第062話「精鋭帰還!戦士?斥候?」
翌実早朝。
領主館はいつもと違う異様な熱気と、スパイシーかつ薬膳チックな香りに包まれていた。
「……何の匂いかしら、これ」
私は寝室を出て、鼻をひくつかせながらダイニングルームへと向かう。
香りの正体は、厨房から漂っているようだ。
昨晩の取り決めで、今朝は「混沌の三女神」の一人、薬師のソルティによる『実技試験』が行われているはずだ。
(エリスが持ってきた『龍の粉』を使った、元気になる朝食……だったわよね。
すでに、この強烈な匂いだけで目が覚めるわ…)
私がダイニングの扉を開けると、そこには既に執事のソルビトールと、ゲストのエリスリトール・グルコース男爵が席に着いていた。
「おはようございます、パルス。
素晴らしい朝ですわね」
「ごきげんよう、エリス。
早いのね。
ソルビトールもおはよう、調子はどう?」
「おはようございます、お嬢様。
本日は特別な朝食とのことですので、胃腸の調子を整えておきました」
ソルビトールが恭しく椅子を引く。
私は席に着き、ふと違和感を覚えてテーブルの端を見る。
そこには、見慣れた……いや、見慣れているはずなのに、そこにいるはずのない人物が座っていた。
「……あら?」
見慣れた黒髪に銀縁眼鏡のクールビューティ。
王家暗部の情報屋、今は私の専属侍女でもあるサラヤだ。
今の彼女は無言で鎮座し、死んだ魚のような虚ろな目で虚空を見つめている。
その顔色は土気色で、いつもは完璧な姿勢が、どことなく崩れて猫背気味になっていた。
しかも極めつけに、虚空を見つめる死んだ魚の目が泳ぐのだ。
魚のゾンビと言っても過言ではない。
「……サラヤ。
アンタ、休暇はもういいの?
『情報の鮮度維持』とか言って、コンパの旅に出てたんじゃ……」
私が声をかけると、サラヤはギギギと錆びついた機械のように首を回し、私を見た。
そして、無理やりに作った営業スマイルを張り付けた。
「おはようございます!
パルスイートお嬢様。
本日もとても麗しきお姿、朝から眼福の至りでございます……」
声が震えている。
そして何より、言葉が浮ついている。
「……アンタ、具合悪いんでしょ。
もしかして二日酔いでもしてんの?
言ってることがキモいからすぐバレるんだからね」
私がジト目で指摘すると、サラヤの仮面が剥がれ落ちた。
彼女は口元を押さえ、苦悶の表情を浮かべた。
「……はい、頭痛と吐き気が少々……、……」
「ちょっと!
朝から吐かないでよ!?」
「……それは……大丈夫です。
もう胃は空っぽですので……」
サラヤが遠い目をして言い切った。
残念!
開き直ったようだが、二日酔いの嘔吐感は、胃が空っぽでも容赦ないのよ?
どうやら、裏社会の人間たちとの「情報交換会」という名の飲み会は、想像を絶する修羅場だったらしい。
「……早々にカップリングが決まってしまい、あぶれた女性陣が意気投合してしまいまして…。
ついつい、樽単位での親睦を……うっ」
「はぁぁ?
コンパであぶれてヤケ酒!?」
(女子大生か!)
「まったく、何やってんだか」
私は呆れてため息をついた。
(王家暗部の精鋭が、コンパで二日酔いになって死にかけているってどういう了見よ…
ドライな性格のくせに、こういうところは間抜けなのよね)
「まあ、無事に帰ってきたならいいわ。
状態は無事じゃ無いけど、良いタイミングよ。
ちょうどいいところに毒味役……じゃなくて実験体が届いた感じね」
その時、厨房の扉がバンッ!と勢いよく開いた。
「……できた。
自信作」
現れたのは、白いエプロンを身に着けたソルティだ。
彼女の手には、湯気を立てる大きな土鍋が握られている。
その後ろでは、給仕の手伝いを買って出たピローネが、小皿やカトラリーを載せたワゴンを押していた。
「お待たせいたしました!
