幻妖界編01-04 『うぃんうぃん』
彩葉は唐突に女神と名乗りだした天使をじっと観察していた。
そして覚は「敵意がない」と評したが鬼一は微塵も油断すること無く彩葉の前に控えていた。
彩葉は思考する。
レミエルでは手に負えないと判断して遠路遥々『西』より御出馬あそばした訳だ。
それはつまり最初から覗き見していたという自白に他ならない。
随分といいご趣味ですね、と嫌みのひとつでも言っても許されるのではなかろうか。
また、覚の異能を以てしても知覚できなかったことも本来であれば看過し得ない。
だがそんな些事の全てを擲ってでも、今はとにかく時間が惜しい。
愛すべき弟に残された時間が惜しい。
一呼吸ほど考え、彩葉は沈黙を選んだ。
「まずはこのような形でしかお目通りできないことをお詫び申し上げます。」
「・・・謝罪を受け入れます。色々と思う所はありますが、まずは状況を進めましょう。
今はとにかく時間が惜しいですから。
先の質問にご返答頂いても?」
「はい、その為に参りましたので。
お時間も限られていることは私も承知しております。
彩葉殿のご理解を得るための最善を尽くすとお約束します。
伊織殿は魂を再構築した後に異界へと転移していただきます。」
再構築?異界?転移?
最初から理解の範疇を越えているがさすがにこれは無視し得ない。
正直なところ彩葉の思考に余裕はなく、それに伴い口調も徐々に損在なものになってしまう。
「伊織は助かるのですか?」
「はい。」
「そう・・・その再構築は一般的な方法ですか?」
彩葉には魂の再構築という言葉に聞き覚えがあった。
それは死後の魂を漂白し、輪廻の輪へと還すものだ。
だが伊織はそれを生きたまま為されるという。
彩葉からすれば当然の違和感だった。
「一般的には漂白、あるいは初期化に近しい処理がなされます。
伊織殿にはそういった処理はされません」
「つまり・・・まさか記憶が残ると?」
「禁則事項です。」
会話は彩葉が主導し、それにノルンが応える様相で進められたが、覚もまた自らの役目を果たしつつも思考の海に沈んでいた。
(なるほど、この自称女神にも言えることと言えないことがある訳ですね。
そしてわざわざ禁則事項と答えたならば、それは即ち御主人様の記憶は消えず、新たな生を迎えるということ。
果たしてそれは死んだと言えるのでしょうか?)
この時において彩葉と覚の思考は一致していた。
「伊織は死ぬの?」
「・・・どちらとも言えます。」
女神の宿ったレシエルの左の瞳から血涙が流れる。
禁則事項とやらを無理矢理突破したのかもしれない。
「短い付き合いではありますが、この子の体に負担をかけるのは忍びないわ。
覚、レシエルを診てちょうだい。」
「承りました。」
覚はレシエルの両頬に手を添え、見えていない目で虚空を見つめている。
「ちっ、すでに後遺症が残りかねない状況です。
ノルン様、目を閉じて下さい。
絶対に私の目を見ないで下さい、小娘が即死しかねませんので。
鬼一は問題ないと思いますし問題があっても構いませんが、彩葉様は念のため私の目を直視しないでください。」
覚の言葉はよく理解できないが、ここは素直に従うべきだろう。
鬼一への扱いに私怨らしきものを感じなくもないけども。
全員の準備が整ったところで覚は勢いよく眼帯を引き下ろす。
そして白目部分が紅に染まった瞳をまっすぐにレシエルに向ける。
「肉体解析開始・・・完了。肉体破損率0.42%。
情報体解析開始・・・完了。情報体破損率0.12%。
妖力体解析開始・・・完了。妖力体破損率0.33%
幽星体解析開始・・・完了。幽星体破損率12.8%。
幽星体治療開始・・・完了。
幽星体再解析開始・・・完了。幽星体破損率6.01%。」
ほうっ、とため息をつき、覚は眼帯を元に戻す。
「治療は終わりました。残りの損傷は時間が回復してくれるでしょう。」
「ありがとうございました。」
「はっきりと申し上げますと、これ以上の質問は危険です。
私がこのままサポートすれば問題ないとは思いますが、いかがなさいますか?」
「覚、質問をここで止めるという選択肢は無いし、私の精神衛生の為にも是非お願いするわ。」
覚はどうにもこのノルンとかいう女神は好きになれない。
自身の敬愛する主であればどのような理由があったとしても配下を傷付けることを許容しないだろう。
(サトには関係のない些事ですが。)
覚はすぐに思考を切り替えた。
「記憶は残る。死ぬとも死なないとも言える。魂は再構築する。
正直、貴女の意図がよくわからないわね。」
「・・・伊織様には地球とは異なる『世界』へと転生し、生きていただく。
ただそれだけでその世界も伊織様も救われます。」
生きていただく、即ち生き続けるという事だ。
「伊織の不調の原因は魂にあると?」
「・・・禁則事項です。」
「概ね理解しました。
ですが一つ、大きな矛盾があります。
レシエルさんは先程、伊織の魂を回収すると仰いました。
もしかしてレシエルさんではなくノルン様が伊織を生きたまま回収する手筈だったのでしょうか。」
「肯定します。」
「では結論を再確認させて下さい。
伊織は記憶を保ったまま異世界で生を繋ぐ、という認識でよろしいでしょうか。」
「肯定します。」
ここに至り、彩葉は大きく息をつく。
生き別れるのは正直辛い。
心も体も半分に割れてしまうほどに辛い。
でも私が必ずなんとかする。
私は伊織のお姉ちゃんなんだから。
とはいえ、あまりにも都合がよすぎる話だ。
「伊織にとって、もちろん私にとっても非常に都合のいい話ですが・・・」
「御懸念には及びません。我々のような『管理者』にとっても有難い事ですので。
こういうのを『うぃんうぃん』と言うのでしょう?
