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第014話「令嬢参集!絢爛?邂逅?」


「いいか、パルスイート。

 今日という日は、お前の人生における最大の分水嶺だと思え」


 重厚なオーク材の扉の前で、お父様――アスパムテール伯爵が、悲壮な決意を秘めた顔で私に囁いた。

 その額には脂汗が滲み、整えられた口髭が小刻みに震えている。

 まるでこれから処刑台に向かう囚人のような顔色だ。


「アセスルファム公爵家は、我が家の主筋にあたる至高の御家柄だ。

 今日、お前はそのご令嬢、エリスリトール様の『筆頭侍女』候補として、初めて顔合わせをするのだぞ。

 粗相があってはならん。

 絶対にだ!

 もし失敗すれば、我が家は路頭に迷うと思え!」


「あ~はいはい…じゃなかった。

 わかっておりますわお父様」


 私は扇で口元を隠し、危うく出かけた欠伸を噛み殺しながら、殊勝な態度を作り直す。


「ちゃんと事前に胃薬はお飲みになりましたの?

 呑む前に飲む、(場に)飲まれる前にも飲んでおくべきでしてよ。

 そのような土気色の顔色では、上手くいく顔合わせも失敗してしまいましてよ」


 語尾を丁寧に装いつつ、チクリと刺す。

 これは私が開発した「頭の緩いご令嬢」を演じるための擬態だ。


 まぁ実際に「頭は悪い」から、どっちかというと賢そうにする方が擬態かも?


 これをしておけば、多少毒を吐いても「まあ、あの子だし」で許されることが多い。

 いつもお兄様に対して並々ならぬ毒を吐きまくってるので、この点では十分に周知はできているだろう。


 場所は王都の一等地、アセスルファム公爵家の王都別邸。

 今日ここで開催されるのは、エリスリトール様のデビュタント(社交界デビュー)。


 要するにお披露目会だ。


 だが、ただのパーティーではない。

 アセスルファム公爵派閥に属する貴族たちが一堂に会し、次世代の序列と結束を確認するための、極めて高度な政治的儀式の場でもあった。


(はぁ……憂鬱。

 マジで憂鬱だわ)


 私は心の中で盛大に毒づく。

 私の家、アスパムテール伯爵家は、代々アセスルファム家の「寄子よりこ」だ。

 親亀の背中に乗った小亀のように、公爵家の威光にぶら下がって生きている。

 その関係上、私はエリスリトール様の側近として一生仕えることが、生まれた瞬間から半ば義務付けられていた。


 侍女といっても、お着替えを手伝うメイドではない。

 話し相手となり、護衛となり、相談役となり、時には汚れ仕事もこなす「影」のような存在だ。

 要するに、一生涯を捧げる高級奴隷である。


(冗談じゃないわよ。前世でブラック企業に骨の髄までしゃぶられて死んだ私が、なんで転生してまで「上司のご機嫌取り」をしなきゃいけないのよ。

 乙女ゲームの世界にそれなりの美少女として生まれてきたんだから、どうせなら金持ちのイケメンと結婚して、一生遊んで暮らす「ドリーム・ロイヤル・ニート・ライフ」を送りたいの!

 死ぬまで労働?

 いくら公爵家の筆頭侍女が、そこらの下位貴族なら当主すら頭を下げるような超エリート職で、驚くほどの高給取りだとしても、私にとってはただの小間使いでしかないわ!

 地位じゃないのよ!

 働いてる時点で負けなのよ!

 不労所得こそが正義!

 労働賃金なんてクソ食らえよ!)


 ギィィィ……と重々しい音を立てて、大広間の扉が開かれる。


 その瞬間、視界を埋め尽くしたのは圧倒的な「金」の輝きだった。


 天井には、庶民の家が一軒買えそうなほど巨大なクリスタルのシャンデリアが、三つも吊り下げられている。

 その光を受けて、壁に飾られた金箔の装飾がギラギラと輝いていた。

 壁には名だたる画家の絵画が惜しげもなく飾られ、床には足首まで沈み込みそうな深紅の絨毯が敷き詰められている。


 給仕たちが運ぶ銀盆には、見たこともないような豪華なオードブルが山と積まれていた。

 キャビア、フォアグラ、トリュフ……前世ではテレビの中でしか見たことのない食材が、まるでスナック菓子のように並んでいる。


「うっわ……」


 思わず声が漏れそうになるのを、咳払いで誤魔化す。


(これが……公爵家。

 王家に次ぐ権力者の財力……!)


