第088話「階層08!灼熱?散髪?」
「さあ、次はいよいよ第8階層よ!
この勢いで、どんどん稼ぐわよ!」
私は猿たちに見送られながら、意気揚々と下り階段を進んでいた。
第7階層の極寒の雪山を抜け、階段を降りていくにつれて、周囲の空気が劇的に変化していくのを感じる。
冷たく澄んだ空気は次第に重くなり、ムワッとした熱気と、潮の香りが鼻をくすぐり始めた。
「潮の匂い……?
次は海かしら」
階段を降りきった先。
アーチ状の岩壁を抜けると、そこにはギラギラと燃え盛るような太陽と、どこまでも続く青い海、そして眩しいほどの白い砂浜が広がっていた。
「うわっ……!
マジで夏の海ステージじゃない!?」
雪山からの、灼熱の海。
ダンジョン内の環境変化の激しさに、私は思わず身構えた。
普通の冒険者なら、この急激な温度差だけで体力をゴリゴリと削られるはずだ。
「暑!
……くない!?」
私は自分の体をペタペタと触って驚いた。
これほど日差しが強く、気温も高いはずなのに、不快な熱さや発汗を全く感じないのだ。
「何この服…万能なの!?」
私たちが着ているのは、第4階層で回収した『フレッシュゾンビの村人服』だ。
雪山では最強の防寒着として機能していたこのダサい服が、灼熱の環境下では、通気性を保ちつつ体温を一定に保つという、まるで魔法のような自動温度調節機能を発揮していた。
「凄い……凄すぎるわ!
夏は涼しく、冬は暖かい。
これ、絶対に王都の貴族たちにバカ売れするわよ!」
私の次の商売で発生するだろう利益を瞬時に計算する。
だが、その横で、ただ一人(一匹)だけ、この灼熱の環境に苦しんでいる者がいた。
「ハッ、ハッ、ハッ……。
クゥン……」
ソーマチンだ。
全身を覆うフワフワの長い毛が災いし、彼は長い舌をだらりと垂らし、肩で息をしてぐったりとしている。
「サッカリン、ソーマチンはどうしたの?」
「いや、流石に暑そうでよ……
雪山じゃマントまで譲って平気にしてたんだが、流石にこの日差しでこの毛量はキツいみたいだぜ」
サッカリンが心配そうにソーマチンを抱き上げるが、ソーマチンは「ハッ、ハッ」と苦しげな呼吸を繰り返している。
服を着ていない彼には、ゾンビ服の恩恵はない。
「これは……そうよ!
サマーカットにしましょう!」
私が提案すると、ソーマチンがビクッと体を震わせた。
「ワ、ワンッ!?(なにをする気だ!?)」
ソーマチンがサッカリンの腕から飛び降り、砂浜を逃走しようとする。
だが、暑さで動きが鈍っている彼を逃す私たちではない。
「ほら、おとなしくしなさい!
サッカリン、押さえて!」
「へいへい。
おら、ちょっとの我慢だぞ、相棒」
サッカリンにガッチリとホールドされ、観念したソーマチンに、私が指示を出す。
「サラヤ!
アンタの暗器で、バリッと刈り上げちゃって!」
「御意」
サラヤが無表情のまま、スカートのスリットから銀色に光るハサミを取り出した。
チャキッ、チャキキッ!というプロの美容師顔負けの軽快なハサミ捌きが砂浜に響く。
数分後。
そこには、全身のフワフワの毛を短く刈り揃えられ、一回り小さくなったような姿のポメラニアンがいた。
「クゥン……(我の威厳が……)」
ソーマチンは自分のスッキリしすぎた体を見下ろし、耳を伏せて心底しょんぼりとしている。
ライオンのような鬣を失い、ただのつるんとした小型犬になってしまったことが、元・剣王のプライドを酷く傷つけたようだ。
「あら、これはこれで可愛いわね!」
私がすかさず褒めると、サッカリンもウンウンと頷く。
「俺も良いと思うぜ。
さっぱりしてて強そうだ」
「素敵です」
サラヤも無表情ながらサムズアップを送る。
「ワ、ワゥン?(そ、そうか?)」
私たちのべた褒めに、ソーマチンの伏せていた耳がピコッと立ち上がった。
「ワンワン!(やはり我は最強だな!)」
彼はすぐさま胸を張り、短い尻尾をブンブンと振り始めた。
なんという現金な犬だ。
◇
ソーマチンの熱中症対策も終わり、私たちは砂浜を歩き始めた。
波打ち際には、巨大なハサミを持ったカニの魔物たちが横歩きしているのが見える。
「ふふん、美味しそうなカニね!」
私は左腕の『光の盾』を展開し、カニのハサミ攻撃を的確に弾きながら、右手のモーニングスターで硬い甲羅を容赦なく叩き割った。
ドシャァッ!という音と共に、見事なカニ肉が姿を現す。
「せっかくの海だし、海水で塩茹でにしたら美味しそうだけど……。
今日は持って帰るだけにしましょう」
私は手早くカニの魔物をマジックバッグへとポイポイと放り込んでいく。
海岸での探索を続けながら、さらにフロアの奥へと進んでいくと、岩場に奇妙な集団が群れているのを発見した。
人間の体だが、全身が鱗に覆われ、背びれが生えている。
「あそこ、サハギンみたいなのがいるわね!
