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第079話「番外編『戦場の魔狼』:愛娘現在!安堵?恩義?」


「あの子は、私たちが思っている以上に、ずっと逞しく育ってくれましたからね。

 自らの力で、運命を切り拓くくらいには」


 地下倉庫の薄暗い灯りの中、妻メリアの優しく、そしてどこか誇らしげな声が響いた。

 ウルファング・ビアンコは、積まれた木箱に腰を下ろしたまま、妻の言葉に深く頷いた。


「ああ、全くだ。

 ……あいつが、この倉庫からクズ魔石をくすねて換金していることなど、最初の数日でとうに気付いていた。

 それに、問屋業の帳簿をいじって小銭を横領していたこともな」


 ウルファングは自嘲気味に笑い、埃を被った古い帳簿の束に視線を向けた。

 元S級冒険者であるウルファングの目と、領地を治める男爵としての管理網を、わずか十歳そこらの子供が誤魔化せるはずなどないのだ。

 だが、彼はそのすべてを黙認した。

 問いただすことも、咎めることもせず、あえて気付かないフリを貫いた。


「あいつが夜な夜な、裏庭の古倉庫で丸太を殴り飛ばしていたのも知っていた。

 俺に反発し、王家に嫁ぐという運命から逃れるために、必死で力を蓄え、資金を作ろうとしている。

 その必死な姿を見るたびに……俺の心は救われる思いだったのだ」


 王命によって愛娘を鳥籠に閉じ込めようとする、無力な父親。

 そんな自分を恨み、運命に抗おうとする娘の姿こそが、ウルファングにとっての唯一の光だったのだ。


「そして、あの子は本当に屋敷から姿を消した。

 王都へ向かうという偽の書き置きを残してね。

 ……ふふっ、本当に行動の早い頭の回る子」


 メリアが口元を手で覆い、クスクスと笑う。


「王都へ向かう馬車の手配などされていないことはすぐに分かった。

 あいつが向かったのは最も人の出入りが激しく、身を隠すのに適した場所……我が領地の心臓部である迷宮都市メレンゲだ。

 俺が冒険者時代から懇意にしている奴に任せた、あの冒険者ギルドにな」


 ウルファングの脳裏には、数ヶ月前に顔見知りのギルドマスターから密かに届けられた報告書の内容が浮かんでいた。


『頭に奇妙な防具を被り、ナックルを装備した十歳ほどの少女がギルドを訪れました。

 名前は「グレース」と名乗っております。

 受付のシンディが保護し、現在はギルドの職員見習いとして寮で生活させております。

 ……身体的な特徴、ならびに底知れぬ魔力の気配。

 男爵様がお探しの「ご息女」で間違いないかと存じます』


 その報告を受けた時、ウルファングとメリアがどれほど安堵の涙を流したことか。


「現在、あの子は『グレース』と名乗り、ギルドの職員として働きながら、先日ついにD級冒険者として登録されたそうですよ」


「ああ。

 シンディや、あの強面のギルドマスターたちに守られながら、逞しく生きている。

 王家に縛られ、心にもない愛想笑いを浮かべる妃になるよりも……よほどあいつらしくて、良い生き方だ」


 ウルファングは目を細め、愛娘の現在の姿を想像して、ふっと口元を緩めた。

 泥にまみれ、汗を流し、自分の力で道を切り拓く。

 それは、かつてウルファング自身が歩んできた、自由な冒険者としての生き方そのものだった。


「王家には、『必死に捜索中ですが、未だ行方は知れず』とシラを切り通す。

 俺の命に代えても、あいつの自由だけは、裏から守り抜いてみせるさ」


 力強く断言する夫の言葉に、メリアもまた、静かに、そして深く頷いた。


     ◇


「……さて」


 ウルファングは立ち上がり、大きく息を吐き出した。

 いつまでも感傷に浸っている場合ではない。

 今日、この地下倉庫へ足を踏み入れたのには、明確な目的があるのだ。


「そろそろ、アスパルテーム伯爵令嬢――パルスイート様へお渡しする『贈り物』を探し出さねばな」


 話題は、もうすぐこの迷宮都市メレンゲへやって来るという、一人の特異な令嬢へと移った。

 パルスイート・アスパルテーム。

 王都から辺境のパプリカ領へ追放されたという、悪名高き伯爵令嬢。

 だが、ウルファングにとって、彼女は「悪女」などでは断じてなく、文字通り「救世主」と呼ぶべき存在であった。


「あなた、最近はすっかり胃痛も治まったご様子ですね。

