第044話「強者来訪!最強?魔王?」
辺境ピメントの領主館に、穏やかな午後が流れていた。
窓の外からは、遠く「ハラペーニョ」工業地帯の稼働音が低い環境音として響き、近くの畑では農民たちが威勢よく作業に励む声が聞こえる。
私は執務室のデスクで、先日ゼブラー商会から届いた売上報告書と、ナトたちが作った新作野菜の在庫リストを見比べていた。
「……うん、順調ね。
イノシシ肉の加工食品も安定してきたし、カイワレとモヤシの売れ行きも悪くない」
チャリン、と頭の中で小銭の音が鳴る。
辺境に飛ばされたときはどうなることかと思ったが、結果的に私は左団扇な生活基盤を着々と築きつつあった。
あとはこのまま領地を富ませ、不労所得システムを完成させれば、私の勝ち組人生は約束されたも同然だ。
「お茶をお持ちしました。
パルスイートお嬢様」
静かな声と共に、湯気の立つカップがデスクに置かれる。
視線を上げると、そこには完璧な姿勢で控える侍女、サラヤの姿があった。
地味な茶色の髪をひっつめ、表情一つ変えずに佇む姿は、どこに出しても恥ずかしくない「出来る侍女」そのものだ。
……まあ、その正体が王家暗部の人間であり、裏では私と金銭契約を結んだ情報屋であり、私の部屋で菓子を食い散らかす守銭奴であることを除けば、だが。
「ありがとう、サラヤ。
……そういえば」
私はカップを手に取りながら、ふと思い出した予定を確認する。
「チクロが来るのって、今日だったわよね?」
「左様でございます。
予定通りであれば、あと一刻ほどで到着されるかと」
サラヤは抑揚のない声で答える。
その鉄仮面のような無表情は、雇い主である私ですら感情を読み取るのが難しい。
彼女はポットをワゴンに戻しながら、珍しく自分から口を開いた。
「……お嬢様。
ズルチン侯爵家のご令嬢とは、そこまで親しい間柄なのですか?」
「ええ、まあね。
王都にいた頃からの付き合いだし、気心は知れてるわよ。
どうして?」
「いえ……」
サラヤの手が、一瞬だけ止まる。
彼女は眼鏡の奥の瞳を僅かに細め、記憶を探るような素振りを見せた。
「以前、王城の夜会で遠目にお見掛けしたことがあるのですが……。
ただのご令嬢が出すような気配ではありませんでした。
あの方の周りだけ、空間が歪んでいるような……一種異様な重圧を感じたことがございます」
さすがはプロの情報屋というか、暗殺者候補生。
チクロのあふれ出るヤバさを遠目でも感じ取っていたらしい。
だが、中身が私と同じ日本人転生者であり、前世が腰痛持ちのライターだと知っている身としては、そこまで警戒する必要はないと思える。
「大丈夫よ。
確かにちょっと……ううん、だいぶ腕っぷしは強いけど、話せば普通の子だから」
「……お嬢様がそう仰るなら」
サラヤは恭しく一礼したが、その表情には微かな懸念が残っているように見えた。
その時だ。
窓の外、館の入り口付近を見張っていた庭師の姿が見えた。
「――お嬢」
いつもなら裏庭で呑気に剪定をしているはずのサッカリンが、なぜか正面玄関の前に立ち、険しい顔で街道の方角を睨んでいる。
私は窓を開けて身を乗り出した。
「どうしたのサッカリン?
そんな怖い顔して。
珍しく大剣まで背負ってるじゃない?
