来た事もないだろう。
オススメだと思う本を棚から取り、
「これなんか、どうかな?」
と勧めてみた。
彼は少し顔をしかめた。
あれ、駄目だったか。
彼は本を何秒間かジッと見て、こちらを見ずに、
下向き加減で言った。
「僕、3年生」
何のことだかわからなかった。
子供特有の会話の飛びかと最初は思った。
突然、自己紹介まで話が飛んだのだろうか。
自分の持っている本を見た。
彼に見えるようにと、逆さまに持っていた。
「オズの魔法使い」
タイトルはそれだった。
表紙には抽象的な模様が淡い水色で書かれていた。
下部にそれに反した、真っ赤な帯がついていた。
「小学1,2年向き」
そういうことか。
この本の提示が、彼の小さな誇りを傷つけてしまったのか、
と思うと少し後悔した。
彼は、「小学3,4年向き」の帯のついた本を一冊選んで、言った。
「これにしますから」
語尾の「から」が何故かこちらが気遣われているような気がして
少し気になったが、「オズの魔法使い」を元の場所に戻して、
レジのほうへと案内した。
本の裏のバーコード部分にあの例の機械をあてた。
何回も使っている自分でも名前を知らない。
よくあることだ。
意外と反応が鈍いので、時間稼ぎに聞いてみた。
「僕、名前はなんていうの?小学3年生で本を読むなんてえらいねぇ」
その子の顔をはじめて正面から見た。
端正な顔つきだった。
まだ、あどけなさが満ちているが、大人になるとハンサムになるだろうな、
と思った。
彼はその小さな口を開いた。
「僕は、沢木光です」
その時、例のやつがピッと反応した。
「656円」
液晶画面に現れた文字を見ながら光君は財布からお金を出した。
「自分のお金?」
彼は小さくうなずいた。
また、感心してしまった。
ありがとうございました、といいながら、
店名の印刷された紙袋にいれた本を渡した。
彼はベルの音を立てて、店内から出て行った。
ほんの十分ほどの時間が長く感じられた。
それから、光君は毎月、児童書を買いにきた。
どうやら、一月に一回、本を買えるだけの、お小遣い貰っているらしかった。
あれから、話し掛けたりはしなかったが、
あちらも自分に心を開いてくれているように見えた。
彼の所有本はかなり増えたことだろう。
なんせ、あれから、3年間も経ったのだ。
単純計算でも、46冊も読んでいる。
さらに、時たま、月に2冊買ったりするときもあったので、
50冊以上は読んでいるのだろう。
僕が子供の時なんか、漫画やお菓子に消えていっていたけど、
あの子はえらい。
最近の若者に、読解力や語彙力の低下が見られるが、
彼には関係ないものとなるだろう。
いや、なってほしい。
本好きの光君を好きになっていた。
応援、というか、味方をしてあげたかった。
彼は中学生になった。
どうしてわかったかというと、
まぁ、何年経ったか数えればいいのだが、
彼が近くの中学の制服を着て、やって来たので、
ハッとしたのだ。
そして、僕のほうはアルバイトの貴章ではなく、
正式な店員としての樋口貴章になっていた。
光君は以前と同じように毎月、やって来た。
初めて見たころより、2倍は伸びたのではないか。
と思うほど、背が高くなっていた。
もう、ドアは彼があけていると、瞬間でわかるようになった。
制服を着て、初めて店にきた時、
光君はいつもの通路を通らずに、右に折れた。
どうしたのだろう。
と思って、しばらく待つと、
小説の文庫本を手に持った彼が現れた。
僕は、うれしくなった。
わが子の成長を見たような―見たことはないが、こんな感じなのだろうー
そんな気持ちに襲われた。
我慢できなくなって話し掛けた。
「今日は、小説を買うんだね。中学入学おめでとう」
光君はうっすらと笑みを見せた。
そして、思い出したように、たずね返してきた。
「お兄さん、名前なんていうの?」
3年間、一方的な関係だったことに改めて気づかされた。
彼に名前を覚えてもらうなんて、うれしいことだ。
「樋口貴章っていうんだ。ヒグチは樋口一葉と同じ漢字ね。タカアキは貴重品の「貴」に文章の「章」ね」
漢字の説明まで、入れながら、なれた手つきで、レジを済ます。
そして、お釣りを渡して、彼を見送った。
彼に名前を知ってもらっただけで、
また、違った彼が見られそうな気がした。
彼が中学生になってから、少ししたとき、
彼は、本のほうへ向かわず、一番にレジにきた。
そして、僕に聞いた。
「学校で辞書がいるんだけど、どれがいいのかな」
待ってました、とばかりにレジカウンターから出る。
3年間もここにいると、ほとんどの本を網羅してしまっていた。
辞書のコーナーに行って、何がいるのか尋ねてみた。
帰ってきたのは、国語と和英と英和だった。
ちょうど、棚にはお目当ての辞書がなかったので、
棚の下にある、引き出しをしゃがんだ姿勢で探す。
奥にあるようなので、取りづらい。
だんだん、首が痛くなってきた。
首を伸ばそうと、体をそったその時、
目の前に辞書が落ちてきた。