 一時期は、顔色も優れず、毎日のように胃薬を飲んでおられましたのに」


 メリアの指摘に、ウルファングは苦笑いを浮かべた。


「ああ……

 ロザリオの家出で荒れていた、と周囲には誤魔化していたが……実際の胃痛の理由は別のところにあったのだ。

 ……メレンゲの治安の悪化、それが最大の懸念だった」


 迷宮都市メレンゲは、冒険者たちが集まる活気ある街だ。

 しかし、その活気の裏には、実力不足で夢破れ、仕事にあぶれた若者たちが吹き溜まるという、深刻な問題があった。

 彼らがヤケを起こし、犯罪に手を染めれば、街の治安は一気に崩壊する。

 愛する娘、ロザリオ(グレース)が潜伏しているこの街が、そんな荒くれ者たちの巣窟になることだけは、父親として絶対に避けねばならなかったのだ。


「だが、俺たち領主の力だけでは、彼ら全員に仕事を与えることは不可能だった。

 そこに現れたのが……あのパルスイート様だ」


 ウルファングの目に、深い感謝と敬意の念が宿る。


「あの令嬢は、パプリカ領に巨大な『魔獣動力式工業地帯』を建設し、さらには『高速道路』という未知のインフラ網を整備し始めた。

 そして、我がギルドで食い詰めていた若者たちを、『企業戦士』という名目の元で大量に雇用してくださったのだ」


 その結果、メレンゲの街から「不良債権」と呼ばれていた若者たちが一掃された。

 彼らはパプリカ領で安定した仕事と衣食住を与えられ、犯罪に走る理由を失った。

 街の治安は劇的に改善し、さらに高速道路の開通によって、メレンゲの物流と経済はかつてないほどの活況を呈している。


「あの奇妙で、そして偉大な令嬢は……知らず知らずのうちに、我が愛娘が暮らす街を安全で豊かな場所へと変えてくれた。

 この恩は、言葉では到底言い表せるものではない」


 ウルファングは木箱を一つ一つ開けながら、彼女への贈り物として相応しいものを真剣な眼差しで吟味し始めた。


     ◇


「それにしても……」


 ふと、メリアが不思議そうに呟いた。


「パルスイート様ほどの才覚と行動力を持った方が、なぜ王都から追放されるようなことになったのでしょうか?

 第二王子殿下とエリスリトール様の婚約破棄騒動……。

 表向きは、パルスイート様が裏で糸を引いた悪女として裁かれたことになっていますが」


 その問いに、ウルファングは手を止め、重く冷たい溜息を吐いた。

 元S級冒険者として、そして貴族として酸いも甘いも噛み分けてきた彼の目には、王家の薄汚い盤面操作が透けて見えていた。


「……トカゲの尻尾切りであり、同時に『隔離』なのだろうな」


「隔離、ですか?」


「ああ。

 メリア、お前も覚えているだろう?

 十二年前……俺たちが聖リプトーン教国へ侵攻し、ロザリオを拾ったあの凄惨な戦争を」


 その言葉に、メリアの顔が微かに強張る。


「あの戦争の裏側で、教国側の最大の脅威であった特記戦力『聖女』を討ち取ったのは、誰だったか」


「……アスパルテーム伯爵家の、あのお方ですね。

『聖女殺し』の異名で呼ばれた、英雄パルスエット様……」


 ウルファングは重々しく頷いた。


 パルスイートの母親である、パルスエット。

 彼女は、あらゆる魔法や物理攻撃を無効化する伝説のインテリジェンスウェポン『絶鎧アスラムテイル』の契約者であり、同時に、聖属性の治癒や加護を無効化する『アンホーリー属性』の魔法戦士だった。


 教国の聖女という、理不尽なまでの回復能力を持つ存在を殺し切ることができたのは、彼女のその特異な力と、命を削るような凄絶な覚悟があったからこそだ。

 彼女は教国の聖女を討ち取った後、持病の悪化による産後の肥立ちの悪さによって、幼い娘を残してこの世を去った。


「王家にとって、パルスエット様は間違いなく国を救った英雄だった。

 ……だが、それは『敵国に聖女がいたから』だ。

 教国の聖女が消えた今となっては、聖属性を無力化するその特異な力は王家が管理する『聖剣ソルビニオン』にとっての天敵でしかない」


 ウルファングの低い声が、地下倉庫に響く。


「そして、王家は知っている。

 我が家に匿われていたロザリオが『新たな聖女』であることを。

 いずれロザリオを王家に取り込み、自国の切り札として運用しようと企む彼らにとって……その回復力を無効化できる『アンホーリー属性』の血脈と、絶対防御の『絶鎧』を併せ持つアスパルテーム家はただの不穏分子でしかない」


