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第015話「鉄拳制裁!友情?簒念?」


 血の味がする。


 鉄錆のような、生臭くて、けれどどこか懐かしさすら感じる生命の味。


 記憶を辿れば前世、過労で倒れて鼻血を出した時にも味わった。

ブラックだった会社の飲み会で、無理やり飲まされた安ワインの味にも似ている気がしないでもない。


 しかしまさか、煌びやかな乙女ゲームの世界、それも公爵令嬢の私室で優雅なティータイムを楽しんでいる最中において、またこの味を噛み締めることになるとは、微塵も思っていなかった。


 ズキズキと脈打つ右頬。

 熱く火照る腫れを氷嚢で冷やしながら、私は窓の外を睨みつけ、自身の愚かさを思い返していた。


 事の発端は、ほんの数十分前に遡る――。


          ◇


 あの日。

 アセスルファム公爵家のデビュタントお披露目会という戦場を、なんとか無傷で(精神的には疲労困憊…お腹いっぱい?で)乗り切った私は、父であるアスパルテーム伯爵に連れられ、再び公爵邸を訪れていた。


 今回はパーティーではない。

 正式な「筆頭侍女」(候補)就任に向けた、実務的な顔合わせと挨拶回りだ。


「いいか、パルスイート。

 前回は無事に済んだが、気が緩んでいる時こそ悪魔が忍び寄るものだ。

 公爵家の方々は、我々にとって雲の上の存在。

 くれぐれも、くれぐれも粗相のないようにな」


 馬車の中で、お父様は壊れたレコードのように同じ台詞を繰り返していた。

 その顔色は相変わらず優れず、胃薬の空き瓶がポケットから覗いている。


「わかっておりますわ、お父様。

 私の演技力……じゃなくて、礼儀作法は完璧でしてよ。

 心配しすぎると、ストレスで禿げ上がってしまいますわよ?」


「誰のせいで胃が痛いと思っているんだか……」


 そんな軽口を叩きながら、私たちは公爵邸の正門をくぐった。


 案内されたのは、本邸へと続く長い回廊。

 磨き上げられた大理石の床は、歩くのが申し訳なくなるほどピカピカに輝いている。

 壁には歴代当主の肖像画がズラリと並び、無言の圧力を放っていた。


 その回廊の向こうから、数名の足音が近づいてくる。


 先頭を歩くのは、銀色の髪を靡かせる魅惑?の美少女――エリスリトール様。


(実際にはまだまだ魅惑って程じゃないけど、洗練された可愛らしさがその片鱗を覗かせてるわね。)


 その後ろには、紺色の髪を一つに束ねたチクロ。


(あの娘も美少女なのは美少女なのよねぇ。

私もだけど、ゲームでの立ち絵があるキャラは、それなりに容姿が良いもんなの。

でもまぁチクロは相変わらず頭が固そうな感じかな。)


 さらにその後方には、公爵家の侍女長と思わしき厳格そうな年配の女性や、家令、護衛の騎士たちが付き従っている。


 日本で言うなら「大名行列」といった風情だ。


 伯爵であるお父様も緊張で背筋を伸ばし、最敬礼の準備を始める。


(普通に考えて、公爵家に奉公するなんて超ハイレベル就活なのよね。

 一般の侍女だって、子爵や男爵令嬢が当たり前。

 ましてや筆頭侍女ともなれば、うちと同格の伯爵家か、下手すれば侯爵家のご令嬢だって珍しくないわ。

 そんな中で、伯爵令嬢の私が幹部候補生として直々に面通ししてもらえるなんて、本来なら宝くじに当たるくらい稀有で幸運なこと……らしいんだけど)


 だが、私の脳裏には、先日のデビュタントの別れ際に交わした、とある「約束」が浮かんでいた。


『チクロさん、パルスイートさん。

 実は…折り入ってのお願いがありますの。

 ……

 …これから、私のことを敬称なしで……ただの「エリス」と呼んでくださいませんこと?

 敬語もなしで!

