第四話 矯正官の宣告
午後の鐘が鳴る中、ナユタは校内の片隅にある《理論図書塔》の奥深くにいた。
セオリア学園最大の記録保管庫。Logiaの原理書、構造式、淘汰戦記録、廃棄された能力者データまで──
そこに収められているのは、まさしく“世界の構造”そのものだった。
「……やはり、ここにも“僕の過去”は記されていない」
ナユタは古びたファイルをめくりながら、表情を崩さない。
生徒データ、発生Logia、誕生記録、淘汰経緯──
どれにも彼の名前は存在しなかった。
“存在してはならない”個体。
“発生していない”はずのLogia。
──君影ナユタは、「虚空から生まれた矛盾」だった。
そのとき、階段の上から足音が響いた。
「君がここにいると思ってたよ」
現れたのは、Aクラス代表・御鏡シイナ。
白銀の長髪と、静かな瞳。彼女は本を閉じて、ナユタに近づく。
「“Iクラス代表”の君影ナユタ──
本日より、あなたには《矯正審理》が適用されます」
その言葉に、周囲の空気が一瞬、凍る。
「矯正審理……?」
「セオリアにおける“異常存在”に対する公式措置。
あなたの存在は制度上、未分類。ゆえに──矯正されるべき対象」
シイナは手帳のような装置を起動させた。
【矯正対象:君影ナユタ】
■存在定義:欠落記録/無系統能力/淘汰未経験
■推薦者:御鏡シイナ
■矯正手段:能力封鎖 or 再構築命令(選択式)
「簡単に言えば、“君を学園規格に合わせる”ための裁定よ」
「……なるほど。つまり、“僕を正常にしてあげる”ってことか」
「その通り。君はこの学園では異端。だから──私が正してあげる」
その瞬間、空気が変わった。
数式が走る。白銀の粒子がシイナの周囲に散り、彼女のLogiaが発動する。
《Logia:理制域》
──「秩序化」。あらゆる“未定義”を“定義済み”へと強制変換する能力。
「君の“未登録構造”も、私の制御下に入る。さあ──試してごらんなさい、模倣者」
ナユタは静かに目を閉じた。
「……なら、少しだけ見せてあげるよ。
この“異常存在”の真価を」
《零記の書:展開》
──黒き回路が床に浮かび上がる。
数式が交差し、回路が重なる。
模倣ではない。再現でもない。
それは**「世界のルールそのものを理解して書き換える構造力」**。
「君の能力、《理制域》。確かに素晴らしい。だが──
その“秩序の前提”が壊れたとき、君はどう動く?」
「……何?」
「秩序化の対象は、“定義可能な物”に限る。
逆に言えば、“定義される前の物”──君は理解できない」
ナユタの足元に描かれた数式は、“存在未定義”というルールそのもの。
「今から僕が構築するのは、“存在する前の情報”──
前定義存在」
構造式が破裂する。周囲の空気がねじれる。
次の瞬間、ナユタはシイナの背後に立っていた。
「……!」
「矯正とは、“誤差を取り除く”行為だ。
だがその前提自体が誤りだったとしたら──君は、何を基準に正す?」
シイナは数秒の沈黙ののち、目を伏せて微笑んだ。
「……やっぱり。あなたは“完璧”じゃない」
彼女は退いた。矯正は一時中断された。
だが、彼女の中で“君影ナユタ”という存在が正式に記録された瞬間だった。
そのやり取りを、モニター越しに見ていた人物がいた。
雨月メグ。
彼女の瞳は、ナユタを見つめながら静かに囁く。
「君は、やっぱり“あのときの彼”……」
「──まだ、思い出していないんだね。あの記憶を」