第036話「対人訓練!無双?夢想?」
空は青く、どこまでも広い。
大地は陽に焼け、私の背中をじりじりと焦がす。
ハァ、ハァ、と乱れた呼吸が、自分の耳にうるさいくらい響いている。
疲労で、手も足も鉛のように重くて動かない。
ギルドの裏手にある訓練場の地面で、大の字になって空を見上げている。
……おかしい。
予定ではKOFで実装された華麗なる必殺技が炸裂し、周囲を唸らせているはずだったのだが。
現実は非情だ。
先程から何度も、ただのボールのように地面を転がされ続けている。
◇
時間は少し遡る。
「断髪未遂事件」の興奮も冷めやらぬ翌日の午後。
私は意気揚々と訓練場に立っていた。
髪型は、昨日シンディから伝授された「お団子ヘア」。
視界は良好、首元も涼しい。
体調は万全である。
1000回の基礎トレで培った筋肉も、早く暴れたがっているに違いない。
目の前に立つのは、倉庫管理をしている強面のおじ様――
キモ…じゃなくて戦闘教官だ。
いつもより厳つい表情は、普段の温厚な雰囲気とは違い、歴戦の冒険者のそれになっている。
「まずは軽くやってみるか」
教官が低い声で言う。
私は背筋を伸ばし、腹に力を込める。
いよいよだ。
サンドバッグ相手ではない、意思を持った人間との立ち合い。
「はい!」
私は気合を入れて、大きく返事をした。
じゃあ、やるか。
そう構えようとした、その瞬間。
ガクン。
と、世界が反転した。
視界がブレた次の瞬間には、背中に硬い衝撃が走っていた。
「カハッ……!?」
肺の空気が強制的に吐き出される。
何が起きた?
理解が追いつかない私の目の前に、教官のブーツの裏が迫り――顔の寸前で止まった。
踏み抜かれる、という幻覚が見えた気がした。
「……え?」
私は瞬きをした。
まだ、構えてすらいない。
「始め」の合図も聞いていない。
「まぁ、これは洗礼ってやつだな」
教官は私の顔の上にあった足をどける、呆れたようにため息をついた。
「対人戦闘の訓練ってのは、こういうことなんだよ」
「……こういうこと、って」
「構えたり向き合ったりして『よーいドン』で始まる殺し合いが、どこにある?」
「……」
教官の言葉が、冷たい水のように頭に染み込む。
「話してる時から『いつ』『どんな攻撃』が来るかを考えろ。
不自然じゃない姿勢で、相手にこちらが戦闘態勢にあることを悟らせず、何かあればすぐに応戦できるようにする。
こちらの攻撃は悟らせず、気取らせずに不意を突く」
教官は私を見下ろして、ニヤリと笑った。
「わかるか?」
言いながら、教官が私に手を差し伸べてきた。
起き上がれ、ということだろう。
悔しいが、正論だ。
自分は格闘技の「試合」をしようとしていた。
でもここは対人の「実戦」を訓練する場なのだ。
「……はい、勉強になります」
私はその手を掴んだ。
グッと力を込めて、立ち上がろうとした――その時だ。
フワッ。
体が宙に浮いた。
私の力が、そのまま利用されたのだ。
掴んだ手を引かれ、重心を崩され、私は独楽のように回転しながら放り投げられた。
ドサァッ!!
受け身も取れず、少し離れた砂地の上を無様に転がる。
口の中に砂の味が広がった。
「ッ……!?」
「だから、油断しすぎだってぇの」
教官の声が遠くから聞こえる。
「誰も『終わり』なんて言ってねぇんだぞ?
手を貸すフリをしてナイフで刺す。
降参したフリをして隠し武器を使う。
それをやるのが人間。
それに対応することが『対人』なんだよ」
「う……ぐぅ……」
私は呻きながら体を起こした。
痛い。
体よりも、プライドが痛い。
自分にとって、今の2回の攻撃を『卑怯』だと思ってしまった。
だが、この世界のルールでは…いや実際の戦闘ではこれが『定石』なのだ。
「じゃあ一旦終わり!
