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第056話「番外編『メレンゲの乙女たち』:宿屋乙女!観察?情事?」


 迷宮都市メレンゲ。

 二度目である。


 ダンジョンへと挑む冒険者たちにとって、一日の疲れを癒やす「宿」は、食事と同じくらい重要な要素だ。

 大通りから一本入った落ち着いた区画に、中級宿屋「ピローケース」はある。


「いらっしゃいませ!

 旅の疲れを癒やすなら、当宿自慢の安眠ベッドへどうぞ!」


 カウンターで手際よく鍵を渡しているのは、この宿の若女将であり、私の姉フェザーだ。

 彼女は「宿屋の鑑」のような人だ。

 常に清潔なリネン、無駄のない接客、そして回転率を重視した効率的な部屋割り。

 「ピローケース」が中級宿屋として安定した人気を誇っているのは、ひとえに姉さんの手腕によるものだ。


「ピローネ、203号室のお客様がチェックアウトされたわ。

 清掃とベッドメイク、お願いね。

 次の予約まで時間がないから、15分で仕上げて」


「はい、姉さん。

 お任せください」


 私は清楚な微笑みを浮かべ、バスケットを手に階段を上がった。

 私、ピローネは、この宿の看板娘(自称・癒やし担当)として、日々業務に励んでいる。

 姉さんは私のことを「気が利く自慢の妹」だと思っているし、お客様からも「優しそうで真面目な子」と評判だ。


 ……そう。

 あくまで、表向きは。


      ◇


 203号室。


 昨日泊まっていたのは、駆け出しの冒険者カップルだった。

 まだ付き合って日が浅いのか、チェックインの時は二人とも顔を赤らめて、妙によそよそしかったのを覚えている。


 私は部屋に入ると、まずは空気を吸い込んだ。


(……ふむ。残り香は甘め。

 ベッドの乱れ方は……激しくはないけれど、とりあえずやることはやろうとした感じかしら)


 私は名探偵のように現場を検証する。

 枕の位置、掛け布団の落ち方、そしてサイドテーブルに残された水の減り具合。

 それら全ての情報が、昨夜この部屋で繰り広げられた「ドラマ」を雄弁に物語っている…気がする。


「……惜しいわ」


 私はため息をついた。


「実に惜しい。

 二人の距離感は悪くなかった。

 でも、この部屋じゃ『盛り上がり』に欠けるのよ!」


 私はベッドに腰掛け、ギシッと鳴るスプリングの音を確認した。

 当宿自慢の安眠ベッドは、寝る分には最高だ。

 だが、愛を育む運動をするには、この軋み音はノイズでしかない。

 それに壁が薄い。

 隣の部屋の話し声が聞こえるようでは、恥ずかしがり屋のカップルは思い切った行動に出られないではないか。


「照明も明るすぎるのかなぁ。

 やっぱり「消して」の後が真っ暗じゃね~

 「そこチガっ…」も悪くはないけど、穴違いじゃムードとしては台無しじゃない。

 薄暗いオレンジ色の明かりと、少しの背徳感……それこそが、男女の情熱を加速させるスパイスなのよ」


 私は清楚な顔のまま、脳内で昨夜の二人の「あともう一歩踏み込めなかったもどかしさ」を勝手にシミュレーションし、身悶えした。


 もちろん行先を間違える方の想像も忘れない。


 もったいない。


 環境さえ整っていれば、二人はもっと深い絆で結ばれたはずなのに。


 私は掃除をしながら、こっそりと「改善」を施すことにした。

 サイドランプに薄いピンク色の布を被せ、ムーディーな光になるように細工する。

 ベッドの脚には、衝撃を吸収するフェルトを重ねて貼り付け、軋み音を軽減。

 さらに、枕元には滋養強壮に効くと言われるハーブの香袋を、さりげなく忍ばせておく。


「……よし。

 これで次のカップルは、きっと昨夜よりも熱い夜を過ごせるはず」


(間違えて怒られたりもしないわね!)


 私は満足げに頷き、部屋を出た。

 これはただの掃除ではない。

 人類の「本能」への奉仕活動なのだ。


      ◇


 しかし、私の「配慮」は、すぐに姉さんにバレることとなった。


「ピローネ!!」


 夕方、姉さんの怒号が帳場に響き渡った。


「な、何かしらお姉様?」


「203号室!

 何よあの照明は!

 怪しいピンク色になってるじゃない!

 お客様から『部屋がエロい雰囲気で落ち着かない』ってクレームが来たわよ!」


「あら……。

 それは効果覿面ということですわね」


「何が効果よ!

 うちは健全な宿屋なの!

 安眠を提供する場所なの!

 変な雰囲気を作ってどうするのよ!」


 姉さんは頭を抱えている。

 彼女の言い分は正しい。

 宿屋としては、清潔で明るく、安心して眠れる場所であることが第一だ。

 だが、私は反論せずにはいられなかった。


「でもお姉様!

 宿を訪れるのは、疲れた冒険者だけではありませんわ。

 愛を確かめ合いたい恋人たちや、人目を忍ぶ訳ありの男女もいらっしゃいます。

 彼らが求めているのは『安眠』ではなく、『没頭できる空間』ですわ!」


「……はぁ?」


 姉さんが呆気にとられた顔をする。

 私は熱弁を振るった。


「壁の防音工事をして、お風呂をガラス張りに……いえ、せめて二人で入れる大きさに改装すべきです。

 ベッドは回転……する必要はありませんが、もっと弾力のあるものに変えて、天井には鏡を……」


「ストォォォップ!!」


 姉さんが私の口を手で塞いだ。

 顔が真っ赤だ。


「あんた、頭の中身どうなってるの!?

