第十八話 一匹狼
「うーん……小屋ねぇ」
僕はあれから数時間、西へ飛んで回想で話されていた小屋を探し回っていた。
しかし、何度も道を変えて探しても小屋というものはなかった。そもそもユトネル国の西にはこれといって何もない。
ただの真平な平原があるだけ。そこに大きな建物があるわけではないし、地図に記されるほどの著名な建造物は四百年前の戦争でほとんど焼けた。
珍しい戦いだったなぁ。
人間同士の醜い戦いだって、聞いてたけど、まさか何も残らない程に本気でやりあっちゃうなんてねぇ……。
つくづく人間ってわからない。みーんな、原始の時代はお淑やかだったのに。それが今では人を拐って金を稼いでる奴もいるし、数万年後とかどうなってるのかな。
もう人間なんていないかもね。
別の種族、意外と差別を受けてる獣族が頂点にいるかも。
もっとも数が多い魔族とか?
数が多いなら数の少ない植物人とかもあるよね。
なんなら僕たち優秀な聖獣?
いや、知謀に長けた精霊かな?
いや、音楽の民?
それはないか。彼らは平穏に暮らせればそれでいいしねー。
そんなことよりも!
とにかく小屋を探さないとね。
「西って言ってもさ、もう無いって……オブリオどこ?」
キョロキョロと上空から散策をしてみるけど、やっぱり何も見つからない。
もうかれこれ数時間ぐらい探してる。
あー、もう帰ろうかな。帰ってお肉食べたい。でもオブリオがいないとお金が……。
僕はガクッと肩を落とす。
真下を見るとやはりそこにあるのは緑だけ。その中に点々と畑がまばらに広がっている。
うーん。魔力で探知できないなら、「匂い」をつけておくべきだったかな。でもさ、予想外すぎたんだよね。あれが出てくるなんて……。
もうすぐで日暮れだし、でも泊まる場所なんてないし。この残り短い時間でオブリオを見つけるというのが一番良いんだけど、難しいからね。やっぱり、この国に来るべきじゃあ無かったなぁ。
「……わな、っていうわけじゃ無いよね?」
もしも、あの時見たことは全て罠で僕が引っ掛かっているうちにオブリオが移動されている、としたら。
勘弁してよー。これまた怒られるじゃん。僕って本当に聖獣なのかな?
学校でもこういうミスはダメだって言われたのに……。もうかれこれ何万年もの間、先生にも友達にも会ってないなぁ。
僕は過去の出来事に思いを馳せる。
あれはもう何万年、いやー何十万? かなり昔だった、もう正確な時間は覚えてないなー。
―――
僕が生まれたのは……多分、五十七万年前。両親の名前は知らない。というか聖獣は人間みたいに増えるわけじゃないんだよね。
なんか、こう、突発的に、使命を持って無理やり誕生させられるんだよね。
だから、僕も何かしらの使命を持ってこの世界に生を受けた。――――はず、なんだけど、僕だけは違った。
「………うーん? 君、何者じゃ?」
生後間もない僕を見て三聖の一人、シヘルがそう言ったんだ。まだ生まれたばかりの僕にとってそれはどういうことか分からなかった。
聖獣は生まれてすぐにシヘルの元へと案内されている。それはもう絶対、必ず。聖獣である僕たちにとって使命とは生きる理由そのもの。その使命が無いとなればどうなるのか。
「この子は塞断の滝に流す」
塞断の滝、読んで字の如く。
外界との接触を断ち切り、内側に永遠に閉じ込める。
ならばなぜ滝なのか、一度入ればもう出られない。滝は落ちることはとても簡単。水の流れに沿って、身を任せれば良い。だけど、滝を遡るのはとても難しい。
この世界での滝とは「一度入れば二度と出られない」という意味を持つ。だけど今まで僕が聞いたことあるのは塞断の滝だけ……だった気がする。まぁ人間が創り出すことなんてほぼ不可能に近いからね。塞断の滝を創り出したのは僕たち聖獣。この上ない最高傑作だって教科書にも載ってたし。
そう思うとなんか嬉しいね。
塞断の滝は美しい淡い水色ではなく漆黒なんだ。どこに水源があるのかも分からない。
でもどこにも繋がっていない。ただの池みたいになってるんだ。その滝の奥に何かがあるわけではない。本当にその中に入るんだ。
普通の人間とかが入っても何も怒らないけど、三聖のうちの二人以上の許可が下り、閉門の儀式を行うと入れる。
過去にその中に入った聖獣は指で数えるくらいだった気がする。ちなみに、そのうちの一人僕!
