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第102話「武術稽古!絶対?防御?」


 アスパルテーム伯爵家、本邸の裏庭。


 いつもの気合の入った掛け声と共に、私の背丈ほどもある巨大な岩石が木っ端微塵に粉砕され、盛大に土煙が舞い上がる、いつも通りの風景。


 私、パルスエット・アスパルテームは、額に滲んだ汗を手の甲で拭い、満足げな息を吐いた。

 愛用のモーニングスターを肩に担ぎ、粉々になった岩の残骸を見下ろす。

 今日も私の遠心力と物理攻撃は絶好調だ。


 だが、そんな私の清々しい気分に冷や水を浴びせるように、背後から重く、そして深いため息が聞こえてきた。


「……はぁ。

 お嬢様。

 私が教えたいのは、そのような力任せの破壊活動ではありません」


 振り返ると、そこにはピシッとした執事服に身を包み、片眼鏡モノクルをかけた若い男が立っていた。

 年齢は二十代の後半といったところだろうか。

 神経質そうな細いフレームの眼鏡の奥で、生真面目な瞳が私を呆れたように見つめている。


 我がアスパルテーム家の執事であり、同時に私の武術指南役でもある男、ソルビトールだ。


「お嬢様はご自身の抱えるお体の事情――『心筋症』のリスクをご理解されているはずです。

 私が指南しているのは、無駄な動きを省き、最小限の力で敵の攻撃をいなし、制する『護身の立ち回り』です。

 あのように全力で鉄球を振り回し、岩を粉砕するなど、身体強化が全身に回って心臓に無用な負担をかけるだけではありませんか」


 ソルビトールは、手に持った木剣を軽く振りながら、説教を始めた。

 彼は執事でありながら剣の腕も立ち、お父様から私の体調を考慮した武術の指導を任されているのだ。

 若き日の彼もまた、後年と同じように融通の利かない堅物であった。


「いいじゃない、ソルビトール。

 細かい技術やステップなんて、頭で考えるだけで面倒くさいわ。

 要は敵を倒せばいいんでしょ?

 だったら、小手先の技でチマチマやるより、遠心力で一撃のもとに叩き潰した方が、結果的に戦闘時間も短くなって体力の温存になるじゃない」


 私がモーニングスターを揺らしながら脳筋極まる理論を展開すると、ソルビトールの眉間の皺がさらに深くなった。


「……それは、一撃で当たるという前提のお話です。

 もし避けられたら?

 もし複数の敵に囲まれたら?

 大振りな攻撃は隙を生み、致命的な反撃を許します。

 お嬢様のその戦い方は、あまりにも大雑把で危険すぎます」


 ソルビトールの小言が長引きそうになった、その時だった。


「ソルビトール。

 そのくらいにしておいてあげてくれ。

 パルスエットも、少し息が上がっている」


 木陰の方から、穏やかな声が掛けられた。

 見れば、真っ白な汗拭きと、冷たいハーブティーを乗せたお盆を持った私の夫――マルチトールが歩み寄ってくるところだった。


「マルチトール様……。

 しかし、お嬢様のこの大雑把な戦い方では、いざという時に……」


「わかっているよ。

 君がパルスエットの体を心配してくれているのはね。

 でも、彼女はこういう人だ。

 あまり型にはめようとすると、逆にストレスになってしまう」


 マルチトールは苦笑しながら、私に汗拭きを渡してくれた。


「ありがとう、マルチトール。

 やっぱりアンタは分かってるわね。

 ソルビトールは頭が固すぎるのよ」


 私が汗拭きで顔を拭い、ハーブティーをゴクゴクと飲み干すと、ふいに私の周囲の空気が微かに揺らいだ。

 そして、私の背後に、黄金色に輝く豪奢な鎧の幻影がフワリと姿を現した。


(……まったく。

 マルチトールの言う通りだぞ、パルスエット。

 ソルビトールはお前のために言っているのだ。

 お前は自分の体のポンコツ具合を、もう少し自覚したらどうだ)


 私の脳内に、直接、重々しい男の声が響き渡る。

 アスパルテーム家の至宝にして、私と魂のリンクを繋いでいる知性体、『絶鎧アスラムテイル』だ。


 彼は現在、霊体のような思念となって私の周囲を漂っている。

 彼の声は、契約者である私にしか聞こえない。


(うるさいわね、アスラムテイル。

 あんたまでソルビトールの味方をするわけ?)


