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第101話「相愛成立!成就?献身?」


 あれから、数年の月日が流れた。


 私、パルスエット・アスパルテームと、アセスルファム公爵家の三男マルチトールとの間には、いつしか奇妙な、しかし確かな関係性が築かれていた。


 出会った当初は、ただの「ちょっと変わった、親切なヒョロ気弱君」という認識だった彼。

 だが、手紙のやり取りや、互いの領地を行き来する訪問を重ねるうちに、彼は私にとって、なくてはならない大切な存在へとなっていた。


 アスパルテーム伯爵家、本邸の裏庭。


 今日も今日とて、私は青空の下で愛用のモーニングスターを振り回し、日課の運動(岩砕き)に勤しんでいるところだ。


「ふっ!

 はぁっ!

 せいりゃぁぁぁぁっ!!」


 ドゴォォォォォォォンッ!!!


 凄まじい轟音と共に、私の背丈ほどもある庭石が粉々に砕け散り、土煙が舞い上がる。

 額に滲んだ汗を手の甲で拭い、私は満足げな息を吐いた。


「ふぅ……。

 今日もいい汗かいたわね。

 やっぱり、運動はこれに限るわ」


「……パルスエット様。

 あまりご無理はなさらないでくださいね。

 はい、汗拭きです。

 それと、冷たいお茶も用意してありますから」


 振り返ると、そこにはいつものように、木陰のベンチに座って分厚い本を読んでいたはずのマルチトールが立っていた。

 彼は出会った頃よりも少し背が伸び、アセスルファム公爵家の特徴ともいえる銀髪も伸びて大人の顔つきに近づきつつあるが、その細身で華奢な体つきと、穏やかな雰囲気は変わっていない。


 彼は私が息を上げた瞬間を見計らったかのように、完璧なタイミングで真っ白な汗拭きと、私の好みに合わせた冷たいハーブティーを差し出してくれた。


「ありがとう、マルチトール!

 アンタって本当に気が利くわよね。

 うちのメイドたちより優秀かもしれないわ」


 私がタオルを受け取り、ゴクゴクとお茶を飲み干すと、彼は少しだけ困ったように、けれど嬉しそうに微笑んだ。


「お役に立てて光栄です。

 でも、メイドと比べるのはどうかと……。

 それに、パルスエット様の体調管理は、私にとって何よりも優先すべきことですから」


 そう、彼はこの数年間、私の「体調管理」に異常なほどの執念を燃やし続けていたのだ。


     ◇


 私が生まれつき抱えている、重い『心筋症』。

 そして、あらゆる回復魔法や治癒の加護を弾き、なかったことにしてしまう『アンホーリー(反神聖)属性』という特異体質。


 この二つの呪いのような特性が合わさった結果、私の病は「不治の病」として私を蝕み続けている。


 だが、マルチトールは決して諦めなかった。

 彼は魔法で治せない私の体を少しでも楽にするため、自らの持つ膨大な知識欲と探究心を、全て『私のため』だけに注ぎ込んだのだ。


 公爵家の広大な書庫にこもり、歴史書から古代の薬草学、果ては他国の民間療法に至るまで、ありとあらゆる文献を読み漁った。

 そして、発作を和らげる効果のある希少な薬草を自ら調合し、私の心臓に負担をかけない生活様式や食事のメニューまで、独自に研究して提案し続けてくれたのである。


「今日のハーブティーは、少し配合を変えてみました。

 動悸を鎮める成分に加えて、疲労回復を促すハーブを多めにブレンドしています。

 ……お味はいかがですか?」


「うん!

 すごく美味しいわ!

 前よりスッキリしてて飲みやすいし。

 アンタが作ってくれるお茶を飲むと、本当に体が楽になるのよね」


 私が屈託なく笑いかけると、彼はホッとしたように目尻を下げた。

 その見返りを求めない真摯な献身ぶりには、極度の過保護である私の相棒、『絶鎧アスラムテイル』でさえも一目置くようになっていた。


(……ふむ。

 相変わらず、感心するほどの気配りだな。

 我が主の些細な顔色の変化から、体調の波を正確に読み取りおる。

 武芸の腕はからきしだろうが、あの知識と献身は本物だ。

 ……あやつになら、パルスエットを任せられるかもしれんな)


 私の脳内で、アスラムテイルがボソリと呟く。


 絶対防御を誇る彼にとって、私が内側から蝕まれる病は、最も恐ろしく、そして自分の力ではどうすることもできない無念の象徴だった。

 だからこそ、物理的な防御以外の面で私を支えてくれるマルチトールの存在を、誰よりも頼もしく思っているのだろう。


(なに感心してんのよ、アスラムテイル。

 マルチトールは本当にいいお友達なんだから、当たり前でしょ!)