……ん?
あれ?
あの頭ってヒゲがあるわよね?
鯉なんじゃない?」
よく見れば、半魚人たちの頭部は、海にいるはずのない、立派なヒゲを生やした『鯉』の顔をしていた。
「ここ、海よね?
なんで淡水魚?」
私が首を傾げると、サラヤが冷静に答えた。
「確かに彼らは淡水魚ベースですね。
海には入れないのでしょうか」
「じゃ、なんでココにいるのよ!
ダンジョンの配置間違ってるわ!」
私は思わずメタなツッコミを入れた。
海ステージに淡水魚の魔物を配置するなんて、ダンジョンマスター(運営)のチェック不足だ。
だが、その時。
「まて、そんなことより良く見ろ」
サッカリンが厳しい顔で、半魚人たちが群れている岩場の下、波打ち際の方を指差した。
「なにが?」
サラヤが、いつになく嫌な顔をして眼鏡を押し上げる。
「……ホーリースライムが居ますね」
「なにそれ?
ホーリーってことは、良いモンなの?
それともそう言う名前とは違って悪モンなの?」
ホーリー(神聖)という響きからして、回復アイテムでも落とすボーナスモンスターかと思ったが、サラヤの表情は険しい。
「誰彼構わず『回復』してくる意味不明な魔物です。
ですが……食べた部分を回復してまた食べるという、非常に悪質な相手です」
「えっ……」
「食性が肉食で人も食べるので、回復目的で手元に置くなどは絶対に考えない方がよいかと。
あのサハギンたちも、海に入れないのではなく、海側にいる奴から逃げて陸に上がっている状態かもしれませんね」
「ヒィッ!
ダンジョン、性格悪すぎ!!」
私は青ざめた。
対象を溶かして食べながら、同時に回復魔法をかけ続ける。
つまり、『生かしたまま永久に食べ続ける』という、無限の苦痛を与える極悪非道な魔物だ。
物理的な罠よりもよっぽどタチが悪い。
「ギシャァァァ……」
こちらの存在に気づいたのか、波打ち際から、白く発光する半透明のスライムが這い上がってきた。
かなり大きい。
「お嬢、下がってろ!」
サッカリンが大剣を抜き放ち、ホーリースライムに向かって斬りかかった。
ザシュッ!
鋭い剣閃がスライムの体を真っ二つに両断する。
だが。
「……チッ、やっぱりか」
斬られたスライムの断面が、神聖な光を放ったかと思うと、瞬く間にドロリと融合し、傷一つない元の状態に戻ってしまった。
強力な自己再生能力(聖属性回復)だ。
「ちょっと、これじゃ倒せないじゃない!
ものは試し!
光魔法の熱でも当ててみるわね!」
私はモーニングスターを構えたまま、左手に魔力を込め、スライムに向かって『超高輝度フラッシュ』を浴びせた。
ピカーーッ!!
強烈な光が、ホーリースライムを包み込む。
すると。
「ギギャァァァァァッ!!」
光を浴びたスライムが、突如として苦悶の悲鳴を上げた。
そして、先ほどサッカリンが斬りつけた『傷』が一気に開き、そこからドロドロに溶け崩れ、瞬く間に泡を吹いて完全に死滅してしまったのだ。
「……は?
なんで死ぬわけ?」
目潰しのつもりが、まさかの即死攻撃になってしまった。
私は自分の左手を見て瞬きをした。
「もしかして私の光魔法、このスライムには特別効くのかも!」
私は調子に乗り、後から這い上がってきた別の『無傷の個体』に向かって、再度フラッシュを浴びせた。
ピカーーッ!
「ギシャ?」
光を浴びたスライムは、眩しそうに震えたものの、溶ける様子は全くない。
「え~、ぜんぜん効かないじゃない!」
どういうことだ。
さっきのはまぐれか?