 私が脳内で言い返すと、幻影の鎧は呆れたように首を振るような動作を見せた。

 私が何もない虚空を見つめて黙り込んだのを見て、マルチトールとソルビトールが顔を見合わせる。


「パルスエット様。

 もしかして、アスラムテイル様が何か仰っているのですか?」


 ソルビトールが問いかけてきた。

 彼らにはアスラムテイルの姿は見えても、その声は聞こえないのだ。

 私はため息をつきながら、相棒の言葉を通訳することにした。


「ええ。

 『マルチトールの言う通りだ、お前は自分の体のポンコツ具合を少しは自覚しろ』だってさ。

 どいつもこいつもうるさいったらありゃしないわ」


 私が口を尖らせて言うと、マルチトールは優しく微笑んだ。


「アスラムテイルも心配しているんだよ。

 君が無理をして、心臓の発作を起こさないかってね」


(その通りだ。

 お前は分かっていないのだ、パルスエット)


 脳内で、アスラムテイルがさらに言葉を続ける。


(私は、四大至宝の一つ『絶鎧』

 外部からのいかなる物理攻撃も、魔法攻撃も、完璧に無効化する絶対防御の要だ。

 お前が敵の刃に晒されようと、強大な魔法を打ち込まれようと、私が顕現して身を包めば、傷一つ負わせることはない)


 それは紛れもない事実だった。

 『絶鎧アスラムテイル』は、文字通り無敵の装甲だ。

 契約者が健康で強靭でありさえすれば、まさに戦場において無双の存在となり得る。


(だが……。

 私の絶対防御は、あくまで『外部からの干渉』に対するもの。

 お前の体の内側から蝕む病、心臓の発作には、私はいかなる干渉もできず、守ってやることもできんのだ。

 だからこそ、無駄な体力を使って自らを危険に晒すなと言っている)


 アスラムテイルの声には、強力なインテリジェンスウェポンでありながら、契約者の病一つ治せない己の無力さに対する、深いジレンマと悲哀が滲んでいた。


「……アスラムテイルが、なんだか落ち込んでるわ。

 『外からの攻撃は完璧に防げるけど、お前の内側の病気は守れない。だから無駄な体力を使うな』ですって」


 私がアスラムテイルの言葉を代弁すると、ソルビトールは真剣な顔で頷いた。


「アスラムテイル様の仰る通りです。

 お嬢様が戦場に立つことになれば、敵の攻撃は絶鎧が防いでくださるでしょう。

 しかし、武器を振るうご自身の体力と心臓の負担だけは、ご自身で管理するしかないのです。

 だからこそ、私は効率的な立ち回りを……」


「もう、わかったわよ。

 明日からはもう少し真面目にステップの練習もするから」


 私が降参したように手を挙げると、隣でマルチトールが私の手をそっと握った。


「アスラムテイルが、パルスエットの外側を完璧に守ってくれるなら。

 私は、君の内側を守るよ」


 マルチトールは、真っ直ぐな瞳で私を見つめた。


「薬草の調合も、食事の管理も、私が全力でやる。

 君の心臓への負担を少しでも減らせるように、私が内側からの盾になる。

 だから、アスラムテイル。

 彼女のことは、私たちで一緒に守ろう」


 マルチトールが幻影の鎧に向かって語りかけると、アスラムテイルの思念が微かに揺らいだ。


(……ふん。

 腕力もないヒョロい軟弱者の分際で、言うことだけはいっちょ前だな。

 だが……お前のその知識と献身には、私も助けられている。

 パルスエットの内側は、お前に任せよう、マルチトール)


 「アスラムテイルが、『ヒョロい軟弱者のくせに言うじゃない。内側はアンタに任せるわ』って言ってるわよ」


 私がわざと意地悪く通訳すると、マルチトールは苦笑いしながら「ヒョロい軟弱者は余計だよ」と私の肩を軽く小突いた。

 ソルビトールも、やれやれといった顔で木剣を片付けている。


 私を過保護に守ろうとする、夫と、執事と、そして鎧。

 この三人の存在があるからこそ、私は自分の短いかもしれない命を悲観することなく、こうして笑って生きていられるのだ。


「さて、汗も引いたし。

 そろそろお部屋に戻って、シャワーでも浴びようかしら……」


 私がモーニングスターを拾い上げようとした、まさにその時だった。


「パルスエット!!

 いるか、パルスエット!!」


 裏庭の入り口から、尋常ではない切羽詰まった声が響き渡った。


「お父様……?」


 現れたのは、当主であるお父様だった。

 彼はいつもなら執務室で事務処理をしている時間帯だというのに、今は血相を変え、息を切らしてこちらへ向かって走ってきていた。


「お義父様、どうされたのですか!?

