第八話 未来に見えるもの
「ガァァァァ!!」
「な、なんだ、こいつ!?」
多くの木々から出てきたのは1.8メートルくらいはある大柄なクマのようだが……。なにか違う。毛色だ、毛色が違う。見た目は普通のグリズリーだが、あいつのように白っぽい色ではなく、正反対の色だ。まるで漆塗りを施したかのように黒い、加えて目も真っ赤だ。目薬さしとけよ……。
「気をつけて! デーモングリズリーよ!」
彼女が少し後退しながら言った。ギュッと杖を抱えている。俺はそれを見て彼女と同じように少しずつ後退する。それ見たデーモングリズリーはズカズカと近づいて来る。口からよだれが滴り、獲物に飢えていることが見て取れる。
いや……申し訳ないんですけれど、魔物の名前を教えてくれても俺はわからないんですよ。
「どうする?」
俺はそいつから目を離さずに解決策を探す。目を離したら即死な気がする……。
「アンタ、行きのときはこんなやつに会わなかったの?」
「もちろん、たぶん師匠がいたからだね」
「その師匠、なんとか呼べないの?」
「多分無理かな、けっこうスパルタだし。多分この状況すらも糧としろって言いそうだし」
「とにかく逃げるわよ、こんなの相手にしてたら死ぬわ!」
そう言うと、歩いてきた道を後戻りして走り出した。それを見た俺も撤退したかったが、俺は戦いたかった。対人間でしか、身の丈を知れなかったが、魔物との戦いではどのくらい戦えることができるのか、知りたい!
俺はその場に脚を止めて、構えを取る。狙うは急所だ、一撃必殺。短時間で終わらせたい。
「ヴォォォォォオ!!」
その咆哮は遥か後方へと響き渡るかのような勢いだった。脳を直接揺らされているかのようで、耳の鼓膜は破れ血が吹き出して来そうだった。
彼女の反応からするに、高レベルの魔物だ。だからこそ、やり甲斐がある。そのせいか、恐れよりも戦えることの高揚感が高い。
「行くぞ! 怪物野郎!」
「ヴォォォォォォォォオ!!」
俺はそのグリズリーに怯むことなく、一直線に突っ込んで行った。それを見たグリズリーは獲物が自分から喰われにきたと思ったのか先ほどよりもたくさんのよだれを口から垂らしながら二足歩行でドンドンと音を立てながら走って来た。
そのときようやく、俺はあいつの爪を見ることができた。その爪は毛色と同様に漆黒で、影に入れば全く見ることができない。とてつもなく恐ろしい。
ブン!!
凄まじい空気を裂く音を立てながら爪を振るう。俺は咄嗟に膝を脱力し、その場にかがむ。
「あぶねぇぇえ!」
すると偶然だが、そいつの暗黒の爪がヒットした一つ大木がバキバキと音を立てながら倒れた。あの木は横幅60センチはあった。それを切り裂くとすれば、いかに手練れであれ数回に分けて切らなければいけない。もちろんのことだが、俺はそんなことできるわけがない。
すると次の攻撃に繋がる。あいつの右後ろ足をドンッと踏むと地面が激しく揺れ出し、雷の形に沿ってひび割れが入った。バギバギバギという音を立てながら俺の後方までヒビがはいっていた。
俺はすぐさま横へ転がりながら避ける。
それと同時だった!!
バギァガガガガガガ!!
聞いたこともない音を立てながら、地面から土を固めて作った岩のようなものが飛び出した。それは突起物の形をしており、掠ったとしても皮が裂けるほどの鋭利さだった。まともに刺さりでもしたら……。
五大元素の土の魔法「土柱」俺は使ったことがないが、魔法の達人クラスが使うレベルだ。
ちなみにこの世界では、初級、一般、達人、師極、至高、マスターの順に強いらしい。
「ゴギァァァァア!!」
次なる手を打ったのはまたしてもグリズリー!
口を大きく開くとみるみると周囲の空気が吸い寄せられていき、薄暗い中で煉獄の如く赤い紅の炎が生成されていく。
(まずい、もし木に当たったら周囲の草木に引火する……。もしそれを分かってやってるとしたら……。)
それは拳よりも一回り大きいサイズまでに膨れ上がり、光のない夜に月光が照り輝くが如く眩い光を放っていた。
「弾くしか……」
「ガァァァァ!」
行動するか迷っているうちに放たれてしまった。赤い炎はみるみるうちに近づき、顔の前まで近づく。
俺は両手で剣を精一杯握り、前腕に魔力集中させる。俺は剣に水を纏わせ、炎を消化しに掛かる。
上段に構えた剣を垂直に叩き落とす。剣の刀身を覆う水と、炎が触れジュゥゥウ! という音を響かせながら押し込まれる。たかが、魔法なのにすごい力だ!
「ゴギァァァァア!!」
なんとやつはほぼその場に動くことができなくなった俺を見て全速力でこちらに走って来る。魔物のくせに、無駄にIQが高い。
「待てよ!」
ドンドン! と地面を震わせ、木々を揺らしながら走って来る。そのスピードは先ほどの比ではない。血に飢えた猛獣のようだった。
(早く! 早く鎮静しろ!)
剣にはいまだに炎を鎮静させる水の姿がある。俺は先ほど以上に力を入れ強引に叩き落とそうとするが、落ちない!