 普段はおっとりしてるのに……

 そんな破廉恥な改装、うちの予算でできるわけないでしょ!

 それに、そんな宿にしたら風紀が乱れて、一般のお客様が寄り付かなくなるわよ!」


「風紀が乱れるのではありません、人口増加、少子化対策への貢献です!」


「やかましいわ!

 とにかく却下!

 余計なことはしないで、掃除だけしてちょうだい!」


 姉さんは私の頭をポカリと叩き、業務に戻っていった。

 私は叩かれた頭をさすりながら、唇を尖らせた。


(わかってない。

 お姉様は、人間の『業』というものをわかってないわ)


 宿屋は、ただ寝るだけの場所じゃない。


 旅の恥はかき捨て。

 非日常の空間だからこそ、人は理性のタガを外し、本能のままに愛し合うことができるのだ。


 私は、そんな人々の営みを応援したい。

 そして何より、そんなドラマチックな現場を(壁越しに)見守りたいのだ。


「……ここでは無理ね」


 私は悟った。

 「ピローケース」の方針は、私の理想とは相容れない。

 姉さんが経営者である限り、ここは永遠に「健全で清潔な宿」のままだろう。


(私は、自分の理想の城を作りたい。

 カップルが心置きなく愛を育み、誰にも邪魔されず、最高の演出で盛り上がれる……そんな『愛のラブホテル』を!)


 そのためには、今の私には知識も経験も足りない。

 本や妄想だけでは限界がある。

 もっとリアルな、生の現場を知る必要があるのだ。


「……行かなきゃ」


 私の瞳に、怪しい決意の炎が灯った。


      ◇


 翌朝。


 私は自分の荷物をまとめていた。

 愛用の裁縫道具(破れたシーツや服の修繕用)、アロマオイルのセット、そして観察日記用のメモ帳。

 冒険者になるわけではないが、旅をするには十分な装備だ。


 玄関先で、姉さんが驚いた顔で立っていた。


「ピローネ?

 そんな大荷物で、どこへ行くの?」


「姉さん…」


 私は清楚な微笑みを浮かべ、しかし力強く宣言した。


「私、旅に出ます」


「はぁ?

 いきなり何を……」


「この宿は素晴らしいです。

 でも、私にはまだ学ぶべきことがたくさんあります。

 人間の『本能』と『欲望』……そして、それを満たすための空間作り。

 それを学ぶために、外の世界を見てきたいのです」


「……あんた、まだあの破廉恥な改装計画を諦めてなかったの?」


 姉さんは呆れたように溜息をついたが、私の目が本気なのを見て取ると、諦めたように肩をすくめた。


「まあいいわ。

 ここにいても、あんたのその……溢れ出る好奇心は満たされないでしょうしね。

 一度外に出て、世間の広さと、自分の考えの偏りを知ってくるといいわ」


「ご理解いただき、ありがとうございます」


「ただし!

 変な男に騙されないようにね。

 あんた、知識ばっかりで実践経験ゼロなんだから」


「もちろんです。

 私は『観察者』ですから。

 プレイヤーになるつもりはありませんわ」


「……そういうとこがダメなのよ、本当に」


 姉さんは苦笑しながら、少し多めの路銀を渡してくれた。


「気が済んだら帰ってきなさい。

 あんた、ベッドメイクの腕だけは一流なんだから」


「はい。

 行ってきます、姉さん」


 私は深く一礼し、住み慣れた宿を後にした。


 目指すは、冒険者養成所。

 そこには、血気盛んな若者たちが集まっているはずだ。

 吊り橋効果、極限状態での恋、そして夜のテント……。

 私の研究対象カップルが、そこには山ほどいるに違いない。


(待ってなさい、世界中の恋人たち!

 私があなたたちのために、最高の空間をプロデュースしてあげるから!)


 私は胸を高鳴らせながら、大通りを歩き出した。

 すれ違う人々が、清楚な身なりの私が大きな荷物を持っているのを見て、「おや、奉公にでも行くのかな」と温かい目を向けてくる。

 ふふっ、まさかこの中身が、カップルの生態観察を目論むむっつりスケベだとは思うまい。


「……あ、そういえば」


 ふと、大通りの向こうにある食堂の看板が目に入った。

 大衆食堂「メシア」。

 幼馴染のソルティの実家だ。


「あの子も、厨房で何かブツブツ言ってたっけ……」


『精力が……』とか『活力が……』とか。

 私とは方向性が違うが、彼女もまた何らかの「業」を抱えていたような気がする。

 もし会えたら、私の「空間作り」と、彼女の「料理」で、最強のタッグが組めるかもしれない。


「ま、縁があれば会えるわよね」


 私は軽くステップを踏み、冒険者養成所の方角へと足を向けた。

 その先で、同じく業を背負った仲間たちと運命の出会いを果たし、やがて辺境の魔改造領地へと導かれることになるのだが――今の私はまだ、そんな未来を知る由もなかった。


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