 レベルが違う。

 うちのような片田舎の伯爵家とは、桁が二つ、いや三つは違うだろう。

 空気に漂う香水と料理の匂いさえ、どこか「高貴な紙幣」の香りが混じっている気がする。

 この空気を吸っているだけで、私の財布の中身が増えそうな錯覚すら覚える。


(くっ、悔しいけど憧れるわね……!

 うちだって伯爵家だから十分に金持ちお嬢様だと思ってたけど、ここまでとは。

 この空間にいるだけで、私の守銭奴魂が疼くわ。

 いっそのこと、ここの壁紙でも剥がして持って帰りたいくらいよ。

 あの壺一つで、平民なら一生遊んで暮らせるんじゃないかしら)


 私の俗物根性が、ビンビンに刺激される。


 ここに入り込みたい。


 あわよくば、この莫大な資産の一端でも握りたい。


 だが、「筆頭侍女」として入るのでは意味がないのだ。

 労働対価としてちっぽけな給金(※一般的には破格の高給取りらしいけど、この家の資産に比べれば端金よ!)をもらうのではなく、私はこの富を「消費する側」に回りたいのだから。


「パルスイート、ぼーっとしている暇はないぞ。

 公爵閣下とエリスリトール様へのご挨拶だ。

 粗相のないようにな」


 父に背中を押され、私は列に並んだ。

 会場の最奥、一段高くなった雛壇のような場所に、今日の主役たちが待ち構えている。


          ◇


「お初にお目にかかります。アスパムテール伯爵家の娘、パルスイートにございます」


 私は完璧に計算された角度でカーテシーを披露した。

 ふわりと広がるドレスの裾、伏せられた睫毛、どこからどう見ても淑やかな深窓の令嬢だ。

 中身が「金に汚いアラサーOL」だとは、この会場にいる誰も気づくまい。


「よ、よく来てくれました……パルスイートさん」


 鈴を転がすような、しかし微かに震える声が降ってくる。

 顔を上げると、そこには銀色の髪を持つ少女が立っていた。


 エリスリトール・アセスルファム。

 この乙女ゲームにおける「悪役令嬢」であり、後にヒロインを陰湿に虐めることになるライバルキャラクター。


(……おぉ?)


 私は内心で目を見開いた。


 私の記憶にある「ゲームのエリスリトール」は、常に吊り目で、扇で高笑いをし、「おーっほっほ! お退き遊ばせ、この泥棒猫!」と叫んでいるような、典型的な高飛車女だった。

 性格はキツく、嫉妬深く、プライドの塊。

 まさに「THE・悪役令嬢」という造形で描写されていたはずだ。


 しかし、目の前にいる少女はどうだ。


 純白のドレスに身を包み、肌は透き通るように白く、大きな瞳は不安そうに揺れている。

 扇を持つ手は小刻みに震え、今にも泣き出しそうなほど儚げだ。

 公爵家当主である父親の横で、借りてきた猫のように縮こまっている。


 まるで、雨に濡れた捨て子猫のようではないか。


(本当はマジいい子ちゃんなんじゃないの~?

 イメージと全然違うわ~)


 ゲーム本編が始まるのは数年後。

 今はまだ、悪役ムーブに目覚める前の、ただの純粋培養された箱入り娘ということか。

 あるいは、公爵家という重圧に押し潰されそうになっている等身大の少女。


(へぇ……悪くないわね。

 これなら御しやすい……

 もとい、仲良くなれそうだわ)


 高飛車な女なら即座に喧嘩を売ってクビになるつもりだったが、こんな震える小動物を見せられては、前世のアラサーとしての保護欲が少しだけ刺激される。


 …


 何より、チョロそうだ!


 上手く取り入れば、私の快適な奉公生活の「最強の盾」になってくれるかもしれないし、ついでに上手く転がせばお小遣いアップの交渉もしやすそうだし。

 ……って、私なんでこんな時に『お勤め根性』出してんのよ?

 働きたくないんだってば!


