第045話「環境破壊!更地?天災?」
翌朝。
雲ひとつない快晴の下、私たちは領主館の馬車に揺られ、パプリカ領のさらに奥地、人が住まう領域の西の果てへと向かっていた。
そこに向かう道のりに、これまで私たちが精力的に整備を進めてきた、あの快適なコンクリート舗装の道はない。
車窓から覗く景色には、昔ながらのガタついた砂利道が、どこまでも無機質に続いている。
大小様々な石が転がるその道は、明らかに整備の手が入っておらず、雑草が轍の中央を我が物顔で占拠していた。
他に道はなく、その経路すらも近年ではあまり使われている様子もないため、酷く状態が悪かった。
ガタン、ゴトン、と車輪が石を噛むたびに、馬車全体が悲鳴のような音を立てて跳ね上がる。
その衝撃はクッションの薄い座面を通して、直に私の柔らかなお尻に響いてくる。
「……っ、痛い……」
私は顔をしかめながら、ずり落ちそうになるクッションの位置を直した。
もう何度目になるかわからない溜息が、口から漏れる。
「……ねえ、チクロ。
なんでわざわざ、あんな辺境の端までいくわけ?」
私は苛立ちを隠そうともせず、向かいの席に座る友人に問いかけた。
彼女――チクロ・ズルチン侯爵令嬢は、この荒れた路面で激しく揺れる車内だというのに、まるで王城のサロンにいるかのような優雅さでティーカップを傾けている。
揺れに合わせて身体の重心を微調整しているのか、カップの中の紅茶は波紋ひとつ立てていない。
その異常な体幹の強さに呆れつつ、私は本日三度目となる確認をした。
「うん。
地図で確認したけれど合ってるわよ?
このパプリカ領が王国の西端だから、そこが一番条件にあってるわね。
人里から離れていて、かつ『隣国との国境』に近い場所。
そういう条件でガス抜きする事が目的だからね」
チクロは長い睫毛を伏せ、カップをソーサーにカチャリと戻しながら涼しい顔で答える。
その紺色の髪が、窓から差し込む陽光を受けて艶やかに光った。
彼女の膝元には、厳重に何重もの封印布で包まれた、禍々しい気配を放つ長尺物が置かれていた。
彼女の実家、武門の名門であるズルチン侯爵家に代々伝わる家宝――魔槍『ズールティン』だ。
私の前世の記憶――乙女ゲーム『ホーリースイート』の知識において、私たちが向かっている場所は文字通りの「世界の果て」だった。
ホーリースイートの世界は、所詮はプログラムされた箱庭だった。
フラグゲームであるあのゲームには、明確なマップの境界線が存在するからだ。
特にこのパプリカ領の西端に広がる「魔獣の森」は、シナリオの後半に解放される高難易度の狩場エリアとして設定されていた。
コマンドラインバトルによる簡易RPG戦闘のため、ゲームにはレベルやステータスといった数値上の概念がある。
そんな戦闘に行き詰まったプレイヤーがここで効率よく経験値を稼ぎ、持ちキャラのレベル上げをする。
そんなシステム上の都合で作られた、書き割りめいた限定用途のエリアが「魔獣の森」だ。
(懐かしい…私も魔獣の森でアーリー王子やシラーのレベル上げしてたっけ)
スマートフォンを握りしめ、夜通し画面を連打していた前世の記憶が脳裏をよぎる。
だが、現実となったこの世界では、そこには物理的に巨大な、底知れぬ深淵を抱いた森が存在している。
ただのレベル上げスポットではない。
未知の生態系と、人知を超えた危険が潜む場所なのだ。
しかし、チクロの口ぶりにはそういった冒険心や危機感は感じられない。
もっと事務的で義務的な、まるでゴミ出しの日を確認するかのような手軽さで、何かの目的を遂行しようとしているようだった。
「…お嬢」
御者台から顔を覗かせたのは、私の護衛兼庭師であるサッカリンだ。
歴戦の傭兵として数々の修羅場をくぐり抜けてきた彼の表情は、いつになく険しい。
その視線は、チクロの膝元にある包みに釘付けになっていた。
「魔獣の森だが、奥には行かねぇんだよな?
あそこは隣国との国境付近だし、あんまり派手なことやると政治的にマズいんじゃねぇかと思ってな…」
彼の懸念はもっともだ。
国境付近での武力行使は最悪の場合、国際問題に発展しかねない。
「いい指摘ね!
おじさんはやっぱ鋭い!
その危機管理能力、素晴らしいわ。
やっぱ家にこない?」
「だからあげないわよ!」
私の即座の反撃に、チクロがふふっと可憐に笑う。
だが、その瞳の奥にはもっと計算高い光が宿っていた。
「それ、発想が逆なんだよね~
『国境だからこそ』やるのよ。
まず前提として聞いて?