ものすごく厚みのある、重量級の辞書だった。
ハッとして、隣に立っていた彼の顔を見上げる。
「ごめんなさい。落としちゃった」
一瞬ひやりとしたが、落ち着きを取り戻し、言った。
「大丈夫、頭にあたるところだったけど、首が痛くなってよかった」
僕は笑いながら、目当てのものを取り出し、彼に渡した。
そして、レジで会計を済ませた。
彼は申し訳なさそうにスタスタと帰っていった。
そんなに気にしなくてもいいのにな、と思った。
その、出来事のあと、2,3ヶ月彼は続けて来なかった。
あのことを気にしているのだろうか。
僕の対応がまずかったのか。
すこし、後悔し始めていた。
だが、4ヶ月め、夏にまた、彼は本を買いにきた。
重荷を下ろしたような、安堵感に包まれた。
彼は小説を買い、また去っていった。
レジの彼の表情は前と変わりなかった。
まぁ、あの年頃じゃあ、本以外にも楽しみはあるからなあ。
2,3ヶ月こないなんてたいしたことないじゃないか。
ほかの子供は年に1回来るか来ないかなのに。
来たとしても、漫画を買っていくだけだ。
先ほどの後悔の念は吹き飛んでしまっていた。
彼は、中学の3年間もここに通い続けた。
3年目には受験だろか、参考書や問題集なども買うようになっていた。
でも、毎月の本は欠かしていないようだった。
僕は書店の店長になった。
隣町に店舗を出すことになったのだ。
そして、ここの店長が隣の新しいほうの店長をすることになったので、
僕がここの店舗の店長になったわけだ。
ちなみに、新しいほうが大きいので、そちらが本店になるらしい。
僕は支店長だ。
光君のほうは、志望校に受かったらしく、
高校の制服でやって来た。
今までの流れでいくと、まさかと思ったが、まさかだった。
新書や、簡単なビジネス書や心理読み物を月に一回買っていくようになった。
児童書がここまで来たか、と思った。
レジで、彼が買った書名を見ると、なかなか面白そうなのを買うのである。
彼が買った本で特に気になったのものは、自分でも読んでみたりした。
ある日、本の整理をしていると、
本棚に無理やり押し込まれたような本があった。
少し難儀して引き出してみると、本の間に何か挟まっているようだった。
本を開くと、その何かがカツンと音を立てて落ちた。
カッターが足元に転がっていた。
しかも、歯が出たままだ。
客が入れたのだろうか。
「ねぇ、ちょっと来て」
最近入ったアルバイトの子を呼んだ。
同じく、本の整理をしていたのだ。
今、起こったことを話した。
すると、上を指さして、言った。
「監視カメラはどうなんです?」
僕は、笑って返した。
「そうか、君は最近入ったから知らないんだね。あれはダミーなんだ。ダミーを置くだけで変わるものだからね」
アルバイトは納得して元の仕事に戻った。
結局、誰かがいたずらで挟んでいったのだろう、ということに収まった。
光君が高校3年生になった年、心躍る記事が新聞に載った。
しかも大きく。
「日本小説新人賞受賞 高3 沢木光」
小説を書いていたのか。
おまけに、プロデビューまでしてしまった。
あの、本好きの小学3年生がここまで成長したか。
成長を見守ってきた親のような感覚が満ち溢れた。
そして、今度は作家になった彼が来た。
本を買うのかと思ったら、レジのほうへ来た。
たまらず、言ってしまった。
「新人賞おめでとう」
彼は驚いた顔をした。
僕が知らないと思っていたのだろう。
そして、言った。
「あ、ありがとうございます」
照れた顔をして、近くに置いてあったボールペンを買って、帰っていった。
彼を見たのはそれが最後だった。
また、彼の名が新聞に載った。
とても小さく。
「沢木光(18)交通事故死」
車に跳ねられてなくなったらしい。
とても悲しかった。
吉報と悲報が一度にきてプラスマイナス、ゼロにはならない。
新人賞もうれしかったが、悲報の悲しみはこの上ない。
ただ、無意識に仕事をした。
1ヶ月ほど経過し、どうやら気持ちがおさまってきたようだ。
いまだに、彼が店のドアをあけて入ってきそうな気もするのだが、
自分なりに割り切れるようになった。
そうして、あることに気づいた。
彼の書いた本を読んでいなかったのだ。
ちょうど、この前に店に仕入れていたのだった。
新しい本のコーナーに数冊並べてあった。
一冊取り、レジに持っていき、バーコードをスキャンする。
そして、自分の財布から代金を出す。
手にしっくりくるハードカバーの本を開いて読み始める。
タイトルは「本屋と作家」
目次を見ると、2部構成になっているらしい。
「第一部〈本屋〉」
ページを操るごとに、光君との思い出が鮮明によみがえってくる。
そこには、自分と彼とのやり取りが書かれていた。
初めてきたときの話や、問題集を買いにきたときの話。
いろんな出来事が、本屋、つまり僕の目線で書かれていた。
時間がたつのも忘れて読みふけってしまった。
第一部が終わったころに客が一人来たので、読むのをやめざるをえなくなった。