自分で立て」
今度は手は差し伸べられなかった。
私は泥を払いながら、自力で立ち上がる。
たったこれだけで、膝が少し笑っていた。
「お前の練習相手は……そうだな。
おーい、トレハ! ちょっとこっち来い」
教官が訓練場の入り口に向かって手招きをした。
そこには、一人の少女が待機していた。
私と同じくらいの背丈。
けれど、私よりもずっと細く、針金のように引き締まった体つきをしている。
暗い緑色の長髪を、頭の横で一つに束ねたサイドポニーテール。
猫のような大きな瞳と、口元から覗く八重歯が印象的だ。
「はいはい~、何すか教官?」
軽い口調で近づいてくる彼女には見覚えがあった。
ギルドの受付裏で、依頼書の管理や整理をしている事務員の女の子だ。
「おう、グレース知ってるよな?」
「もちろんっす!
こんな美少女、誰でもすぐに覚えるっしょ?
というか狭いギルド内で知らない筈ないから」
彼女はトレハロース、ギルド内ではトレハと呼ばれている。
トレハが、人懐っこい笑顔で私に手を振る。
一見すると、ただの愛想の良い少女だ。
だが、今の私にはわかる。
彼女の歩き方には、音がなかった。
「お前、今日から対人の訓練はグレースと組め」
「マジっすか!?」
トレハが目を丸くし、それからパッと顔を輝かせた。
「やった~!
最近ずっとシンディ先輩がペアだったんで、流石に今日あたり逃げだそっかな~って思ってたんすよ!
いやー、命拾いしたっす!」
シンディ……。
あの人のペアとか、どのくらい強いのか想像がつかないな。
トレハは私の方に向き直ると、ニカッと笑った。
「グレースっち、宜しくね!
アタシ、ギルド内では依頼表の作成や管理をしてるのは知ってるっすよね?
事務外の仕事は連絡担当。
偵察したり調査したりしてる、要するに斥候っすね」
「斥候……」
やっぱりか。
経理のお姉さんと同じ職種だ。
どうりで、気配が薄いわけだ。
「トレハは斥候なんで、戦闘員としてはそんなに強くはない」
教官が補足する。
「正面切っての殴り合いなら、パワーでお前が勝つだろう。
だが、対人戦ってのはパワー比べじゃねえ」
教官は私の目を真っ直ぐに見た。
「グレース、お前じゃまだ手も足も出ないくらいには、こいつは強いぞ」
「…はい……」
「グレースはパワータイプだが、拳闘士ならトレハのスピードについていけなければ話にならん。
それこそ一瞬で無力化されて終わりだ。
まぁとりあえずは『転がされなくなる』ところまでがんばれ」
転がされなくなる。
随分と低い目標に聞こえるが、教官の目は真剣だった。
「トレハ、頼んだぞ」
「了解!
しばらくは楽させて貰うっすよ、グレースっち!」
◇
そして現在に至る。
結果は、教官の言った通りでしかない。
完敗だ。
いや、勝負にすらなっていない。
トレハとの訓練では、教官のような不意打ちは流石になかった。
「アレは初見だから意味があるんすよ。
もう流石に疑ってるっしょ?
じゃあそれで十分な効果はあったってことっす」
なるほどという理由だった。
その後の訓練で、トレハは先手のすべてを自分に譲ってくれた。
そして私の攻撃は、すべて空を切った。
格闘ゲームで培った戦闘の知識や、前世で聞きかじった話なんかを総動員し、ジャブで牽制し、距離を測り、フェイントなども駆使して攻撃を叩き込もうとした。
けれど、どうしても当たらない。
彼女は、私の攻撃を「受ける」ことすらしなかった。
ぬるりと躱し、肩透かしのようにいなし、気づけば私の死角に入り込んでいる。
そして、バランスを崩した私の足首を軽く払うだけで、私は自重で勝手に転がっていくのだ。
「あはは、グレースっち、それじゃ駄目っすよ~!」
笑いながらでもするりと攻撃を躱す彼女を、今の自分が捕まえることなど不可能だった。
フレーム有利? 確定反撃?
そんな概念はここにはなかったということだ。
「……はぁ」
私は青い空を見上げたまま、動かない指先を握りしめた。
成長し、訓練し、身体能力は上がったはずなのに。
中身の自分が平和ボケしたままじゃ、とてもまともな訓練にはならないよな。
実戦。
その言葉の重みが、背中の痛みと共にじんわりと染みてくる。
お団子ヘアにしたくらいで、強くなった気になっていた自分が恥ずかしい。
だが思う。
(やっと……やっと面白くなってきたじゃないか!)
まだ、対人訓練は初日だ。
今は伸びしろしかないんだぜ?
泥だらけの顔で天を見上げ、息を整える。
その時のグレースの顔は楽しそうに笑っていた。




