第六話 構造特異体(オルタ・ナユタ)
1.侵入者は“鏡像”
深夜、演算区画《γ》に響く、崩壊の音。
回路が断ち切られ、演算壁が次々に崩壊していく。
赤く点滅する警報灯が、戦場を赤く染め上げる。
その中心に、ひとりの“黒衣”の人物が立っていた。
──それは、ナユタだった。
正確には、君影ナユタと同じ顔・同じ声・同じLogiaを持つ存在。
背中から伸びた回路の翼が、空間に溶けた数式をかき乱す。
「“君影ナユタ”、反応照合──一致率99.998%。構造特異体と認定」
「ようやく会えたね、“もう一人の僕”」
ナユタは、黒衣の自分と対峙する。
「ずっと気になっていた。
僕のLogiaが“完全模倣”であるにもかかわらず、説明不能な現象が起きる理由」
その答えが──“自分以外にも模倣者がいた”ということ。
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2.構造がぶつかり合うとき
静寂のあと、破裂音が空間を裂いた。
構造特異体が手を振るうと、周囲の空間が「数式」そのものへと変化した。
空気、壁、重力さえ──全てが一度、“情報”へと還元される。
《Logia:黒式の鏡像》
「存在するものを一度“模倣”し、逆回転させて壊す」
その“式”が完成するより先に、ナユタが動いた。
「回路・展開──零記:式番-L22 “差分反転”」
ナユタの手のひらから走る青白い光。
対なる数式が空間を走り、黒の回路と交差する。
火花のように弾ける概念。
衝突する“情報と情報”が、空間そのものを破壊しながらぶつかる。
言葉も感情も不要。
ただ、構造と構造がぶつかり合う──純粋な理論の殴り合い。
「“存在する前”の君を、僕が上書きする──」
「……それは、僕が言うセリフだよ、“オリジナル”」
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3.観測者たちの戦慄
そのバトルを、塔の監視室で見つめていた者たちがいた。
御鏡シイナ。雨月メグ。アラン=クロフォード。
誰一人、言葉が出せなかった。
世界の原理を“喧嘩”のようにぶつけ合うその戦闘は、まさに人智を超えていた。
「これが……君影ナユタの本質……いや、
“Logiaそのものが人型を取った存在”なの……?」
震える声で、シイナが言う。
「いや、違う……あれは……」
メグの声は、かすかに震えていた。
「ナユタは、私たちが作ってしまった──“失敗作の希望”なのよ」
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4.鏡の中の終端
「“オルタ・ナユタ”。君は、僕のエラーなんだろ?」
ナユタは自分に問う。
「記録されなかった存在。分類不能な能力。
君はきっと、僕から“淘汰されたはずの人格の残滓”──」
「ふふ……気づいたか。
僕は、君影ナユタの“構造選別”から外れた可能性そのもの。
──存在しなかった“悪意の君”だよ」
黒衣のナユタが笑う。
「僕が生きるためには、君を“上書き”するしかない。
すべてを壊して、君という存在を“消去”することが、僕の理だ」
次の瞬間、黒き回路がナユタに向かって一斉に展開された。
数百の情報粒子が、爆発するように襲いかかる。
だが──そのすべては、直前で消滅した。
「……!? なに……!」
「《Logia:虚数干渉》」
ナユタが構築したのは、“まだ存在しない可能性”を実体化させる能力。
すなわち、《君が攻撃する前にそれを無かったことにする》未来遮断。
「“君の行動を、未来の段階で中止”した」
「そんな、あり得ない……!」
「君は、“僕になれなかった”可能性でしかない。
だったら──今ここで、“選別”を終わらせる」
《零記・終ノ式:構造消去》
──君影ナユタは、もう一人の自分を“最初から存在しなかった構造”として削除した。
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5.虚構と現実のはざま
黒衣のナユタが、静かに崩れていく。
その姿は、悲しげに微笑んでいた。
「よかったよ……これで、やっと君が“本当の君”になれる……」
そして、何も残さずに消えた。
静寂の後。崩れた演算区画の中心に、ナユタが一人立っていた。
その目には迷いも恐れもなかった。ただ、理解だけがあった。
「僕は、“君影ナユタ”として生きる。
定義された枠でも、淘汰された残滓でもなく──“構造を選ぶ者”として」
背後では、朝の鐘が鳴っていた。