「本日はお招きいただき、光栄の至りに存じます。

 エリスリトール様のドレス、とてもお似合いです。

 まるで雪の精霊のようですわ」


「あ、ありがとう……。パルスイートさんも、その……ピンク色がとても可愛らしいわ」


 頬を染めてはにかむエリスリトール様。

 うん、可愛い。

 だが、その背後に控える「もう一人の令嬢」を見た瞬間、私の頬は引きつった。


 エリスリトール様の斜め後ろ。

 まるで護衛騎士のように直立不動で控えている、紺色の髪の少女。


 チクロ・ズルチン侯爵令嬢。

 私たちと同じ「寄子」でありながら、武門の名家として知られるズルチン家の娘だ。


「……ズルチン家のチクロです」


 挨拶もそこそこに、彼女は短く名乗った。

 その立ち姿は、まるで定規で測ったかのように真っ直ぐだ。

 表情筋が死滅しているのかと思うほど無表情。

 鋭い眼光は、私を値踏みするかのように射抜いてくる。


(うわぁ……こっちはゲームのイメージ通りね。

 エリスリトールお嬢様の取り巻きしてた時もキッツイキャラだったもんね。

 堅物そう~)


 ゲーム内でのチクロは、エリスリトールの取り巻きその1として登場し、常に冷静沈着、無駄口を叩かず淡々とヒロインを追い詰める「仕事人」キャラだった。

 リアルで見てもそのまんまだ。

 絶対に話が合わないタイプである。


 友達になれそうにないオーラがすごい。


 だが、問題はそこではない。

 父から事前に聞かされていた情報が、私の脳内で火花を散らした。


『チクロ嬢は、アセスルファム家の嫡男――次期公爵閣下の婚約者候補として内定しているそうだ』


(……はぁ!?)


 私は心の中で叫んだ。


 同じ寄子だぞ?

 同じ取り巻きポジションだぞ?

 なのに、なんでこの堅物が「将来の公爵夫人(勝ち組)」で、もっと愛想の良い(猫被り中)私が「一生使用人(侍女)」なのよ!?


(ズルい!

 圧倒的にズルい!


 なによ、やっぱり家格?

 侯爵家と伯爵家の壁ってやつ!?)


 そりゃあ、向こうの方が家柄は上だ。

 武功もあるだろう。

 でも、だからってスタート地点からこんなに差があるなんて、神様は不公平すぎやしないか。

 あの子は将来、この豪華絢爛な屋敷の女主人になり、左団扇で暮らすことが約束されている。

 対して私は、あの子にお茶を淹れたり、機嫌を伺ったりする立場になるわけだ。


(……くっそ~!

 私だって玉の輿に乗りた~い!!)


 どす黒い嫉妬の炎がメラメラと燃え上がる。

 私は負けず嫌いなのだ。

 特に、「金と安楽」に関することでは絶対に負けたくない。

 あんな愛想のない女に、この煌びやかな生活を独占されてたまるか。


 私は必死に笑顔を貼り付けたまま、脳内で高速演算を開始した。


(落ち着け、パルスイート。

 ここは乙女ゲーム、イベントなしの端役の私にだってまだ手はあるはず。

 公爵家に勤めることになるなら、その立場を最大限利用してやればいいのよ)


 要は、このアセスルファム家の親族になってしまえばいいのだ。

 長男(次期公爵)はチクロに取られた。それはもういい。

 くれてやる。

 あんな堅物と結婚したら肩が凝りそうだ。

 だが、公爵家には他にも息子がいるはずだ。


(狙い目は……次男ね!)


 公爵家の次男。

 彼なら家督こそ継げないが、分家として独立するか、あるいは他家へ婿入りする際も莫大な持参金を持っていくはずだ。

 アセスルファム家の財力なら、次男といえどもそこらの伯爵家よりよっぽど金持ちだろう。

 将来性としては十分。

 「公爵家の次男嫁」というポジションなら、チクロとも義理の姉妹として対等になれる。

 いや、むしろ小姑としていびれるかもしれない。


(えっと、確かゲームの設定資料集だと……次男の年齢は……)


 私は前世の記憶にある「設定資料集」のページを必死にめくる。

 ゲーム開始時点(15歳)での次男の年齢。

 そこから現在(12歳)まで時間を巻き戻して……。


『アセスルファム家次男:現在、3歳』


(…………は?)


 私の思考が停止した。


 3歳?

 さんさい?

 オムツが取れたかどうかの幼児?


(嘘でしょ……)


 いや、嘘ではない。

 確かゲーム内では、「天才児」として登場するショタキャラだったはずだ。

 ということは、現在は完全に幼児。

 ショタ属性真っ最中だ。


(無理無理無理!

 私、ショタコンの趣味はないのよ)


 10年…いや15年も待つのか?

 私が20代後半の行き遅れ(この世界の基準では)になるまで、よだれ掛けをした婚約者の成長を見守るのか?

