第十話 過去と未来
「今……なんと?」
「フフッ……信じられないだろう? だが、事実なのだ」
師匠が俺に耳打ちした言葉。それは、俺の肝が底から冷えるほどのものだった。
「ルミンもお前への褒美だ」
聞き間違えのわけがない……。あの距離で、聞き間違えるほど俺の耳は衰えていない。
褒美だと……? そもそも彼女を褒美って……納得いかいな。人を物のように扱うのはいくら師匠といえども看過できない。
と言いたいところだが、どういうことなんだルミンが? いや、それじゃあ俺と彼女を会わせたのは師匠なのか?
「どういう意味か説明してください、流石に言葉足らずです」
「フフッ、いずれの時にはその言葉の意味を知る」
いずれ……。定番の言葉だ、ずるい。ずるいぞ、結末を知る者たちは常にその言葉で逃げて行く。結局その未来は訪れるのだが、こっちは知りたくてうずうずしているというのに……。こういうことなら、静かにしてて欲しいものだ。
師匠は仕切り直し、と言わんばかりに前のめりになっていた姿勢を戻した。
「さぁ、最後だ」
師匠の雰囲気が一変した。重々しい雰囲気があたりに漂う。声色も目つきも闘気も全てレベルが上がった。戦闘態勢に入ったかのようだ。
「これを良く読むことだ」
師匠が取り出したのは、一冊の古ぼけた書物。俺が今まで見たどの書物よりも最も古ぼけている。俺はそれを受け取り、中を確認する。パラパラとめくって見るとページはところどころ、破れているが文字が読めないほどではない。
「なんですかこれ?」
「それは俺が見つけた古い書物、読めと言ったが読まないのも手だ。これが……最後の褒美だ」
そう言うと師匠は、俺に与えた褒美を全て置いて外へと出てしまった。師匠が退出すると、雰囲気は柔らかに、いつもの落ち着いた雰囲気へと変貌した。
俺の手元に残ったのは……。
「よろしく!」
この猫の聖獣ルイと、魔力増強の瓶にこの古ぼけたよく分からない本。そして……
「ルミン……」
三つあるうちの一つしか納得できなかった。どういうわけなんだ師匠、教えてくれよ。何も言わずに出て行くなんてさ。
「はぁ、全く。てかこれ、マジでなんだ?」
俺はその本の表紙を優しく撫でながら頭を抱えて考える。ここで書物、なんの意味がある。師匠は俺にどうして欲しいんだ?
読んでも読まなくてもどちらでも良いということは、完璧に俺に任せるということ。これを読んだからといって師匠がこれに基づいた何かをする訳でもないし……。
「あー、分かんない!」
俺は机の上で座っているルイが目に入った。
あぁ、そうか。師匠は何かとこの猫に相談するように、と言っていたな。賭けてこのルイに聞いてみるとするか……。
「なぁ、ルイ。俺はさ師匠の言ってた、ルミンのこと。そしてこのボロ本についてどう思う?」
「そうだねぇ……。君は過去と未来。どちらに行きたい?」
「はぇ……?」
突拍子もない、発言に情けない声が出た。過去と未来……。俺は……そうだな。
「もし、やり残したことがあるなら過去へ、やりたいことがあるなら未来に行くかな」
「なるほど、じゃあもしもどちらか一つだけ選べと言われたらどうする?」
俺は手を顎に当てて考える。そうだな、二つに一つだけか。余裕だろ。考える必要もなかったな。
「決まってるよ。俺は、迷わず過去に行くね」
「どうしてだい?」
「未来はいくらでも書き換えられる。だけど過去を変えられることは永遠にない。風が吹いた場所に二度と戻ってこないように、過去も変えられないからこそ俺は過去に行く」
「ふーん」
そう言うと不思議とルイの口角が上がった。猫の口角が上がることに俺は少し不気味さを感じたが、まぁそんな猫も可愛いか。
「君たちは本当に似てるよね」
「君たち? 俺と、あともう一人だれがそんなことを言ったんだ?」
「君の師匠こと、レアンにも聞いたけれど、全く同じ答えが返ってきたよ。いつのまにか思想まで教授されてたのかな?」
師匠と同じ……? あの人と? どうしてだ、なぜ同じ答えになる。この猫の言うとおりいつのまにか思想が組み込まれたのか? いや、ありえるぞ。あの人なら俺の気がついてないところで行動して、俺の頭を改ざんしていく……。いや、マジであるな。
「それはそうと、その日記を読むことは僕はおすすめしないかなー」
「えぇ? どうして?」
「あの人がどういう理由でこれを渡したのかは知らないけど、僕はもう中を見たけど……。意味が分かれば……ね?」
「どう言うことだよ! 簡単でいいから、中身を要約してくれよ!」
「じゃあ、約束して。この中を絶対に読まないって」
なぜだ、どうしてこんなにも読むことを拒んでくるのか……。読まれると自分に不都合なことがあるのだろうか。それとも、なんだ? 師匠が渡した書物の中を理解できたら最強になって、独裁者にでもなると思ってるのかな。
「あいあい、分かりましたよ」
「はぁ……。世界が誕生してから万の年が過ぎ、神々の時代は終わり――人の時代が始まった頃。
ある村に“勇者″になることを夢見る少年がいた。その少年はその夢を叶えるべく、日々努力し、冒険の仲間を集わせ、各地を放浪し、多くの事件を解決して行った。