 私は脳内でアスラムテイルに返しながら、ベンチに腰を下ろした。


 そう。


 私は彼を「世界で一番親切で、気が利く最高の『お友達』」だと、固く信じて疑っていなかったのだ。

 彼がこれほどの献身を見せる理由が私に対する『強烈な恋心』ゆえであるということに、色恋沙汰に全く無縁な脳筋令嬢の私は微塵も気づいていなかったのである。


     ◇


 だが、そんな穏やかな私たちの日常とは裏腹に、アスパルテーム伯爵家では一つの深刻な問題が持ち上がっていた。


「……はぁ。

 どうしたものか……」


 お父様――現アスパルテーム伯爵は執務室で頭を抱え、深いため息をついていた。

 その手には、釣書(縁談の申し込み書)への返答が束となって握られている。


 問題となっているのは他でもない。

 次期当主である私、パルスエットの「婿取り(婿養子探し)」である。


 貴族社会において、家の存続は絶対の義務だ。

 一人娘である私が家を継ぐためには、他家から優秀な男子を婿養子として迎え入れなければならない。

 本来であれば、伯爵家の次期当主の伴侶という座は、多くの貴族の三男坊や四男坊にとって喉から手が出るほど欲しい優良物件のはずだった。


 ……そう、「本来であれば」。


「お父様、また婿探しでお悩みですか?」


 私が執務室に顔を出すと、お父様はげっそりとした顔で顔を上げた。

 その顔色は、私の将来を案じるあまり、完全に土気色になっている。


「パルスエット……。

 お前、少しは自分の現状を理解しているのか?」


「現状?

 ええ、わかっていますわ。

 私の婿になりたいって言う、命知らず……いえ、勇敢な殿方が一人もいないってことでしょう?」


 私がカラカラと笑いながら言うと、お父様はさらに深くため息をついた。


 無理もない。


 貴族間における現在の私の評価は、婿取り市場において控えめに言っても「最悪」を極めていたのだ。


 第一に、我がアスパルテーム家の正統な血筋の問題。

 『絶鎧アスラムテイル』の継承者が産まれなければ、家は王家に接収されてしまうという、お家断絶・取り潰しの危機が迫っていること。

 この重大すぎる責任を、他家から来た婿が背負わなければならない。


 第二に、私が重い心臓病を抱えており「短命である可能性が極めて高い」ということ。


 第三に、あらゆる回復魔法を無効化する『アンホーリー属性』の持ち主であること。

 怪我をしても病気になっても聖属性魔法やポーションで治せないとなれば、それは貴族としてあまりにもリスキーだ。


 アスパルテーム家の一粒種である私が、短命で怪我も直せない上に心臓に不治の病を抱えている現状、もしアスパルテーム家に婿入りしても、家が取り潰しになり露頭を彷徨う結果になる可能性が大いに考えられるということだ。


 そして第四に……


 これが一番致命的なのだが、「そのくせ、毎日裏庭で凶悪なモーニングスターを振り回し、巨大な岩石を粉砕している異常な怪力の持ち主」であるという情報が、社交界に広く出回ってしまっていることだ。


『あの令嬢は、病弱なふりをした狂戦士だ』


『婿に入ったら、機嫌を損ねた瞬間に鉄球で頭を叩き割られるに違いない』


『しかも回復魔法が効かないから、間違って自分が怪我をしても治せないらしいぞ』


 そんな尾ヒレのついた恐ろしい噂が飛び交い、アスパルテーム家存続の重すぎる責任と、私自身の悪評が合わさった結果、「そんな泥船に好き好んで婿に入りたいと思う命知らずな男はいない」という絶望的な状況が見事に完成していたのである。


(あんなもの、実際には魔力による身体強化が出来れば簡単なのに、体を動かさない人達はこれだから…)


「笑い事ではないぞ、パルスエット。

 このままでは、アスパルテーム家はお前の代で王家に接収され、断絶してしまう。

 せめて、もう少しお淑やかに……その、鉄球を振り回すのだけでもやめてくれないか?」


 お父様がすがるような目で訴えかけてくるが、私はきっぱりと首を横に振った。


「無理ですわ、お父様。

 あの運動は私の生命線ですもの。

 それに、そんな噂を真に受けて逃げ出すような腰抜けの男なんて、こっちから願い下げよ」


 私は腕を組み、ケロッとした顔で言い放った。


「結婚なんてしなくてもいいじゃありませんか。

 私が当主として、生きられるところまで全力で生き抜く。

 それで家が絶えるなら、それはそれまでの運命だったってことですよ」


「……お前というやつは。

 なんという男前な、そして親不孝なことを言うのだ……」


 お父様はついに両手で顔を覆い、机に突っ伏してしまった。

 その背中には、深い絶望と疲労が漂っている。


 私は少しだけ申し訳なく思いつつも、自分の生き方を曲げるつもりは毛頭なかった。

 私の命は、いつ尽きるかわからない。

 だからこそ、誰かに気を遣って、自分を偽って生きるような真似はしたくないのだ。


「まあ、気長に待ちましょうよ、お父様。

 私のこの『ポンコツな体』と『狂戦士の噂』、そしてお家取り潰しのリスクを全て受け入れた上で、それでも一緒にいたいって言ってくれるような、物好きな変わり者が現れるかもしれないじゃないですか」