ソルティさんの特製、『目覚めの龍鍋』です!」
ピローネが快活に告げ、ソルティがテーブルの中央に土鍋を置く。
ゴトッ。
重々しい音と共に置かれた鍋の蓋が、ゆっくりと開けられた。
モワァァァァ……。
立ち上る湯気。
その中から現れたのは――ドス黒い赤色をした、地獄の釜のようなスープだった。
「…………」
全員が息を呑む。
見た目がヤバい。
泥水。
現代日本人だった私からすれば、スープは『ミルクコーヒー』と思えば大丈夫だが、具材として浮いているのは、イノシシ肉の塊と、毒々しい色をしたキノコ、そして大量の薬草。
そして何より、全体から漂う「生命の濃縮臭」が凄い。
食べ物としてみるのは少し厳しいというのが正直なところ。
「……あの、ソルティさん?
これは、その……食べ物ですの?」
エリスが引きつった笑みで尋ねる。
「……ん。
食事、正解。
薬じゃない。
『龍の粉』がベース、スッポンの生き血、マムシのエキス、私が持参した『マンドラゴラの干物』を煮込んだ。
味付け、味噌と、唐辛子」
「素材のR指定感が強いわね…24時間なにかする系じゃない」
私がツッコミを入れる。
精力剤のフルコースだ。朝から食べるものじゃない。
「……食べて、ほしい。
きっと、飛ぶ…ます」
ソルティが真顔でレンゲを差し出してくる。
物理的に天国へ飛ぶという意味じゃないことを祈りたい。
「さて…
まずは効果の程を実験……いえ、試食しましょう!」
私は視線をサラヤに向けた。
この場において、最も死にかけていて、かつ胃の中が空っぽで耐久力がありそうな人材。
「サラヤ。
アンタ、もう体力の限界っぽい顔してるわよね?
迎え酒ならぬ『迎え薬膳』よ。
天国に昇る薬と思って食べていいわよ?」
「……お嬢様。
それは業務命令でしょうか?
今の私の胃袋は、水すら拒絶しているのですが……」
「手当はモチロン出すわよ?
銀貨で…10枚かなぁ…」
「ありがたく頂きます…!」
サラヤの目が一瞬で現金の輝きを取り戻した。
彼女は震える手で小皿を受け取り、ドス黒いスープをレンゲですくった。
「……ウッ
匂いで意識が飛びそうです……が、頂きます」
サラヤが決死の覚悟でスープを口に運ぶ。
ゴクリ。
その瞬間。
カッッッ!!!!
サラヤの眼鏡が白く光った!気がした。
土気色だった顔色が、一瞬で健康的な血色を取り戻す。
どんよりと濁っていた瞳がカッと見開かれ、背筋がバキボキと音を立てて伸びるように姿勢が戻る。
「!?」
サラヤは無言のまま、二口、三口とスープを流し込み、具材の肉を咀嚼し始めた。
そのスピードは加速していく。
猛烈な勢いで小皿を空にし、自らおかわりをよそい始めた。
「……ふぅーっ」
全身から湯気を立ち上らせながら、サラヤが眼鏡の位置を直した。
暴れたりはしない。
だが、その声には確かな力が漲っていた。
「……内臓のステータス値が、正常値へ戻ったようです。
死滅していた細胞が高速再生しているのがわかります」
「ええぇ……」
「頭痛、吐き気、共に消失しました。
全ステータスが回復……いえ、強化されています」
サラヤが静かに、しかし力強く拳を握りしめた。
さっきまでの死人オーラは完全に消え失せ、むしろ普段以上にギラギラと覚醒している。
「……す、すごい効果ですわね。
仕込み…ではありませんのよね?」
エリスが私をみて呆然と呟く。
「コイツ(サラヤ)が二日酔いでここに座ってるのは偶々よ。
私や誰かの仕込みって訳でもないから、効果の信憑性は高いってことね」
「……ん。
言った通り。
死なない。
生き返る」
ソルティがドヤ顔で胸を張る。
「味も……見た目に反して悪くありません。
濃厚な味噌と出汁の旨味、ピリッとした辛味が食欲を刺激します。
これは……おかわりもう少しないですか?」
いつの間にやら鍋が空になっていた。
違う意味での体調が心配である。
エリスの方はサラヤの太鼓判に私の裏付けが入ったことで、商売人魂に火が付いたようだ。
「決めました!
ソルティさん、貴女の採用は決定です!
今すぐ我が領地の開発部へ来てくださいまし!
このスープを売り出しますわよ!」
「……ん。
わかった。
最高の『元気が出るやつ』、作る」
ソルティとエリスが固い握手を交わす。
こうして、二人目の行き先も決まった。
その様子を、給仕をしながら羨ましそうに見つめる視線があった。
ピローネだ。
(えぇ……
スティナは鍛冶師。
ソルティは開発者。
二人ともが、自分の才能を認められてスカウト……冒険者卒業!?。
私だけ……私だけ、まだ何も決まっていないのは理不尽よ!)
