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第094話「真実開示(前編)!出自?因縁?」


 窓の外の喧騒が嘘のように遠ざかり、ギルド長室は完全な密室の静寂に包まれていた。

 張り詰めた空気の中、ビアンコ男爵は一度だけ深く目を閉じ、そして、ゆっくりと重い口を開いた。


「……ロザリオ。

 いや、グレース。

 お前に真実を話す前に、まず、私という人間の成り立ちについて語らせてくれ」


 男爵の言葉は、静かだが、ひどく重かった。

 隣に座るメリア夫人は、ハンカチを固く握りしめ、祈るように目を伏せている。


「私は元々、貴族などという堅苦しい身分とは無縁の、ただの荒くれ者の冒険者だった。

 『フェンリルの牙』というパーティーを率い、血生臭い戦場や迷宮を渡り歩いていたのだ。

 ……当時私は『戦場の魔狼』などと呼ばれていてな」


 男爵の瞳に、かつての鋭さと、隣に座る妻への深い愛情が入り混じる。


「妻のメリアも、同じパーティーで苦楽を共にした大切な仲間だ。

 他国との戦争でたまたま武勲を立てて、その功績でこの土地と男爵の位を与えられたに過ぎない。

 叙爵された時には既にメリアとは婚姻関係にあったから、貴族特有の家格問題もなく、これからは二人で静かに暮らしていけると思っていた」


 男爵は、ポツリポツリと過去を語り続けた。

 それは、彼ら夫婦の最も深く、痛ましい傷痕への導入だった。


「だが……運命は残酷だった。

 私とメリアの間には、かつて一度だけ子供ができた。

 だが、その子は産声を上げることはなかった。

 ……死産だったのだ」


 メリア夫人の肩が小さく震える。

 男爵は、そっと妻の肩を抱いた。


「長年の過酷な冒険者生活での無理が祟ったのだろう。

 その時のダメージにより、メリアは二度と子供が産めない体になってしまった。

 私は永代貴族となった身。

 周囲からは、跡継ぎのために側室を迎えろと散々言われた。

 だが、私はそれを全て突っぱねた。

 私が愛しているのはメリアだけだ。

 跡継ぎなどいなくとも、二人で生きていくと誓ったのだ」


 男爵はホッとしたように、しかし同時に苦しげに息を吐き、そして真っ直ぐにグレースを見つめた。


「そういった過去があるからこそ……お前に伝えなければならない、最も重要な事実がある。

 お前は……我々の実の娘ではない」


「……え?」


 グレースの目が、微かに見開かれた。

 だが、その反応は私が想像していたような、取り乱すようなものではなかった。

 彼女はただ、静かに瞬きをして、義理の父親の言葉を咀嚼しようとしているようだった。


「……そうだったんだ。

 私は、お父様とお母様の本当の子供じゃなかった。

 ……でも」


 グレースは再び顔を上げ、真っ直ぐに義父母を見つめ返した。


「お二人が私に注いでくれた愛情が、本物だったことはわかってる。

 お母様が夜中にこっそり作ってくれたお菓子も、お父様が私の我儘を黙認してくれていたことも……。

 だから、話して。

 私は、どこから来たの?」


 その言葉は、義父母に対する絶対的な信頼に基づいていた。

 血の繋がりなどなくとも、彼らが紡いできた家族の時間は、決して偽物などではなかったのだ。

 男爵は安堵したように、そして真剣な面持ちで口を開いた。


「……今から12年前。

 我がソーヴィニオン王国が、隣国である聖リプトーン教国に対し大規模な侵攻を行った時のことだ」


 12年前の戦争。


 それは、この世界に生きる者であれば誰もが知る、歴史的な大戦だ。

 そして、私のアスパルテーム家にとっても、決して無関係ではない出来事だった。

 その記憶は私のものじゃない。

 パルスイート本来の記憶の中に存在していた。


 「当時、私も『戦場の魔狼』として、先陣を切って最前線で部隊を率いていた。

 激戦の末、我々は教国側の国境の砦を陥落させ、さらに奥深く、衛星都市へと侵攻を進めていた。

 その途上にあったのが、お前を見つけた……名もなき辺境の村だ」


 男爵の目が、遠い凄惨な過去を映し出している。


「そこは本来、掃いて捨てられる程度の、見向きもされない小さな村落だった。

 通常の戦時侵攻であれば、通過の際に多少の物資を徴発される程度で済むはずの場所だ。

 我々も、村を焼き払うような真似をするつもりなどは毛頭なかった」


 だが、と男爵は歯噛みをした。


「不運なことに、そのタイミングで、その村には教国の精鋭部隊が駐留してしまっていたのだ。

