第034話「修行修練!精進?撃沈?」
冒険者ギルドの職員寮で迎える2日目の朝。
今日から、いよいよグレースとしての、ギルド職員見習い生活が幕を開ける。
パリッとした新しい制服に袖を通す。
子供サイズに仕立て直してもらったものだが、生地はしっかりしていて着心地が良い。
鏡の前で軽く身だしなみを整え、シンディと共にギルドへ出勤する。
受付の裏手にある事務室に通されると、そこには強面だが人の好さそうなギルドマスターが待っていた。
彼のデスクには、書類の山が築かれている。
この組織のトップもまた、事務仕事の奴隷であることを予感させる光景だ。
「ようこそ、冒険者ギルドへ。
今日からよろしく頼むよ、お嬢ちゃん」
渡されたのは、銀色に輝く一枚の金属プレートだった。
「これが君の身分証だ」
受け取ったカードには、『ギルド職員(見習い)』という文字が刻印されている。
(……あれ?
冒険者カードじゃないのか)
少し拍子抜けしたが、よく考えれば当たり前だ。
10歳そこらの子供がいきなり冒険者登録をして、魔物と殺し合いをする許可が下りるわけがない。
まずは職員としてギルドの仕組みを学び、裏方として貢献する。
そして成人を迎えた暁には、正式に冒険者として登録が可能になる――という建前らしい。
(うーん…まだ11歳って年齢を考えてみれば、まぁ、悪くない話だよな)
心の中で頷く。
世間を騒がせたかどうかはわからないが、『ロザリオ・ビアンコ男爵令嬢』が姿を消してから、まだ日も浅い。
外の世界で自分がどう扱われているのか不明だが、貴族の娘が消えたのだ。
そろそろ話題になっていても不思議ではないし、各所に捜索の手が伸びていてもおかしくはない。
ほとぼりが冷めるには時間が必要だろう。
であれば、ここで3~4年間、ギルド職員として知識とコネクションを蓄えるというのは現実的だ。
その間に体を作り、技術を磨き、ある程度成長してからグレースとして冒険者デビューする。
安全かつ堅実なキャリアプランだと言えるだろう。
衣食住も保証されているし、文句はない。
「まずは事務仕事から覚えてもらう。
シンディ、指導を頼むぞ」
「はい、任せてください」
シンディが完璧な笑顔で敬礼する。
こうして、「地獄の事務員生活」が静かに幕を開けたのだった。
◇
結論から言おう。
ナメていた。
完全にナメていた。
前世で大学生だった頃、レポートやデータ整理なんて日常茶飯事だった。
某ジャンクショップのアルバイトでは、売上計算も手伝っていた。
だから事務仕事なんて、半分眠りながらでもこなせる余裕の業務だろうと高を括っていたのだが――。
「……ない」
目の前に積み上げられた書類の山(文字通り山だ)を前に、絶望的な声が漏れる。
「ないの……!」
「グレース?
どうしたの、ペンがないの?」
隣のデスクで凄まじい速度で書類を処理しているシンディが、心配そうに顔を覗き込んでくる。
彼女の手元では、ペン先が残像を残すほどの速さで動いている。
「違うの……『表計算ソフト』がないの……!」
「ソフト?
なにかの魔道具のこと?」
ああ、この世界にはない。
偉大なる表計算ソフト様が存在しないのだ!
ここにあるのは、紙とペンとインク。
そして計算用具としての『算盤』のみ。
コピー&ペースト?
手書きで書き写すことだよね。
腱鞘炎になるわ。
オートSUM関数?
算盤があるじゃないか。
間違えたら最初からやり直しだけどな。
検索機能?
倉庫に行って埃まみれのファイルから目視で探すんだよね。
資料の返却忘れは重罪だぞ。
並べ替え(ソート)?
手作業で数百枚の紙を机いっぱいに広げて並べ替えて…
……
(くっ…不便すぎる……ッ!!)