 そんなに慌てられて……」


 マルチトールが驚いて駆け寄る。

 ソルビトールもただならぬ気配を察し、スッと姿勢を正した。


「……はぁ、はぁ……っ。

 一大事だ、パルスエット」


 お父様は膝に手をつき、荒い呼吸を繰り返しながら、絞り出すように言った。

 その顔色は、いつもの胃痛による土気色を超え、完全に蒼白に染まっている。


「先ほど、王都から早馬が到着した。

 ……隣国、『聖リプトーン教国』との国境付近で、予てから続いていた小競り合いが、ついに大規模な武力衝突へと発展したそうだ」


「……武力衝突」


 私の表情から、先ほどまでののんびりとした笑みが消え去る。


「教国軍の動きは想定以上に早く、そして苛烈だ。

 これを受け、我がソーヴィニオン王国の国王陛下は……ついに、教国に対する正式な『宣戦布告』を発令された」


 宣戦布告。


 それは、局地的な小競り合いではなく、国と国とが総力を挙げてぶつかり合う、全面戦争の始まりを意味する言葉だった。


「そして……」


 お父様は、重苦しい視線を私に向けた。


「我がアスパルテーム伯爵家にも、王国軍司令部より、正式な『出兵の要請』が下った」


 風が、ピタリと止んだ。

 裏庭の空気が、一瞬にして凍りついたかのように重くなる。


 アスパルテーム家に出兵の要請が下ったということは、ただ兵士を派遣すればいいという話ではない。


「……四大至宝の一つ、『絶鎧アスラムテイル』の力を、戦線に投入せよということですね」


 マルチトールが、震える声で呟いた。


「そうだ」


 お父様は目を伏せ、苦しげに頷いた。


「絶鎧の契約者は、次期当主であるパルスエット、お前だ。

 つまり……お前自身が、あの過酷な最前線へ赴かなければならないということだ」


 沈黙が落ちる。


 ソルビトールが顔をしかめ、マルチトールが私の手を強く、痛いほどに握りしめた。

 彼の手は、小刻みに震えていた。


 私の体は、ポンコツだ。

 いつ心臓の発作が起きるか分からない、爆弾を抱えた体。

 そんな体で、血と泥に塗れた最前線へ行く。

 それは、死地に赴くのと同じことかもしれない。


(……パルスエット)


 脳内で、アスラムテイルの思念が、静かに、そして重く響いた。


(ついに、この時が来たか。

 お前を戦場に出すのは、私としても腸が千切れる思いだ。

 だが……王命となれば、逆らうことはできん)


 『絶鎧』の声には、契約者を守らねばならないという強い意志と、避けられない運命に対する覚悟が宿っていた。


「……」


 私は、マルチトールの震える手を、もう片方の手で優しく包み込んだ。

 そして、傍らに置かれたモーニングスターを見下ろす。


 心臓の病。

 回復魔法を無効化する『アンホーリー属性』。

 そして、絶対防御の『絶鎧』。


 私が生まれ持ったこの特異な力は、まるで、来るべきこの戦争のために用意されていたかのようではないか。


「……お父様。

 マルチトール。

 そして、ソルビトール」


 私はゆっくりと顔を上げ、三人の男たちを真っ直ぐに見据えた。

 そこに、お転婆な令嬢の面影はなかった。

 あるのは、アスパルテーム伯爵家の次期当主としての、そして一人の戦士としての、揺るぎない覚悟の炎だった。


「アスラムテイルの契約者として、王命を謹んでお受けいたしますわ。

 私が、前線へ出ます」


「パルスエット……!

 しかし、君の体は……!」


 マルチトールが悲痛な声を上げるが、私はニッと不敵に笑って見せた。


「心配しないで、マルチトール。

 私には、アンタが作ってくれた特製の薬草茶がある。

 外からの攻撃はアスラムテイルが全部弾き返してくれる。

 それに、ソルビトールに教わった『無駄のない立ち回り』……まあ、完璧じゃないけど、少しは役に立つはずよ」


 私はモーニングスターを拾い上げ、肩に担いだ。

 ズシリとした鉄の重みが、私の覚悟をさらに強固なものにしてくれる。


「教国がどんな戦力を出してこようと。

 私のこの『鈍器』と『絶鎧』で、まとめて粉砕してきてあげるわ!」


 忍び寄る戦火。

 平和だった私たちの日常は、この日を境に、凄惨な血の歴史へと飲み込まれていくことになる。


 パルスエット・アスパルテーム。

 後に『聖女殺し』として歴史にその名を刻むことになる特異な魔法戦士の、初陣の時が、すぐ目の前まで迫っていた。

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