少し試したいことがあr、私はサッカリンに指示を出した。
「サッカリン、ちょっとだけ斬ってみて」
「おう」
サッカリンが大剣の先で、スライムの表面を浅く削ぎ落とす。
すぐにスライムが光を放ち、その傷を回復させた。
そこへ、すかさず私がフラッシュを放つ。
ピカーッ!
「ギギュッ!?」
すると、スライムは『さっき怪我をした分だけ』傷が開き、体の一部を崩れ落とさせた。
「さっき怪我した分だけ怪我した?
どういうこと?」
私が困惑していると、背後で事態を観察していたサラヤが、静かに口を開いた。
「……なるほど。
お嬢様の光魔法は、ただの光(物理)ではなく、対象が受けていた『聖属性の回復』を無効化……いえ、『なかったこと』にしているようです」
「なかったことに?」
「はい。
元の負傷状態に戻す……ということは、治癒を反転させている可能性があります。
これは『アンホーリー(反神聖)』属性なのではないでしょうか」
アンホーリー。
サラヤの言葉を聞いた瞬間、サッカリンがハッと息を呑んだ。
「アンホーリー?
結構昔に聞いたことあるぞ」
サッカリンは、死滅したスライムの残骸を見つめながら、遠い過去の記憶を探るように眉間を寄せた。
「確か……15年は前だったか?
俺がまだ新米の傭兵のとき、初の実践で向かった戦地で聞いた話だ。
ソーヴィニオン王国の伝説的英雄、『聖女殺し』が使う魔法じゃなかったか?」
聖女殺し。
その物騒な単語に、私は思わず肩をビクッとさせた。
「私もそのように記憶しております」
サラヤが真顔で頷き、そして私を真っ直ぐに見据えた。
「確か……パルスエット様という方だったかと」
「え?」
私の思考が一瞬、停止した。
パルスエット。
「英雄とか聖女殺しとか知らないけど、パルスエットは、死んだお母様の名前と同じね?」
私が物心ついたとき、既に母はこの世にいなかった。
顔も覚えていないし、お父様やお兄様から詳しく話を聞かされたこともない。
ただ、名前だけは知っていた。
「まさか、お嬢が英雄の娘ってか?」
サッカリンが目を丸くして、私の全身をジロジロと眺める。
「お嬢は商才としては英雄だとは思うけどよ、武人とかそういうイメージじゃねぇな」
「失礼ね!
私だってやればできるんだから!」
私が抗議すると、サラヤが冷静に言葉を継いだ。
「とは言え、実の子であるのであれば、特殊な魔法が遺伝している可能性はありますね」
「そんな話、お父様からも、お兄様からも聞いたことないけど?」
私は首を傾げた。
もし私の母がそんな凄い英雄だったのなら、どうして今まで誰も教えてくれなかったのだろう。
「言いづらいお話ですが……」
サラヤは少しだけ視線を伏せ、言葉を選びながら語り出した。
「パルスエット様は元々心臓に持病を抱えていて、無理を承知でご出産したようです。
その後、産後の肥立ちが悪い中、戦地での無理が祟ってお亡くなりになったというお話でした。
当時、暗部の修行中だった私のまわりで伝えられていた話ですので、情報元が暗部関係者であれば信憑性は高いかと思います」
サラヤの言葉に、砂浜に波の音だけが静かに響いた。
心臓の持病をおして出産?
産後の肥立ちが悪かった?
そして戦場での無理が祟って?
それはつまり、私を産んだことが、彼女の死期を早めた要因の一つだったということだ。
「であれば……」
サラヤは再び私を見つめた。
「旦那様たちはお嬢様を想って、敢えてお伝えしていなかったのかもしれませんね」
「…………」
胸の奥が、チクリと痛んだ。
過保護で胃痛持ちのお父様。
そして、私の存在そのものを異常なまでに肯定し、愛を注いでくる変態シスコンのお兄様。
彼らがなぜ、私に対してあそこまで過保護だったのか。
その理由の片鱗に、触れた気がした。
「……そう。
戻ったら、お父様にでも聞いてみようかしらね。
ありがとう、サラヤ」
私は小さく息を吐き、静かに笑ってみせた。
「さて、謎も解けたし!
この悪辣なスライムどもは、私の『アンホーリー・フラッシュ』で一網打尽にして進むわよ!」
私は自身の隠されたルーツと、とんでもない魔法の特性に思いを馳せながら、灼熱の夏の海を再び歩き出した。
この力が、後に世界そのものを揺るがすことになるなど、この時の私はまだ知る由もなかった。




