第099話「可憐令嬢!凶悪?無力?」
絶鎧編 開幕です。
ソーヴィニオン王国。
その建国の歴史は、血と鉄、そして大いなる魔法の輝きと共に語り継がれている。
建国の過程において、王家に多大なる貢献を果たし、現在に至るまで国の軍事バランスを決定づけている強大な兵器群が存在する。
それらは、代々特定の有力貴族によって管理・継承され、国の防衛と他国への牽制を担う『四大至宝』と呼ばれていた。
王家が管理する至高の剣、『聖剣ソルビニオン』。
あらゆる魔属性に対し絶対的な優位性を誇り、所有者を絶対的な王として君臨させる力を持つ。
平和と交易を重んじる鳩派の筆頭、アセスルファム公爵家が管理する『滅杖アゼズルガル』。
思念との疎通により、対象や攻撃を『拒絶し、滅する』力を持つ。速射性がなく効果展開に時間が掛かるため単体での攻守には向かないが、広域的な魔力障壁を張り巡らせる等の要塞防衛において無類の力を発揮する。
公爵派閥の武の要、ズルチン侯爵家が管理する『魔槍ズールティン』。
一振りで地形をも書き換えるほどの破壊力を誇る、広域戦略兵器である。
そして、最後の一つ。
裏方として国を支える文官の家系、アスパルテーム伯爵家が代々管理する『絶鎧アスラムテイル』。
契約者へ向けられたあらゆる外部からの『攻撃』をとにかく無効化する、伝説のインテリジェンスウェポン。契約者本人が健康で強靭でありさえすれば、まさに無敵の存在を作り出すことができる究極の個人装甲である。
時代は、現在より少しだけ過去へと遡る。
これは、後に『聖女殺し』と畏怖され、そして一人の愛娘を残して散った、ある風変わりな令嬢の物語である。
◇
アスパルテーム伯爵家、本邸の裏庭。
よく手入れされた芝生と、色とりどりの花が咲き乱れる美しい庭園の中心で、空気を引き裂くような恐ろしい轟音が響き渡っていた。
ブォンッ!! ブォォォォォンッ!!
「ふっ!
はぁっ!
せいりゃぁぁぁぁっ!!」
ドゴォォォォォォォンッ!!!
気合の入った掛け声と共に、巨大な岩石が木っ端微塵に粉砕され、土煙が舞い上がる。
その土煙が晴れた後に立っていたのは、一人のうら若き令嬢だった。
陽の光を浴びてふわりと輝く、ゆるふわのピンク色の髪。
垂れ目がちで、砂糖菓子のように甘く愛らしい顔立ち。
どこからどう見ても、温室で大切に育てられた深窓の令嬢そのものである。
だが、その華奢な両手に握られているのはパラソルでも扇子でもなかった。
短い柄の先に太い鎖が繋がり、その先端には凶悪な無数のトゲが生えた鉄球がぶら下がっている殺傷力特化の質量兵器。
――モーニングスター。
少女は、自分の頭ほどもあるその鉄球をまるで羽毛のように軽々と振り回し、庭石を次々と粉砕していたのである。
「ふぅ……!
今日もいい汗かいたわね。
やっぱり、朝の運動はこれに限るわ」
令嬢――パルスエット・アスパルテームは、額に滲んだ汗を手の甲で拭い、満足げな笑みを浮かべた。
その可憐な容姿と、手に持つ凶悪な鈍器とのギャップは、見る者の脳を激しく混乱させるに十分な破壊力を持っている。
『……パルスエット。
お前はまた、そのようなはしたない真似をして。
次期当主として、もう少し令嬢らしく振る舞えないものか』
突如、虚空から重々しく、しかしどこか過保護な響きを持った男の声が降り注いだ。
声の主は、パルスエットの背後に浮かび上がるようにして現れた、黄金色に輝く豪奢な鎧の幻影だった。
アスパルテーム家の至宝にして、知性を持つ魔法の鎧。
『絶鎧アスラムテイル』
彼は現在、パルスエットを正統な契約者として認め、彼女の魂とリンクし、常にその傍らで見守る存在となっていた。
「あら、アスラムテイル。
お小言なら他所でやってくれない?
