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第016話「情報収集!不在?代打?」


 冷たい。

 ひたすらに冷たい。


 自室の鏡の前で、私は氷嚢を右頬に押し当てながら、ため息をついた。


「あれから3日……だいぶ引いてきたけど、まだ痛々しいわね」


 鏡に映る少女の頬には、薄らと青紫色の痕跡が残っている。

 まるで熟しすぎた桃のようだ。

 お父様のあの一撃は、まさに会心の一撃(クリティカルヒット)だったと言えるだろう。


 恨んでいるかと言われれば、答えはNOだ。

 むしろ感謝していると言ってもいい。


 あの時、お父様が私を物理的に黙らせていなければ、今頃アスパルテーム家は公爵家への不敬罪で取り潰されていたかもしれない。

 一家離散、路頭に迷う元貴族。

 そんなハードモードな人生、金輪際お断りである。

 私の安寧なニート生活を守るための必要経費コストだと思えば、顔面の打撲くらい安いものだ。


「さて……感傷に浸ってる暇はないわね」


 私は氷嚢を置き、ドレッサーの引き出しからメモ帳を取り出した。

 そこには、前世の記憶を頼りに書き出した『ホーリースイート』の攻略情報や、今後起こりうるイベントの数々が記されている。


 目標は定まった。

 メインルートの簒奪さんだつ

 エリスを救い、私が第二王子の婚約者の座に収まり、将来の王妃として左団扇で暮らす。


 そのためには、準備が必要だ。

 まずは手足となって動く駒――人材の確保。

 ターゲットは、裏社会に通じた「闇の情報屋サラヤ」。


「問題は、どうやって彼女を見つけ出すか、よね」


 サラヤは神出鬼没だ。

 ゲームでは、特定のイベントをこなさないと接触すらできない隠しキャラ的な立ち位置だった。

 今の私は、まだ学園にも入学していないただの伯爵令嬢。

 裏社会へのコネクションなんて皆無に等しい。


(情報通は、情報通から聞くのが一番早いわよね……)


 私はペンを回しながら思考を巡らせる。

 当家でそれに該当する人物といえば……。


(……お兄様、か)


 アドバンテーム・アスパルテーム。

 私の実の兄であり、重度のシスコンであり、残念なイケメン。


 確かゲームのシナリオでは、彼が結構なヒントを出しまくるキャラだったはずだ。

 第二王子の開くお茶会の後、一人思い悩むアドバンテーム(兄)に主人公ヒロインが話しかけ、悩みを相談し合うことで、「そういう情報を聞くのに適任がいるよ」とサラヤを紹介してくれる筋書きだった。


(…………)


 私は想像してみる。

 あの兄に、上目遣いで悩みを相談する自分を。


『お兄様、私、悩みがあって……』


『どうしたんだいパルス!

 この兄になんでも言ってみたまえ!

 このアドバンテーム、パルスのためなら何だってできるさ。

 さぁ、その代わりといってはなんだが、今パルス履いている靴下、貰ってもいいかい?』


(……オェッ)


 想像しただけで胃液が逆流しかけた。


 なし。

 絶対になしだ。


 変態お兄様に頼み事をするなんて、私の生理的尊厳に関わる問題よ。

 あいつに借りを作ったら、何を要求されるかわかったものじゃない。


「はい、この案消えた~」


 私はメモ帳の「お兄様」の文字に、二重線を引いて力強くバツ印を書き込んだ。


(次の情報通は……やっぱソルビトールかなぁ)


 アスパルテーム家の執事長、ソルビトール。

 古株で使用人たちを束ねる彼なら、貴族社会の裏話や、怪しい噂話にも通じているかもしれない。

 彼なら、お兄様のようなリスクはない。


 ただ、一つだけ懸念点がある。


(あいつ、私の家庭教師役も兼ねてるのよね……。

 今呼び出したら、間違いなく『夜会マナー筆記テスト』の課題が終わっていないことを突っ込まれるわ)


 机の端に積まれた、手付かずの課題の山を見る。


 やだな~、やりたくないな~。


 でも、背に腹は代えられない。


 サラヤの情報が得られるなら、少々の説教くらい聞き流してやるわ。


「ねぇステビア、ちょっといい?」


 私は呼び鈴を鳴らし、専属侍女のステビアを呼んだ。


「なんでしょうかお嬢様?

 氷嚢の交換でございますか?」


 すぐに姿を見せたステビアは、私の頬を見て痛ましそうな表情を浮かべる。

 有能な侍女だ。


「ううん、違うの。

 ちょっと聞きたいことがあるから、ソルビトールを呼んで頂戴」


 私がそう告げると、ステビアの動きが一瞬止まった。

 彼女は少し困ったように眉を寄せ、視線を泳がせる。


「執事長のソルビトール様でございますか?

 お嬢様、また呼び捨てにされておりますのが知られますと、大目玉でございますよ?

 と言いますか……その、残念ですが本日はお見掛けしておらず……」


「は?