それに、億に一つといった適合者を本人の意思と関わりなく連れ去るのです。
それは正しく拉致と言えるでしょう。
管理者側としても後ろ暗い事をしているという自覚はあるのです。」
「つまり『モイラ』にはそれほどまでに逼迫した事情があると。その内容は伺っても?」
「ええ。魔力不足です。そして彼にはそれを解決する資質があります。」
「私と伊織は二卵性とはいえ双子の関係です。私は適合しないのですか?」
「ええ、たとえ一卵性であっても適合するとは限りません。」
「では最後に、『モイラ』との往来は可能ですか?」
「『表世界』における一般的な《・・・・》な手続きでは不可能です。」
奇妙な返答なのは禁則事項に抵触するのが理由なのだろう。
その方法を明言できない、その代替としてギリギリのヒント。
『モイラ』もしくは『幻妖界』にその術がある。
招聘術式を改変することも考慮すべきだろう。
ちらりとレシエルの中の女神を観察する。
そもそも、世界間を渡るということそのものが間違いなく禁則事項に抵触するはずだ。
それを暗黙のうちに認めてくれた、と。
(大きな借りができてしまいましたね。)
「幻妖界関八州が主にして第九十八代夜行家当主『夜行彩葉』として宣言します。
『借りひとつ』」
『借りひとつ』
幻妖界においてこの言葉は非常に重い。
鬼一は思わず声を上げ、無表情を貫く覚が眼帯の奥で目を見開く程度には。
「彩葉様、誠に宜しいのですか?」
「ええ、伊織の命は私の命より重い。ならば必然でありましょう?」
覚は納得したのか大きく頷き、彩葉への評価を上方修正した。
そして鬼一は天を仰いだ。
「ノルン様にご説明しますと、夜行家の禁忌に抵触しない範囲において一度限りではございますが、夜行万騎の総力を以てあらゆる支援をお約束します。」
彩葉は態々口にはしないが『百鬼夜行』も含め、夜行家のあらゆる秘奥すらその行使が許容される。
特に荒事に於いて、夜行の制圧力は現代においても類を見ないものだ。
「それはありがたいです!では早速ひとつお願いがあるのですが?」
「ええ、勿論構いません。何なりと御用命下さいませ。」
彩葉は緩やかに微笑みながらも、どんな難題を吹っ掛けられるものかと想像を重ねていた。
そんな彩葉にキラキラとした瞳を向け、レシエルの中のノルンは早口で捲し立てる。
「では、伊織様の御家来衆の末席にレシエルを加えて頂きたいのです。」
「えっ?」
「待遇はそちらのご意向に従いますし、馬車馬のように使っていただいて構いません。」
「んん?」
「無理矢理『モイラ』にお招きするのですから、最低限の支援ぐらいはさせていただきたいのです。
拉致して送り出して終わり、では『西』の沽券にも関わります。
それに『モイラ』は文化も常識もまるで異なる世界ですから。」
「あ、はい。」
大いに肩透かしされたような気がしたが、そういう事であれば彩葉に否やはない。
「レシエル殿を与力に得られるならば伊織もきっと喜んでくれるでしょう。
ですがレシエル殿当人には御納得頂けているのですか?」
「問題ありません。それにしてもよかったです。
管理者としては伊織様には長生きして頂くほど助かりますので。」
「では、『うぃんうぃん』という事で。」
「ええ、『うぃんうぃん』ですね!」
彩葉としてはレシエルという天使だけがババを引くことになる予感がして少しだけ気が咎めた。
だが考えてみればそれは伊織と共に過ごすということだ。
ババなんてとんでもない。代われるものなら代わってあげたいほどだ。
よって彩葉はレシエルの『モイラ』行きを祝福することにした。
その後はノルンと今後の手続きについて調整し、ほどなくノルンは伊織を伴い帰還した。
なお、レシエルの宝物こと『インビジリティリング』は丁重にお返しした。
______
ちゃむだよ? >_(:3」∠)_
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