【後編】聖獣の聖女と緋色の瞳の狼
朝食の席。聖獣様が私の膝に乗っていて、今も向かいに座るヴォルフラム殿下に喉を鳴らして威嚇していた。
目の前のヴォルフラム殿下は、顔中が傷だらけだ。
「……セリア」
「……何ですか?」
「機嫌が悪いな」
「ええ。不審者に忍び込まれましたから」
「あれはっ……悪かった。だが、決して不埒な考えなどなくてだな」
「そうでしょうね。殿下は私がお嫌いですものね」
「そういうわけではない」
「もういいですか。囚人と一緒にいても仕方ないでしょう」
「……囚人と思っているわけではない」
「私を逮捕したのは、殿下ですよ」
だから、この離宮に囚われているのだ。
部屋から出ようとすると、ヴォルフラム殿下が私の腕を掴んでくる。
「どこに行く気だ? それに、名前も……なぜ、ヴォルフラムと呼ばない」
「聖獣様のミルクを頼むだけです。それに、殿下は殿下です。もう私は婚約者では……」
「……っ」
声をかけづらそうにヴォルフラム殿下が言葉を飲み込んだ。それにツンとする。
「き、傷を治してくれないか?」
「お断りです。今日は、癒しの魔法は打ち止めです」
「勝手に打ち止めにするな!」
ヴォルフラム殿下がそう言って、勢いよくナイフをオムレツに突き刺した。
「それと……今夜は、夜会に行くから、帰りは遅くなる」
「お好きにどうぞ。聖獣様、今夜は不埒者は来ませんから、ゆっくり休んでくださいね」
「ガウッ!」
「まぁ、聖獣様は可愛いですね」
ヴォルフラム殿下をちらりと見ると、恐ろしい顔つきで睨んでいる。
「聖獣様を睨まないでください。そんな怖い顔だから、聖獣様に嫌われるのですよ」
ツンとしてそう言った。
そして、殺気立った朝食が終わった。
※※※
夜になると、一層冷える。そう言えば、昨夜にくしゃみをしていたなぁと思い出す。
「もしかして、寒いのかしら?」
お世話係なのに、聖獣様に風邪を引かせてしまえば、ヴォルフラム殿下のお小言が増えそうな気がする。
「仕方ないわね……」
仕方なく毛布ももう一枚貰おうと部屋を出ようとすると、扉が慌ただしく叩かれた。
「セリア様!! 起きてください!!」
「起きてますけど? ブレッド? 何ですか? 新しい罪状なんか作ってませんよ」
「そういうことではありません!!」
ブレッドの剣幕に扉を開けようとすると、後ろから「きゅぅぅ」と聖獣様が身体を震わせて丸めていた。
「どうしたの? 大丈夫ですか?」
聖獣様に近づくと、待ちきれないブレッドが部屋に飛び込んでくる。
「セリア様! 入りますよ!」
「ブレッド……何事ですか? もう聖獣様のお休みの時間ですよ」
「それが……ヴォルフラム殿下の様子がおかしくて……」
そう言って、抱きかかえた聖獣様をブレッドが冷や汗を垂らしながら見た。
「おかしいなら、聖女に見せればいいのではないですか? そもそも、聖女が王族と結婚するのは、呪いなどを寄せ付けないためです。そして、万が一にも呪われた場合にすぐに対応するためです。今の聖女はルチアになっているでしょう?」
「……セリア様は、ご存知ないのですか?」
「何をです?」
「聖女は、今もセリア様です……」
「そんなはずは……聖女機関でも、私は役立たずだと……その頃から、ルチアに癒しの魔法の力が顕現し始めたから、聖女機関ではルチアの教育に力を入れていたはずです」
「確かにそうですが……ヴォルフラム殿下が、かけあったのですよ。一度決めた聖女を突然変更することは叶わないと……それに、ルチア様に癒しの魔法が顕現したといっても、そんなに強いものではないのですよ。だから、聖女機関も、ヴォルフラム殿下の意見を無視出来なくて……」
私が役立たずだと言われたのは、騎士でもある貴族の怪我を治せなかったからだ。不安定な力は聖女に相応しくないと告げられたのだ。そして、その貴族の怪我を、ルチアが治した。
「でも……ヴォルフラム殿下は聖獣様にずっと会わせてくれなかったわ……聖女なら、聖獣様に仕えるのは、当然のことなのに……」
聖女の役割の一つは聖獣様に力を示すこと。聖獣様が認めた聖女がルティナス王国の大聖女となるのだ。そして、大聖女が王太子、もしくは陛下の結婚相手になる。
「……っと、とにかく今は、ヴォルフラム殿下です!!」
「嫌なのですけど……」
「セリア様……」
そんな訴える様な目で見ないで欲しい。腕の中の聖獣様まで、「くぅん」と私に縋ってくる。
「わかりました……行きますので、ヴォルフラム殿下の状況を教えてください。でも、期待はしないでください。怪我をされていても私の力は不安定なのです」
「怪我ではありません……とにかく、見つけて下さればわかります」
