第075話「冒険現実!経費?日雇?」
パプリカ領ピメント、領主館の執務室。
いつもなら、ハラペーニョ工業地帯から上がってくる売上報告書を見てニヤニヤしているはずの私は、今日ばかりはどんよりとしたオーラを漂わせ、ソファに深く沈み込んでいた。
「……シャキ、シャキ……」
無言で口に運んでいるのは、塩とごま油で軽く味付けしたモヤシのナムルだ。
原価はほぼタダ。
私の荒んだ心を癒やす、唯一のオアシスである。
「なんでよ……。
ファンタジー世界って、その辺の草むらを歩いてスライムとかをペチペチ叩いてるだけで、チャリンチャリンとお金が貯まるシステムじゃないの……?」
私はモヤシを咀嚼しながら、前世のゲーム知識と現実とのどうしようもないギャップに嘆いていた。
記念すべき冒険者としての私の初陣。
硬い甲羅を持つ魔獣『ロックタートル』を、愛用のモーニングスター(鈍器)で粉砕したまでは良かった。
だが、その結果は「素材の完全破壊」による売上ゼロ。
移動の馬車代や護衛手当などの経費だけが重くのしかかり、見事なまでの大赤字で終わったのだ。
「お嬢様、お茶をお持ちしました。
本日は胃に優しい、冷たいカモミールティーです」
すっと静かな動作でティーカップを差し出してきたのは、私の専属侍女であり王家暗部の構成員兼情報屋、サラヤだ。
彼女は黒髪をきっちりと纏め、銀縁眼鏡の奥の瞳には一切の感情を浮かべていない。
まさに絵に描いたようなクールビューティ。
だが、その口から発せられる言葉は、常に私の財布を的確に抉ってくる。
「昨日の討伐依頼における最終的な収支報告書、こちらに置いておきます。
私の超過勤務手当および、馬車の減価償却費を含めまして、金貨一枚と銀貨七枚の赤字となっております」
「……今のこの精神状態でそんなの見たくないんだけど。
サラヤ、アンタ少しは主の傷ついた心に寄り添うとか、そういうオプション機能はついてないの?」
「申し訳ありません。
私の機能は、正確な情報の提供と、確実な対価の回収のみに特化しております。
心のケアをご所望でしたら、別途カウンセリング料を頂戴いたしますが」
「いらないわよ…安定の守銭奴ね」
私が恨めしげにサラヤを睨んでいると、執務室のドアが乱暴に開かれた。
「おう、お嬢!
こんな天気のいい日に、部屋に籠もってモヤシなんか齧ってどうしたんだ?
外の空気でも吸いに行こうぜ」
入ってきたのは、無精髭に凶悪な面構えの巨漢、サッカリンだ。
元・死神と呼ばれた凄腕の傭兵であり、現在は私の庭師兼護衛教官を務めている。
そんな彼の太い腕の中には、真っ白な毛玉が抱えられていた。
「ほーらソーマチン。
お前も外に行きたいよな?
後で特製のジャーキーやるからな」
「……フン」
サッカリンに抱かれた白いポメラニアン――犬王ソーマチンは、鼻で短く息を吐き、鬱陶しそうに目を細めた。
サッカリン曰く、「きっと剣王ソーマチンの爺さんの生まれ変わりに違いない!」とのことだが、まさかね。
だが、その愛らしい見た目に反して、滲み出るオーラは歴戦の古強者のそれだ。
私と目が合うと、ソーマチンは『小娘が、まだウジウジと悩んでおるのか』と言わんばかりの冷ややかな視線を送ってきた。
「なによこの駄犬。
ちょっと毛並みがいいからって偉そうに。
こないだ私のドレスにマーキングした恨み、まだ忘れてないんだからね」
「ワンッ(気安く呼ぶな)」
「おっと、ソーマチン。
お嬢を威嚇しちゃダメだぞ。
お嬢も、こいつはプライドが高いんだから、あんまりからかわねぇでやってくれ」
サッカリンがデレデレの顔でソーマチンの喉元を撫でる。
かつての戦鬼が、小型犬一匹に完全に骨抜きにされている姿は、何度見てもシュールだ。
「サッカリン、アンタはいいわよね。
可愛い(?)ペットまで飼って。
それに比べて私は……ああ、どうやったら冒険者として効率よく稼げるのよ!
やっぱり、鈍器で粉砕するスタイルが間違ってるの?」
私が頭を抱えると、サッカリンは呆れたように大きなため息をついた。
「そんなのいまさら、当たり前だろ。
魔物の素材ってのはな、皮に傷をつけず、肉をミンチにせず、綺麗な状態で持ち帰って初めて金になるんだ。
お嬢みたいに、トゲのついた鉄球を遠心力乗せて全力でぶっ叩いたら、そりゃあゴミしか残らねぇよ」
「そうは言っても、魔法で倒そうにも、私の『光(物理)』じゃ、焼くか目潰ししかできないじゃない。
剣や槍は才能ゼロだって、ソルビトールにも言われたのよ?
