第092話「最終階層(後編)!証左?恩義?」
無敵の仕様を誇っていたはずのイベントボス、アビスハーヴェスタ。
その巨体が、極限まで圧縮された聖属性の光に呑み込まれ、断末魔の悲鳴と共に完全に消滅していく。
礼拝堂を覆っていた重くねっとりとした負のオーラが、嘘のように晴れ渡っていく。
後に残ったのは、静寂と、微かに舞い散る光の粒子だけだった。
「……終わったわね」
激闘の余韻の中、私は深く、震える息を吐き出した。
一時は本当に全滅を覚悟した。
私たちの力だけでは、どう足掻いても超えられない絶対的な壁が存在していたからだ。
「お、おい……。
嘘だろ、あのバケモンを、たった一撃で……」
背後で、サッカリンが掠れた声を漏らした。
彼は大剣を下ろし、信じられないものを見る目で、前方でがっくりと膝をついている少女――グレースを見つめている。
無理もない。
私たちがどれほど攻撃を重ねても一切ダメージを与えられなかった最上位の霊体を、彼女はたった一撃で浄化してしまったのだから。
「身体能力、魔力出力、ともに我々の理解を遥かに超えています。
……それに、あの絶対に外からは開かないはずの強固な扉を、闇属性の魔法によるロックをも巻き込んで物理的に粉砕して突入してくるなど、まさに規格外という他ありません」
サラヤは無意識に眼鏡の位置を直しつつ、戦慄を隠せない声で同調した。
彼女の視線の先には、木っ端微塵になって吹き飛んだ入り口の扉の残骸が散らばっている。
『ダンジョンの最下層まで』
『罠を全て突破し』
『最短距離で駆け抜け』
『最後は扉をぶち破る』
これは、ロザリオがホーリースイートという作品の主人公という理由だけではなく、グレースの冒険者としての圧倒的な実力があって、初めて成せることなのだろう。
私は、静かに立ち上がり、膝をつく彼女の背中を見つめた。
(……とはいえ、やっぱり本来の主人公は、次元が違う)
それは、打算でも計算でもない、純粋な畏怖と感嘆だった。
同時に、私の胸の奥に、重く冷たい『憂い』がのしかかってくる。
今回は、『都合よく』彼女が冒険者ギルドに所属し、『たまたま』間に合ってくれたから助かった。
だがこの世界は、前世で遊んでいた『ホーリースイートというゲーム』の『シナリオや設定』という見えざる強制力が、今回のような形で牙を剝いて襲い掛かってくる可能性がある。
私たちのような『本来であれば表舞台に立たない者』が、どれだけ力をつけ、財を成そうとも、シナリオが用意した理不尽な強制イベントや、想定外の強敵による強制力で排除されてしまう危険性は払拭できない以上、今日のアビスハーヴェスタのように、私たちの力だけではどうにもならない事態が、この先も必ず起こることを念頭に置くべきだろう。
(……この世界を生き抜くためには、結局この子の力が必要なのよね…)
それは切実な生存戦略。
彼女と敵対することなどあり得ない。
どうにかして距離を縮め、彼女と確固たる縁を結ばなければならない。
私が真摯にそう願った、その時だった。
ポゥン……。
アビスハーヴェスタが消滅した祭壇の奥で、淡い光の塊が浮かび上がった。
「お嬢様、あれは…」
「……多分、ボスのドロップ品ね」
サラヤの言葉に、私は静かに光の元へと歩み寄る。
光が収まると、そこには宙に浮く一つのアイテムが現れた。
白銀の金属をベースに、淡く発光する青い宝石が散りばめられた、美しく輝くティアラ型の装備だ。
(ティアラ型の装備、やっぱり『聖女の証』か……)
宙に浮くティアラをそっと手に取り皆の元へ戻ると、グレースに向かってそれを差し出す。
「グレース、これ、ロザリオ専用装備よ。
あなたにあげるわ」
顔を上げたグレースは、目の前に差し出された眩いティアラを見て、少しだけ目を丸くした。
「えっ?
これを私に……?」
彼女は一瞬、ティアラの美しさに目を奪われたように見えた。
だが、すぐに我に返り、静かに首を横に振る。
「これ、確かにキレイで良さそうだけど……流石に理由なくは貰えないわ」
常識的に考えて、ゲーム内におけるロザリオの専用装備だと言われても、これほど高価で美しい品を無償で貰い受けることへの抵抗があるのだろう。
彼女が持つ真っ当な倫理観に、私は少しだけ救われる思いがした。
「グレース、これを渡す理由だけど、あなたが思ってることとは違うと思うの。
それを踏まえて言っておくけど、これ、ロザリオ以外は装備出来ないのよ」
私は真剣な眼差しで、彼女の目を見つめた。
「あと、ホーリースイートではその装備がゲームの進行フラグになってたのよ。
今回はQTEで倒せたけど、この先、特定装備が無いと勝てない敵が居るのを覚えてるわ。
だからグレース、これはあなたが持っている必要があるの」
「……なるほど。
確かにそうかも知れないけど……」
グレースはまだ渋っている。
専用装備の重要性は理解しつつも、やはりタダで受け取ることに引け目を感じているのだ。
「だからタダじゃないわ」
私が言い切ると、グレースは少しだけ身構えた。
「お金……取るの?」
「取らないわよ!