少しずつだが、着実に成りたい人物像に近付いていた。しかしある日、仲間が死んでしまう――彼の想い人だった。失った彼は暴走してしまい、やる場のない怒り、悲しみを目の前に立ちはだかる物へぶつけ続けついには国を滅ぼした。
それでも、彼女を失った傷は癒えない。その傷を埋めるため、彼は過去へ遡る手段を探す。いくつもの年が流れ、身分や経歴も抹消した彼はついに過去へと戻る。どうしても会いたかった彼女に会うために……。
――願いは叶った。彼女が死ぬ運命はなくなった。しかし、彼は別世界の住人。そして、殺人鬼。そんな彼と純粋な彼女が共にいる権利はない。だがそれでも彼女のことは忘れられない。彼はその後、ずっと過去へと戻り、別世界の自分と彼女を結ばせるため陰で支え続ける。それは今でも変わらない。
今でも彼は並行世界を渡り続けている。そんな彼はいつしか、自分が過去の自分たちを救う英雄であることに気がついた。そんな物語だよ」
「どうして、これを読んではいけないの?」
「簡単だよ、これには世界を渡る術やとてつもない魔法やら禁じられているものばかりが描かれている。まさしく禁書。あの人が一体どこから、持ってきたのかは知らないけど、何よりもどうしてこれを君に与えたのか……。僕には分からないな」
聖獣ですら分からないなら、俺には分からないな。よし、考えるのやめるか。
「なるほどね。じゃあいいよ。これさ、君が待ってて」
「分かった」
……え、待って。どうやってしまうのかな? 猫が上で寝るのには少し面積が小さいけど、一回りは大きいぞ。
疑問に思っているとルイはその本の上に座ると、不思議なことに眩い光に包まれた。まるで、太陽を直視しているかのようだ。
「……っ!」
俺はとっさに眼を腕で覆った。しばらくの間、眼を開けることは出来なかった。
「もう良いよ」
ルイの言葉で眼を開けるとその本は消えて、ただルイがお座りをしているだけだった。
……え、消えたんだけど。どこいったのかな。俺はじーっとルイを観察する。口に鼻、耳の中に爪、いやどこかの毛の中か?
「ほら、これだよ」
ルイが右前脚を器用に首に当てる。よく見れば赤い首輪が付いている。その中央には小さな古ぼけた本がついている。あー! これか!
「すげぇ……」
「よーし、じゃあ。僕は寝るね、おやすみー」
そう言うと足早に彼はその場で寝る、のではなく再び眩い光を放つとアメジスト色の宝石へ戻った。なるほど、これに戻るのか精霊にも休憩が必要か。いや、猫は寝るのが仕事だしね。
最後に残ったのは俺だ。先ほどまで少し賑やかだった場所には静寂か訪れている。
その時、カタッと音がした。振り返ってみれば、階段をこっそり降りてきているルミンがいた。
「どうした?」
「あ、えぇっと……。その、本を何冊か借りても良い、かな?」
「あー、良い……。ちょっと、待ってね?!」
俺は爆速で自分の部屋に戻ると、散らかっていた本を全て本棚へ戻す。先ほど見られていたのかは知らないが、それでも今回は確実に見られる!
床やら棚の上やらに放置していた本を全て、見落とすことなく片付ける。
そうして終わると、俺は彼女を部屋に案内する。
「どうぞー」
「何かやましいものでもあったのかなー?」
彼女はニマニマとからかった。俺はそれは確実にない!と必死に否定する。
「ち、違うし! そんなものはないし!」
「ふーん……まぁ、冗談よ」
まぁ、凌げたのならなんでもいいか。彼女は沢山の本が収納された本棚をじーっと眺めてどれにするか悩んでいる。彼女が上半身を動かすたびにフリフリと可愛い真っ白のスカートが左右に揺れる。
「これにするわ」
そう言って彼女が手に取ったのは「冒険家による大陸横断記」という書物。俺も読んだことのある書物だ。世界を知らない俺にとっては不思議が詰まりに詰まった良い本だ。日記ではなく、小説のようにしてくれればもっとよかったけどね。
「今後の私にとって、すごく役立つわ」
「ねぇ、一個聞いても良いかな」
それを聞いた彼女がこちらに振り返る。
「もし、過去と未来。どちらか一つだけ選べって言われたら君はどちらを選ぶ?」
それを聞いた彼女は小さな手を頬に当てながら顔を揺らして考える。しばらく悩んだ後に彼女は言った。
「あたしは、未来かな。過去はあたしにとって大切なものが詰まってるし、それを書き換えたくない。思い出は書き換えることができないから、美しいのよ。未来は……そうね、単にあたしの未来が気になるかな! どんな風になってるのか気になる!」
「なるほど、そういう考え方もあるのか……」
思い出は変えられないからこそ美しい……か。まさか、こんな答えを返されるとは思わなかったなー。
彼女の性格から推察するに彼女は未来を選ぶ、と俺は少し感じ取っていた。これだけ明るい子だからこそ、未来へ希望を灯し、過去に別れを告げることができる……のか。
それとも、何か嫌な過去があるのか……。いや、無いな。そうであるなら彼女ははっきりと言ってくれるはずだ。
「どうして、急にこんな質問をしたの?」
「いや、単に気になっただけだよ」
そう言うと彼女は「そっか」と言って、手に持っていた書をじっと眺めていた。その目に宿っていたのは本に載っている内容に対する期待なのだろう。