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第087話「階層07!極寒?新装?」


「あー、助かった……

 もう最悪よ。

 折角仕立てたドレスもボロボロだし、ずぶ濡れだし……」


 私は文句を言いながら、顔の水を拭った。


 猛スピードのトロッコから空中に放り出され、地下水脈のウォータースライダーを滑り落ちた末に辿り着いた滝壺。


 そこは、なぜか硫黄の香りが漂う「天然の温泉」のようだった。


「でも、温かいわね……。

 冷たい水に落ちたかと思ったのに、まさかダンジョンの中に温泉があるなんて」


 私は肩までお湯に浸かり、ほぅっと息を吐き出した。

 激しい水流に揉まれた疲労が、じんわりと解れていくのを感じる。

 周囲を見ると、サッカリンやサラヤ、そして犬王ソーマチンも無事にお湯に浮かんでいた。

 ソーマチンに至っては、器用に犬かきをしながらお湯を満喫しているようだ。


「お嬢、無事か?

 怪我がねぇならいいが……」


 サッカリンが濡れた髪をかき上げながら近づいてくる。


「ええ、なんとかね。

 でも、ここどこよ?

 第7階層ってことでいいのよね?」


 私はお湯から顔を出し、周囲の景色を視界に収めた。

 その瞬間。

 温泉の心地よい温もりとは裏腹に、私の背筋をゾクリと冷たいものが駆け抜けた。


「……え?」


 私たちの浸かっている滝壺(温泉)の周囲には、青々とした木々も、ゴツゴツとした岩肌もなかった。

 あるのは、見渡す限りの「白」。

 ビュービュウと吹き荒れる風の音と共に、空からは大粒の雪が舞い落ちている。


「ゆ、雪山……!?」


 信じられない光景だった。

 私たちがいる温泉のすぐ縁から先は、完全に凍りついた極寒の雪山エリアだったのだ。

 温泉の熱気と外気の温度差で、水面付近には濃い湯気が立ち込めている。


「お嬢、やべぇぞ」


 サッカリンの声が一段と低く、険しくなった。


「ただの雪山なら、身体強化で体温を保てばなんとかなる。

 だがな……俺たちは今、全身ずぶ濡れだ」


「あっ……」


 私は自分の体を見下ろした。

 特注のドレスは水を吸って重くなり、肌にべったりと張り付いている。

 今は温かいお湯の中にいるからいい。

 だが、この状態で一歩でも外の極寒地帯に出ればどうなるか。


「濡れた服があっという間に凍りついて、体温を奪っていくってのは想像に難くねぇ。

 このままじゃ低体温症で間違いなく死ぬ流れだな」


 サッカリンの言葉に、私は顔面から血の気が引くのを感じた。


 ウォータースライダーで有無を言わさず全身をずぶ濡れにさせ、その終点に温泉を用意して安堵させた直後、極寒の雪山に放り出す。


 悪辣だ。


 命を奪うカジノや、精神を削る罠(お宝スルー)なんて目じゃない。

 物理的な環境を利用した、ダンジョンの殺意高めの極悪コンボ罠である。


「ふ、ふざけないでよ!

 どうすんのよこれ!

 このままお湯に浸かりっぱなしじゃ、のぼせて倒れるわよ!

 かといって出たら凍死!?

 詰んでるじゃない!!」


 私は温泉の中でバシャバシャと暴れ、パニックになりかけた。

 着替えなんて持っていない。

 マジックバッグの中には野営用の毛布くらいはあるが、服がない状態で毛布だけ被って雪山を歩けるわけがない。


「お嬢様、落ち着いてください。

 のぼせて血圧が上がる方が危険です」


 無表情のままお湯に浸かっていたサラヤが、冷静な声で私をたしなめる。


「落ち着いていられる状況じゃないわよ!

 アンタ、何か打開策でもあるの!?」


「はい。

 あります」


 サラヤは水滴のついた眼鏡をクイッと押し上げた。


「お嬢様、お忘れですか?