正直自分でも才能無いって凹むわよ」
私が反論すると、サラヤが冷徹な声で事実を突きつけてきた。
「お嬢様。
根本的な問題として、お嬢様は『冒険者という職業』に対する認識が甘すぎるのではないでしょうか。
ゲーム感覚で一攫千金を夢見ているようですが、現実はもっと泥臭く、シビアなものです」
「……一攫千金どころか小銭の回収しか夢見てないアンタに言われると妙に腹が立つわね。
じゃあ何?
本職の冒険者たちは、どうやってその泥臭い現実を乗り越えて稼いでるっていうのよ」
私はバンッと机を叩いた。
「あ~もう、気になってきた。
サラヤ!
今ウチの工事現場で働いている、メレンゲのギルドから派遣されてきた元冒険者の連中を食堂に集めなさい!
直接ヒアリングして、冒険者業界の『リアルな稼ぎ方』を暴いてやるわ!」
「承知いたしました。
招集の対価として、彼らにはお茶とお茶菓子を提供してもよろしいでしょうか?」
「なんで私のおやつがナムルで、アイツらが茶菓子なのよ?
同じモヤシナムルでいいわよ!
大皿に盛って食べさせときなさいよ」
◇
数十分後。
領主館の広い食堂に、作業着姿の若者たちが数名、緊張した面持ちで集められていた。
彼らはメレンゲの冒険者ギルドで「才能なし」あるいは「食い詰め」と判断され、我がパプリカ領の『企業戦士(派遣労働者)』としてインフラ整備に従事している元冒険者たちだ。
「おう、集まったな。
お嬢が話を聞きたいそうだから、適当に答えてやってくれ。
食っていいぞ」
サッカリンが促すと、彼らは大皿にてんこ盛りになったモヤシナムルに恐る恐る箸を伸ばした。
「……シャキ、シャキ……」
「……シャキ、シャキ……」
「……シャキ、シャキ……」
(五月蠅いわね…)
私は上座に座り、扇子を優雅に広げて彼らを見渡した。
「ご苦労様。
今日は貴方たちに、冒険者としての『稼ぎの極意』について聞きたいの。
包み隠さず、リアルな苦労話を教えてちょうだい。
まずは……そこのアンタ、元戦士だったわね?」
私が指名したのは、体格の良い青年だった。
彼はゴクリと唾…と一緒にナムルを飲み込み、口を開いた。
「は、はい!
稼ぎの極意……と言われましても、俺たちは稼げなくてここに派遣された身ですが……。
ただ、冒険者がいかに『儲からない』かってことなら、いくらでも語れます」
「いいわ、それを話しなさい」
青年は身を乗り出し、切実な声で語り始めた。
「お嬢様。
冒険者の収入を一番圧迫するのは『経費』です。
特に、俺たち前衛の『武器と防具の修繕費』!
魔物の硬い骨を斬れば剣は刃こぼれしますし、酸を吐かれれば鎧は溶けます。
一度の討伐で得た報酬の半分が、鍛冶屋への支払いで消えるなんてザラです」
「へぇ……。
経費倒れってやつね」
「ええ!
だから、お嬢様のようにモーニングスターのような質量武器(鈍器)を使うのは、武器が傷みにくいという意味では理にかなっているんです。
でも……」
青年はチラリと私の顔色を窺い、言いにくそうに続けた。
「噂で聞きました。
お嬢様、魔獣を木っ端微塵に粉砕されたと……。
あれは、冒険者としては一番やっちゃいけない御法度です。
素材の価値がゼロになるばかりか、ギルドの解体屋から『ゴミを持ってくるな』と出禁を食らいます」
「……うっ」
私は言葉に詰まった。
プロの目から見ても、私の戦い方は「稼げない三流」のそれだったらしい。
「それに、戦闘だけが苦労じゃねぇんです」
次に口を開いたのは、小柄で身軽そうな元斥候の少年だった。
「討伐に行くまでの移動と、生活環境。これが地獄なんでさ。
お嬢様のように立派な馬車で移動できるのは、Aランク以上の特権階級だけ。
俺たち下っ端は、何日もかけて徒歩で移動し、雨が降れば泥だらけの森で野宿です。
運良く安い宿屋に泊まれても……ベッドには『南京虫』や『ダニ』がウヨウヨいて、夜中に全身を噛みちぎられるんですぜ」
「ひっ……!」
私は思わず腕をさすった。
虫は嫌だ。ダニだらけのベッドなんて、想像しただけで全身が痒くなってくる。
「食事だって、カッチカチの干し肉と、泥水みたいなスープばっかりで……。
ゴブリンを狩った後なんか、あいつらの血の匂いが体に染み付いて、一週間は臭いが落ちないんす。
その臭いの中で飯を食う時の虚しさと言ったら……」
「もういい! ストップ!