 私がそう言って笑った、その時だった。


「――私が、その『変わり者』に立候補いたします」


 執務室の開け放たれたドアの向こうから。

 静かで、しかし決して揺らぐことのない、強い意志を持った声が響き渡った。


「……え?」


 私とお父様が同時に振り返る。


 そこに立っていたのは、いつもの穏やかな微笑みを消し、決然とした表情を浮かべたアセスルファム公爵家三男――マルチトールだった。


     ◇


「マ、マルチトール殿……?

 今、なんと……?」


 お父様が、信じられないものを見る目で彼を見つめる。

 私も同じように、目を丸くして彼を凝視していた。


「マルチトール?

 アンタ、いつからそこに……って、立候補って、何に?」


 私の間抜けな問いに対し、マルチトールは一歩、執務室の中へと足を踏み入れた。

 その姿勢はピンと伸び、公爵家の血を引く者としての誇りと気品に満ち溢れている。


「アスパルテーム伯爵閣下。

 突然の非礼をお許しください。

 外で待機していたのですが……お二人のお話がどうしても耳に入ってしまいまして…」


 彼は深く一礼した後、真っ直ぐにお父様の目を見据えた。


「僭越ながら、私をパルスエット様の婿としてお迎えいただけませんでしょうか」


「……っ!!」


 お父様が息を呑む音が聞こえた。

 私も、自分の耳を疑った。


「ちょ、ちょっと待って!

 マルチトール、アンタ正気!?

 アスパルテーム家の婿養子になるってことは、アセスルファム公爵家の三男っていう立場を捨てるってことなのよ!?」


 私は慌てて彼の前に進み出た。


 公爵家の子息。

 それは、この国において王族に次ぐ権力と財力を約束された、誰もが羨む立場だ。


 それを捨てて、病弱で短命で、狂戦士の噂が立ち、さらにはお家取り潰しの危機まで抱えた伯爵家の娘の婿になる?

 それは、誰の目から見ても「人生の墓場」へのダイブに他ならない。


「わかっています。

 公爵家の三男という立場も、それに付随する利権も、私には必要ありません。

 喜んで全てを捨てます」


 マルチトールは、一切の躊躇なく言い切った。


「……なぜだ?」


 お父様が、震える声で問う。


「マルチトール殿。

 我が娘の状況は、ご存知のはずだ。

 いつ倒れるかわからない不治の病。

 回復魔法の効かない体。

 そして、あの……恐ろしい鉄球。

 おまけに継承者が生まれなければ王家に接収されるという家の重圧まである。

 貴殿のような優秀な若者が、自らそんな泥船に乗るような真似をする理由がわからない」


 お父様の問いに対し、マルチトールはゆっくりと、私の方へ向き直った。

 その瞳には、今まで見たこともないような、熱く、深い光が宿っていた。


「理由は、ただ一つです」


 彼は、そっと私の手を取った。

 その手は、剣も握ったことのない、白く細い指をしていたが……驚くほど力強く、そして温かかった。


「私はただ、パルスエット様の傍で。

 彼女が、太陽のように笑って生きられる時間を、少しでも長く支えたいのです。

 彼女の苦しみを共に背負い、彼女の痛みを少しでも和らげたい。

 ……それが、私の生涯を懸けた願いだからです」


「……えっ」


 私は、彼の言葉の意味が理解できず、呆然と彼を見つめ返した。


 少しでも長く支えたい。

 苦しみを共に背負いたい。

 生涯を懸けた願い。


 ……それは。

 それは、もしかして。


(……え?

 あれ?

 これって……もしかして、そういうこと?)


