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第093話「迷宮帰還!特進?対面?」


 迷宮都市メレンゲ。  その中心に位置する冒険者ギルドの重厚な扉が、軋むような音を立てて開かれた。


「……帰ったわよ」


 私たちがギルドのロビーに足を踏み入れた瞬間、それまでざわついていた冒険者たちの喧騒がピタリと止んだ。


 無理もない。


 迷宮へ出発した時の豪華な特注ドレスは既に失われ、今の私は迷宮内で調達したサイズの合わない粗末な服を身に纏い、ボロ布をマントのように羽織っている。

 後ろに従えるサッカリンやサラヤも同様だ。

 その貧相な衣服は泥と乾いた血に汚れ、彼らがどれほどの死線を潜り抜けてきたかを無言で物語っていた。

 異様な一行が放つ凄絶な気配に、歴戦の冒険者たちでさえ言葉を失っていたのだ。


 ……ただ一人、私たちの傍らに立つ少女――グレースだけは別だった。

 満身創痍の私たちとは対照的に、彼女は普段通りケロッとしている。

 ただ、いつも顔の上半分を覆っていた特徴的なヘッドギアがなくなり、代わりに神々しく輝くティアラを頂いていることだけが、普段との唯一の違いだった。


「グレース!!」


 静寂を破ったのは、カウンターの奥から弾かれたように飛び出してきた受付嬢、シンディの悲鳴のような声だった。

 彼女はなりふり構わず駆け寄ってくると、グレースの小さな体を力強く、壊れ物を扱うように抱きしめた。


「ああ、よかった……!

 無事だったのね、本当に無事で……!

 グレースを見送った後からずっと、生きた心地がしなかったのよ……!」


 シンディの瞳からは、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちている。

 妹のように可愛がっているグレースを、未知の危険地帯へ送り出してしまったのだ。

 その心労は計り知れない。


「シンディさん、苦しい……。

 大丈夫、怪我ひとつないから」


 グレースは困ったように笑いながら、シンディの背中を優しく撫でた。


「ご苦労だったなグレース。

 パルスイートお嬢様も、無事のご帰還、何よりでございます」


 シンディの後ろから、ギルドマスターが深く重い溜息をつきながら歩み寄ってきた。

 その顔には、安堵と、そして隠しきれない疲労感が滲んでいる。


「申し訳ないわね、ギルドマスター。

 まさか、あんな小規模なダンジョンの最下層に、あんな理不尽で規格外な化け物が隠れているなんて思わなかったのよ。

 完全に私の油断だわ」


 私は素直に非を認めた。


 今回ばかりは、私の「未踏破ダンジョン=お宝ザクザクの楽勝ステージ」という甘い目論見が招いた結果だ。

 グレースの駆けつけが少しでも遅れていれば、間違いなく全滅していた。


「お嬢様が反省しておられるなら、これ以上私から言うことはありません。

 未踏破の迷宮とは、そういうものです。

 それに……結果として、お嬢様方はあの最下層の脅威を討ち果たし、無事に生還された。

 これは揺るがぬ事実です」


 ギルドマスターは表情を引き締め、懐から一枚の金属プレートを取り出した。


「未踏破ダンジョンの最下層踏破、および最上位の霊体魔物の討伐。

 同行者の戦力があったとはいえ、その実績は評価に値します。

 これはギルドからの特例ですが、パルスイートお嬢様を『C級冒険者』として認定いたします」


 差し出されたのは、鈍く光るC級の冒険者カードだった。

 D級から一足飛びの特進である。


「あら。

 いいの?