足りていないのは俺の力ではない。魔法、すなわち鎮静させている水の威力が炎を完全に沈めるに足る威力が出しきれていないということ。ここに来て足りないのは剣士としての実力ではなく、魔法の力ということに嫌になる。
「くっそ……まじか」
「ガァァァァ!」
もうデーモングリズリーは目の前に来ていた。周囲の暗闇に溶け込み、視認するのが少し遅れていた。あの太い大木を一撃で両断した、暗黒の爪が再び俺を襲う!
やつの顔は獲物を獲得することを確信した顔をして充血しているかのような眼をカッ開き、爪を振り下ろす。
それは先ほどよりも素早く、俺の顔目掛けて狙っていた。
避ける? いや、避けたらダメだ。周囲の木々が燃やされ俺だけでなく周囲の住民に被害が出る……。でも、避けなかったら、俺が死ぬ。さっきのを見て生き残れるわけない……。
俺はもう、進退極まり動くことができなかった。ただただ、自分の運命を受け入れることしかできなかった。
「ゴギァァァァア!!!!」
「屈んで!!」
刹那、救いの手を差し伸べるかのような声が耳に入った。その声は先ほどまで聴いていた声だ。
俺は咄嗟にその声の通りにその場にかがむ。斜めに振り下ろされていた爪は切り裂くはずであった俺がいなくなったことで空を切り裂いた。
そして、俺が屈んだことで炎は俺の後ろへ行く。その背後にあったのは水に飢えているであろう、木だ。まずい、すぐに行かないと!
だが、その心配は杞憂だった。俺に声をかけてくれた人がいた。暗闇ながらも確認することができたのは、青く澄み渡った宝石から大きな水弾がすでに放たれていたこと。
銃弾のごとく、早く、鋭い弾丸は炎と正面から命中した。その水弾は炎と衝突すると、一瞬で炎を消化しその勢いを衰えさせることなくこちらへと飛んでくる。
その水弾はデーモングリズリーの胸に命中した。ただの水とはいえ、勢いをつけて放たれた物は一瞬で凶器に化け殺傷性が高くなり、対象を傷つける。
「ギァァァァア!!!」
凄まじい威力だ。並大抵の魔法使いでは出すことができない威力。彼女は一体……。
グリズリーはあまりにも痛かったのかうめき声を響かせながら、後ろへとゆっくり脚を動かし悲痛な声を上げて倒れ込む。
「今よ!」
死を感じとり、緊張していた俺はただ漠然と彼女の凄さに見惚れていた。しかし、彼女の声にすぐさま反応する。今しかない! ここでやらねば、機会はもう訪れない!
俺はすぐさま駆け寄るとデーモングリズリーの頭の側に立つ、胸には毛がなく肉に直接何かがねじ込まれたかのような跡ができていた。
(なんか、可哀想だ……)
俺は剣を振り上げたまま止まる。俺にとってこいつは動物も同然だ。デーモングリズリーは確かに魔物だが、俺は動物を殺めたことなんてない。命を奪うことなんて……良いのか。本当に良いのか……? こいつにも家族がいて……獲物がないとその家族が……。
「早くしなさい! そうじゃないと、そいつは人を殺してしまうわよ!」
「ギァァァァア!!」
そのとき、やつは起き上がろうとしていた。それを見た俺は決断する。すまん……お前の分も生きて行くからな!
「戟刃公岳楽天!」
俺は刺突を放った。それは見事に、起き上がろうとするやつの脳を通り抜け地面に突き刺さっていた。岳楽天は素早さを重視した技。速さだけを追い求めた剣士がたどり着いたのがこの技だ。
柔らかかった……。ぬるりと通り抜けるかのようだった。その一撃でやつは一瞬で絶命した。
これが……殺める……命を奪うこと……。
なんとも後味の悪いものだ。俺の心には何か不思議なドロッとしたものが落ちたかのように感じたが、それはすぐさま忘れることはできなかった。
剣についてるのはあいつの真っ赤な血液……。ここまで大きな生き物を殺したのは初めてだ。それのせいなのかどこか責任のようなものを感じる。
「冒険者って、これを毎日やることがあるのか……」
夢に見ていた冒険者というのが、俺はどこか恐ろしく感じられた。俺は命の危機を脱したものの、憂鬱な気分だった。
そんな俺とは対照的に彼女は笑顔で駆け寄って来る。
「アンタ凄いわね! あんな化け物相手に生き残ってたなんて。あっ、置いていってごめんなさい!」
そう言うと彼女は頭を下げた。まぁ、俺がやりたくて残ったわけだし。彼女は悪くない。
「良いよ気にしなくて、それより先を急ごう。こんなのが出てきたらたまったもんじゃないよ」
「そうね、行きましょ!」
そういうと彼女はサラサラのゴールドの髪を揺らしながら草木を掻き分けて走って行った。
「あっ、おい! 待ってくれよ!」
俺はその後を必死に追った。彼女は俺と同い年で体格も同じなはずなのにとても足が速く感じた。俺の足ももう少し速かったら良いのに!
空はまだ青く、太陽は輝いていた。
「一撃で戦闘不能にするとは……やはりルミンはただの魔法使いとはものが違う」
師匠は未だに俺に与える褒美を考えている中だった。やはりあの時の光景を見ていたが俺が死なないと分かっていたらしい。