第033話「完璧超人!家事?炊事?」
冒険者ギルドの職員寮。
その一室で迎える、初めての朝。
チュンチュン……と小鳥のさえずりと共に目を覚ます。
完璧な目覚めだ。
鼻をくすぐるのは、出汁の効いたスープの芳醇な香り。
誘われるようにベッドから這い出す。
リビングのドアを開けると、そこには――衝撃の光景が広がっていた。
「……え?」
無い。
無くなっている。
昨夜見た、戦慄の「服の地層」も、「書類の山脈」も、影も形もない。
床は鏡のように磨き上げられ、窓ガラスは一点の曇りもなく朝陽を透過させている。
乱雑に置かれていた物は全て、定規で測ったかのように整然と収納されていた。
(まだ夢を見てる……?
それとも、この世界では本当に小人がいるのか?)
「あら、おはようグレース」
キッチンから、爽やかな声が飛んできた。
そこには、パリッとしたエプロンを身に着け、優雅に鍋をかき混ぜるシンディの姿があった。
髪も完璧にセットされ、化粧もバッチリだ。
「お、おはようございます……シンディさん?
これ、どうしたの?」
震える声で尋ねる。
だって、おかしいだろ?
昨日のあれは「ちょっと散らかってる」なんてレベルじゃなかった。
「文明崩壊後の遺跡」か「爆撃を受けた倉庫」だったはずだ…
それを一晩で?
一人で?
専門の清掃業者を小隊規模で投入しないと不可能な「現場」だったぞ。
まさか、収納魔法で亜空間に廃棄したとかじゃないだろうな。
「どうしたって、片付けたのよ。
昨日の夜、あなたが眠った後にね」
彼女は事もなげに言うが、あの惨状を数時間でここまでリセットするには、軍隊並みの統率力と体力が必要なはずだ。
「さ、座って。
朝ごはんできてるわよ」
テーブルに置かれたのは、湯気を立てるリゾットだ。
黄金色のスープの中で、ふっくらとした穀物と彩りの良い野菜が輝いている。
「干し肉で出汁をとって、残ってた野菜と一緒に煮込んでみたの。
ありあわせでごめんなさいね」
「ううん。
良い匂いがしてて、凄くおいしそう。
いただきます!」
スプーンで一口運ぶ。
「……っ!」
美味い。
干し肉の凝縮された旨味がスープに溶け出し、野菜の甘味と絶妙にマッチしている。
卵の火の通り具合も完璧な半熟だ。
昨晩の汚部屋の主と同一人物が作ったとは到底思えない、極上の朝食だった。
「すごい……!
シンディさん、お料理すごく上手なんですね!」
「ふふ、そう?
まだ家族が一緒に暮らしていた頃は…
結構前は、毎日作っていたから…ね」
シンディは、少し遠い目をして微笑んだ。
「一人になってからは……何をする気も起きなくてね。
食事を作るのも、部屋を片付けるのも、全部どうでもよくなっちゃってたの。
ただ、あの部屋だけは汚したくなくて、そこだけは維持してたんだけど……」
「…………
美味し~、ありがとうシンディさん!」
場の空気を和ませるため、一所懸命に食べる素振りを見せる。
(なるほど。
昨日の汚部屋状態は、単なる彼女の怠慢ではなく、心の傷による気力の減退によるものだったわけか。
自分が使わせて貰っている部屋だけが綺麗だった理由も、これなら腑に落ちるな…)
「でも、今日からは違うわ」
シンディは、強い光を宿した瞳で見つめる。
「グレースが来てくれたから。
私、ちゃんとしなきゃって目が覚めたの!」
彼女の笑顔は眩しかった。
家族を失った喪失感を、グレースへの献身で埋めようとしているのかもしれない。
その愛は少し重いが――今の自分には、その重さすら心地よかった。
◇
「ごちそうさまでした!」
場の状態を考え、ここでは必要以上に元気に答えるようにした。
「お粗末さまでした。
でも、食材はこれで使い切っちゃったわ。
今日は仕事は休みにしたのよ?
あとで買い物に行きましょうね」
「うん?
お仕事、休んじゃって大丈夫なの?」
「大丈夫よ。
有休なんて山ほど残ってるから。
って、勤め仕事のことまで心配できるのね~」
少し気を回し過ぎたか?