 私たちには、あの『戦利品』があります。

 第4階層で回収した、大量の『フレッシュゾンビの村人服』と、フロアボスから剥ぎ取った『巨大な布』です。

 マジックバッグの中に収納してありますので、一滴も濡れておりません」


「……あっ!」


 私は目を見開いた。

 そうだ。

 あの時、私の高いドレスを破られた腹いせに、村中のゾンビを狩り尽くして身ぐるみ剥がしたんだった。

 倫理的な問題は「つんつるてん」だからクリアしたとして、まさかあのシュールな戦利品が、こんな極限状況で命を救う切り札になるとは!


「サッカリン!

 アンタとソーマチンは、そこの岩陰の向こうを向いてなさい!

 絶対にこっち見たら目を潰すわよ!」


「へいへい。

 誰も濡れ鼠のガキンチョなんか見ねぇよ。

 ほら、ソーマチン、あっち向いてようぜ」


「クゥン(言われずとも)」


 サッカリンと犬王が背を向けたのを確認し、私はサラヤと共に温泉の縁の大きな岩陰へと移動した。

 凍りつくような冷気が一瞬肌を刺すが、サラヤが手際よくマジックバッグから取り出した布(ボスの服)で風よけのテントを作ってくれた。


「さあ、お嬢様。

 早く濡れた服を脱いで、こちらに着替えてください。

 急がないと本当に凍えますよ」


 サラヤが差し出してきたのは、あの貧相なデザインの「村人服」だ。


「うぅ……こんなつんつるてんのゾンビが着てたダサい服を着るなんて……。

 しかもボスのブカブカの布切れをマント代わりにするの?

 私、一応伯爵令嬢なんだけど……」


 私はガタガタと震えながら、ボロボロになった濡れたドレスを脱ぎ捨てた。

 命には代えられない。

 プライドをかなぐり捨てて、不格好な村人のシャツとズボンに手を通す。


「……ん?」


 袖を通した瞬間、私は不思議な感覚に包まれた。


「な、なにこれ……?」


 見た目はどう見ても、麻袋のようなゴワゴワした粗末な服だ。

 しかし、肌に触れた感覚は、最高級のシルクよりも滑らかだったのだ。

 そして何より。


「……温かい」


 服を着た瞬間、全身を包み込むような心地よい熱が生まれた。

 温泉の熱を逃がさないどころか、服そのものが発熱しているかのように、芯からポカポカと温まってくる。


 私はボスの巨大な服を切り裂いた布を、マントのように肩から羽織ってみた。

 これも同じだ。

 猛吹雪の冷たい風を完全に遮断し、内側の温度を完璧に保っている。


「信じられないわ……。

 ダサいけど、超着心地いいじゃない!

 温泉上がりなのに全然湯冷めしないし、最高の防寒着よこれ!」


 私が驚きの声を上げると、隣で同じように村人服に着替えたサラヤも、信じられないものを見る目で自分の袖を撫でていた。


「……私も、ダンジョン産の上質な素材とは認識していましたが……これほどとは。

 保温性、透湿性、そして肌触り。

 どれを取っても、王都の最高級ブランドの冬物防寒着を遥かに凌駕しています。

 この素材、一体何でできているのでしょうか……」


 プロの情報屋である彼女でさえ、この異常な機能性には舌を巻いている。


「おーい、着替え終わったか?

 こっちも凍えそうなんだけどよ」


 岩陰の向こうから、サッカリンの震える声が聞こえてきた。


「終わったわよ!

 アンタ達の分も出しておくから早く着替えなさい!」


 私はサラヤから受け取った男性用の村人服を、岩の向こうへ放り投げた。


     ◇


 数分後。

 猛吹雪が吹き荒れる雪原に、全身を不格好な村人服と布切れで包んだ、奇妙な集団が立っていた。


「……なんだこりゃ。

 見た目はアレだが、滅茶苦茶あったけぇな。

 これなら吹雪の中でも一晩は余裕で寝れるぜ」


 サッカリンが、自分の腕を摩りながら感心したように言う。

 ソーマチンも、ボスの布の切れ端をマントのように巻かれて、雪の上でも寒がる素振りを見せずにスタスタと歩いている。


 凍死の危機は、完全に去った。


「ふ、ふふふ……」


 私は、自分の着ているダサい服を見下ろし、口元を押さえて笑い声を漏らした。

 寒さも忘れ、恐怖も忘れ、私の脳内では凄まじい勢いで「ある計算」が行われていた。


(見た目は最悪。

 でも、この異常なまでの保温性と肌触り。

 素材としての価値は、金貨なんて目じゃないわ……!)