 いない?」


 私は眉をひそめた。

 ソルビトールといえば、職務に忠実な堅物だ。

 屋敷のどこかで常に目を光らせているのが常なのに。


「何?

 アイツ首になったの?」


「そ、そんなことは!

 …そのようなことがあれば、流石に私どもにも周知されますので」


 ステビアは慌てて否定するが、どこか歯切れが悪い。


「居ないのか~

 無断欠勤は減俸よね、減俸。

 執事長のくせに職務怠慢だわ。

 ……まぁいいわ。

 で、今日の執事業務は誰が回してるわけ?」


 執事長が不在なら、誰かがその穴を埋めているはずだ。

 副執事か、あるいは家令か。


「シラー・シラーズ様です」


「……ん?」


 聞き慣れない、けれど聞き覚えのある名前に、私は首を傾げた。


「シラーズ……?

 キャンベル第一王子派の中央の文官よね?

 確か、シラーズ子爵家の三男だっけ?」


 ゲームの知識が検索にヒットする。

 シラー・シラーズ。

 生真面目な眼鏡キャラで、中央官庁のエリート文官。

 なんでそんな王都の役人が、こんな片田舎の伯爵家で執事の真似事をしているのよ。


「その方です。

 今朝方お越しになられました。

 なんでも、アドバンテーム様が急遽手配されたようで」


(ふーん。お兄様が?)


 私は顎に手を当てて考える。


(ゲームにそんな展開はないわよね?

 っていうか、私ってばイベントも何もない木っ端キャラだし、ゲームのメインシナリオとはあんまり関係なさそうね。

 見えない裏舞台ってのも、いろいろ動いてんのね~)


 お兄様が何を考えているのかは知らないが(知りたくもないが)、中央のエリートが来ているというのは、ある意味チャンスかもしれない。

 王都の情報、特に王家の裏事情に通じている可能性が高い。


(シラーズさんは中央の人間だし、王家の暗部に所属する人間にサラヤってのが居ないか、あるいはそういう噂がないか、聞いてみる価値はあるわね)


「わかったわ。

 そのシラーズさんのところへ案内して頂戴」


          ◇


 執務室のドアを開けると、そこには書類の山と格闘する青年がいた。

 神経質そうな細いフレームの眼鏡。

 きっちりと撫で付けられた髪。

 いかにも「仕事人間です」というオーラを放っている。


「……何か御用でしょうか、パルスイートお嬢様」


 彼は顔も上げずに言った。

 手元のペンは止まらない。

 挨拶もなしか。感じの悪い男ね。


「あなたがソルビトールの代打でいらしたシラーズ様?

 兄上の手配されたご有能な方と伺っておりますわ」


 私はソファの端にそっと座り、単刀直入に切り出した。


「ねぇシラーズ様。

 たしか中央の文官でございましたかしら?

 でしたら王家の…

 『暗部』とか、裏社会の情報屋とか……

 例えば『サラヤ』って名前に聞き覚えがあったりしませんかしら?」


 ピタリ、とペンの音が止まる。


 シラーズがゆっくりと顔を上げ、眼鏡の奥から冷ややかな視線を私に向けた。

 それは、世間知らずの子供を見るような、侮蔑と呆れを含んだ目だった。


「……知りませんね」


 短く、切り捨てるように彼は言った。


「仮に知っていたとしても、一介の令嬢に王家の裏事情を漏らすような口の軽い官僚はいませんよ。

 それは国家機密に関わることです」


「難しいかしら、出来ればお調べいただけるととっても助かりますのですが…」


『あら、つれないわねぇ。

 ちょっとくらい教えてくれたっていいじゃない』


「パルスイートお嬢様。

 無理を言わないでください。

 私は今、急な引き継ぎで山のような業務を抱えているのです。

 子供の遊びに付き合っている暇はありません。

 ……お引き取りを」


 彼は再び書類に視線を落とし、猛烈な勢いでペンを走らせ始めた。

 完全に拒絶モードだ。

 これ以上粘っても、情報を引き出すのは不可能だろう。


「これは無理を言ってお時間を取らせてしまい失礼いたしました。

 執務の方、引き続き宜しくお願いいたします。」


『チッ……使えないわね、中央のエリートってやつは!』


 私は心の中で捨て台詞を吐き、表に出さないようにそっと執務室を後にした。


(だよね~

 普通に考えて、ポロッと教えてくれるわけないか。

 ゲームの主人公補正がないと、NPCは冷たいものだわ)


 手詰まりだ。

 屋敷の中に情報源はなし。

 となれば、外に目を向けるしかない。


(仕方ない。

 自分の足で探すか~)