ドアを開いたのは小さな子供だった。
彼も小学生の低学年だろう。
最近、小さい子を見るとあのときの彼と無意識のうちに比べてしまう自分がいた。
その子は近ごろ流行りの漫画を買って走って帰っていった。
棚の下からまた本を取り出し、第2部にはいった。
「第二部〈作家〉」
題から察するにどうやら今度は彼の目線からの話のようだ。
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僕は小学3年生の時、親にもらったはじめてのお小遣いで本を買いにいった。
初めて入る店だった。
レジには若い店員が一人。
僕が何を買おうか迷っていると、後ろから大きな足音が聞こえた。
先ほどの店員が横に並んだ。
これはどうかな、と低学年向きの本を僕に差し出してきた。
僕は幼いながらに嫌悪感を覚えた。
今ならば、殺意といってもいいものを抱いた。
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手が汗ばんできていることに気づいた。
背中をゾッとするような悪寒が走った。
今、自分の顔を鏡で見たら、自分だとわからないのではないか。
驚愕が顔から読み取れるだろう。
別人の顔のように変わっているかもしれない。
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その後、月に一回の頻度でその書店を訪れた。
そして、その度にアイツの顔を見ることになった。
ますます、殺意は高まった。
まだ、幼かった僕はこの感情をどこへぶつければいいのかわからずにいた。
だから、本を読み続けたのかもしれない。
3年が過ぎ中学生になった。
そうだ、辞書を買いにいったときのことだ。
前々からの計画を行動に移すことにしたのだ。
アイツを殺す計画を。
その日、憎きやつの名前を知った。
その人間につけられた固有名詞を。
思惑通り、やつは辞書を探して、しゃがみ込んだ。
そこに、一番重そうなやつをアイツの後頭部めがけて落としてやったのだ。
だが、アイツは首を伸ばすために体を反ってしまった。
おかげで、アイツが元いた空を辞書は落ちていった。
殺し損ねた。
その時、自分は恐ろしいことをしていることに気がつき、
急いで、辞書を買い、逃げるようにそこを去った。
僕に殺意があることを悟られるかと思ったのだ。
だが、その時の僕の考えが幼かっただけで、
3ヶ月間をおいて、行ってみると、何も気づいていないようだった。
あのむかつく、のん気な顔をしていた。
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辞書が目の前に落ちて来たときのことが、昨日のように脳裏に浮かんだ。
鮮明に。
彼の「落としちゃった」という台詞を。
僕は落ち着いて考えてみることにした。
これは、小説だ。
本当の話とは限らない。
辞書の出来事をあとから、面白く理由付けしただけかもしれない。
文章に宿る禍々しいものは勘違いなのかもしれない。
さらに読み進める。
勘違いだという到達点を求めて。
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高校生になった。
今度は本格的に殺してやろうと思った。
カッターをポケットに忍ばせていったのだ。
やつは本棚を掃いていた。
後ろから忍び寄って刺してやろうと、静かに近づいていった。
もう一息というそのとき、やつと僕だけだった通路に人が入ってきたのだ。
僕は急いで近くの本の間にカッターを挟んで、
逃げた。
あとから、わかったが僕の仕業だとは気づかれなかったらしい。
また、殺し損ねた。
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自分の願う航路とは間反対に船は舵を取り出した。
もう、元の航路には戻れないような気がする。
あのカッターは、光君が。
のこりのページも少なくなってきた。
一気に読んでしまおうと腹をくくった。
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僕は高校3年生のとき新人賞を受賞した。
最後に、もう一度やつを殺そうと思った。
ポケットに果物ナイフを潜ませ、
書店に向かった。
うわさではやつは店長になっていたらしかった。
なんなんだろうか、やつの顔を見るたび、殺意が芽生えた。
そして、やつを目の前にした。
今度は「新人賞おめでとう」とうれしそうに言うやつの顔に邪魔をされた。
……殺し損ねた。
神よ、なぜやつを殺させてくれない?
ならば、僕がこの世から消えようか。
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僕は本を閉じた。
感想や指摘があればお願いします。
読んでくださってありがとうございました。