さっきから『あげる』って言ってるでしょ!?」
私は少しだけ声を強め、そして、隠さざる本音を吐露した。
「そうじゃなくて、私は助けが欲しいのよ。
私たちや、他の誰にも倒せない敵を……あなたに倒して欲しいの」
私の声には、隠しきれない悲痛な響きが混じっていたかもしれない。
いつか来るであろう破滅の運命。
それを退けるためには、彼女にしかできない役割があるのだ。
私のその切実な頼みを聞いて、グレースは少しだけ目を丸くした。
そして、ふっと口元を緩め、どこか男前な、頼もしい笑みを浮かべた。
「なぁんだ。
そんな当たり前のこと、頼まれなくてもやるに決まってるでしょ?
じゃ、今回の救助報酬と併せてってことで、遠慮なく貰っておきますね」
「そうね……そうして頂戴」
グレースは迷いのない手つきで、私の手からティアラを受け取った。
そして、解けていた銀髪を素早くまとめ直し、その頭上に『聖女の証』を静かに装着する。
白銀の髪に、青い宝石が美しく映える。
その姿は、まごうことなき物語の主人公としての威厳と神聖さを湛えていた。
私はそれを見て、胸を撫で下ろした。
(イベントボスのドロップ品自体は得られなかったけれど……
あなたと敵としてではなく、仲間として出会えたのが一番の収穫かもね)
私は深い安堵と共に、静かに息を吐いた。
「それで……さっきの勧誘の話なんだけど」
一連のやり取りを終え、落ち着きを取り戻したところで、私は先ほど保留になっていた話題を切り出した。
「うちの領地に来る話、考えてくれた?」
私の領地は今、絶賛開拓中で慢性的な人手不足だ。
それに、これほどの戦力を手元に置いておけるなら、それに越したことはない。
だが、グレースは少し考える素振りを見せた後、静かに首を横に振った。
「ありがたい提案だけど……今の答えはノーかな」
「あら、どうして?」
「私は確かに家出はしたわ。
でも今はお世話になっている人も居るし、ギルドの職員として、良くしてくれている皆と働くことをとても楽しいと思ってる」
グレースは、迷宮都市メレンゲの冒険者ギルドで過ごした日々を思い出すように、優しく目を細めた。
彼女を過保護なまでに守ろうとする受付嬢のシンディや、ギルドの面々。
文句を言いながらも、彼女はそこに確かな『恩義』と『自分の居場所』を見出しているのだ。
彼女の義理堅さと、人間としての芯の強さが、その言葉から痛いほどに伝わってくる。
「……それに」
グレースは表情を引き締め、真剣な眼差しで私を見た。
「あと……気になることが残っているの」
「気になること?」
「ここに来る前、冒険者ギルドでの話よ。
私が聖属性魔法を使うことが出来るってことは誰にも言ってなかった。
それにも関わらず、ギルドマスターは私が聖属性魔法を使えると知っていた。
『お前の出自を知っている人からの情報だ』って。
その人が『武器の真名』や、『解放の仕方』を教えてくれたんだけど、私はその真相を確認しない限り前には進めないと思うの」
グレースは自分の両手にはめた『祓双拳』を見つめる。
「なんで、私のそんな秘密を知っている人がいるのか。
一緒にギルドに戻ってから、確認して、考えることがある。
だから……ありがたいとは思うけど、今の答えはノーなの」
その言葉を聞いて、私の中である程度の考察が浮かんだ。
だが、ここで私がネタバラシをするのはあまりに無粋だ。
それに、彼女自身が直面すべきルーツの問題でもある。
「……そう。
わかったわ。
じゃあ、まずはギルドに戻りましょう」
私は強引な勧誘をせず、一旦手を引くことにした。
無理強いをして関係を壊すような真似はしたくない。
縁は繋がった。
装備も渡した。
共闘の約束も交わした。
今はそれだけで十分すぎるほどの成果だ。
「サッカリン、サラヤ。
帰るわよ。
長居は無用だわ」
「へいへい。
やっと帰れるか。
もう罠は御免だぜ」
「承知いたしました、お嬢様。
安全を確保しつつ、地上へ向かいます」
私たちは粉砕された重厚な扉の残骸を跨ぎ、礼拝堂を後にした。
帰り道は、静かだった。
グレースが罠全てを強行突破してきた痕跡……無惨に破壊された仕掛けや、ひしゃげた矢の数々を見ながら、私たちは地上へと戻っていく。
その光景は、彼女がどれほど必死に、そして真っ直ぐに私たちの元へ駆けつけてくれたかを物語っていた。
ティアラを静かに頂くグレースの背中を見つめながら、私はこれからの未来に思いを馳せる。
迷宮都市メレンゲのギルドへ向かう帰還の道中。
私の足取りは、来た時よりも遥かに軽く、そして確かな希望に満ちていた。