頭を抱えたくなった。
現代社会の事務処理が、いかにコンピュータという神のツールに依存していたか。
骨身に染みて理解させられる。
業務内容自体は単純なのだ。
冒険者たちが持ち帰った素材の買取査定書の整理、依頼書の分類、報酬の計算、備品の管理。
単純なのだが、量が暴力的なまでに多い。
この世界の冒険者たちは、毎日飽きもせず大量の薬草や魔石を持ち込んでくる。
その全てを手作業で記録し、集計し、ギルド本部へ報告しなければならないのだ。
単純かつ膨大、ゆえにそれが苦痛なのだ。
「はい、次の束ね」
ドンッ!
と置かれる新たな書類の塔。
机が軋む音がした。
「……はい」
死んだ魚のような目でペンを握る。
カリカリカリカリ……。
ひたすら数字を書き込み、計算し、合計を出す。
パチパチパチパチパチ……!
静かな事務室に、算盤を弾く音が響き渡る。
自分でも驚くべき適応力と言うべきか、この3ヶ月で『算盤スキル』は爆発的に向上した。
『暗算スキル』に自信はあるが、業務計算で暗算はダメだ。
正確な計算が前提の上で速度が必要なのだ。
最初はなれない手つきでパチパチ弾いていた算盤も、今は自動入力状態で手が動く。
玉の並びが脳内で勝手に数字化され、合計値がポップアップするレベルだ。
ゲーム内スキルなら、【算盤:LV-MAX】が表示されていてもおかしくない。
まさか、剣と魔法のファンタジー世界に来て、最初にカンストするスキルが「算盤」だとは夢にも思わなかった。
異世界転生特典が「高速事務処理能力」とか、どこのラノベだ。
だが、問題はそこではない。
『字』だ。
「グレース……これ、なんて書いてあるの?」
シンディが、書き上げたばかりの日報を指差して困った顔をしている。
彼女の美しい指先が示しているのは、自分でも解読に苦しむミミズのような文字列だ。
「えっと……『薬草納品数:120』です」
「うーん……0……Uじゃなくて?
走り書き過ぎて文字が完結してないのよね…
それに、全体的に字が丸くて、ふにゃふにゃしてるわ」
「うぐっ……」
痛いところを突かれた。
実はロザリオの中身は、元々字が上手くない。
いや、汚いというよりは癖が強く、思考速度に手が追いつかないため、走り書きをする悪癖がある。
さらに悪いことに、この「グレース」という肉体には、前の持ち主(本来のグレース)の記憶というか、肉体の癖が残っているらしい。
それが、女の子特有のファンシーな「丸文字」なのだ。
ロザリオの「大雑把な書きなぐり癖」と、グレースの「ファンシーな丸文字」が合体した結果――。
そこには、古代遺跡の未解読文字のような何かが生成されていた。
これを解読できるのは、世界でも数人の考古学者だけだろう。
「これじゃあ、本部の人に怒られちゃうわよ。
読みやすい字を書くのも、事務員の仕事のうちよ。
はい、ペン習字の練習帳。
毎日1ページやること」
「……はぁい」
渡された練習帳を見て、がっくりと肩を落とす。
計算は速くなっても、字が汚いせいで修正作業が発生し、プラスマイナスゼロ。
むしろマイナスだ。
キーボード入力なら、誰が打っても同じフォントで出力されるのに……。
◇
そんな「事務地獄」に3ヶ月ほど耐えた頃。
ついに、転機が訪れた。
「そろそろ体づくりも始めようか」
ギルドマスターの許可が下り、職員用の戦闘訓練への参加が認められたのだ。
待ってました!
インクの匂いと紙の粉塵にまみれた生活とはおさらばだ!