          ◇


 その夜。

 ダイニングルームでの夕食は、いつもより静かだった。


 長テーブルには私と、お父様の二人だけ。

 いつもなら、私の向かいの席で「パルスの咀嚼音さえ愛おしい」とか気持ち悪いことを呟いているはずのお兄様の姿がない。


「そういえばお父様。

 お兄様は?」


 私はスープを口に運びながら、何気なく尋ねた。


「……自室で謹慎させている」


 お父様は疲れた顔で、肉を切り分けながら答えた。


「また勝手に人事を動かしおって……。

 私の知らぬ間に外部の人間……あのシラーズとかいう文官を雇い入れ、あろうことか執務室を占拠させたのだ。

 まったく、何を考えているのやら。

 罰として、過去10年分の領地帳簿の整理を命じておいた」


(あー、やっぱりあの変態の仕業か)


 私は心の中で納得した。

 どうりでシラーズが「急な引き継ぎ」で忙しそうにしていたわけだ。

 お兄様が勝手にソルビトールに休暇を取らせ、代わりに自分の息のかかった人間を送り込んだということか。


 確かシラー・シラーズも攻略キャラだし、こうやって逆ハーメンバーの親睦って深まっていくのね~


(とにかくお兄様の行動は自業自得ね。

 出来れば帳簿と結婚して一生部屋に籠ってくれたらいいのに)


 私は興味を失い、パンを千切る。

 すると、お父様が心配そうな目で私の顔を覗き込んできた。


「それよりパルスイート。

 頬は……大丈夫か?」


 その声には、深い罪悪感が滲んでいる。

 3日前の鉄拳制裁を、まだ気に病んでいるようだ。


「ええ、大丈夫ですわ。

 あれは私が悪かったのですから、自業自得ですもの。

 だいぶ良くなりましたし、痛みもありませんわ」


 私はニッコリと笑って見せた。

 ここぞとばかりに「健気な娘」をアピールするチャンスだ。


「そうか……。

 すまなかったな。

 私もあの時は必死で……」


「わかっておりますわ。

 お父様は家を守るために、心を鬼にしてくださったのですもの。

 ……ただ」


 私は言葉を切り、上目遣いでお父様を見つめる。


「もし、お父様が私のことを気にかけてくださるのなら……

 一つだけ、お願いを聞いていただけないかしら?」


「なんだ?

 何でも言ってみなさい。

 新しいドレスか? 宝石か?」


 お父様が身を乗り出す。

 釣れた。

 チョロい。


「いいえ、物は要りませんわ。

 今度、お父様が王都へ出張に行かれると伺いました。

 先日の公爵邸での件の報告と、後始末のために」


「うっ……。

 あ、ああ。そうだ。

 胃が痛くなる用事だがな」


「その出張に、私も同行させていただきたいのです。

 気分転換に、『観光』がしたくて」


 私がそう言うと、お父様は拍子抜けしたように瞬きをした。


「なんだ、そんなことか。

 屋敷に閉じこもってばかりでは気も滅入るだろうし、気晴らしも必要だろう。

 王都なら美味しい菓子店もあるしな」


 お父様の表情が緩む。

 娘の願いが「宝石」ではなく「お父さんとのお出かけ(観光)」だったことが嬉しかったのかもしれない。

 残念ながら私の目的は「闇の情報屋探し」なのだが、そこは墓場まで持っていく秘密だ。


「ちょうど今週末に出発する予定だが、一緒に行くか?」


「ええ!

 ぜひ!」


「よしよし。

 では、準備をしておきなさい」


          ◇


 夕食後、自室に戻った私はベッドにダイブした。


「ラッキ~!

 これで堂々と王都に行けるわ!

 王都の下町なら、何かしら噂が転がってるはず。

 自分の足でサラヤを探す絶好のチャンスよ!」


 私は枕を抱きしめて足をバタバタさせる。

 とんとん拍子だ。

 やっぱり日頃の行いが良いからね(どの口が言うか)。


「よし、早速週末に向けて準備よ!

 ……って、待って」


 私はカレンダーを見て、動きを止めた。


「週末って……明後日じゃない!」


 慌てて起き上がり、鏡を覗き込む。

 そこには、まだ青あざの残る頬をした私が映っている。

 氷嚢で冷やしてはいるが、3日で完治するかと言われると怪しいラインだ。


「うーん……これ、明後日までに引くかなぁ」


 指で患部をつつく。

 まだ少し痛い。


 こんな「DV受けました」みたいな顔で王都を歩くのは、美少女(自称)としてのプライドが許さない。

 それに、腫れた顔で情報収集なんてしたら、変な噂が立ちかねない。


「ま、腫れが引かなかったら今回はパスね。

 ハムスターみたいな顔で出歩く趣味はないし」


 私はあっさりと結論を出した。


 無理はしない。

 それが私のモットーよ。

 腫れが引けば行くし、引かなきゃ次の機会を待てばいい。

 どうせゲーム開始まではまだ数年あるんだ。焦る必要はない。


「とりあえず、今日はもう寝よっと。

 睡眠こそ最高の治療薬だもの」


 私は布団に潜り込み、深く息を吐いた。

 王都の美味しいお菓子と、ゲームでの闇の情報屋の立ち絵を頭に描きながら、私は意識を手放した。

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