生々しすぎるわ!」
私は慌てて彼らの話を遮った。
なんだそれは。私の思い描いていた「剣と魔法のファンタジー」とは程遠い。
ただの過酷な肉体労働と、劣悪な労働環境の話ではないか。
「薬草代もバカにならないのよね」
今度は、元魔法使いの少女がぽつりと呟いた。
「安い薬草は、煎じるとドブ水とカエルの胆汁を混ぜたみたいな味がするの。
飲むと一瞬吐きそうになるんだけど、飲まないと死ぬから無理やり胃に流し込むのよ。
結局、命を削って稼いでも、その命を繋ぎ止めるための薬代で全部消えていくのよ」
「…………」
私は完全に沈黙した。
隣で話を聞いていたサラヤが、眼鏡を押し上げて淡々とまとめる。
「つまり、冒険者とは『高リスク・低リターン・劣悪な労働環境』を強いられる、極めて非効率な職業であるということですね。
お嬢様の目指す『不労所得』とは対極に位置する存在かと」
「……ワン(その通りだ)」
ソーマチンまでが、私の愚かさを嘲笑うように短く吠えた。
「くっ……!
でも、でもよ!
高ランクになれば、もっと割のいい、綺麗で安全で高額な依頼があるはずじゃない!
そういうのを狙えばいいのよ!」
私が食い下がると、元戦士の青年が力なく首を振った。
「お嬢様。
ギルドってのは、実力主義のようでいて、実はガチガチの『コネと実績』の世界なんです。
美味しくて安全な依頼、例えば貴族の護衛や、整備されたダンジョンでの希少素材の採取なんかは、全て上澄みのAランクやBランクのパーティーが独占しています。
俺たちみたいな下っ端に回ってくるのは、誰もやりたがらないドブさらいか、命の保証がない危険な討伐だけですよ」
「そんな……」
世知辛い。
世知辛すぎる。
異世界に来てまで、そんな格差社会の現実を見せつけられるなんて。
「だから、お嬢様」
青年は、急に顔を輝かせ、満面の笑みで私を見た。
他の元冒険者たちも、ウンウンと深く頷いている。
「ぶっちゃけ、野宿しながら死に物狂いで冒険者やってた頃より……。
今、お嬢様が作ってくれたこの『ハラペーニョ工場』や建設現場で、定時上がりで日雇い労働してる方が、何倍も稼げますし、絶対に安全です!」
「え?」
「はい!
朝起きたら温かい朝食が出て、仕事が終わればフカフカのベッド(ダニなし)で眠れる。
おまけに大浴場まである!
魔物に怯えることもなく、確実に日当がもらえる!
俺たちにとって、このパプリカ領は『天国』ですよ!」
「お嬢様、俺たちを雇ってくれて本当にありがとうございます!
一生、この領地でコンクリートを練り続けます!」
彼らは目を輝かせ、私に向かって深々と頭を下げた。
その顔には、労働の喜びと、安定した生活への深い感謝が満ち溢れていた。
「…………」
私は、無言のまま持っていた扇子をパチンと閉じた。
そして、ワナワナと肩を震わせる。
「……な、なんでよ」
「お嬢?」
サッカリンが不思議そうに顔を覗き込む。
「なんで……!
なんで私が、あんたたちから『日雇い労働の素晴らしさ』を力説されて、それに納得させられそうになってんのよぉぉぉっ!!」
私は立ち上がり、食堂に響き渡る声で絶叫した。
「私はね!
汗水垂らして働くのは嫌なの!
安全で堅実な労働なんて求めてないのよ!
私が求めているのは、もっとこう……一発逆転の、ロマン溢れる『一攫千金』なの!!」
私の魂の叫びに、元冒険者たちはポカンと口を開けて固まってしまった。
サラヤは「やはりお嬢様は筋金入りの守銭奴ですね」と無表情でメモを取り、ソーマチンは「クゥン」と呆れたようにサッカリンの腕の中に顔を埋めた。
「誰か!
誰か、もっと血湧き肉躍るような、それでいて確実に私が丸儲けできるような、都合のいい冒険の話を知らないの!?
このままじゃ、私のファンタジーライフが土木作業だけで終わっちゃうじゃない!!」
私の悲痛な叫びは、夕暮れの領主館に虚しく響き渡る。
だが、その声が、予想外の「噂話」を引き出すことになるとは、この時の私はまだ知る由もなかった。