 ほとんどサッカリンたちやグレースが戦ったようなものだけど」


「構いません。

 パーティーとしての総合的な踏破能力、そして何より生きて帰ってきたという結果が全てです。

 遠慮なく貰ってやってください」


 ギルドマスターが苦笑いしながら頷く。

 私は扇子を片手に、少しだけドヤ顔を作った。


「そう。

 じゃあ、遠慮なく頂いておくわ」


 私はちゃっかりとC級カードを受け取り、懐にしまった。

 死にかけたとはいえ、これで私の冒険者としての肩書きも少しは箔がついたというものだ。


「さて……一段落したところで」


 ギルドマスターは、周囲の野次馬たちを鋭い視線で牽制し、散らせた。

 そして、その顔つきを一層厳格なものへと変え、グレースの方へと向き直る。


「グレース。

 約束通り、出発前に伝えた『情報提供者』の件について、話がある」


 その言葉に、グレースの表情がスッと引き締まる。

 彼女の両手にはめられた『祓双拳』の真名を知り、彼女の出自を知る存在。

 それを確認するために、彼女は私の領地への勧誘を蹴ってまで、ここへ戻ってきたのだ。


「……はい。

 お聞きします」


 グレースが静かに頷くと、ギルドマスターは今度は私の方へと視線を向けた。


「パルスイートお嬢様。

 宜しければ、お嬢様にもその話に参加していただけませんか?」


「……私にも?」


 私は少し驚いたフリをして首を傾げた。

 だが、内心ではすでに合点がいっている。

 グレースのルーツを知る情報提供者。メレンゲのギルドに影響力を持つ人物。

 それは十中八九、この地を治めるビアンコ男爵しかいない。

 そして彼らが私を同席させるということは、それなりの「大人の事情」や、私自身のルーツに関わる何らかの接点があるということだろう。


「いいわよ?

 大事な話なんでしょ、私にとっても」


 私が快諾すると、ギルドマスターは小さく息を吐き、安堵の表情を見せた。


「ご察し頂き助かります。

 では、ギルド長室へ」


 私たちは、騒がしいロビーを抜け、ギルドの最奥にある厳重な扉の前へと案内された。

 私とグレース、ギルドマスター、そしてサッカリンとサラヤを含めた五人で中へと足を踏み入れる。


 重厚な扉が開かれた先。

 広々としたギルド長室の応接ソファには、すでに二人の人物が腰を下ろして待っていた。


「……お待ちしておりました」


 立ち上がったのは、つい数時間前、メレンゲの城門前で大々的な歓迎パレードを開いてくれた、初老の紳士。

 ウルファング・ビアンコ男爵。

 そしてその隣には、気品ある立ち振る舞いの中に、どこか緊張した面持ちを隠せない美しい女性――妻のメリア夫人が並んでいた。


 二人は、部屋に入ってきた私とグレースの姿を捉えるなり、深く、深々と頭を下げた。

 それは、貴族としての挨拶の範疇を超えた、全身全霊の礼だった。


「やめなさい、男爵様、奥様。

 頭を下げるのはこちらの方よ」


 私は歩み寄りながら、彼らの行動を制止した。

 そして、貴族の身分差などというちっぽけな建前を越えて、私自身もまた、深々と頭を下げた。


「あなたの配慮とそちらの娘さんのお陰で私たちは命拾いしたわ。

 本当に、ありがとう」


 私の素直な謝意に、ビアンコ男爵は慌てて顔を上げ、恐縮したように首を横に振った。


「とんでもございません、パルスイートお嬢様。

 今、娘が……ロザリオが住むこの町の発展や、治安の回復は、すべてお嬢様の政策あってのこと。

 それに、あの危機的状況において、娘が皆様のお役に立てたことは、親としてこの上ない幸いでございます」


 男爵の言葉には、領主としての建前だけでなく、娘を想う一人の父親としての純粋な感謝が込められていた。

 家出をした娘の身を案じ、陰ながらサポートし続けていたのであろう彼の不器用な愛情が痛いほどに伝わってくる。


「そうね。

 お互い、頭を下げ合うのはここまでにしましょう」


 私は顔を上げ、柔らかな笑みを浮かべてその場を和ませた。

 これ以上の謙遜は、かえって話の腰を折るだけだ。


 部屋に用意されたソファに腰を下ろす。


 私の隣にはグレースが座り、向かいにビアンコ男爵夫妻が座った。

 グレースは、家出してきた手前、気まずそうに視線を泳がせながらも、真っ直ぐに義理の両親を見つめ返している。

 その小さな肩には、真実を知るための静かな覚悟が宿っていた。


「……ビアンコ男爵。

 それに奥方からも、ロザリオ……いえ、グレースに話があるんじゃないかしら?」


 私は沈黙を破り、気遣うように切り出した。


「込み入った話でしょうから、私は席を外した方がよいのではないかしら?

