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第104話「英雄帰還!看病?密談?」


 ソーヴィニオン王国と聖リプトーン教国との間に、一時的な『休戦協定』が結ばれた。


 私が戦線に投入され、教国の絶対的な切り札であった『過去の聖女』を打ち破ったことで、教国軍は完全に戦意を喪失し、撤退を余儀なくされたのだ。

 王国軍は歓喜に沸き、私は絶望的な戦況を一人でひっくり返した『英雄』として称えられた。


 だが、その華々しい戦果の代償は、私自身の体に重く、そして残酷にのしかかっていた。


     ◇


 数日後。

 アスパルテーム伯爵家、本邸の車寄せに、一台の馬車が静かに滑り込んだ。


「パルスエット!!」


 馬車の扉が開くよりも早く、私の夫であるマルチトールが血相を変えて駆け寄ってきた。

 その後ろには、お父様(現伯爵)と、若き執事のソルビトールが控えている。


「マルチ、トール……」


 私が弱々しく声をかけると、彼は馬車の中に倒れ込むようにして私を抱きとめた。

 その瞬間、彼の顔からスッと血の気が引いていくのが見えた。


「なんてことだ……。

 パルスエット、君の服……その血は……!」


 彼が震える指で触れた私の胸元には、黒黒と変色した吐血の痕跡がべったりとこびりついていた。

 敵から受けた傷ではない。

 私のポンコツな心臓が限界を超え、陣幕で大量に血を吐いた時のものだ。

 

 アスラムテイルの『絶対防御』で外からの攻撃は完全に防いでも、私の内側から悲鳴を上げる臓器を守ることはできなかった。


「大丈夫よ……。

 ちょっと、はしゃぎすぎちゃったみたい。

 敵の返り血みたいなものだから、気にしないで……」


 私は強がって微笑んでみせたが、マルチトールは騙されなかった。

 私の脈を測る彼の手は、小刻みに、しかし激しく震えている。


「……脈が、異常に弱く、そして不規則だ。

 すぐにベッドへ!

 ソルビトール、お抱えの医師を急いで呼んでくれ!

 それと、私が調合した特効薬の準備を!」


 マルチトールは私を抱き上げ、かつてないほどの鋭い声で指示を飛ばした。

 普段の穏やかな彼からは想像もできないほどの気迫だ。

 

「はっ、直ちに!」


 ソルビトールが弾かれたように走り出す。

 お父様も「おお、パルスエット……なんということだ……」と涙ぐみながら、私たちの後をついてきた。


(……パルスエット。

 だから言っただろう、無茶をするなと。

 マルチトールの顔を見てみろ。寿命が縮んだのはお前だけではないぞ)


 私の脳内で、アスラムテイルの思念が重く響く。

 彼もまた、私の内なる損傷を防げなかったことに、深い自責の念を抱いているようだった。


(うるさいわね……。

 でも、マルチトールには……ちょっと悪いことしたわね……)


 私は薄れゆく意識の中で、必死に私を抱えながら走る夫の青ざめた横顔を見つめ、静かに目を閉じた。


     ◇


 それから数日間。

 私は自室のベッドに釘付けにされた。


「パルスエット、お薬の時間だよ。

 少し苦いけれど、心臓の負担を和らげる成分を限界まで濃縮してあるんだ。

 ……ゆっくり、飲んで」


 マルチトールは、私のベッドの傍らから片時も離れようとしなかった。

 彼自身もやつれ、目の下には深い隈ができているというのに、私の些細な寝返りや呼吸の変化にさえ敏感に反応し、昼夜を問わず看病を続けてくれた。


「……ありがとう、マルチトール。

 アンタが作ってくれるお薬、本当に効くのよね。

 ……だいぶ、胸の痛みが引いてきたわ」


 私が弱々しく笑いかけると、彼はホッとしたように目尻を下げ、私の手を両手で優しく包み込んだ。


「よかった……。

 君が倒れたと聞いた時は、本当に生きた心地がしなかったんだ。

 ……君を戦場へ送り出すと決めた王家を、私は初めて憎いと思ったよ」


 彼の言葉には、普段の温厚な彼からは想像もできないほどの、静かで冷たい怒りが混じっていた。

 だが、すぐにその表情は崩れ、泣き出しそうな顔で私の手に額を擦り付ける。


「お願いだ、パルスエット。

 もう二度と、あんな無茶はしないでくれ……。

 君がいなくなったら、私は……私には何の意味もなくなってしまう……」


 彼の不器用で、けれど真っ直ぐな愛情が、私の胸をギュッと締め付ける。


(……ごめんね、マルチトール)


 私は、彼の柔らかな銀髪をゆっくりと撫でた。


 マルチトールの献身的な看病のおかげで、私の体調は確かに回復の兆しを見せていた。

 だが、私自身はハッキリと自覚していたのだ。


 今回の戦いで、私の命のろうそくは、間違いなく大きく削り取られた。

 今は一時的に落ち着いているだけで、このポンコツな心臓は、確実に限界へと近づいている。


 私の命は、そう長くはない。


(私が死んだら、この人はどうなってしまうの……?)


 私を愛し、私のためだけに全てを捧げてくれているこの優しい人を、一人ぼっちで残して逝く。

 それは、私自身の死への恐怖よりも、ずっと恐ろしく、そして悲しいことのように思えた。


     ◇


 一方で、アスパルテーム家の執務室では、重苦しい空気が漂っていた。


「……ソルビトール。

 王都の様子はどうだ?

