第十九話
理絵は最初に着てたセーラー服に着替えて、むすくれた顔をしていた。真夏の日差しは容赦なんかしてくれなくて、熱されたアスファルトを歩いてたら、目玉焼きってこんな気分なんだろうかとか思ってしまう。
あー、公園よかもっとクーラー効いたとこ待ち合わせ場所にすりゃ良かったなあ。でも外のが逆に人目無くて良いか。真夏の昼間に公園いる人なんか少ないだろうし。
「……わたし、携帯電源切ってきたのに。充電もしてなかったのに」
「母親が充電したんだろ、たぶん」
家出するなら携帯水浸しにして出てくんのが確実だよ。まあおまわりさんにすぐとっつかまるけどね。
公園の入り口のとこまで来て、理絵はぴたりと足を止めた。俯いて、スカートの裾をぎゅっと握る。
滑り台の横の木陰のベンチに、品の良い感じの女の人が座ってた。おれたちに気付いて立ち上がる。
会釈をすると向こうも会釈を返してくれたので、たぶんあの人が理絵の母親なんだろう。
「……行かなきゃダメ?」
理絵の指先が白くなってる。力込めすぎちゃってる所為だろう。
思わず行かなくても良いよ、無理すんなよって言いたくなりそうなくらい、今の理絵は弱々しい。
まあ、そんだけ理絵を弱らせてんのはおれでもあるんだけどさ。
だからまあ、ちょっとだけ気まずかったりする。ので、おれは誤魔化すみたいに髪をわさわさ乱して視線を逸らす。
「……おれは、はやくお前に出てってほしいわけだよ。だから、行かなきゃダメです」
このままずっとおれん家いても、何も解決せんだろうよ。とは、おせっきょーみたいになるから言わんけども。
「話しても、納得とか、出来ないかもだし。でも、話さんよりかは、ずっと良いと思う」
理絵と母親を話させて、そしたら理絵は泣き止むどころか更に泣くかもだけど。
でもこれが、お前にしてやれるおれの精一杯だ。
「お前が不満に思ってることとか全部ぶちまけて、そんで、……まあ、そしたらどうなるかは正味分からんけどさ。言いたいこと全部言ったら、すっきりするとは思うよ。たぶんな」
おれは父さんにも母さんにもぶつけられやしなかったから。だからおれの代わりにってわけでもないけど。
仮にぶつけてたらきっと、あんな事言わなきゃ良かったって思ってたと思う。でも何も言ってないおれは今、あの時ぶつけてたらなあって思ってる。
どっちにしろ後悔はすんだよ。なあ理絵、お前は手の届くとこに母親がいるんだから。
だから、いってらっさい。
軽く理絵の背を押してやる。
「……洋平くんたちは来てくれないの?」
「お前ん家の問題だろうが。おれらは無介入。……ま、お前が納得いく結果になるよう祈ってるよ」
躊躇する理絵の背をもっかい押す。
「おれを幸せにしてくれるんだろ、天使サマ。お前が出てってくれんのが……てぇか、納得して家に帰れんのが、おれの幸せです」
幸せにしてくれよ。と発破をかけると、ようやく理絵は母親の方へ歩きだした。
おれはどっか涼しそうな所が無いか探した。おれらがいたら、話せる事も話せんだろうし。
ジャングルジムの奥の藤棚の辺りが一番涼しそうだった。適度に距離もあるし、ここならあんまし向こうの声も聞こえ……るねえ……。
「父さんにも殴られたことないのにー……、だなあ……」
「台詞は知ってるが、見た事無いな」
「そういやおれも見た事ねーわー……」
藤棚は、何かいっそもう蝉棚って感じだった。みんみんみんみん。うるさいけど、今はそのうるささで向こうの声も掻き消え……てくんないねえ……。
じゃあ何でわたしを作ったの、別れるなら結婚なんかしないでよ、わたしなんてどうでも良いんでしょ、ばか、どうして別れるの、嫌だよ、いやだよ。
理絵たちには背を向けて、蝉棚の下のベンチに腰を落ち着ける。
おれも、どうでも良いわけないでしょって抱きしめてほしかったな。……贅沢か。
にしても、蝉もうちょっと頑張ってくれ。普段はうっとうしいばっかだけど、今はもうちょっと鳴いててくれても良いよ。人ん家の家庭事情丸聞こえだよ。
何でわたしには何も話してくれなかったの、わたしがコドモだから? わたしがオトナだったら話してくれたの? 勝手だよ、わたしは家族じゃないの、わたしは二人の子供なのに、何で、ばか、だいきらい。
「……脱処女だの脱童貞だのがオトナの階段とは思わんけどねえ……」
「まだシンデレラなんだろ」
「幸せは誰かがきっとー、ってか」
いやでもマジで手ぇ出さんくて良かった。や、出すつもり無かったけど。
だって理絵中学生だろ? 何年生か知らんけど、どっちにしろ中学生だろ? 確実淫行じゃんか。
あー、入道雲ちょー爽やか。飛行機雲とかも飛んでたりしてね。とか、わざとらしく爽やかなもんでインモラル気分を払拭しようとしてみたり。
向こうからは母親の泣いてるみたいな声が聞こえる。
あなたは私の娘よ。私達の子供よ。あの人と結婚した事もあなたを産んだ事も後悔してないって言ったら嘘よ。でもそれでもあなたは私の娘よ。どうでもいいわけ無いでしょう。
……煙草吸いたいなあ。何本か残ってるけど、ライター無いし。一基の部屋に置いてるやつ持ってくれば良かった。
どれくらい時間が経ったんだろう。結構経ったかな。無心になろうと思って蟻の行進ぼんやり見てたら、分からんくなっちった。
「……洋平」
「んー?」
「就職は決まったか」
「……何だよいきなり」
お前まで父さんみたいなこと言うなよ。
「決まってたら言ってるよ」
「そうか」
「で、何でいきなり」
「後で話すって言っただろ」
みんみんみんみん。
向こうの二人は一応決着がついたのかな。蝉の鳴き声がやけにでっかく聞こえる。