 結果として、村は熾烈な攻防戦の舞台と化した。

 劣勢を悟った教国軍は、我々の足止めのため……そして物資を奪われまいと、自国民が残るその村ごと焼き払うという、徹底した焦土作戦に出たのだ」


「……自分の国の村を、焼いたの?」


 グレースが信じられないというように呟く。


「そうだ。

 業火に包まれる村。

 逃げ惑う人々の悲鳴。

 我々が焼け跡の捜索を行っていた時……分厚い石壁の残骸の下に、奇妙な空間ができているのを見つけた。

 そこには、周囲の炎を一切寄せ付けない、神聖な光の結界が張られていたのだ」


 男爵は、グレースの瞳を真っ直ぐに見つめた。


「その光の結界の中で、泣き叫んでいた赤子。

 ……それが、お前だ、ロザリオ」


「私が……?」


「教国の民にしか発現しない、純粋な光属性。

 それも、周囲の業火を退けるほどの圧倒的な聖なる力。

 私は瞬時に悟った。お前が、教国に新たに生を受けていた『聖女』の系譜にある赤子だと」


 グレースが『教国の聖女』…

 その事実は私の中に残る前世のゲーム知識にもなかったもの。

 それを、こうして当事者の口から語られると、途轍もない重みを持って響いてくる。


「でも、どうして?」


 グレースが疑問を口にした。


「どうして、そんな重要な『聖女の子』が、見向きもされないような辺境の村にいたの?

 普通なら、教国の王都や、一番安全な場所に匿われているはずじゃない?」


「……ああ。

 それについては、これは私の想像でしかないのだが……」


 男爵は重々しく前置きをした。


「お前の本当の母親……『先代の聖女』の考えだったのだろう」


 先代聖女。


 その言葉が出た瞬間、私の心臓がドクンと嫌な音を立てた。

 嫌な予感が、背筋を這い上がってくる。


「教国の聖女は、本土側への本格的な侵攻があった場合、聖女の系譜である我が子が必ず狙われると予見していた。

 だからこそ彼女は生まれて間もないお前を、泣く泣く自分の手元から離す決断をしたのだと思っている。

 木を隠すなら森ではないが……逆に敵国である我々の国境に近く、戦火の影響が軽微で済むと考えられた見向きもされない辺境の村。

 そこに、お前を隠したのだろう」


 それは、究極の親心だったのだろう。


 自らの命を懸けて戦場に立つ前に、我が子だけは確実に生き延びられる場所へ逃がす。

 その「裏をかいた」はずの隠し場所が、偶然の部隊駐留によって最悪の激戦地と化してしまったという皮肉な運命。


「……そんな。

 じゃあ、私の本当の母親は……先代の聖女様は、どうなったの?」


 グレースの震える問いに。

 男爵は、一度だけ私の方をチラリと見てから、答えた。


「……お前を見つけたあたりの事だったと思う。

 先代聖女は、最前線において、一人の魔法戦士と凄絶な死闘を繰り広げ……。

 そして、敗北し、命を落とした」


「――ッ!」


 グレースが息を呑む音が聞こえた。

 だが、私にはそれどころではなかった。

 頭の中で、警鐘が鳴り響いている。

 やめて。

 その先は、言わないで。


「……その魔法戦士こそが」


 男爵の視線が、私に固定された。

 逃げ場のない、真実の眼差し。


「パルスイートお嬢様。

 貴女の母君であられる、英雄パルスエット様です」


「…………」


 私の呼吸が、完全に停止した。

 頭の奥で、カチリと、決定的なパズルのピースが嵌まる音がした。


『パルスエット様は元々心臓に持病を抱えていて、無理を承知でご出産したと聞いています。

 その後、産後の肥立ちが悪い中、戦地での無理が祟ってお亡くなりになったというお話でした』


 いつかサラヤが語っていた、母の死の真相。

 そして。


『アンホーリー。

 俺がまだ新米の傭兵のとき、初の実践で向かった戦地で聞いた話だ。

 ソーヴィニオン王国の伝説的英雄、『聖女殺し』が使う魔法じゃなかったか?』


 あの時、サッカリンが語っていた母の異名。


「……お母様が、先代の聖女を……殺した……?」


 私の口から、無意識に乾いた声がこぼれ落ちた。


「お嬢…男爵様、少しいいですか?」


 沈黙を破ったのは、私の背後に控えていたサッカリンだった。

 彼は腕を組み、重苦しい表情で一歩前に出た。


「俺も、その戦争で新米傭兵として参加していたから知っています。

 下っ端だったから最前線にはいなかったが……教国の聖女がいる前線は、歴戦の傭兵たちですら誰一人として戻ってくることができないほどの、異常な激戦だったと聞いています」