 パルスエットの戦果に対する、王家や他派閥の反応は」


 アスパルテーム伯爵は、デスクに肘をつき、胃のあたりを押さえながら重々しく問いかけた。

 その対面に立つ若き執事、ソルビトールは、いつになく険しい表情で片眼鏡を押し上げた。


「……表向きは、教国を退けた英雄として、当家への称賛の声が届いております。

 しかし、水面下では……非常に危険な兆候が見受けられます」


「危険な兆候、だと?」


「はい。

 王都に放っている密偵からの報告によりますと……

 王家上層部、特に好戦的な『鷹派』の貴族たちが、お嬢様の力を危険視し始めているとのことです」


 アスパルテーム伯爵の顔色が、さらに土気色に変わった。


「お嬢様の持つ『アンホーリー(反神聖)属性』

 あらゆる聖属性の治癒や加護を無効化し、なかったことにしてしまうあの力は……教国の聖女の天敵であったのと同時に、王家が所有する四大至宝の一つ『聖剣ソルビニオン』の力をも無力化し得る『天敵』であると、彼らは気づき始めたのです」


「……ッ!!」


 アスパルテーム伯爵が、バンッと机を叩いて立ち上がった。


「なんという……理不尽な!

 パルスエットは、王命に従って自らの命を削り、国を救ったのだぞ!

 それを、用が済んだ途端に自らの脅威となるからと危険視するというのか!」


「それが、権力者たちの論理にございます、旦那様」


 ソルビトールは淡々と、しかし苦しげに事実を突きつける。


「現在、我が国を支える『四大至宝』のパワーバランスは、大きく崩れようとしております。

 王家は聖剣のみを所有し、対して我が鳩派(アセスルファム公爵派閥)は、公爵家の『滅杖』、ズルチン侯爵家の『魔槍』、そして当家の『絶鎧』を擁しております。

 王家は、この圧倒的な戦力差を覆すために、何らかの策を講じてくるはずです」


「……公爵家から滅杖を…いや、ズルチン家を王家側に取り込むような政略結婚でも仕掛けてくる可能性もありうるか」


「その可能性は高いかと。

 そして、もしそうなった場合……王家にとって最も目障りなのは、聖剣の力を無効化し得るお嬢様と、絶対防御の『絶鎧』を併せ持つ我がアスパルテーム家ということになります」


 ソルビトールの言葉に、執務室は重い沈黙に包まれた。


 パルスエットの圧倒的な戦果は、皮肉にも、彼女自身とアスパルテーム家を、王家という巨大な権力の標的に引き上げてしまったのだ。


「……どうすればいい。

 あの子は、ただでさえ病で命を削っているというのに。

 これ以上、あの子に重荷を背負わせるわけにはいかない……!」


 アスパルテーム伯爵は頭を抱え、深々と椅子に沈み込んだ。


「当面は、お嬢様の体調不良を理由に、一切の王都への出仕や夜会への参加を断り、この領地に匿い続けるしかありません。

 私も、執事として、お嬢様の盾となる覚悟はできております」


 ソルビトールが深く一礼する。


 王家の影が、確実にこのアスパルテーム家へと忍び寄りつつあった。


     ◇


 そんな大人たちの暗躍や苦悩を知ってか知らずか。

 自室のベッドで、私は静かに目を覚ました。


 窓の外はすっかり暗くなり、部屋には淡い魔石ランプの灯りだけがともっている。


「……ん……」


 寝返りを打とうとして、右手に重みを感じた。

 見れば、ベッドの縁に突っ伏すようにして、マルチトールが眠っていた。

 彼の手は、私の手をしっかりと握りしめたままだ。


(……ずっと、看病してくれてたのね)


 私は、彼の穏やかな寝顔を見つめた。

 その顔には、隠しきれない疲労と、私を失うことへの恐怖の痕跡が残っている。


 私のポンコツな体に付き合い、公爵家の三男という立場を捨ててまで、私の傍にいることを選んでくれた人。

 不器用で、腕力はないけれど、誰よりも優しくて、私を愛してくれている。


「……マルチトール」


 私は、彼の頬にそっと反対の手を伸ばした。


 私の命は、長くない。

 それが明日なのか、数年後なのかは分からないけれど。


 でも、だからこそ。


(……残したい)


 私の中で、かつてないほど強烈な、根源的な願いが湧き上がってきた。


 戦場での武勲でもなく、領地の発展でもない。

 私がこの世界に、一人の人間として生きたという『証』。


 そして何より。

 私が死んだ後も、この優しくて不器用な彼を、決して一人ぼっちにさせないための……彼と私の『結晶』を。


(……子供が、欲しい)


 それは、私の体にとって、文字通り「命を削る」選択になるだろう。

 お父様も、マルチトールも、そしてアスラムテイルも、知れば絶対に猛反対するに決まっている。


 だから。

 私はこの決意を、誰にも言わず、密かに実行に移さなければならない。


「……ごめんね、マルチトール。

 また、アンタに心配かけることになっちゃうわね。

 でも……これが、私の最後で最大のワガママよ」


 私は、眠る彼の手をギュッと握り返した。


 忍び寄る王家の影と、私自身の命の限界。

 限られた時間の中で、私は自らの命を懸けた、新たな未来を紡ぐための『秘密の決意』を固めたのだった。

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