喜び勇んで、地下にある訓練場へと向かった。
ギルド職員というのは、ただの事務屋ではない。
魔物が跋扈する世界で、荒くれ者の冒険者たちを相手にする商売だ。
舐められたら終わりだし、いざという時はギルド防衛の戦力としても数えられる。
採用条件は『冒険者ランクD級以上』の実力があること。
D級というと大したことないように聞こえるかもしれないが、一般の兵士よりも単体戦闘力が少し高いくらいの基準だ。
つまり、そこら辺のゴロツキや、下級の魔物程度なら一人で制圧できる実力が求められる。
さらに、業務上の規定も厳しい。
・VPの送迎護衛:C級以上
・通常巡回ルート:D級以上(単独可)
・その他危険地帯への送迎・移動:C級以上を含む2マンセル(二人一組)以上
・ソロ活動禁止(プライベート含む)
・ギルド区画外での一人暮らし禁止
つまり、職員は見習いといえども、最低限「戦える」ことが前提なのだ。
「最強の格闘家」を目指すという野望がある以上、事務仕事より、こっちの方が性に合っているに決まっている。
「よろしくお願いします!」
訓練用の動きやすい服に着替えて、教官の前に立った。
教官は、髭面で首周りがこちらの太ももくらいある巨漢の男性。
筋肉の塊が服を着て歩いているような迫力がある。
「おう、今日からだな。
まずは基礎体力を見る。
あのサンドバッグを叩いてみろ」
「はい!」
目の前の革製サンドバッグに向き合う。
中には砂がぎっしりと詰まっていて、大人が体当たりしても揺らぐことはないだろう。
3ヶ月間、机に座りっぱなしでなまった体を動かせる喜び。
拳を握りしめ、軽くステップを踏んだ。
(ふっ、見てろよ。
ロザリオの底力を見せてやるぜ!)
右拳を突き出しサンドバッグを小突く。
ドォォォォンッ!!
重い衝撃音と共に、サンドバッグが「く」の字に折れ曲がり、鎖を引きちぎって天井まで跳ね上がった。
天井の梁に激突し、砂を撒き散らしながらボトっと落ちてくる。
「……え?」
自分の拳を見つめる。
軽いジャブのつもりだったのに、大砲でも撃ったような威力だ。
なんだこれ。
さすが天才。
これなら訓練なんて免除じゃないか?
ニヤリと笑った頭に、教官の拳骨が落ちた。
ゴチンッ!!
「いったぁー!?」
「馬鹿者!
誰が身体強化魔法を使えと言った!」
「え?
魔法?
使ってないですよ!
今の素手です、素手!」
「嘘をつくな!って、お前まさか…わかってないのか?
見る人間がみたらわかるんだよ。
いいか?お前は今、全身から魔力がダダ漏れてる。
ようするに、無意識に『身体強化』を使ってるんだよ」
「……は?」
目を白黒させる。
身体強化?
自分が?
そんな高度な魔法、習った覚えもないのに?
(……あ)
そこでふと、ある記憶が蘇る。
前世でプレイしていたゲームのことだ。
人気格闘ゲーム『KOF』は格闘ゲームだけに操作時常に戦闘モードだ。
あのゲームのロザリオは、格闘ゲームの仕様に合わせて「常時身体強化」状態だったのだろう。
普通に考えて聖女設定のロザリオが格闘ゲーム世界で戦える設定ならありえる。
だとしたら、意識せずとも魔力が体を覆い、筋力をブーストさせてしまっているということか!?
「お前さん、体を動かそうとすると勝手に身体強化が発動する癖があるな。
それじゃあ基礎訓練にならん。
まずはその『垂れ流し』を止めることから始めるぞ」
そこからが、本当の地獄の始まりだった。
訓練メニューは、「体を鍛える」ことではなく、「魔力を抑え込む」ことに変更された。
座禅を組み、呼吸を整え、体内で暴れようとする魔力を感じ取り、それを丹田に押し込めてロックする。
気を抜くとすぐに魔力が溢れ出し、身体が強化されてしまう。
「ほらまた漏れてるぞ! 抑えろ!」
「ぬぐぐぐ……!」
これが、精神的にキツイ。
本来なら「強化」して強くなるのが修行なのに、やっているのは「弱体化」の練習だ。
せっかくの才能(魔力)を封印し、ただのひ弱な少女に戻る作業。
前に進んでいるのか後ろに戻っているのか分からず、ストレスでハゲそうだった。
そんな「弱体化訓練」に1ヶ月を費やし、ようやく「魔力OFF」の状態を維持できるようになった頃。
「よし、合格だ。
今日から『素の状態』での基礎訓練に入る」
教官がニヤリと笑った。
その笑顔が、悪魔のように見えた。
「まずは準備運動だ。
腕立て、腹筋、背筋、スクワット。
各100回を1セットとする」
「……は?」
耳を疑った。
100回?