 家族水入らずの時間を邪魔するのも野暮というものだし」


 私が席を立とうと腰を浮かせた、その時だった。


「いえ。

 同席していただいた方がよいでしょう」


 ビアンコ男爵の、低く重い声が私を引き留めた。

 その声には、一切の迷いがない。


「パルスエット様の忘れ形見であるあなたは……。

 同じく、教国聖女の残した一人娘、ロザリオと深い関りがあると、私は思っております」


「……っ!」


 その言葉を聞いた瞬間、私の脳天に雷が落ちたような衝撃が走った。

 思考が白く染まり、呼吸が止まる。


(教国聖女の残した一人娘……それが、ロザリオ!?)


 私の知る前世のゲーム知識でなない。

 この世界で断片的に耳にしてきた情報が、私の脳内で恐ろしい速度で結びついていく。


 ロザリオが、聖リプトーン教国の聖女の娘。

 そして、私の母であるパルスエットは、かつての戦争で教国の聖女を討ち取った『聖女殺し』。

 母は、聖女との死闘による傷病の悪化で、私を遺して命を落とした。


(それって、つまり……。

 パルスエットお母様が殺した聖女の娘が、ロザリオだということ……!?

 そして、聖女との戦いが原因で命を落とした母の娘である、私。

 ……なんていう因縁よ)


 ゲームの裏設定にしては、あまりにも重く、ドロドロとした血の因果。

 ヒロインと、その取り巻きの一人という単純な関係性などではない。

 私たち二人は、親世代の凄惨な戦争と死によって、決して交わることのないはずの呪われた糸で結ばれていたのだ。


(男爵は……私が知らない母の真実を、いったいどこまで知っているというの?)


 私は震える指先を隠すように、扇子を強く握りしめた。

 動揺を悟られまいと、必死に呼吸を整え、表情の筋肉を制御する。

 生存戦略だの、不労所得だのと浮かれていた自分が、いかにこの世界の深い闇を知らなかったかを思い知らされる。


「……気になる話ね」


 私は、努めて冷静な、貴族令嬢としての声を取り繕って答えた。


「確かにこれは、ご一緒させていただくのが私のためにもなりますわね」


 私が再び深くソファに腰を下ろすと、ビアンコ男爵は静かに、そして重々しく頷いた。


「ありがとうございます。

 ……早速だが、ロザリオ。

 いや、今はグレースだったな」


 男爵の視線が、隣に座るグレースへと向けられる。

 その瞳には、かつての『戦場の魔狼』としての鋭さはない。

 ただ、愛する娘に真実を告げねばならない、一人の不器用な父親の苦悩が浮かんでいた。


「まずはお前に、謝っておきたいことがある。

 もちろん、許してくれとは言わない。

 だから、ただ、聞いてくれるだけでいいんだ」


 絞り出すような男爵の声。

 それに続くように、隣のメリア夫人も、ハンカチを握りしめながら懇願するように言葉を紡いだ。


「グレース……私からもお願い。

 ウルファングと、私の話を……聞いて貰えないかしら……」


 二人の悲痛な願いを受け、グレースは少しだけ目を伏せた。

 彼女の両手は、膝の上で固く握りしめられている。

 家出をした自分を、怒ることも連れ戻すこともせず、ただひたすらに謝罪から入る両親の姿。

 彼女の中で、どのような感情が渦巻いているのか、私には推し量ることもできない。


 やがて、グレースはゆっくりと顔を上げた。

 その瞳は、迷いのない、真っ直ぐな光を放っていた。


「お父様、お母様……。

 話してください。

 本当のことを」


 それは、一人の少女が自身の過酷な運命と向き合うための、静かで、しかし強靭な覚悟の言葉だった。


 部屋の空気が、さらに一段と重くなる。

 窓の外の喧騒が嘘のように遠ざかり、ギルド長室は完全な密室の静寂に包まれた。


 ビアンコ男爵は一度だけ深く目を閉じ、そして、ゆっくりと重い口を開いた。

 それは、隠され続けてきた親世代の戦争の歴史であり、二人の少女に課せられた、逃れられぬ因果の始まりの物語であった。

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