山火事でも見えた?」
「違ぇよ……来る気配があんだよ。
何か、とてつもないモンが」
元傭兵「死神サッカリン」
数々の戦場を渡り歩き、あのゲーム終盤の裏ボスである剣王ソーマチンすら葬った男が、額に脂汗を滲ませていた。
彼の手は、背負った愛用の大剣の柄に無意識にかかっている。
「馬車が一台、近づいてきます」
サラヤが私の背後から外を覗き込み、冷静に報告する。
砂煙を上げて近づいてくるのは、確かに一台の馬車だった。
立派な装飾が施された、侯爵家の紋章入り馬車だ。
「あ〜、多分チクロんとこの馬車ね。
ほら、出迎えに行くわよ」
私は努めて明るく言い、何も心配不要と部屋を出る。
不安そうなサラヤが無言で背後に続いた。
◇
館の正面玄関には、既に異様な緊張感が漂っていた。
使用人たちを下がらせ、私とサラヤ、護衛として仁王立ちするサッカリン、そして領主代行でありながらも執事を兼務するソルビトールの四人で馬車を待つ。
到着した馬車を見て、サッカリンの眉間の皺が深くなった。
「……護衛が居ねぇ。
お嬢…たしか『侯爵』令嬢って話だったよな?」
彼の呟き通り、馬車の周囲には騎馬兵の一人もいなかった。
御者台に座っているのは人の好さそうな初老の御者が二人だけ。
道中の魔獣や盗賊対策はどうしていたのか?と問いたくなる無防備さだ。
いや。
そもそも彼女には『護衛が必要ない』ということなのだろう。
「まぁ正直言うと、チクロは馬車に乗ってるだけでも頑張ってると思うわ…
だってあの子、私が本領の屋敷にいたときに、夜中に一人で走って遊びに来たのよ?
あの時は大騒ぎだったわよ…」
それを聞き、何とも言えない顔になるサッカリン。
そうこうしているうちにズルチン侯爵家の馬車が到着した。
御者が後に回り、恭しく扉を開ける。
「……ッ」
その瞬間、サッカリンとサラヤの肩がビクリと跳ねた。
二人の顔色が、一瞬で蒼白になる。
まるで、目に見えない巨大な何かが、馬車の中から溢れ出してきたかのように。
現れたのは、紺色の髪をなびかせた、あどけない少女だった。
「やっほ~パルス!
元気に謹慎してた?
ってそんな訳無いよね~」
チクロ・ズルチンは、開口一番、緊張感の欠片もない挨拶を投げかけてきた。
私は呆れ半分、安堵半分で腰に手を当てる。
「うっさいわね!
ちゃんとそれなりに反省してるフリはしてるわよ。
そんなことより、いらっしゃいチクロ。
遠いところよく来たわね」
「んー、まあね。
ちょっと王都の空気が悪くてさ。
あと、この子のガス抜きに来たのよ」
チクロはニコニコと笑いながら馬車を降りる。
その手には、布でぐるぐる巻きにされた長細い物体――魔槍ズールティンが握られていた。
「とりあえず部屋は用意してあるから。
ソルビトール!
案内してあげて!」
「はっ、畏まりました。
チクロ様、どうぞこちらへ」
私の声に応じ、執事のソルビトールが恭しく礼を取る。
彼はサッカリンたちのような戦闘者ではないためか、あるいは年の功か、チクロの「圧」に気づく様子もなく、慇懃に彼女を館内へと招き入れた。
チクロが「ありがと~」と手を振り、館の中へ消えていく。
その背中が見えなくなった瞬間だった。
「……っは、ぁ……」
ドサリ、と重い音がして、サッカリンがその場にへなへなと座り込んだ。
あの大男が、膝から崩れ落ちたのだ。
「ちょ、ちょっとサッカリン!?
大丈夫!?」
「……なんだ、ありゃ……
化け物か……?」
サッカリンは焦点の定まらない目で、チクロが消えた扉の方角を見つめている。
冷や汗が顎を伝い、地面に染みを作っていた。
「何が?
