第032話「整理整頓!収納?不能?」
ロザリオ(今はグレース)は、シンディの仕事が終わるのを、ギルドの奥にある会議室で待っていた。
「暇だ……」
スマホも携帯ゲーム機もない世界での待ち時間は、現代人にとって苦行に近いものがある。
暇つぶしにと部屋を物色してみたところ、角に本棚が置かれているのを見つける。
無造作に突っ込まれていた本の一冊、そこに書かれたタイトルに興味をひかれた。
『新人冒険者のための基礎知識』
辛うじて手の届く高さにあったその本を手に取って開き、パラパラとページをめくる。
書かれていた内容はこのような感じだった。
ランクはFからSまでの7段階制。
パーティシステムによる報酬分配の規定。
素材の剥ぎ取りルールに、禁則事項。
(ふむふむ。
ゲーム知識と大差はないが、細かい法律関係は把握しておいた方が良さそうだ)
俺は椅子に座り直し、猛烈なスピードでテキストを読み進めた。
この世界の文字については、ロザリオとして学んだ知識が翻訳してくれている部分と、自分自身が半年間の間に学んだお陰で問題なく読める。
「お待たせ、グレース。
いい子にしてた……って、あら?」
ガチャリとドアが開き、仕事着のシンディが入ってきた。
彼女は俺の手元を見て、驚いたように目を丸くした。
「あなた、字が読めるの?」
「うん。
お母さんが都会の出だったから。
村の子供たちを集めて、読み書きと簡単な算術を教えてくれてたの」
俺は本を閉じながら、淡々と答える。
「だから、村の子供たちはみんな、読み書きが『出来た』よ」
出来る、ではなく、出来た。
過去形にすることで、「その子供たちはもういない」という事実を暗に匂わせる。
「そう……」
シンディの表情が、ふっと曇る。
予想通りの反応だ。
(ま、前世では日本語以外に英語は必須だったし、ドイツ語は流石に母国語レベルとまでは行かないが、かなり勉強したもんだ。
決めゼリフをドイツ語でって言うのもイカすしな!
どっちかっていうと、ホジキン・ハクスリー方程式を用いて、神経活動電位モデルを計算するのが得意だった……なんて言っても、この世界の医療体型とかどうなんだろう?
あ~あ、リアルもゲームも結構頑張ってたんだけどな~)
俺は生前の事を思いだし、内心で肩をすくめた。
俺のハイスペックぶりとKOFでの無双っぷりについては、今のところ隠しておいた方が無難だろうな。
◇
ギルドの裏口から出ると、そこには屈強な鎧姿の男が待機していた。
熊のような大男だ。
「お疲れ様です、シンディさん。
本日は私が寮までお送りします」
「ガレット君が?ふふ…頼もしくなったわね。
ええ、お願いするわ」
(知り合い…いや、言い回しからして、後輩とかかな?)
そのやり取りに、俺は首を傾げる。
(シンディが帰宅時に護衛が付くことを当然のように頷いている。
帰宅するだけでも護衛が必要ということか?
この街の治安が悪いとはいえ、元C級冒険者の彼女にここまで必要なのか?)
疑問を抱きつつも、俺たちは男の先導で夜の街を歩く。
やがてたどり着いたのは、街の一角にある高い塀に囲まれた区画だった。
入り口には堅牢な鉄の門があり、武装した衛兵が二人立っている。
要塞や貴族の屋敷のようだ。
「シンディさん、おかえりなさい。
身分証をお願いできますか?」
衛兵に声を掛けられ、シンディが慣れた手つきでギルドの職員証を提示する。
さらに懐から一通の封筒を取り出して渡した。
「で、こちらの方は?」
衛兵の視線がグレースへと向く。
「この子?
今日から私の部屋に住むことになった、従妹のグレースよ。
これが身元引受の書類と、入居申請書。ギルドマスターのハンコも貰ってあるわ」
「ご親族の方ですか、承知いたしました」
衛兵は封筒の中身を素早く確認し、俺の方を見て敬礼した。
「グレースさんの入館証は、後ほどお届けします。
どうぞ、お通りください」
重々しい音を立てて、小脇の通用門が開く。
俺たちは礼を言って中へと入った。
「……随分と厳重なの…ですね」
俺がポツリと漏らすと、シンディは少し悲しげに笑った。
「そうね。
少し窮屈に感じた?