「サラヤ!」


 私はビシッと、横に立つ侍女を指差した。


「はい、何でしょうか」


「あの時、アンタ言ったわよね?

 『布として売れる』って。

 前言撤回よ!

 これ、ただの布や古着として売っちゃ絶対ダメよ!

 そんな安値で卸すなんてもったいないわ!」


「では、どうされるので?

 素材が良いとはいえ、このデザインのままでは貴族層には売れません。

 一般の冒険者に防寒着として売るにしても、価格には限界がありますが」


 サラヤが極めて現実的な指摘をしてくる。

 だが、私の野望はそんなちっぽけなものではなかった。


「加工するのよ!

 デザインが悪いなら、デザインを変えればいいだけじゃない!」


 私は吹雪の中で高らかに宣言した。


「ウチのサービスエリアで支配人をやってる『ピローネ』!

 あの子、実家の宿屋でシーツの修繕とかやってて、裁縫が得意だって言ってたわよね!?

 彼女にこの素材を渡して、可愛いドレスや極上の部屋着に仕立て直させるのよ!」


 私は拳を強く握りしめる。


「この着心地と暖かさを活かして、最高級の『おうち時間』を演出するルームウェアを作るの。

 最終的には、腕の良いお針子を大量に雇って、アスパルテーム家肝いりの『オリジナルアパレルブランド』を立ち上げるわ!

 この機能性なら、王都の寒がりな貴族の奥様方や令嬢たちが、金貨を積んででも欲しがるに決まってるわ!」


 無限に等しい需要。

 そして、ダンジョンから(タダで)仕入れた奇跡の素材。


「服飾産業への参入……。

 なるほど、付加価値をつけて高値で売り捌くということですね。

 素晴らしい着眼点です、お嬢様」


 サラヤの眼鏡の奥の瞳も、私と同じように金貨マークに輝いていた。


「お嬢……お前、本当に逞しいな。

 死にかけてた直後なのに、もう次の商売のこと考えてるのかよ」


 サッカリンが呆れ半分、感心半分でため息をつく。


「当たり前でしょ!

 転んでもタダでは起きないのが私よ!

 さあ、凍死の心配もなくなったことだし、さっさとこの雪山を越えて次の階層へ行くわよ!」


     ◇


 私はダサい村人服の裾を翻し、猛吹雪の吹き荒れる雪山へと意気揚々と踏み出した。


 だが、しばらく進んだところで、前方に動く影を発見する。


「……ん?

 魔物かしら?」


 吹雪の向こうに、白い毛皮に包まれた生き物の群れが見えた。

 大きさは人間の子どもくらい。

 前世の記憶にある「ニホンザル」にそっくりな姿をしているが、全身の毛が真っ白だ。


「ありゃ『スノーエイプ』だな。

 雪山に生息する猿型の魔物だ」


 サッカリンが解説する。


「キーッ! キキッ!」


 私たちの接近に気づいたスノーエイプの群れが、威嚇するような甲高い声を上げてきた。


「威嚇してるわね。

 でも……あんまり強そうじゃないわ」


 私が冷静に観察すると、彼らの動きはどこか鈍かった。

 それどころか、寒そうに体を震わせ、お互いに身を寄せ合っている。

 私たちが先ほどまで浸かっていた温泉の方向をチラチラと見ては、恨めしそうな声を出しているのだ。


「彼等は温泉目当てにやってきたのではないでしょうか。

 ただ、私たちが温泉に陣取っていたから近づけなかったのかと」


 サラヤが分析する。


 よく見ると、群れの中にひときわ小さな個体がいた。

 小猿だ。

 その小猿は、寒さに耐えきれないのか、ブルブルと激しく震え、今にも凍え死にそうになっている。


「……なんか、可哀想になってきたわね」


 私が呟いた、その時だった。


「ワンッ!!」


 ソーマチンが、突突として吠えた。


「キキッ!?」


 猿たちがビクッと身構える。

 だが、ソーマチンは敵意を見せることなく、ゆっくりと小猿の方へ近づいていく。


「ワン、ワゥン……」


「キー?