ズールティンはね、数年に一度、定期的な『ガス抜き』が必要なの。
内部に溜まった過剰な瘴気を放出しないと、いずれ暴発して使い物にならなくなるわ。
これが建前上の理由ね」
彼女は指を一本立てて説明する。
そして、二本目の指を立てた。
「で、王家はこの作業を黙認する代わりに、ある役割を与えているの。
『隣国へのアピール』
他国への威嚇に使っているのよ。
誰にも見られない場所ではなく、ワザと国境でやってるってこと。
こっちが本筋よ」
「牽制…か?」
「そう。
国境付近でドカンと一発派手にやって、『ウチにはこんな兵器があるぞ』って音と威力を周囲に見せつけるの。
こちらに手を出すなという、武力誇示のためのデモンストレーションね」
私はその言葉に絶句した。
彼女は笑顔で言っているが、それはつまり、今から行われるのは戦略兵器による軍事演習だと言っているに等しい。
しかも、国家間のパワーバランスを左右するレベルの。
ふいに馬車が速度を緩め停止する。
馬がいななく声が聞こえた。
「どうやら着いたみたいね」
馬車を降りると、そこには森の境界線があった。
湿った土の匂いと、濃密な緑の香りが鼻孔をくすぐる。
先行していた領民たちが作った小路の端に降り立つと、冷たい風が頬を撫でた。
目の前に広がるのは、圧倒的な緑の壁だ。
樹齢数百年はあろうかという巨木が立ち並び、日光を遮って、昼間だというのに薄暗い闇を形成している。
「アンタたち、馬車はここに停めてまってなさい。
馬が怯えて逃げ出さないよう、木に結んでおくのを忘れないでね」
そう御者に指示を出す。
「しょ、承知しました、パルスイートお嬢様」
御者は青ざめた顔で頷く。
彼にも本能的に分かっているのだろう。
ここから先は人の立ち入る領域ではないと。
「サラヤ、チクロが持ってきてくれた防護結界の魔導具をここに展開しといてくれない?」
私が振り返ると、すでに専属メイドのサラヤは魔道具を手に持ち、準備万端で待機していた。
彼女の手にあるのは、高価な魔石をふんだんに埋め込んだ結界発生装置だ。
「了解しましたお嬢様。
起動準備は完了しております。
それで……出力の方はいかがいたしますか?」
「モチ、最大出力でね。
じゃ、全員、衝撃に備えて伏せること。
な~んか凄そうだし、舌を噛まないようにね!」
私がテキパキと身内に指示を飛ばすと、最後にチクロに目配せする。
準備はいい?
という合図だ。
それを見たチクロは小さく頷くと、手に持っていた厳重な布を解き始めた。
何重にも巻かれた封印の帯が、ハラリ、ハラリと地面に落ちる。
最後に現れたのは、禍々しい装飾が施された一本の槍だった。
その穂先は、鋼鉄の冷たさではなく、まるで生き血を吸ったかのように暗く淀んだ紫色を帯びている。
表面には血管のような紋様が浮き出ており、見る者に生理的な嫌悪感を催させた。
その槍を見た瞬間、私の背筋にゾワリとした悪寒が走った。
布が解かれた瞬間、槍自体が『ドクン』と、心臓のように脈打ったように見えたのだ。
錯覚ではない。
周囲の大気が、槍を中心に渦を巻き始めている。
「行くわよ!!
ちゃんと伏せといてねーーーっ!!」
チクロの凛とした怒号が響き渡り、全員が慌てて地面へと突っ伏す。
私は泥も構わずに身を伏せ、両手で耳を塞いだ。
戦場のような張り詰めた緊張感が漂う中、チクロ一人だけが森の境界線に悠然と立っていた。
その背中は、可憐な令嬢のものとは思えないほど大きく、そして恐ろしく見えた。
彼女が静かに息を吸い込んだ瞬間、場の空気が凍りつく。
比喩ではなく、物理的に気温が急激に下がった。
肌に突き刺さるような鋭利な殺気が、空間そのものを満たしていく。
チクロの足元から、コールタールのような粘り気のあるドス黒い紫色のオーラが噴き出し、地面を侵食していくのが見えた。
彼女の周囲の草花が瞬く間に枯れ果て、黒く染まっていく。
徐に、美しいフォームで槍投げの姿勢をとるチクロ。
その腕には、細い筋肉からは想像もできないほどの膨大な魔力が収束していく。
「――穿て、『ズールティン』」
彼女の唇が、魔槍の真名を紡ぐ。
その言葉は呪文のようでもあり、世界の理を書き換えるコマンドのようでもあった。
天に向かって投擲する。
その瞬間。
世界から音が消えた。
直後、世界が反転したような感覚に襲われる。
重力が消失し、視界が歪む。
チクロの投げた槍から放たれるのは、単なる斬撃や刺突ではない。
それは、座標を指定し、そこに存在する物質を強制的に排除する、空間そのものを削り取る理不尽な力の奔流だ。
ギユォォォォォォォォォォォォンッ!!!!
遅れて届いた音が、空を軋ませる。
空間が悲鳴を上げながら歪み、天に巨大な渦が出来た。
「…チッ、半端ねぇな!!」
サッカリンが私を庇って覆いかぶさる。
その腕越しに私は見た。
その瞬間、天から一本の極太の光の筋が伸び、大地を貫いたのを。
ズドォォォォォォォォォォォォンッ!!!!