でも、必要なことなの…」
彼女は門の方を振り返り、静かに語り出した。
「随分前の話なんだけど、ここの寮に住んでいた女の子がね……
攫われて、殺されたの。
犯人はギルドに恨みを持つ組織だったわ。
そんな事件があったのよ」
「……!」
「それ以来、ギルド職員とその家族を守るために、警備体制が強化された。
次々と、壁が出来たり、護衛が就いたり、あの時からこうだったら、あんな事には…
…あ、ごめんごめん。
ちょっと考えこんじゃった。
まぁ、今じゃここは街の中でも、特に安全な場所って話よ。
だから安心していいわ」
その「女の子」というのが誰なのか。
今の会話だけで、俺には概ね想像がついてしまった。
彼女がなぜ、俺のような得体の知れない子供を強引に保護したのか。
その理由が、この厳重すぎる壁そのものなのだ。
◇
塀の中は、外の喧騒が嘘のように静かだった。
手入れされた植え込みと、石畳の道。
同じような造りの小奇麗な一戸建てが何軒か並んでいる。
街の中にありながら、そこだけ切り取られたような特異な空間。
ここがいわゆる社宅エリアというやつだろう。
「着いたわ、私の家よ」
その中の一軒の前で、シンディが立ち止まった。
彼女はポケットから長方形の金属板を取り出し、ドアノブの上にある水晶部分にかざした。
――ピロリン♪
軽快な音と共に解錠される。
(へぇ、魔道具式のカードキーか。
セキュリティは万全だな)
俺は少しワクワクしながら、彼女の後ろについて玄関をくぐった。
「どうぞ、入って。
散らかってるけど、気にしないでね」
「お邪魔しま……す……」
俺の言葉は、尻すぼみに消えた。
「…………」
そこは、ある意味でドキドキの空間だった。
足の踏み場が、ない。
玄関ホールからリビングにかけて、衣服、書類、謎の小箱、いつ脱いだか分からない靴下が、地層のように堆積している。
酒瓶が転がっているわけでも、生ゴミが腐っているわけでもない。
ただひたすらに、「整理整頓」という概念が欠落した空間。
収納に入り切らなかった物が溢れ出し、雪崩を起こしているのだ。
(こ、これは……部屋と呼ぶにはあまりの惨状。
あえて呼ぶならば、あれだ。
汚部屋……!!)
「あはは……最近忙しくて、片付ける暇がなくてぇ……」
シンディがバツが悪そうに頬をかく。
いや。
まて。
これは忙しいとか、面倒だったとか、そういうレベルの散らかり具合じゃない。
根本的な「片付け能力」の問題だ。
「とりあえず、グレースの部屋はこっちよ」
彼女はリビングの惨状を見なかったことにして、奥の扉を開けた。
そこは――奇跡のように片付いていた。
乱れのないベッドカバー。
机には少しの本に書類とペン。
窓辺には小さな鉢植え。
埃ひとつなく、時間が止まっているかのような静謐な空間。
「ここは……」
「えっと…家族が使ってた部屋よ。
今は誰も使ってないわ。
そのままにしてあったんだけど……
今日からはグレース、あなたが使いなさい」
「え、でも……いいの?」
「いいのよ。
いつまでも残しておくだけじゃ、あの子も……それになにより、勿体ないものね!」
シンディは努めて明るく振る舞いながら、机の上に飾ってあった写真立てを手に取った。
「あ、これだけは私が持っていくわね」
彼女が胸に抱きしめたその写真を、俺の強化された動体視力は見逃さなかった。
写っていたのは、笑顔のシンディと、彼女によく似た10歳くらいの少女。
(……やっぱり、な)
俺の中で、全てのピースが組み合わさった。
攫われ、殺された少女はシンディの妹。
この部屋の主。
そして彼女は、年格好の似た俺に、妹の面影を重ねている。
重い。
正直、赤の他人である俺が背負うには、少し重すぎる善意だろう。
(だが……俺にも生きなきゃいけない理由がある。
生きたいと思う意思があり、目的がある)
俺は拳をギュッと握りしめた。
この過保護とも言えるセキュリティと、衣食住の提供。
利用できるものは利用させてもらおう。
その代わり――
(世話になっている間は、精一杯『いい妹』になってやろうじゃないか!)
それが、俺なりの誠意だ。
「ありがとう、シンディ…姉さん。
大切に使うね」
「ええ、ゆっくり休んで。
……と言いたいところだけど、まずはリビングで座る場所を確保しないとご飯もままならないわよね…
あはははは…」
俺たちは再び、カオスと化したリビングへと戻った。
「……ねぇ、シンディさん。
あの書類の山、いつからあそこにあるの?」
「えっと……先々月くらい?」
「あの脱ぎ捨てられたコートは?」
「あ、あれ?
これ探してたのよ~!
ここにあったのね!」
……前言撤回。
「いい妹」になる前に、まずは「いい家政婦」にならなきゃいけないらしい。
俺は袖をまくり上げ、深いため息をついた。
「シンディさん!
片付け中に別のことし始めないで、今は片付けだけやって~~~!」
片付けが苦手な人は、片付けてる途中に出てきた本を読んだり、写真見始めたり、なぜか別の事をやり始めるものなのです。
シンディはどうなんでしょうね。