 私、対等なお友達が欲しいのですわ!』


 上目遣いで懇願する美少女。


 うん。

 私的に、それに断る理由なんてない。

 チクロは早々に「承知した……いや、わかった」と男前に頷き了承の旨を伝えている。

 それに漏れず私も、「りょーかい」と適当に答えたのだった。


 約束は果たされてなんぼ。

 それが友情というものだ。

 何より「公爵令嬢とマブダチ」というポジションは、今後の私の怠惰な人生において最強の免罪符になりえる。


 だから私は、近づいてくる彼女に向かって、満面の笑みを向けた。


 お父様が口を開きかけるよりも早く。

 侍女長が鋭い視線を向けるよりも早く。


 私は右手を軽く上げ、前世のOL時代に給湯室で同期に声をかけるようなノリで、その言葉を放ったのだ。


「あ、エリス。

 やっほ~」


 その瞬間。


 世界から音が消えた。


 回廊を渡る風の音も、衣擦れの音も、誰かの呼吸音さえも、すべてが凍りついたように停止した。


 エリス…じゃなくてエリスリトール様は、目を丸くして立ち止まっている。

 その後ろにいた侍女長は、信じられないものを見たようにカッと目を見開く。顔面を蒼白にさせたかと思うと、次は怒りで真っ赤に染め上げ、また青に戻るという忙しない変色を繰り返している。

 葛藤で今にも血管が切れそうなのだろう。


 そしてチクロ…こっちもチクロ様だった。


 彼女は冷静だった。

 いや、冷静というよりは「あちゃ~」と言わんばかりに、右手でこめかみを押さえ、天を仰いでいた。

 その口元が、微かに「おばか」と動いたのを、時が止まった中においても、私は見逃さなかった。


(なんか…空気…重…

 やっちゃったフィールド発動ってやつよねぇ……)


 私の旧世代的な鈍感センサーですらも、遅まきながら異常を感知する程のプレッシャー。

 どうやらTPO(時と所と場合)というやつを、致命的に間違えたらしい。

 私室ならともかく、ここは公衆の面前。

 しかも公爵家の家臣たち(普通にそれなりの家格の人達)がズラリと見ている前で、一介の伯爵令嬢が?主筋である公爵令嬢に向かって?「やっほ~」は流石にまずかろう。


 えっと私、不敬罪?


 いや、それ以上に常識知らずの馬鹿令嬢として、我がアスパルテーム伯爵家の評価がストップ安になり、お家の立場を崩しかねないっていう、とっても不味~い状況かな。


 その危機を、誰よりも早く察知した男がいた。


 私の隣にいたお父様、アスパルテーム伯爵――その人である。


 彼は娘の暴言を察知したその瞬間、慌ててキョロキョロと周囲を見渡す。

 侍女長の般若のような顔を確認し、家令の氷のような冷ややかな目を確認し、そして何より、無邪気に手を振ったまま固まっている自分の娘を確認。


 そして顔から、一瞬で血の気が引いていく。

 青を通り越して土気色になった彼は、瞬時に「損切り」を決断するに至る。


 家を守るため。

 公爵家の怒りを最小限に抑えるため。

 彼が取れる手段は一つしかない。


「……ッ!!」


 刹那、お父様が私の元へと音もなく踏み込む。

 それはまるで熟練の暗殺者の如く、流れるような洗練された動きであった。


 次の瞬間、私の視界がぐるりと回転 。


 ドゴォッ!!


 鈍く、重い衝撃音が鼓膜を揺らす。

 音も痛みも、私には後からやってきたように感じられた。


 右頬に焼けるような熱と衝撃が走り、私の体が物理法則に従って宙を舞う。

そして、最終的には無様な姿で絨毯の上を転がった。


「ぶべっ!?」


 変な声が出た。

 何が起きたのか理解する前に、強烈な力で後頭部を掴まれ、床に押し付けられる。


 絨毯の毛足が鼻の穴に入り込む。

 涙で歪む視界の端には、鬼の形相をしたお父様の横顔と、必死に震えるその肩が見えた。


「エリスリトールお嬢様!!

 愚娘への当家の教育がなっておらず、大変申し訳ございませんでしたッ!!」


 屋敷中に響き渡るような絶叫だった。

 それは謝罪というよりは、魂の叫びに近い。


「この通りッ!

 この馬鹿娘は、後ほど屋敷の地下牢に幽閉し、マナー講師が裸足で逃げ出すほどの再教育を施しますゆえ!

 ここは何卒、何卒穏便にご容赦ください!!

 おい、パルスイート!

 お前もお詫び申し上げなさい!!

 舌を噛み切って死ぬ!それくらいの誠意を持って謝罪しなさい!!」


 頭をぐいぐいと床に擦り付けられる。

 色々痛い。

 殴られた頬が熱い。

 口の中を切ったのか、鉄の味が広がる。


 理不尽だ。


 確かに空気は読めなかったかもしれないが、実の娘をロケットのように殴り飛ばす必要があったのか?