「見つける? どこにいるのか、わからないのですか? ブレッドは、ヴォルフラム殿下の側近でしょう? 筆頭護衛でもあるブレッドが、ヴォルフラム殿下の居場所がわからないなど……」
「俺の失態です。少し目を離した隙にいなくなってしまって……とにかく、もしこちらに来れば、すぐにお教えください」
「それは、わかりましたけど……私のところになど来ないですよ」
ヴォルフラム殿下は夜会に行っているし、嫌われている私のところになど来るとは思えない。
ブレッドは、「お願いいたします」と言って、慌ただしくいなくなった。
「仕方ないですね……聖獣様。少しヴォルフラム殿下を探しますから、部屋でお待ちください。私の毛布をお使いになってかまいませんから……」
「がうっ」
嬉しそうに私の腕から飛び降りた聖獣様が、いそいそと私のベッドの毛布を咥え始めた。
「でも、探すと言っても……私が探せるところは、離宮だけですよね……」
私が探せるところで、夜会会場のある城に近いところは、私がルチアに突き落とされたあの庭だけだ。そう思い、一人庭へと向かった。
月夜明るい庭に行くと、城のほうは灯りが煌々と燈っている。
もう夜会に出ることはないのだろうなぁ……と思いながら庭を歩いていると、急に満月が何かに遮られた。その影に視線をやれば、そこには大きな狼がこちらを見ている。
「大きな狼……」
燃えるような緋色の瞳。何度見ても、精悍な顔つきだと思える。そして、その口には服を咥えていた。
「まさか……誰か殺って来たんじゃ……不味いですよ! すぐに逃げましょう。今の私では、庇えませんよ!」
大きな狼は、ペッと服を口から放す。それに見覚えがあった。
「……ヴォルフラム殿下の服……まさか……殺っちゃたんですか!? ダメですよ!!」
「グルゥゥ」
唸るような鳴き声。その大きな狼にそっと近づいて顔を撫でた。
「どうしたんですか? 苦しそうですよ?」
「グウゥ……」
「何を言っているのかわかりませんけど……一緒に逃げましょう。何かあったのですよね? どこまでも一緒に行きますよ。私なら、大丈夫ですよ。私はここに居場所がないんです。ヴォルフラム殿下に嫌われていますから……だから、気にせずに一緒に逃げましょう」
自分で言ってて泣きそうだ。婚約者だったのに、ヴォルフラム殿下に嫌われていることに胸が痛くなる。
大きな狼を労わる様に撫でていると、大きな狼はなぜか切ない表情で私を見つめた。
冷たい緋色の瞳。いつも私を冷ややかな面持ちで見ているヴォルフラム殿下そっくりだった。
「……ヴォルフラム殿下……に、そっくり……」
私の大好きな緋色の瞳。彼が好きだった。相応しい妃になろうと努力した。
それが、いつからか、聖女の力が不安定になって……自信がなくなっていった。
ヴォルフラム殿下は、何も気付かない。ただ、ルチアと仲良くし始めて……婚約者が、変更になるに至ったのだ。
そう呟くと、大きな狼は苦悶表情で足を返して、その場を飛ぶように駆けていった。
「待ってください!」
あのまま誰かに見つかれば、聖獣様でも不味いのではないだろうか。
ヴォルフラム殿下だって、聖獣様の祝福を受けれなければ王太子殿下にはなれない。ただの王子のままだ。でも、そのヴォルフラム殿下を殺っている可能性もある。
だけど、聖獣様がヴォルフラム殿下を傷つけるのだろうか。確かに、なぜか、小さい聖獣様はヴォルフラム殿下を拒否するように爪を立てていたけども。
どうしましょう……そう思っても、あの大きな狼は放っては置けない。
そう思うと、大きな狼の逃げた方角へと走った。
もふもふ誘拐罪で、ヴォルフラム殿下の離宮に監禁されているけど、こっそりと抜け出すしかない。小さい聖獣様はどうしようかと思いながらも、連れて来る暇もなかった。
離宮の庭園を突っ切っていると、雪がちらほらと降り出した。寒いはずだ。もう雪降る時期なのだ。この国は氷の国と言われるほど寒くて、冬の時期が長い。それと、不思議なことに、冬が突然やって来るのだ。徐々に下がっていく気温がどこの地域よりも早いと言われていた。
庭園から外廊下が見えれば、その手すりから大きな銀色の毛皮がモゾッと動いている。
聖獣様だ……。すぐに見つかってよかったと安堵した。
「聖獣様! 見つけました! 大丈夫です、か……」
外廊下の柱から顔を出せば、驚きで絶句した。
そこにいたのは、緋色の瞳に、銀髪のヴォルフラム殿下がうずくまっていたのだ。
そして、ヴォルフラム殿下の姿に私の絶叫が離宮に響き渡る。
「キャーーーーッ」
ヴォルフラム殿下が赤ら顔でギラリと睨む。だが、そんなことは問題ではない!!