あの中は本当に何もない。世界から光がなくなり、音がなくなり、感触も匂いも……与えられたのは死ぬことのない永遠の時間を生きる許可のみ。
聖獣の寿命は使命に左右される。僕みたいな紛い物は使命がない以上、永遠に生き続ける。
「……ここ、どこ?」
まだ名前すらもつけられなかった僕は自分が何者なのか、何をするべきなのか、一切分からない。そんな赤子を永遠の時の中へと閉じ込める。残酷だよね、多分今でもある。
そこから僕はずーっと、本当にずっと閉じ込められた。寝ても覚めても何も見えない。
読み書きもままならないし、どんな物があるのかも知らない。一秒一秒を抜け出したくても滝が許してくれなかった。
その中で僕はスクスクと育っていった。
他のみんなはたくさんのことを知りながら、経験しながら、楽しそうに、笑顔で、本当に羨ましかった。
生きているその瞬間に世界で起きていることを見逃して、自分だけが取り残されているみたいですごく嫌だった。時間を代償にして僕が得たもの、それは外界への憎悪と嫉妬。
醜い。
その時の僕を一言で表せばそんな感じかな。今になって思えば本当に哀れで可哀想だったなぁ。でも、その時は仕方なかったんだ。理由もわからないまま僕を閉じ込めた者たちが憎い、そう思った。でもいつまでも中にいるままでは何もできない。
運悪く、僕が閉じ込められていたのは多分世界最強の場所。内側から破ることなんてできない。だから、僕は待った。待ち続けた───。
大丈夫、必ず誰かが来てくれる。それまで、憎しみの刃は決して腐らせない。その日が来るまで研ぎ続けた。
そしていくつもの歳月が過ぎた時、僕を助けてくれた人が現れてくれた。
暗黒の景色がミシミシと音を立てながらヒビが入り、パラパラと崩れていく。
少しずつ眩い輝きが入ってきたんだ。記憶にある光を僕は幾年ぶりに見た。だけど、記憶にあったのは光だけだった。周囲にあった緑黄の木々は全て灰と化し、火が立ち上っていたんだ。
「可哀想に……なんて哀れで可哀想なんでしょうか」
僕が初めて見た僕以外の種族。それは人間だった。それは僕たち聖獣が仕えるべき者たち。そして、軟弱で、惨めで、脆くて、長く生きられない、この世界最弱の種族に僕は助けられたんだ。
エメラルドグリーン色の髪に、紫水晶の瞳を併せ持ち、背中に黄金の登り龍が刻まれた真っ赤な僧侶服を纏っていた。
僕が外へ出て真っ先にやりたかったことが意図せずに果たされていたんだ。神宝の宮殿すらも燃やされていた。その周囲の小さな建物も全て焦げていた。
「憎い? 殺したい? あなたをこんなふうにした物たちを殺したくない?」
そう言って至近距離まで詰め寄ってきたんだ。優しそうな口元の微笑みとは裏腹にハイライトのない瞳は感情もないように見えた。
でも、僕の希望だったんだ。
でも、僕の力は無いに等しいものだった。おそらく何千年の時を奪われて、僕はその間何もできなかった。同世代のみんなはもう一端の聖獣で……。
「やりたい……でも」
「力が欲しいのね。可哀想に、もしも数千年の時の力が欲しいなら私があげる。選ばせてあげる」
そう言って彼女は手を差し伸べてくれた。
僕とは違う大きく白い手だった。そう言って僕は彼女の手を取った。
「ほしい……力がほしい」
「なんて可哀想なんでしょうか。では、私と旅をしましょう。気が遠くなるほどの旅に」
次の瞬間、僕は渦へと飲み込まれた。
グルグルと周囲の時空が曲がり、僕たちは世界から姿を消した。
「………ここは?」
ゆっくりと瞼を開けると先ほどまでの黒煙が立ち上る故郷とは変わり、僕が生まれたばかりの頃へと遡っていた。
「……ここはあなたが塞断の滝へと閉じ込められる前の時」
僕たちが立っていたのは滝が流れているのを一望できる高丘にいた。僕がまだ閉じ込められる前、ということはまだ僕が生まれていないということ。
僕はやり直す機会を与えられたんだ。
「どうやって……やったの?」
「あらら、こんなことも知らないのね。可哀想に……ここは異空間。私の創り出した結界内。哀れね」
それが僕が初めて体験した魔術だった。昔は現代とは違って誰もが結界術を扱えたんだ。なんなら、重力操作もできたし、時間も扱えたんだよね。
まぁ、決まり事が厳しくなって時空管理局やら結界運用局やらが設置されたのが原因だろうね。
それぞれの局長は世界でも指折りの英傑達。局長は必ず、歴史に名を残す。そのせいで教科書にも載ってないし、簡単に本を書いて後世に残すことを禁止されたんだ。
だからこそ僕は不思議でならない。一体どうしてラミールが結界を扱うことができたのか……。
「可哀想に……数千年の時を取り戻してあなたが私の代わりに滅してね」
そう言って彼女は結界の外へと出た。
本当なら結界主が外へと出て結界を維持することは不可能なんだけど、それもこの時代に残されちゃったみたい。
その後僕は神宝の宮殿へとこっそり戻ったんだけど、やっぱり僕ってことがバレちゃって追い出された。
加えてその間も僕は差別されちゃったんだよね。だからその間も負の感情を溜めて復讐することを原動力に必死に学んだ。
その結果、僕は結界内で僕の故郷を一人で滅ぼした。その時に僕はようやく数千年の叡智を自分のものにできた。
まぁ、そのあと現代に戻ってきてからもいろいろあったんだ。その数十万年後、ここに繋がっている。いまだに僕の使命はない。でも、今やるべきことはある。オブリオを素早く見つけないといけない。
―――
「どうしてあの子どもを殺さないのですか?」
「本当にお前は私が人攫いをしていると思っているのか?」
「いえ、まさか。もう何年、いや何百年あなたと共にいるとお思いですか?」
「あの少年の内に眠っている魂、それが狙いなのだ」
「あと一つ……」
「うーむ。だがな、それを手に入れるためにはあの少年以外の代わりを見つけねばならない。それまでに必ず守りきれ」
「問題ありません。国内の王都軍はもう八割は手に入っています。その上に上将である私、その控えが何人かいます」
「抜かるな。聖獣……あれは化け物だ」
「はい、では失礼します」