 キキッ……」


 ソーマチンが何かを語りかけるように低く鳴くと、小猿だけでなく、親猿たちもキョトンとした顔で彼を見つめ返した。

 そして、何やら鳴き声で応えている。


「……ねえ。

 あれ、なんか会話してない?」


 私が目を丸くしていると、ソーマチンは驚くべき行動に出た。


 彼は自分が羽織っていたマント(ボスの巨大な布の切れ端)を器用に口で咥え、それをバサッと脱ぎ捨てたのだ。

 そして、その温かい布を、凍える小猿の上に被せてやったのである。


「ウゥゥン(これを使え)」


「キィィッ!(あったか〜い!)」


 布を被せられた小猿は、一瞬で顔色を良くし、嬉しそうに飛び跳ねた。

 親猿たちも、それを見て感極まったように「キーキー!」と鳴き、ソーマチンに向かって深く頭を下げている。


「……ソーマチン。

 アンタ、もしかして漢気見せてるの?」


 私がポカンとしていると、ソーマチンは私の方へトコトコと戻ってきて、私の村人服の裾を口で引っ張った。


「ワンッ!

 ワフッ!(おい、こいつらにも服を分けてやれ!)」


「え?

 なによ引っ張らないでよ!」


「なんだ?

 こいつらにも分けてやれって言ってんのか?」


 サッカリンがソーマチンの意図を察して通訳(?)する。


「分けてやれって……。

 まあ、村中のゾンビを剥いできたから、マジックバッグの中に予備の服は山ほどあるけど……」


 私は少し考えた。

 ただで服をやるなんて、私の主義に反する。

 だが、この猿たちは魔物とはいえ、言葉(犬語?)が通じるくらいには知能が高そうだ。


「……わかったわ。

 特別に恵んであげるわよ。

 感謝しなさいよね」


 私はサラヤに指示して、マジックバッグから余っていたゾンビ服と布切れを何着か取り出させた。

 それを猿たちの前に放り投げる。


「ほら、着なさい。

 これであったかいでしょ」


「キキッ!!」


 猿たちは大喜びで服に群がり、器用に袖を通していく。

 あっという間に、不格好な村人服を着た猿の集団が完成した。


 すると、親猿らしき個体が、雪を掻き分けて何かを取り出し、私の前へ差し出してきた。


「……ん?」


 それは、雪山で拾い集めたのだろうか。

 ダンジョンの別の階層で集めた思われる、金貨や銀の装飾品、そしていくつかの上質な魔石だった。


「キキッ(これ、お礼)」


「え?

 いいの?」


 私が驚いて尋ねると、猿たちは「うんうん」と深く頷いた。


「……!

 なるほど、そういうことね!」


 物々交換。


 不要になった服を渡し、代わりにお宝をゲットする。

 これぞ究極のビジネスだ!


「ソーマチン!

 アンタ、今度またあの服を取ってきたら半分分けてあげるから、その代わりお宝をくれるように言ってちょうだい!」


「ワンワン!(よし、交渉成立だ!)」


 ソーマチンが猿たちに向かって吠える。


「ワワン、ワンワン!(お前ら、次もよろしく頼むぞ!)」


「キーキー!(任せとけ!)」


 犬と猿の間で、謎の専属契約が結ばれた瞬間だった。


「ふふふ……。

 魔物と取引できるなんて、私ってば商売の天才じゃない?」


 私はホクホク顔で金銀の装飾品をマジックバッグに収めた。


 すっかり私たちと仲良くなったスノーエイプたちは、敵意を見せるどころか、吹雪の中で先導を買って出てくれた。


「キキッ!(こっちだ!)」


 猿たちの案内に従い、私たちは雪山を安全なルートで進む。

 やがて、吹雪の向こうに下層へと続く階段が見えてきた。


「じゃ、またね~!

 服持ってくるからね~!」


 私は猿たちに大きく手を振った。


「キーキー!(待ってるぞー!)」


 猿たちも手を振り返してくれる。


 極悪なコンボ罠から始まった第7階層は、まさかの「アパレル事業の確信」と「猿との専属契約」という、予想外の大豊作で幕を閉じた。


「さあ、次はいよいよ第8階層よ!

 この勢いで、どんどん稼ぐわよ!」


 私は暖かく着心地のいい村人服に身を包み、意気揚々と階段を降りていった。


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