 いや、あるな。


 お父様の必死さは本物だ。


 ここで私が逆ギレでもしようものなら、アスパルテーム家は今日で取り潰しかもしれない訳だし。


 私は涙目で、腫れた口を動かした。


「「大変、申し訳ございませんでしたぁぁぁ~ッ!!」」


 親子の声が、悲しくハモった。


          ◇


 そして現在。


 場所はエリスリトール様の私室。


 私はソファに沈み込みながら、氷嚢を頬に当てている。

 エリスリトール様が侍女たちを下がらせので、部屋にはチクロも含めて私たち三人だけという構図だ。

 よってコレからは敬称略、いや愛称で。


「……解せぬ」


 呟くと、口の端が切れているせいでチクリと痛みが走る。


 お父様…いいパンチ持ってるじゃないの。


 あのひょろっとした体格から、あんな重い一撃が放たれるとは。

 前世のブラック企業の上司のパワハラより、物理的な分だけダメージがでかい。


「ぶっははは!

 アンタ、あの私室でもない場所で『エリスやっほ~』はないわ~

 傑作すぎる~!

 とくに殴られた瞬間の顔が~~ぶはははは~!」


 向かいのソファで、チクロが腹を抱えて笑い転げている。

 淑女たる礼節の欠片もない。

 紺色の髪が揺れ、涙まで流している始末だ。


「ぜんっぜん笑えないし……。

 マジ首がもげたと思ったから!」


(コイツ、堅物だと思ってたのに全然違うじゃない!

 猫被ってたのね!って……私も被ってるじゃない……


 とはいえ、ここまで笑う?

 …笑う。

 いや、私でも笑うわコレ!


 あ〜ぁ、やっちゃったなぁ……)


「いやいや、落ちるときは見事な受け身だったわよ?

 あのアスパルテーム伯爵の踏み込み、結構良かったからね。

 アレを身構えて受けてたら、頬骨折れてたかもしれないわよ?

 そんな程度で済んだのは、殴られた瞬間にアンタが惚けてたおかげね。

 ボーっとしてて良かったわね!

 まっ、ボーっとしてるせいで時と場所を誤ってるんだから、本人は全然良くないわよね~ぶはははは~!」


 チクロは武門の家の娘だ。

 普段の稽古で怪我をするのも、人が吹っ飛ぶのを見るのも慣れているのだろう。

 私がお父様に殴られた時も、心配するより先に「いい一撃だ」と評価していたに違いない。

 彼女にとって、今の私は「面白い見世物」でしかないようだ。


「ご、ごめんなさいパルス……。

 私が気安くしてと言ったばかりに、こんなことに……」


 一方、エリスはオロオロと眉を下げ、心底申し訳なさそうな顔をしている。

 侍女に用意させた新しい氷嚢とお茶を、私の前に差し出してくる。


「本当にごめんなさい……。

 もっと早く、皆に事情を説明しておくべきでしたわ。

 まさか、あんなことになってしまうなんて……」


 根が真面目なのだ。

 いい子ちゃんすぎる。

 貴族社会において、主人が使用人を(たとえ相手が貴族令嬢であっても)罰するのはよくあることだ。

 彼女が気に病んでいるのは、私の怪我そのものよりも、自分の軽率な発言が原因で、家臣である私の父をパニックにさせ、暴力を振るわせる状況を作ってしまったという「主としての不手際」に対してだろう。