ピローネは焦っていた。
彼女の特技は「宿屋業務」と「覗き」。
どちらも地味で、即戦力としてアピールするには弱い。
このままでは自分だけあぶれて、また過酷な冒険者生活(野宿)に逆戻りだ。
(そんなの嫌!
私も屋根のあるところで、ふかふかのベッドで寝たい!
なんとかして、このお屋敷に……せめて使用人としてでも潜り込まなくては!)
ピローネは必死だった。
その必死さが、彼女の行動をより「甲斐甲斐しいもの」へと変えていた。
「お水のおかわりはいかがですか?」
「空いたお皿、お下げしますね!」
彼女はくるくると働き回る。
その動きは高級レストランの給仕のようであり、とにかく「よく気がつく」。
そして、『私は役に立ちます』圧が凄い。
その動きを、じっと観察している者がいた。
完全復活したサラヤだ。
サラヤはスープを啜りながら、眼鏡の奥の鋭い瞳でピローネの挙動を追っていた。
気付いていたのだ。
ピローネが時折見せる、鋭すぎる視線に。
彼女は給仕をしながら、さりげなく部屋全体を見渡している。
誰が何を欲しているか、部屋の隅に何があるか、そして私やソルビトールの懐に武器があるかどうかまで、チェックしているように見える。
(あの目……。
情報を収集し、空間を把握しようとする『探索者』の目。
……まさか)
サラヤの中で、一つの疑念が生まれた。
不在の間に新しい『暗部』を雇った可能性を。
それは、彼女特有の悪い癖――守銭奴ゆえの被害妄想である。
サラヤは焦った。
自分は「情報屋」兼「護衛」として雇われているが、デザート…もとい給料分の働きはしているつもりだ。
だが、お嬢様は守銭奴だ。
もしかして、もっと安くて使い勝手のいい人材に乗り換えようとしているのでは?
(あの娘、若くて、世間知らずで、必死。
つまり、『安く』使えそう。
所作は未熟ですが、あの観察眼と、場の空気を読む能力……暗部の素養としては十分。
まさか、お嬢様は私のような『擦れたプロ』ではなく、まっさらな『新人』を自分好みに育て上げようとしているのでは……!?)
と。
「リストラ」の四文字が脳裏をよぎり、「命の危機?」を察したサラヤはスッと手を挙げた。
「……お嬢様。
少々よろしいでしょうか」
「なによサラヤ。
おかわりなら自分でよそいなさいよ」
「いえ、そうではなく。
……そちらの娘さんについてです」
サラヤがピローネを指差す。
ピローネがビクッとして、お盆を抱きしめた。
「ひっ!
な、何でしょう……!
私、何か粗相を……?」
「いいえ。
粗相どころか、よく出来すぎています」
サラヤは目を細め、ピローネを値踏みするように見据えた。
「その気配の読み方。
……あなたはただの給仕ではありませんね?」
サラヤの的外れな指摘が炸裂する。
「お嬢様、単刀直入にお伺いします。
この娘は……新しい『コストカット要員(後釜)』ですか?」
「……はぁ?」
私は呆れて箸を止めた。
何を言ってるんだこいつは。
「何よそれ。
ピローネはただのF級冒険者よ。
アンタとサッカリンがいない間の穴埋めで雇っただけだって言ったじゃない」
「ですが、ただの冒険者にしては目端が利きすぎます。
侍女としての教育を受けさせれば、すぐにでも使えるようになりそうですし……。
何より、『暗部』としての素養を感じます」
「暗部ぅ?」
私はピローネを見た。
彼女は「へ?」と間抜けな顔をしている。
「……あのぅ」
ピローネがおずおずと口を開いた。
「私、暗部とかそういうのは分かりませんが……
人の動きを見たり、部屋の様子から『何が行われたか』を察するのは得意なんです…
実家が宿屋でしたので、お客様の秘密……というか、プライベートな動向を察知して先回りするのが好きというか…」
(この子、絶対『出歯亀』よね……ちょっと寒気感じたのはソレが原因かも)
私は直感した。
出歯亀根性が高じて、観察眼が鋭くなっただけだろう。
だが、サラヤはそれを深刻に受け止めたようだ。
「……なるほど。
『察する』能力。
情報収集において最も重要なスキルです。
やはり、素養があります」
サラヤが真顔で進言してくる。
「お嬢様。
私の見立てでは、この娘は使えます。
鍛えれば、優秀な『草(情報収集員)』として機能するでしょう。
私ほど高くはありませんし、今のうちに囲い込んでおくのが得策かと」
(……こいつ、自分がクビにならないように立ち回るのだけは上手いわね!