もしかしてズールティンの瘴気にやられたんじゃないの?」
「違う……」
サッカリンは首を横に振る。
「あの布に巻かれた槍がヤバいのは分かる。
だが、それはあくまで『武器として凄い』ってだけだ。
俺が言いたいのは、あの嬢ちゃんの方だ」
彼は自分の震える手を、忌々しそうに握りしめた。
「本能が、逃げようとしちまうんだ。
戦ってどうにかなるって感覚が、欠片も生まれねぇんだよ。
……死神なんて呼ばれてた俺が、赤子みてぇに縮み上がっちまった」
私は思わず息を呑む。
サッカリンの実力は本物だ。
原作ゲームの中ボスであり、この世界でもトップクラスの戦士である彼が、戦う前から敗北を悟るなんて。
「え~……まぁ。
確かに滅茶苦茶強いのは知ってるけどさ。
12歳位の時に棒切れ一本で兵士100人くらい無双してたのは見たから知ってるわ……それでも、ちょっと大げさじゃない?」
私が努めて軽く言うと、サッカリンはギロリと私を睨んだ。
「その時点で化け物だろうが」
「あ、ハイ」
「悪ぃ、お嬢に言っても分からんわな。
相手は選ぶが、一般兵100人なら俺でも出来ないことじゃねぇ。
……だが、あの嬢ちゃんが纏ってる空気は、そんな次元の話じゃねぇんだよ」
サッカリンは深呼吸を一つして、何とか立ち上がった。
その目には、恐怖と共に、戦士としての抗いがたい好奇心が宿り始めていた。
「まあなんだ……
もし機会があったら、一度指南してもらえるよう取り計らってくれねぇかな」
「え、いいの?
ボコボコにされるかもしれないわよ?」
「構わねぇ。
自分の目で見極めねぇと、今夜は眠れそうにねぇからな」
「……分かったわ。
いいわよ、多分喜んで相手してくれると思うし」
チクロなら二つ返事で受けてくれるだろう。
彼女は基本的にサバサバしたいい子なのだ。
それに体を動かすのは好きに思える。
私は後ろに控えるサラヤを振り返った。
「サラヤも大丈夫?
アンタも顔色悪いわよ?」
「……はい。
お気遣い痛み入ります」
サラヤはハンカチで額の汗を拭っていた。
その表情は、いつもの鉄仮面が崩れかけ、明らかな動揺が見て取れる。
「以前、王城でお見掛けした時よりも……だいぶ圧が上がっている気がします。
正直、同じ空間にいるだけで胃が痛くなるレベルです」
「あんた達、繊細ねぇ……」
私は肩を竦める。
どうやら「なかよし同盟」の友人として接している私には分からない領域で、チクロは生物としての進化(あるいは変異)を遂げているらしい。
……まあ、味方であるうちは頼もしい限りだ。
そもそも敵になる理由もないし。
◇
夕食は、ピメント自慢の「イノシシ肉のハンバーグ・モヤシあんかけ添え」をメインに、和やかな雰囲気で進んだ。
チクロは私の前世知識による料理に目を輝かせ、「これ美味しい! 王都の料理より全然イケる!」とお代わりまでしてくれた。
食事中、彼女は王都での噂話や、婚約者である第二王子アーリーの愚痴(主に会話のセンスが悪いこと)を話していたが、そこに「最強の武人」としての威圧感は微塵もなかった。
サッカリンとサラヤも、食事の席では給仕に徹し、平穏を装っていた。
そして、食後のお茶を飲み終えた頃。
チクロがふと、窓の外の月を見上げた。
「んー、食べた食べた。
……ねえパルス、ちょっと運動したいんだけど、場所借りていい?」
「運動?
まあ、裏庭なら広いし構わないけど」
来た、と私は思った。
サッカリンとの約束を果たす時だ。
「じゃあさ、ついでにうちのサッカリンに指南してあげてくれない?
彼、チクロに興味津々なのよ」
「あ、出迎えにいた強そうなおじさんかな?
へ〜、自分からお願いしてくる人は久しぶりだな〜。
うん。
もちろんいいよ~、喜んで!」
チクロは軽い調子で嬉しそうに承諾した。
まるで食後の散歩に付き合うような気軽さだ。
◇
場所を裏庭に移す。
月明かりが照らす中、サッカリンは既に準備を整えて待っていた。
背中には愛用の大剣。全身から立ち上る闘気は、離れて見ている私ですら肌がピリピリするほどだ。
対するチクロは、食後のワンピース姿のまま。手には、訓練用の木製の槍を持っていた。
「……嬢ちゃん、武器はそれでいいのか?」
サッカリンが低く問う。
チクロは木の槍をくるくると回し、ピタリと止めた。
「うん。
ズールティン使うとここら辺一帯が更地になっちゃうし、これが一番形的にも使いやすそうかな」
「……舐められたもんだな」
「そんなことないよ?