鼓膜を破壊せんばかりの轟音が響き渡り、空気の震えが衝撃波となって伝わってくる。
最大出力で展開していた防護結界が、ビキビキと悲鳴を上げた。
ガラスが軋むような、嫌な音が鼓膜を叩く。
凄まじい地響きと共に、大地が波打つように揺れた。
まるで、巨大な怪物が地団駄を踏んだかのように。
恐る恐る顔を上げた私の目に映ったのは、青空を覆い隠すように立ち上る巨大な「キノコ雲」だった。
濃い紫色の噴煙が成層圏まで届きそうな勢いで空を侵食し、太陽の光さえも遮っている。
「……う、そ」
私の口から、乾いた言葉がこぼれ落ちた。
やがて爆風が収まり砂塵が晴れると、そこには何もなかった。
文字通り、何もない。
私の視界の先、直径およそ二キロメートルに渡って、鬱蒼と茂っていたはずの原生林が消滅していた。
木々も、岩も、小山さえもが、まるで神様か巨人が抉り取ったかのように消失し、更地になっている。
残っているのは高熱で溶かされガラス状に変質した地面と、未だにくすぶり続ける紫色の残り火だけ。
これが『牽制』?
いや…こんなものは『脅迫』だ。
これを見せつけられたら、隣国どころか魔王軍だって裸足で逃げ出すに決まっている。
サッカリンやサラヤは、口を半開きにして言葉を失っていた。
御者に至っては腰を抜かし、白目を剥いてへたりと地面に座り込んでいる。
だが、私の思考は恐怖よりも先に、背筋を這い上がるような冷ややかな違和感に支配されていた。
(……おかしい)
私の中で、別の思考回路が急速に回転を始める。
正直な感想でしかないが、今の時点で見たチクロのキャラ性能は明らかにチートだ。
ゲームバランスを崩壊させるバグ技と言ってもいい。
自分の知識において、『ホーリースイート』における『チクロ・ズルチン侯爵令嬢』というキャラは、あくまで背景の一部であるモブだ。
メインヒロインをいじめる、エリスリトール・アセスルファム公爵令嬢の取り巻き1号。
そして2号が、私『パルスイート・アスパルテーム伯爵令嬢』。
二人とも、用意されていたのは立ち絵と僅かなセリフのみ。
仲間としてパーティに入ることもなければ、敵として立ちはだかることもない。
当然、戦闘パートとは無縁の存在だった。
とても国を滅ぼせるような力があるような描写はなかったし、そんな裏設定も存在しないはずだ。
私は震える足を叱咤し、何事もなかったかのように涼しい顔で、槍を丁寧に布に包んでいる友人に歩み寄った。
「チクロ……ちょっと聞いていい?」
「なによパルス?
今更改まっちゃって」
彼女は額の汗を拭いながら、屈託のない笑顔を向けてくる。
その笑顔が、今の私には魔王の微笑みより恐ろしく見えた。
「なんかさ、チクロってゲームで『ここまで』強キャラムーブの脳筋ゴリラだっけ?
いくらなんでも、やりすぎじゃない?」
面白可笑しくは言っているが、これは彼女を揺さぶるためのジャブだ。
彼女が持つ情報の出所を探るための。
「失礼ね!
脳筋でもゴリラでもないわよ!
って、『ホリスイ2』でチクロはこんなんでしょ?
これでも再現度高めの原作ムーブよ」
――
私の中で散らばっていたパズルのピース。
『ホリスイ2』
その単語を聞いた瞬間。
そのうちの一つが、カチリと音を立てて嵌った。
「……ホリスイ2?」
私はオウム返しに、その単語を舌の上で転がした。
私の前世の記憶では、『ホーリースイート2』は制作決定の報こそネットニュースであったものの、私が過労死するその日まで発売日どころか、内容もキャストも未公開だったはずだ。
私の鋭い指摘に、チクロは「あ」と口元を両手で押さえ、しまったとばかりにバツが悪そうに視線を逸らした。
「あ……そう……そうなのよ。
私が死ぬ直前の話なんだけどさ、ネットの掲示板で発表前の情報リークがあったのよ。
ロザリオとかチクロ、エリスもそうなんだけど、なんと、初代とは打って変って、チート持ちな異世界設定で、かなり戦闘色が強いシステムになるらしいのよね~
……死ぬ前にプレイしたかったな~、あはははは」
彼女は誤魔化すように乾いた笑い声を上げたが、その情報は私にとって決定的だった。
やはり、チクロは私の時間軸とは違う、私の知らない「未来」の情報を持っている。
私は引きつった笑顔を貼り付けたまま、目の前に広がる、地図から消滅した更地を見渡す。
……とりあえず、この歩く破壊兵器を敵に回すのだけは絶対にやめよう。
私はそう心に固く誓い、震える手で額に滲んだ冷や汗を拭った。