 普通なら「身分を弁えなかったお前が悪い」で済まされる話なのに、この子は本気で心を痛めている。


「気にしないでエリス。

 今回のは完全に私の落ち度。

 お父様としても苦慮した結果の判断だし、ちゃんと自業自得だと思ってるわよ。

 それに、冷やしておけばすぐに治るわ…多分」


 私は氷嚢を押し当てながら、努めて明るく振る舞った。

 ここでエリスに過剰な罪悪感を抱かせるのは得策ではない。

 貸しは作ったが、それを恩着せがましく主張するより、「気にしてないわよ」と流す方が、彼女の信頼を得られるはずだ。


 ひとしきり笑ったチクロが、涙を拭いながら姿勢を正した。


「で、さ。

 さっきの騒動で有耶無耶になったから、改めて確認しておこうよ。

 私たちは今後、この部屋の中だけで『対等』な関係を結ぶ。

 外では、俺たちはあくまで臣下として振る舞う。

 エリスとしては、それがいいんだよね?」


「……ええ。

 ごめんなさい、私の我儘で混乱させてしまって」


 エリスは深く溜息をつき、紅茶のカップに視線を落とした。

 その横顔には、先ほどの騒動のショックとはまた別の、深く重い憂鬱が張り付いているように見えた。


「はぁ……。

 実はわたくし、お二人だからこそお話するのですが……

 アーリー殿下との婚約は、本意ではございませんの」


 ぽつりと、彼女が零した。


 部屋の空気が変わる。

 チクロの笑みが消え、真剣な表情になる。

 私も、腫れた頬を撫でる手を止めた。


「……というと?」


「どうして…といいましょうか…そもそもわたくし、なぜ男性として生を受けなかったのかを思い悩んでいるくらいなのでしてよ」


 エリスはカップの縁を指でなぞりながら、絞り出すように言った。


「わたくし、幼い頃から領地の経営記録や、商会の取引帳簿を見るのが好きでしたの。

 数字は嘘をつきませんわ。

 どうすれば領民が豊かになるか、どうすれば新しい特産品が売れるか。

 それを考え、実践し、結果が出るのが何よりも楽しかった」


 彼女の瞳に、微かな熱が宿る。

 それは、ただの深窓の令嬢が見せるものではない。

 野心家の、あるいは実務家の目だ。


「ですが、わたくしは女。

 公爵家に生まれた以上、政略の駒として、より高い家格へ……つまり王家へと嫁ぐことが求められます。

 妃として美しく着飾り、微笑み、王子を支える花となること。

 それが私の義務なのだと、自分に言い聞かせてまいりました。

 もちろん、元々は王妃として国母となる可能性を考慮した教育も受けております。

 実際にそうなっていれば、国政や執務で手腕を振るうこともできたかも知れません。

 しかし、今回わたくしが婚約者として選ばれたのは第二王子アーリー様です。

 あの方の王位継承権は現時点で第三位ではありますが、実際に王位につく可能性は無いに等しいというのは周知の事実。

 わたくしが第二王子妃として嫁いでも、日の目を見るような要職を与えられることなどないのはお分かりいただけるかしら?

 ズルチン家…そうですわね、チクロさんのように個の武力で突出した方が嫁がれるのであれば将軍職等もありえるので別なのですが…

 あ、いえ、チクロさんが何か悪いわけではないのでしてよ?

 同じ女であっても認められるものがあること、それがただ少し羨ましいなと、浅ましくも考えてしまったことをお詫びいたしますわね」


 彼女は悔しそうに唇を噛んだ。


(第二王子の王位継承権、なんで第三位なんだろ?

 普通、第二王子なら二位よね?

 ……ま、考えてもわかんないし、あとで誰かに聞いてみるか)


「わたくしは家や領地のため、自分の才覚で実務をこなし、経営に携わりたかった。

 自分の手で、何かを成し遂げたかった。

 でも、アーリー殿下と婚約してしまえば、それは永遠に叶いません。

 あの王宮という鳥籠の中で、一生を終えることになるのですから……」


 沈黙が降りた。


 チクロが「なるほどね」と短く言った。

 彼女は腕を組み、感心したように頷いている。


「エリスは現場主義……実務に思い入れが強いんじゃない?

 公爵令嬢にしては珍しいタイプだよね。

 私は嫌いじゃないわよ。

 自分の手で何かを成したいという欲求は、人間の根源的なものだしね。

 それを性別や家柄で封じられるのは、確かに息苦しいだろうとは思う。

 でも、言い訳じゃないけど、私の肩に乗ってるズルチン家のしがらみってやつも、あんまり羨ましがられるようなものじゃないのよ?」


 チクロの理解ある言葉に、エリスは嬉しそうに、けれど寂しそうに微笑んだ。


 一方で。


 私は心の中で、全力でツッコミを入れていた。


(はぁ?

 働きたい?

 自分の手で商売をしたい?

 ……正気か、このお嬢様!)


 信じられない。

 王族になれるのよ?

 ロイヤルファミリーの一員よ?

 ロイヤル!それはつまり、国一番の権力と、使いきれないほどの予算と、最高級の生活が約束された「ゴール」。

 第二王子の妃なんて、殆どやることすらないじゃない。


 働かなくても飯が食える。

 何もしなくても周囲がかしずく。

 一生遊んで暮らせる「ロイヤル・ニート・ライフ」が目の前にあるというのに、それを蹴ってまで「働きたい」だなんて。


(バカじゃないの?

 労働なんて、生きるために仕方なくやる苦役よ。

 不労所得こそが正義。

 権力こそが至高。

 私なら、王子の靴を舐めてでもその地位にしがみつくわ!

 1日舐めてたって、その方が時間単価が高いじゃない!


 え?そうじゃない?