山村出の村娘が回せる機転じゃなかったと反省する。
「…え?うん。
見回りのお仕事って休めないって、お父さんが…」
「そうよね。
まぁ休んでもいいっていう働き方なのよ。
心配しなくていいからね」
シンディは気を使って貰えたことがうれしかったのか、優しそうに微笑む。
「……そういえばシンディさん、いつもはご飯どうしてたの?」
ふいに質問を投げかけ、話題を変えた。
こんなに料理ができるのに、材料が殆どなさそうだった。
普段はどうしていたのだろうという、単純な疑問を優先させることにしたからだ。
「一人の時はねぇ……
朝はギリギリまで寝てたから抜き。
お昼はギルドの職員食堂。
夜は……帰り道の屋台で買うか、適当なお店で済ませてたわね」
典型的な独身社畜の食生活だった。
あの肌艶の良さは、若さと元々の素材の良さで保たれていたのか…
「だから、今日はたくさん買いましょうね!」
シンディは気合十分に立ち上がった。
まずは衣類店へ向かうことになったのだが……。
「見てグレース! このワンピース、リボンがいっぱいで可愛いわよ!」
「……私、結構動くから、折角のリボンをどこかにひっかけてしまうかも…」
「じゃあこっちは? 裾がレースになってて……」
「レースの部分を汚しちゃいそうで…、私、シンプルなのがいいかも。」
「むぅ……残念ね」
シンディは不満げに唇を尖らせたが、こちらで選んだ機能性重視のシャツとズボン、上着をカゴに入れる。
ただ、どう見てもシンディが自分好みに選んだ白いワンピースと、黄色のセットアップに関しては、仕方ないから許容することにした。
大量に入れられている下着が妙に可愛いが、なんだろう? ロザリオの本質か、これは嬉しいと正直に思った。
着せ替え人形化はなんとか回避したいものだが、これくらいは着てあげるべきだろう。
問題は、次だった。
「食材を買いましょう」
そう言って連れてこられたのは、市場の通りから一本外れた場所にある巨大な石造りの建物だった。
看板には『ギルド指定・業務用卸売倉庫』とある。
「……シンディさん、ここお店?」
「ええ、職員用の購買みたいなものよ。
要するに、一般の商店より安いって話」
中に入ると、そこは食材の倉庫だった。
棚には巨大な袋や箱が積み上げられ、肉はブロック単位で並んでいる。
いわゆる、会員制の大型スーパーだ。
「さあ、買うわよ!」
シンディは巨大なカートを押して突き進む。
「お肉は必須よね。
グレースは育ち盛りだし……」
ドサッ!
カートに放り込まれたのは、枕みたいなサイズの肉塊だった。
「ちょ、ちょっと待って! 何キロあるのこれ!?」
「え? 15キロくらい?
骨取ったら10キロくらいかな~
五日しか持たないのよね」
「まって!
私、一日で肉1キロも食べないから!」
「あら、そう?
じゃあ、こっちのハムなら保存きくし、こっちにする?」
肉を戻したかと思ったら
ドサッ!
っと、丸太のようなハムの原木が追加される。
「あ、パスタも安いのよ。
これだけあれば一ヶ月は持つかしら」
ドサッ!
5キロ入りの袋が3つ、カートに積まれる。
15キロだ。
うちは取り分けパスタ屋か!
「あとデザートも!
ここのケーキ、大きくて美味しくて食べ応えあるのよ~
10個買っとく?」
「10個!?
誰が食べるの!?」
(あれ、どう見ても某所のティラミスじゃんか!
大きくて…って自分で言ってるのに?
見るからに1.5kgくらいあるものをなんで10個も買うんだよ…)
「二人で食べれば5日でなくなるじゃない」
駄目だ。
この人、金銭感覚はしっかりしてるのに、数量感覚がバグってる。
「お得」という言葉と「育ち盛り」という免罪符で、理性が吹き飛んでいる。
典型的な「大型店舗ハイ」だ。
(ティラミスを一日で3kgは無理だから…
一日の割当量が肉やパスタより多いし。
食品重量だけで毎日体重が5kgずつ増えるぞ!?)
カートの中に積み上がりつつある食料の山を見て、そっとシンディの袖を引いた。
「……ねぇ、シンディさん」
「ん? どうしたの? もっと欲しい?」
「ううん、違うの。
これ、全部食べるの大変だなって思って」
「大丈夫よ。
腐らせる前にお腹に入れちゃえばいいんだから!」
「でも、それじゃあ太っちゃうよ?」
「えっ」
シンディの動きがピタリと止まる。
ここぞとばかりに、子供らしい純粋な瞳でたたみかけた。
「『貧乏デブ』って言葉、聞いたことある?」
「び、貧乏デブ……?」
「うん。
安いからってたくさん買って、腐らせないように無理して食べて、身体を壊しちゃうことなんだって。
お母さんが、太り始めたお父さんにそういって説教をしてたよ?
お金を使って、不健康を買うのと同じなんだって」
「不健康を……買う……」
シンディの顔色がサァッと青ざめる。
美容と健康に気を使う女性には効果てきめんだ。
「それにね、私、冒険者になりたいの」
「ええ、知ってるわ。
でも……」
「冒険者って、荷物を軽くしたり、食料を計画的に管理したりするのが大事なんでしょ?
必要なものを、必要な分だけ選ぶ力がいるって聞いたことがあるの」
真っ直ぐにシンディを見上げる。
「だから私、そういう『生きるために必要なこと』をシンディさんに教えてほしいの。
ちゃんとお料理ができるシンディさんなら、きっと計画的な買い出しもできるはずだもん」
「…………」
シンディは息を呑んだ。
彼女の瞳が揺れる。
その言葉が、彼女の中の「保護者」としてではなく、冒険者の「先達」としての意識を刺激したようだった。
「……そうね。
そうだったわね……」
彼女は深く息を吐き、冷静さを取り戻したようだった。
「ごめんね、グレース。
私、また間違えるところだったわ。
貴女の言う通りよ。
冒険者にとって、体調と持ち物の管理は命綱だもの。
暴飲暴食なんてもってのほかね」
「うん!」
「よし、じゃあこのカートは一度戻しましょう。
市場へ行って、今日と明日に必要な分だけ、新鮮な食材を選びましょうか」
「はーい!」
シンディと一緒に山積みのカートを棚に戻し、出口へと向かう。
危ない。
危うくロザリオ(10歳)がロザリオ(100kg)になるところだった。
完璧超人に思えたが、どうやらこういった人間味が彼女の魅力なのだろう。
これからの生活、体重の管理もしっかりしないといけないなと、密かに決意するのだった。