 サッカリンの言葉が、当時の戦場の凄惨さを物語る。

 それに続くように、今度はサラヤが静かに口を開いた。


「私もあくまで暗部での噂話程度に聞いたことですが」


 サラヤは眼鏡の位置を直し、淡々とした、しかし重みのある声で語り継いだ。


「教国の聖女は、理不尽なまでの回復能力を持ち、軍隊が束になっても次々と兵士を完全回復させてしまう、まさに難攻不落の要塞だったそうです。

 しかし、パルスエット様はだけは違った。

 お嬢様と同じ、『アンホーリー属性』。

 聖属性の治癒や加護を完全に無効化し、回復を『なかったこと』にする天敵の力。

 そして、あらゆる攻撃を弾き返す絶対防御の『絶鎧アスラムテール』を纏う比類無き防御。

 パルスエット様は、病に侵されたその身を削りながらも聖女の回復網を突破し、ついに教国最大の脅威を討ち取った。

 ……暗部内でも語り継がれる、『聖女殺し』の武勲です」


「……!」


 グレースが、弾かれたように私を見た。

 その瞳には、混乱と、驚愕、そして行き場のない感情が渦巻いている。


 私の母が、グレースの本当の母を殺した。

 そして、私の母は、その時の無理が祟って私を残して死んだ。


「なんて……なんていう因縁よ……」


 私は震える指先で、扇子を強く握りしめた。


 乙女ゲームの裏設定などという生易しいものではない。

 これは、血と泥と怨念に塗れた、親世代の凄惨な殺し合いの歴史だ。


 ヒロインと悪役令嬢の取り巻きという、単なるゲーム上の立ち位置。

 そんな薄っぺらい設定の裏側に、これほどまでに重く、呪われた因果が隠されていたなんて。


「王家からお前を守れず、ただ苦しめることしかできなかった」


 まず先に、男爵はグレースに向かって深く頭を下げた。


「特異な赤子を保護した私が王家へ報告した時、国王デラウェアが下したのは、『出自を隠してビアンコ家の養女とし、いずれ王家に輿入れさせて国の切り札とせよ』という非情な勅命だった」


「……王家の、切り札」


 グレースが拳を握りしめる。


「それゆえに、我々は……。

 本当は泥だらけで遊ばせてやりたかったお前に対し、心を鬼にして、息の詰まるような厳格な『淑女教育』を強制せざるを得なかったのだ。

 お前が王家から不要と見なされれば、その命すら危ういと知っていたからだ」


 男爵の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。


「許してくれ、ロザリオ。

 ……我々の無力を」


 メリア夫人もまた、顔を覆って泣き崩れた。

 グレースに課せられていた地獄のような淑女教育の裏には、娘を生かすための、義父母の血を吐くような苦悩と愛情が隠されていたのだ。


「お父様、お母様……」


 グレースの声も震えていた。

 彼女の中の誤解が解け、義父母の本当の愛情に触れた瞬間だった。


 その場に割り込むなど、本当はしたくなかった。

 …だが、私は必死に震えを押し殺し、なんとか冷静な声を絞り出した。


「……男爵様

 つまり、教国の聖女の血を引くロザリオ……グレースとの話に私を同席させたのは、この因縁を知る権利があると思ったからですか?」


 感動の再会に浸る間もなく。

 男爵は涙を拭い、再び私へと視線を向けた。


「……それもあります。

 だが、真の理由はそれだけではありません。

 王家の思惑は、それだけではなかったのです。

 ……すべては、このソーヴィニオン王国を盤石にするための恐ろしい陰謀の一端、その真実が隠されていると、私は考えているからです」


 ビアンコ男爵は、重く冷たい瞳で私を見据えた。


「パルスイートお嬢様。

 貴女が王都から追放され、この辺境へと追いやられた『本当の理由』。

 それもまた、この12年前の戦争と、特異な赤子の発見に端を発しているのです」


「私が……追放された、本当の理由……?」


 私は息を呑んだ。

 私が追放されたのは、エリスの婚約破棄を企てた悪役ムーブの代償だったはずだ。

 それが、12年前の戦争に繋がっているというのか。


 部屋の空気が、さらに一段と冷え込む。

 親世代の因縁。

 そして、現在進行形で私たちを絡めとっている国家の闇。


 私は扇子を握る手に力を込め、次なる真実の言葉を待った。

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