 わ、わかってるわよ…例えよ、例え。


 ……でもさ。


 前世で死ぬほど働いた。

 っていうか、働き過ぎて死んだ。

 だったらせめて今生くらいは、楽を望んだっていいじゃない)


 価値観の完全な不一致。

 私とエリスの間には、マリアナ海溝よりも深い溝がある。

 高潔な精神を持つ「本物の貴族」と、薄汚い欲望にまみれた「貧乏過労死転生者」の差かもしれない。


 だが。


 ふと、私の脳内で何かが繋がった。

 カチリ、とパズルのピースが嵌まる音がした。


(……待って)


 私は氷嚢を置き、腫れた口元を歪めてニヤリと笑った。

 幸い、二人は深刻な雰囲気で話し込んでいて、私の邪悪な表情には気づいていない。


 整理しよう。


 エリスは、「働きたい」。

 王家という鳥籠に入りたくない。

 婚約を解消して、自分の力で生きていきたいと願っている。


 私は、「働きたくない」。

 一生侍女…筆頭だとしても、人の下でこき使われるのは御免だ。


 金と権力が欲しい。”

 左団扇で暮らせる玉の輿に乗りたい!と切に願っている。



(まって……これ、いけるんじゃない?)



 需要と供給が、奇跡的なまでに一致している。


 ゲームのシナリオを思い出せ。

 本来のルートでは、エリスは悪役令嬢としてアーリー王子に執着し、ヒロインを虐め、最終的に断罪されて婚約破棄される。

 そして家を追放され、惨めな末路を辿る……はずだった。


 だが、今のエリスに王子への執着はない。

 むしろ婚約を嫌がっている。


 これはゲームシステムとしては、本来とは違うルートに入っているということではないだろうか?


 ならば、忌まわしきメインルートの呪縛や、強制力が働かない可能性が高い…



……


 なら!

 その「嫌な役目」(玉の輿)、私が引き受けてやろうじゃない!


(私が、エリスの代わりに第2王子を篭絡する。

 エリスを悪役令嬢の座から降ろし、私がその婚約者ポジション……いや、さらにその上、メインヒロインである聖女ロザリオの椅子「第二王子の婚約者」の座。

 それをを奪い取る!)


 そうすればどうなる?


 エリスは自由になれる。

 婚約破棄の泥沼を回避し、円満に(あるいは私の策略によって)婚約を解消できれば、彼女は公爵家の支援を受けて商会でも立ち上げて、好きなだけ働くのもいいだろう。

 何なら私が第二王子妃として国費から彼女を擁立し、新たな国営事業を始めたっていい。


 そして私は憎き労働(侍女)から解放され、王子妃として王宮に入り、贅沢三昧の生活を手に入れる。

 聖女ロザリオ?メインヒロインが将来現れるだろうって?

 ふん、そんな小娘、今は平民じゃない。

 今のうちに探し出して、私が実家の権力を使って修道院にでも送り込んでやるわ。

 王子どころか国との接点の芽ごと摘み取ってやればいい。


(Win-Winじゃない。

 これ以上ないくらい、完璧な利害の一致だわ)


 私は口の中に残る血の味を、ごくりと飲み込んだ。

 鉄の味が、覚悟の味に変わる。


 これは簒奪さんだつだ。

 ゲームのメインヒロインが座るはずの椅子を、そして悪役令嬢が座らされるはずだった断罪の椅子を、すべて蹴り飛ばして、私が一番良い席に座る。

 生き残り、人生を謳歌するための、壮絶な椅子取りゲーム。


 私は二人には何も言わず、心の中だけでこっそりと宣言する。

 こんな悪巧み、高潔なエリスや、堅物のチクロに話したところで止められるに決まっている。

 止められないにしたって、どこから話が漏れてしまうかわかったもんじゃない。


 事後承諾すらも要らない。

 結果として全員が幸せになれば、誰にも文句は言わせない。


(よし、決めた。

 私がメインルートを簒奪してやる)


 腫れた頬がズキリと痛むが、それすらも心地よい高揚感に変わっていく。

 

 そうと決まれば、まずは準備だ。

 一人では無理だ。手足となって動く駒が必要になる。

 裏社会に通じた人材、情報を操作できる人材、そして私の汚れ仕事を実行できる武力。


(まずはこの世界の現状把握が必要よね。

 そのためにはあのキャラ「闇の情報屋サラヤ」を見つけ出す。

 ふふふ、忙しくなりそうだわね)


 私は痛む顔で、引きつった笑みを浮かべた。

 それはきっと、物語の黒幕に相応しい、最高に邪悪な笑顔だったに違いない。


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