いやいや、準備運動って普通10回とか20回だろ?
ラジオ体操じゃないんだから。
「それを10セットだ」
「1000回じゃねーか!!」
思わず素でツッコんでしまった。
正気か?
ここは軍隊か何かなのか?
「当たり前だ。
身体強化は便利な魔法だが、それに頼り切った体は脆い。
魔力切れを起こした瞬間、動けないカカシになるぞ。
基礎となる肉体が強靭であってこそ、強化魔法は真価を発揮する」
教官の言うことは正論だ。
ぐうの音も出ないほど正しい。
正しいが、しかし。
(体を鍛えたこともない10代前半の女児にやらせるメニューじゃねぇぞ……!)
ウェイトこそ付けず、自重トレーニングとはいえ、1000回など正気の沙汰ではない。
そんなことを続けたら、どうなるか。
想像してしまい、戦慄した。
(筋肉ムキムキの……ゴリラになっちまう!)
脳裏に浮かぶのは、可憐なドレスを着た、ボディービルダー並みの肉体を持つ自分の姿。
腕は丸太のように太く、背中には鬼の顔のような筋肉が浮き上がり、歩くたびに床が揺れる。
「あら、ごきげんよう」と挨拶しながら、握手した相手の手を粉砕する未来。
(嫌だ! 絶対に嫌だ!)
いくら中身が男だと言っても、一応「ロザリオ・ビアンコ」というキャラのファンだったのだ。
推しキャラがゴリラ化するのは、ファンとして全力で阻止しなければならない。
前の買い物で食い止めた「体重100キロ」に、違うルート(筋肉)で到達してしまう。
「あ、あの!
教官!
そんなに鍛えたら、体が……その、太くなっちゃいませんか?」
恐る恐る尋ねると、教官は呆れたように鼻を鳴らした。
「安心しろ。
お前のような子供が自重でやったところで、そう簡単に肥大化はせん。
それに、しなやかで強い筋肉を作るための食事管理も指導する。
……ま、ゴリラになりたいなら、特別にウェイトを用意してやるが?」
「結構です!
自重で!」
食い気味に断った。
ふと横を見ると、シンディが涼しい顔でスクワットをこなしている。
彼女のペースは異常に早い。
もう3セット目くらいだろうか。
汗一つかかず、呼吸も乱れていない。
(シンディさんも、この訓練を?)
彼女はスタイル抜群だ。
出るところは出て、締まるところは締まっている、理想的な女性のプロポーションを維持している。
あの細腕で、自分より遥かに過酷な訓練を平然とこなしているのだ。
(そうか……。
あんなにハードな訓練をしても、シンディさんみたいに綺麗でいられるなら……)
希望の光が見えた気がした。
いや、もしかしたらシンディが人間離れしているだけかもしれないが、今はその可能性に縋るしかない。
「よし、やるか……!」
覚悟を決めて床に手を付く。
腕立て伏せ、1セット目。
「いーち!」
「にーい!」
自分の掛け声が、訓練場に虚しく響く。
10回を超えたあたりで腕がプルプルと震え出し、20回で悲鳴を上げ、30回で地面にキスをした。
(私グレース、今年12歳の女の子よ。
今、腕立て30回もできたのよ!
凄いでしょ!
言っておく。
これが普通の筈なんだけど?)
「ほら、止まるな!
あと70回!」
「鬼ぃぃぃ……ッ!」
冒険者の前置きでしかない筈のギルド職員への道は、果てしなく遠く険しい道のりであった。