私は文官の家系になんて生まれたくなかったのよ。
この湧き上がる力と衝動は、こうやって物理で発散しないと体に悪いの」
パルスエットはモーニングスターを肩に担ぎ、悪びれる様子もなく言い放った。
『体に悪い、ではない。
お前は自分の立場の重さを理解していないのだ。
もし万が一、お前がその無骨な鉄球で自分の足を砕いたり、顔に傷でも作ったらどうするつもりだ。
そのような危うい武器は捨てて、おとなしく部屋で刺繍でもしていなさい』
アスラムテイルの言葉は、まるで口うるさい父親か、あるいは心配性の兄のようだった。
彼は絶対防御の鎧でありながら、契約者であるパルスエットの日常の些細な怪我すらも極度に恐れる、異常なまでの過保護性を発揮していたのだ。
「はいはい、わかってるわよ。
でもね、アスラムテイル。
万が一私が怪我をしそうになったら、あんたがその『絶対防御』で守ってくれるんでしょ?
だったら、私が何をしようが平気じゃない」
パルスエットはニシシと悪戯っぽく笑い、幻影の鎧に向かってウインクを飛ばした。
『……っ。
それはそうだが……。
私の力をそのような日常の不注意の尻拭いに使うのは本来の用途ではない。
それに、お前のその鉄球の軌道は予測不能すぎるのだ。
いつ私が出現すべきか、常に気を張っていなければならん私の身にもなれ』
「あははは!
ごめんごめん。
でも、あんたのそういう過保護なところ、私は嫌いじゃないわよ」
パルスエットはカラカラと笑いながら、モーニングスターを地面に置いた。
その笑顔は、どこまでも明るく、屈託がない。
だが、その直後。
「……っ!」
パルスエットの表情が、突如として苦痛に歪む。
彼女は胸のあたりを両手で強く押さえ、そのまま力なく芝生の上へと崩れ落ちてゆく。
「はぁっ……!
あ、ぁ……っ……」
荒く、短い呼吸。
額からは冷や汗が吹き出し、砂糖菓子のように甘かった顔色が、一瞬にして土気色へと変わっていく。
『パルスエット!?』
アスラムテイルの声が、先ほどの小言とは打って変わって悲痛な叫びへと変わる。
幻影の鎧が激しく揺らぎ彼女を包み込もうとするが、物理的な肉体を持たない幻影の状態では彼女の体を支えることはできない。
『しっかりしろ!
パルスエット!
呼吸を整えるのだ……!
くそっ、また発作か……!』
アスラムテイルの焦燥に満ちた声が裏庭に虚しく響く。
パルスエットが生来抱えている重い『心筋症』の発作。
それは、彼女の命を常に削り続ける見えない刃だった。
「ぁ……っ、だい、じょうぶ……。
すぐに……おさまる、から……っ」
パルスエットは芝生を強く握りしめ、必死に痛みに耐えようとする。
その姿を見下ろしながら、アスラムテイルは己の無力さに打ちひしがれていた。
四大至宝と謳われ、あらゆる外部干渉を弾き返す『絶対防御』の力。
それは、敵の刃からも、強力な魔法からも、彼女を完全に守り抜くことができる。
だが。
『……なぜだ。
なぜ、私の力は……お前を救えないのだ……!』
アスラムテイルの思念が、血を吐くような慟哭となってパルスエットの脳内に響いた。
彼の防御は、あくまで『外部からの攻撃』に対するものだ。
彼女の体の内側から彼女自身を蝕む病魔には、いかなる干渉もすることができない。
僅に痛みを緩和することすら叶わないのだ。
そして、パルスエットの病を決定的な『不治の病』としているのは、彼女自身が生まれ持った特異な体質――『アンホーリー(反神聖)属性』にあった。
普通であれば高位の神官による回復魔法や高価なポーションを用いることで、心臓の病であっても容易に完治させることができる世界である。
しかし、パルスエットの『アンホーリー(反神聖)属性』はあらゆる聖属性の治癒や加護を無効化し、「なかったこと」にしてしまう性質を持っていた。
回復魔法をかければ、効果は打ち消される。
ポーションを飲んでも、ただの苦い水にしかならない。
彼女の体を癒やすことができるのは、自身の自然治癒力と、気休め程度の薬草だけだった。
その自然治癒力をもってしても、心臓の根本的な欠陥を治すことはできない。
『無敵の鎧と謳われながらも……
最も守りたいお前の命を、内側から食い破る病一つ防げないとは……!