 だからこそ、王家は動いたのだ。

 公爵家派閥の重鎮であるズルチン侯爵家(魔槍ズールティン)を、第二王子の婚約者という形で身内に引き込むと同時に。

 用済みとなり、逆に脅威となり得る『聖女殺しの娘』パルスイートを、体よく辺境のパプリカ領へと追放し隔離したのだ。


「……なんという、薄汚い思惑。

 英雄の遺した一人娘を、政争の道具として辺境へ追いやるなど……」


 メリアが憤りを含んだ声で震える。


「それが、国家という化け物のやり方だ。

 俺たちからロザリオの自由を奪い、パルスイート様から王都での平穏な生活を奪った。

 だが……」


 ウルファングは、一つの木箱の蓋を開け、その中から鈍く光る銀色の腕輪を取り出した。


「あのパルスイート様は、そんな理不尽な運命に押し潰されるような柔な令嬢ではなかった。

 辺境の地で自ら立ち上がり、巨万の富を生み出し、結果として俺たちの領地まで救ってくれたのだ。

 ……あの英雄の娘なのだ。

 きっと母親と同じ、特異な魔法を引き継いでいるはずだ」


 ウルファングは、手に持った腕輪――中央に透明な魔石が埋め込まれた古代のアーティファクトを、愛おしそうに撫でた。


「であれば前衛で戦うことになる彼女の防御を補うため、これ以上の品はない」


 それは、かつてウルファング自身がダンジョンの深層で命がけで発掘した至宝、『光の盾の腕輪』であった。

 魔力を流すことで、物理と魔法の双方を防ぐ強固な光のハーフシールドを展開する、極めて実用性の高い防具だ。


 母親と同じく、前衛で魔物を叩き潰すような荒々しい戦い方をするであろう彼女の、左手の守りを固めるには最適な装備であると、ウルファングは確信していた。


「これを、パルスイート様への俺たちからの感謝の証としよう」


「ええ。

 あの方なら、きっと有効に使ってくださるはずですわ」


 メリアもまた、優しく微笑んで同意した。


     ◇


 数時間後。


「急げ!

 パルスイート様の馬車が、もうすぐ城門に到着されるぞ!」


 ウルファングの号令の下、迷宮都市メレンゲの城門前には、どこから湧いてきたのか数十人規模の鼓笛隊が綺麗に整列していた。

 彼らの背後には、城壁の端から端まで届きそうなほど巨大な横断幕が掲げられている。


『熱烈歓迎!

 パルスイート・アスパルテーム伯爵令嬢様!

 パプリカ領との末永い友好を!』


 極太の金色の文字で書かれたその横断幕は、ウルファングが私費を投じて急遽作成させたものだ。


「閣下、鼓笛隊の準備、完了しております!」


「うむ。

 アセスルファム派閥の重鎮であるアスパルテーム家と、公に大っぴらな交流を持つことは、中立派である我がビアンコ家にとって政治的なリスクを伴う。

 だが……そんなちっぽけな保身など、知ったことか」


 ウルファングは、城門へと続く立派な舗装路――パルスイートが作ってくれた高速道路を見据え、力強く拳を握りしめた。


 愛娘の平穏な生活を守ってくれた、大恩人。

 そして、理不尽な王家の思惑に屈することなく、自らの足で立ち上がり、この辺境の地に活気をもたらした偉大なる令嬢。


 彼女を迎えるにあたり、これくらいの歓迎は当然の礼儀というものだ。


「来たぞ!

 アスパルテーム家の馬車だ!

 全隊、音楽の準備を!

 最高の音色で、我らが救世主をお出迎えするのだ!」


 ウルファングの合図と共に、真昼の太陽の下、鼓笛隊の真鍮の楽器がキラキラと輝きを放つ。


 パァァァァン! パラパッパーー!!


 高らかなファンファーレが、青空へと響き渡る。

 それは、一人の父親からの、そして一人の武人からの、心からの感謝と敬意を込めた、最大級の祝福の音色であった。


 近づいてくる馬車の中で、パルスイートが「……は?」と間抜けな声を漏らしていることなど、知る由もなく。

 ウルファング・ビアンコは、満面の笑みで、愛娘を救ってくれた奇妙な令嬢を迎え入れるため、堂々たる足取りで前へと進み出たのである。

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