 それはもはや「妻」ではなく「母」だ。あるいは「乳母」だ。

 そんなロマンスのかけらもない結婚生活はお断りである。

 そもそもそんな行かず後家、公爵家次男の結婚相手として、対象に選ばれる訳がない。


 じゃあ三男は?

 もっと無理だ。

 まだこの世に生を受けてすらいない可能性がある。

 受精卵を狙えというのか?

 いや、結婚できるころになったら、こっちがさらにババアになってるわ…


(……詰んだ)


 私の脳内で、裁判官が木槌を叩く音がした。

 判決。パルスイート・アスパムテール、公爵家ルートでの玉の輿は棄却。

 一生、侍女(※偉いとはいえ)として労働に従事する刑に処す。


(はぁ……私の人生、真っ暗ね……)


 一気に力が抜けた。

 目の前に並ぶ豪華な料理も、もはや「最後の晩餐」にしか見えない。

 私はやさぐれた気分で、手近にあったローストビーフを皿に山盛りにした。


 もういい、食ってやる。

 この公爵家の食費を食い潰してやることが、私にできるせめてもの抵抗よ。


 私がフォークを肉に突き立てた、その時だった。


 パァーン!


 高らかなファンファーレが鳴り響くと、会場のざわめきが一瞬で止んだ。


「国王陛下より、重大なる発表がございます!」


 公爵家の執事が声を張り上げた。


 会場の全員が、期待と緊張の入り混じった眼差しで演台を見つめる。

 私もモグモグと肉を咀嚼しながら視線を向けた。


 現れたのは、金髪碧眼の少年――この国の第二王子、アーリー・ソーヴィニヨン殿下だった。

 そしてその横には、引きつった笑顔を浮かべるエリスリトール様が並ばされる。


「この良き日をもって、我が国第二王子アーリーと、アセスルファム公爵家令嬢エリスリトールの婚約をここに宣言する!」


 ワァァァァッ! と会場が割れんばかりの拍手に包まれる。

 祝福の声、羨望の溜息。

 エリスリトール様は、まるで蝋人形のように硬直したまま、必死に口角を持ち上げていた。


(へぇ……)


 私は飲み込んだ肉を胃に落とし、冷めた目でその光景を眺めた。


 ゲーム通りの展開だ。

 悪役令嬢と第二王子の婚約。

 ここから悲劇(喜劇?)のストーリーが始まるわけだ。


 壇上の王子を見る。

 キラキラとした金髪、整った顔立ち。

 いかにも「王子様」然とした風貌だが、その瞳にはどこか軽薄な色が漂っている。

 周囲の令嬢たちに愛想よく手を振り、自分が主役であることを疑わないナルシストの気配。


(アレが王子か~。

 ま、見た目は悪くないのよね~)


 顔の造形だけで言えば、合格点だ。

 ただ、正直に言えば――容姿の美しさだけなら、うちの兄(シスコン変態野郎)の方が圧倒的に上だろう。

 あいつは黙っていれば絶世の美青年なのだ。

 口を開けば「パルスは今日も可愛いね」とか、「パルスのものなら何でも(捨てた菓子の包み紙でも)愛おしいよ」なんて言い出すド変態。

 中身のせいで生理的に論外だけどね。

 そもそも兄妹だし。


 変態お兄様の話はさておき、今は第二王子よ。

 確か…ここんところあんまりいい噂聞かないのよね。

 王族なら、かなりしっかり教育されてる筈なんだけど…

 確かにゲームでは平民といちゃついたり、勝手に公爵家との婚約を破棄したり、王家の顔に泥を塗るような行為を平然とやるボンクラ王子だった。

 でもそれはあくまでゲームのシナリオ上の話。

 現実なら、徹底した教育でまともなお坊ちゃんに育ってるのが当たり前よね?


(でもまぁ、クズな性格でも王族、この国一番の大金持ちなら許せるってもんよ。

 中身はともかく……第二でも王子は王子、「ロイヤル」は「ロイヤル」ってことね)


 王族。

 その響きには、公爵家以上の甘美な「金と権力」の匂いがする。

 一生遊んで暮らせる究極の身分。

 国庫という名の無限の財布。


(……やっぱりロイヤルはいいなぁ。

 羨ましいわぁ)


 私は最後の一切れを口に放り込み、じっくりと咀嚼してから勢いよくゴクリと飲み込む。

 その味は、極上のソースと、ほんの少しの苦い嫉妬の味がした。

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