おじさん強そうだし、私も手加減無しで行くから」
チクロがニコリと笑う。
その瞬間、彼女の周囲から「気配」が消えた。
そこにいるのに、いない。先ほどまで感じていた圧迫感が消失し、逆に底知れない虚無感がサッカリンを襲う。
「……じゃあ、俺は自分の武器を遠慮なく使わせてもらう」
「どーぞどーぞ。
私もそうじゃないと自分の練習にならないから」
サッカリンが大剣を構えた。
全長2メートル近い鉄塊。それを彼は、小枝のように軽々と保持する。
「ありがたい。
……胸を借りるッ!!」
轟音と共に、サッカリンが地を蹴った。
速い。
私には残像しか見えなかった。
瞬きする間にチクロの懐へ飛び込み、その大剣を真横に薙ぎ払う。
必殺の斬撃。
――コン。
乾いた音が、裏庭に響いた。
「…………は?」
私の口から間抜けな声が漏れる。
ブウンッ!という唸りをあげ、サッカリンの大剣がチクロ頭上を横に薙いだ。
チクロは木の槍を軽く回し、石突きの先端を使って大剣の腹を「ちょん」と押しただけだ。
それだけで、必殺の軌道が完全に逸らされていた。
「くっ…嘘……だろ……ッ!」
サッカリンが咆哮し、次々と連撃を繰り出す。
袈裟斬り、突き、斬り上げ。
暴風のような剣戟がチクロを襲う。
だが、チクロはその場から一歩も動かない。
最小限の動きで槍を操り、石突だけで、サッカリンの攻撃を全て弾き、流し、無力化していく。
コン、カッ、パパン、コン。
リズムゲームでもしているかのような軽快な音が続く。
サッカリンの顔が苦悶に歪む。
どんなに力を込めても、どんなに速く振っても、まるで暖簾に腕押し。手ごたえというものが全くないのだ。
サッカリンが渾身の力を込め、上段から大剣を振り下ろす。
逃げ場のない、全てを圧し潰す一撃。
変わらず石突きでいなすのを想定し、斬り返しの逆袈裟に全力を込めた。
「――ッ!」
チクロはそれを見てふわりと笑った。
「うん、いいね!」
彼女は槍を捨て、自身へと迫る大剣の刃へと素手で手を伸ばした。
ガシィッ!!
鈍い音が響く。
チクロは、斬り上げた大剣の刃を――親指と人差し指で「摘まんで」止めていた。
白刃取りですらない。
ただ、葉っぱを摘まむように鉄塊を止めたのだ。
「……な……」
サッカリンが絶句し、動きを止める。
完全なる敗北。
チクロは指を離すと、感心したように頷いた。
「今の連撃、すごく良かったよ!
緩急のつけ方も上手いし、殺気も綺麗だった。
……ねえ、パルス?」
チクロが私を振り返る。
「やっぱ強いよこの人。
うちの騎士団長より強いんじゃないかな?
王家の騎士団長は飾りだけど、うちのは本物の実力派なんだよ!
それよりも筋がいいわ」
「そ、そう……」
「ねえ、うちに頂戴?
好待遇で雇うよ?」
チクロが無邪気に提案する。
私はハッとして、慌てて叫んだ。
「だ、駄目よ!
サッカリンは私の大事な庭師なんだから!
っていうか、そもそもアンタは自分で戦えばいいでしょ!
護衛なんていらないじゃない!」
「あー、確かに~あはははは」
チクロは楽しそうに笑い声をあげた。
その横で、サッカリンは地面に大剣を取り落とし、呆然と自分の手を見つめていた。
「……世界は、広ぇな……」
最強の庭師の呟きが、夜風に消えていった。
サラヤは……いつの間にか気配を消して、どこかへ逃亡していた。
賢明な判断だと思う。
こうして、ピメントの夜は更けていく。
この「最強の友人」が、翌日にとんでもない「置き土産」を残すことになるとは、この時の私はまだ知る由もなかった。
※2026/03/12
言い回し等、微修正