私は、何のために存在しているのだ……!』
アスラムテイルの悲痛な叫びは、インテリジェンスウェポンとしての存在意義を根底から揺るがすほどの、途方もないジレンマと無力感に満ちていた。
パルスエットは、苦しい息の下で、そっと右手を伸ばし、空を切るようにしてアスラムテイルの幻影に触れようとした。
「……泣かない、で……。
アスラムテイル……。
あんたの、せいじゃ……ないわ……」
やがて、数分の永遠のような時間が過ぎ。
激しい動悸が徐々に治まり、パルスエットの呼吸が少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「ふぅ……。
はぁ……」
パルスエットは、荒い息を吐きながら、ゆっくりと立ち上がった。
まだ顔色は悪いが、その瞳には強い光が宿っていた。
「ほんと大げさね、アスラムテイル。
ちょっと、息が上がっただけよ。
朝から張り切りすぎちゃったみたい」
彼女は、いつもの明るい調子で、努めて軽薄に笑ってみせた。
それは、心配で取り乱す相棒を安心させるための、そして自分自身を鼓舞するための、彼女なりの強がりだった。
『大げさなものか!
お前の命は……!』
「わかってるわよ…」
パルスエットは、アスラムテイルの言葉を遮るように、静かに言った。
「自分の体が一番ポンコツなことくらい、私が一番よくわかってる。
……私の命が、普通の人みたいに長くないかもしれないこともね」
彼女は、空を見上げた。
青く澄み渡る空。
いつまで、この空を見ることができるのだろうか。
「だからこそよ。
だからこそ、私はやりたいことを全力でやるの。
ジメジメとベッドの上で病気と睨めっこして生きるくらいなら、モーニングスターを振り回して、大笑いして生きるわ。
それが、私の選んだ生き方よ」
パルスエットの言葉には、一片の後悔も、運命を呪う響きもなかった。
ただ、限られた時間を燃やし尽くすような、前向きで強烈な生命力がそこにあった。
その言葉を聞いて、アスラムテイルの幻影は、深く、深くため息をつくように揺らいだ。
『……お前というやつは。
本当に、どうしようもないお転婆だな』
「ふふっ、褒め言葉として受け取っておくわ。
……あ、そうそう」
パルスエットは、自分のドレスの汚れをパンパンと払いながら、思い出したように手を打った。
「数日後、大寄親であるアセスルファム公爵家へご挨拶に行く予定が入ってるのよね。
新しいドレスも新調したし、楽しみだわ」
『公爵家への挨拶だと?
……おい、パルスエット。
お前、そのような場所で、今日のような粗相をしないだろうな?
お淑やかに、令嬢らしく振る舞えるのか?』
アスラムテイルが、再び心配性の保護者の顔(声)に戻って小言を連発し始める。
パルスエットは、拾い上げたモーニングスターを片手に、もう片方の手でスカートの裾をつまみ、完璧なカーテシーを披露してみせた。
「任せなさい!
猫を被ることにかけては、私、天下一品なんだから!
公爵家の人たちを、私の可憐な魅力でメロメロにしてやるわよ!」
『……その自信がどこから来るのか、私には理解できん。
頼むから、向こうの屋敷を粉砕するようなことだけは避けてくれよ……』
過保護な鎧の嘆きと、お転婆な令嬢の笑い声。
それは、死の影を背負いながらも、決して暗く沈むことのない、アスパルテーム伯爵家の一つの日常の風景であった。
パルスエットは、まだ見ぬ未来へ向かって、力強く一歩を踏み出す。
彼女が公爵家で、一人の文学少年と運命の出会いを果たすのは、もう間もなくのことである。