 私の鈍感な脳細胞が、ようやく事態の真相を理解し始めた。


 彼が、出会ったあの日からずっと、私の些細な体調の変化に気を配り続けてくれたこと。

 膨大な文献を読み漁り、私のために薬草を調合し続けてくれたこと。

 見返りも求めず、ただ私の傍にいて、私が笑うのを見て嬉しそうにしていたこと。


 それは、「親切な友達」だからではない。

 彼が私に、出会った瞬間から、ずっと、ずっと……。

 強烈な『恋心』を向けてくれていたからなのだと。


「……マルチ、トール。

 もしかして、アンタ……私のこと……」


 私が震える声で呟くと、マルチトールは顔を真っ赤に染めながら、しかし決して目を逸らさずに頷いた。


「はい。

 お庭で初めてお会いした、あの日からずっと。

 私は、パルスエット様に心を奪われていました。

 ……愛しています。パルスエット様。

 どうか、私と結婚してください」


 不器用で、飾り気のない、けれど彼らしい真っ直ぐなプロポーズ。

 その言葉を聞いた瞬間、私の顔から一気に火が出るほどの熱が吹き上がった。


「~~~~~~っ!!」


 熱い。

 顔が熱い。

 今まで、どんなに重い鉄球を振り回しても、こんなに胸が高鳴ったことはなかった。

 どんなに激しい発作が起きても、こんなに息が苦しくなったことはなかった。


 色恋沙汰に無縁で、戦うことと笑うことしか知らなかった私の心に、彼の不器用な愛情が、ドカンと直撃したのだ。


「あ、あのね……!

 アンタ、本当にわかってるの!?

 私の体はポンコツだし、いつ死ぬかわからないのよ!?

 それに、私はお淑やかな令嬢なんかじゃない。

 モーニングスターで岩を砕くのが趣味の、我儘で乱暴な女なのよ!?」


 私は必死に、自分を貶めるような言葉を並べ立てた。

 彼を、こんな短い命の自分に縛り付けたくなかったから。

 彼には、もっと相応しい、健康で長生きできる女性がいるはずだから。


 だが、マルチトールは優しく微笑んだ。


「ご家族を差し置いて言うことではないとわかっています。

 でも誰よりも知っていると、そう思っています。

 あなたの体が人とは違うことも。

 岩を砕くのが趣味なことも。

 我儘で、お転婆で、どうしようもないことも。

 そして、とても前向きで可愛らしい方だということもです」


 彼は、私の手をさらに強く握りしめた。


「私はそんなあなたが好きなのです。

 病に抗い、今この瞬間を全力で燃やし尽くすように生きる、その圧倒的な生命力が。

 だから……私が……いえ、私もあなたを守りたいのです。

 アスラムテイルが外の攻撃からあなたを守る鎧なら、私は、あなたの内側の痛みを和らげる盾になります」


 その言葉は、私の心を完全に打ち砕いた。

 彼の覚悟は本物だ。

 公爵家という立場を捨て、私の短い命に寄り添うことを、彼は自らの意志で選んだのだ。


「……っ」


 視界が、不意に滲んだ。

 私はギュッと目を閉じ、溢れそうになる涙を堪えた。


 こんなポンコツな私を。

 こんなにも真っ直ぐに、愛してくれる人がいる。


(……負けたわ。

 アンタの、その無謀な覚悟に)


 私は深く息を吸い込み、そして、いつものように不敵に、けれど照れ隠しに笑ってみせた。


「……本当に、アンタって最高のヒョロ気弱君ね」


 私は握られた彼の手を、ギュッと握り返した。


「言っておくけど、私と結婚したら、苦労の連続よ。

 毎日薬草を煎じさせられるし、私が暴れないように見張ってなきゃいけないし。

 それに、私が先に死んでも、アンタはずっとアスパルテーム家のために働かなきゃいけないのよ」


「望むところです。

 一生、あなたの我儘に付き合います」


 マルチトールが、顔をくしゃくしゃにして笑う。

 その笑顔を見て、私もつられて笑ってしまった。


「……それって、私のポンコツな体と、この我儘に一生付き合う覚悟があるってことよね?

 ……よろしく頼むわね、マルチトール」


 こうして。

 アスパルテーム伯爵家において最も絶望的だと思われていた次期当主の婿取り問題は、あっけなく、そして最高にドラマチックな形で解決を見た。


「おお……!

 おおおお……っ!!

 ありがとう、マルチトール殿!

 この愚娘を、どうか、どうかよろしく頼む……っ!!」


 お父様が、大号泣しながらマルチトールの手を握りしめている。

 その背後で、幻影として現れたアスラムテイルも、深く、深く安堵の溜息をついていた。


(……よく言った、小僧。

 お前なら、パルスエットを任せられる。

 私の手の届かない場所を、どうか支えてやってくれ……)


 過保護な鎧の祝福と、号泣するお父様。

 そして、真っ赤な顔をして笑い合う、お転婆な令嬢と文学青年。


 それは、死の影を背負いながらも、決して暗く沈むことのない、アスパルテーム伯爵家の一つの、そして永遠に続く奇跡の始まりであった。


 私と彼が夫婦となり。

 そして、世界を揺るがす特異な力を持つ愛娘がこの世に生を受けるのは、もう少しだけ先のお話である。

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