とはいえ、逆にこっちに取り込んで部下にしてしまおうって魂胆は賛成だわ)
私はサラヤの思考を読み取った。
良い提案である。
ピローネは職を求めている。
そしてサラヤが認めるほどの「観察眼」を持っている。
ふと、先日思いついた「ある計画」が脳裏をよぎった。
「……ねえ、ピローネ」
「は、はいっ!」
「アンタ、宿屋の娘で、自分好みの宿泊施設がやりたいって言ってたわよね?」
「はい!
自分の理想の宿を作って、お客様に最高の時間を提供したいと……!」
「いいわ。
じゃあ、アンタに一つ『店』を任せるわ」
「えっ!?」
ピローネが目を丸くする。
私はナプキンで口元を拭う。
「今度、今の街道を高速道路化して差別化を図り、そこに『サービスエリア(休憩所)』を設立予定なのよ。
そのエリア内に併設される『宿泊施設』の支配人を、アンタに任せるわ」
「し、支配人!?
私が、ですか!?」
「ええ。
ただし、ただの宿屋じゃないわよ。
そこは街道を行き交う旅人や商人が集まる場所。
つまり、情報の集積地になるわ」
私はサラヤに視線を送った。
「アンタにはそこで宿を切り盛りしながら、客の会話や動向を『観察』して、有益な情報を集めてほしいの。
サラヤの言う通り、アンタにはその才能がありそうだからね」
「……情報の、収集……」
ピローネの顔が、ぱあっと輝いた。
彼女の脳内では、「情報収集」=「お客様のプライベートな秘密(情事)を堂々と観察できる」と変換されたに違いない。
「やります!
やらせてください!
私、そういうの大好き……いえ、得意ですわ!
必ずやお役に立ってみせます!」
「決まりね」
私はパンと手を叩いた。
「じゃ、ピローネは今日からうちの社員よ。
サービスエリアが完成するまでは、屋敷でサラヤの下について『情報収集のイロハ』を学びなさい。
サラヤ、指導料は出すから頼んだわよ?
アンタも暗部の下っ端、これで卒業じゃない」
「御意。
新人教育ですね。
私のポジションを脅かさないよう、徹底的に『下っ端』としての心得を叩き込みます」
サラヤが安堵しつつも、先輩風を吹かせて眼鏡を光らせる。
ピローネは「ひぃっ」と少し怯えつつも、念願の就職決定に頬を紅潮させていた。
「私の予想では、アナタはもっと趣味的なラブホみたいなのが良かったのだろうけど、それはエリスの町の方で需要が出たら作らせて貰えばいいわ。
とにかく今は私の方を手伝って頂戴」
「ありがとうございます!
パルスイート様!
一生ついていきます!」
こうして、「混沌の三女神」全員の配置が完了した。
スティナ: 女性向けデザインの専属鍛冶師
ソルティ: グルコース製薬工場の研究主任
ピローネ: サービスエリアの支配人兼、情報員見習い。
それぞれの「業」と「才能」が噛み合った配置だ。
「さあ、これですっきりしたわね!
今日は祝い酒よ!
ソルビトール、ワインを追加して!」
「畏まりました…が、全員引き抜いてしまって冒険者ギルドにはなんと説明を?」
私はソルビトールの言葉を無視しグラスを掲げる。
「スティナ!ピローネ!ソルティ!、ちゃんとギルドに報告しておいてね!
このままだと『帰らずの町』とか悪評立っちゃうじゃない。
馬車で送り迎えしてあげるから、ちゃんと戻ってくるのよ?」
「え?」「自分で?」「報告…」
突然降られた報告義務に、三人は困惑を隠せなかったが、言い返す間も無く宴は続くのだった。
「じゃ、皆でカンパーイ!」
パルスイートの声が響き渡る。
護衛不足問題も、彼女たちの就職難も、すべて解決だ。
これからのパプリカ領とグルコース領の発展に、彼女たちが大いに貢献してくれることは間違いないだろう。
……まあ、多少のトラブルや暴走はあるかもしれないが、それはご愛敬ということで。
その後、パルスイートの予防策は何の意味もなさず、心配通りにピメントが『帰らずの町』と呼ばれるようになるのであった。