「何で全裸なんですか!!!!」
「うるさい!!」
「違います!! こんなことをやっている場合では……っ!! 聖獣様は!? 私は聖獣様を探していて……早く逃げないといけないのに……」
「セリア……その聖獣は……」
そう言って、全裸のヴォルフラム殿下が、騒ぎだして混乱している私の腕を掴んでくる。
「キャーー!! 近づかないでくださいよ!!」
「騒ぐな!!」
「私は、聖獣様を探していて……!!」
探していて、なぜか、全裸のヴォルフラム殿下に行きついた。なぜ!!!!
「その聖獣は俺だ!!」
「はぁ!? そんなはずは!! だって、すごく大きな狼でっ!!」
ヴォルフラム殿下は獣人ではなかったはず。
「正確には、聖獣ではない! 獣化の呪いをかけられて、突然狼の姿になっているんだよ!!」
「変態!?」
「違う! 貴様、人の話を聞いているのか!」
「その全裸は何ですか!?」
「狼になれば、人間の服が合うわけがない!」
その通りだけども!! と言うことは……!?
先ほどの会話もすべて筒抜けだった。ヴォルフラム殿下その人に、一緒に逃げましょう、と言っていたのだ。
それどころではない。以前、ヴォルフラム殿下だと知らずに、好きだと言った気もする。そのうえ、口づけまでした。
ヴォルフラム殿下の全裸に、赤面していた顔が青ざめてしまう。今すぐに逃げたい。
「に、逃げます!!」
「なぜそうなる!?」
「キャア!」
脱兎で立ち上がろうすると、ヴォルフラム殿下に押さえ込まれる。
うつ伏せでバタバタする私の上でヴォルフラム殿下が静かな声音で話しかけてくる。私に冷静さはない。
「セリア」
「離してください!!」
「そのまま、俺から逃げるつもりだったのだろう!!」
「やぁっ、近づかないで! もふもふ誘拐罪に夜伽は入ってないですよ!!」
「あれは! もふもふ誘拐罪は、セリアを逃がさないためだ!!」
「だから、どうしてですか!?」
「……っセリアが好きだからだ! どこかに行ってしまっては困るんだ!」
突然の告白にじたばたしていた足が止まる。
そっと顔を上に乗っかっているヴォルフラム殿下を見れば、ツンとした表情なのに、目の下を紅潮させていた。
「私……」
「逃げられては困るんだ。だから、離宮に閉じ込めたのに……それなのに、聖獣様の毛をむしって逃走資金を作ろうとしたり、俺と知らずに大きな狼と逃げようとしたり……」
憎々しくヴォルフラム殿下が言う。
ヴォルフラム殿下に好きだなど言われたことはない。いつもいつも素っ気なくて、冷たくて……誰にも心を許したりしない彼なのに、私ではなく、彼からルチアに近付いたのだ。
「ウソです……私が嫌いだから、婚約破棄を……」
「婚約破棄をした覚えはない」
確かに、ヴォルフラム殿下から、婚約破棄と言われたことはない。ルチアが、婚約をするのに、私が邪魔で……もしかして、私がいたから婚約できなくて、邪魔だったということ?
でも、何度もルチアとヴォルフラム殿下は一緒に歩いていた。妃教育の合間に、嬉しそうにルチアがヴォルフラム殿下に垂れかかっているのを見たことがあるのだ。
「でも、ルチアと何度も一緒にいて……」
「あれは……セリアの聖女の力が不安定になっていたから、おかしいと思ってだな。ルチアを探っていたんだ」
「私が留守の時に、わざわざ邸にも来ていましたわ。私ではなく、ルチアに会いに行ったはずです」
「確かに、ルチアに会いに行った。だが、あれはブランディア伯爵邸を探るためだ。ちなみに、一人ではない。ブレッドも一緒だ」
確かに、ブレッドも一緒だと思う。彼はヴォルフラム殿下の側近で護衛なのだ。どこにでも付いてくる騎士なのだから。
「……ルチアを探っていたのは、なぜですか? どうして、私に何も言わなかったのですか?」
「秘密にしていたのは、セリアだ。だから、言わなかった。……俺と距離を置こうとしていたから……」
切ない表情でヴォルフラム殿下が言う。
言えなかった。聖女の力が不安定になっているとは。そうなれば、すぐにヴォルフラム殿下の婚約者でもなくなる。自分がずっと頑張ってきたものが、一瞬でなくなるのだ。不安だった。彼に愛されている自覚もなかったから……でも、いつか言わないといけないともわかっていた。胸が痛い。私までも、切なくなる。泣きたくないのに、目尻が潤んでしまう。
そんな私を察したヴォルフラム殿下が、ゆっくりと話し出した。
「……閲覧禁止の魔法書が一冊なくなっていた。能力を奪う魔法の書かれた禁忌の書だ。調べたら、ルチアが書庫係を誑かして入室していたことがわかった。セリアの力が不安定になっていったのは、ルチアがセリアの聖女の力を奪っていたからだ。一度で、すべてを奪われなかったのは、セリアの聖女の力が強いせいだろう……」
「違います……私、必死で流れ出る力を抑えていたんです。聖女の力を一時的にも抑えようと……封魔の術を応用して……」
「それは、知らなかった……抵抗していたのか……だから、聖女の力が不安定になっていったのか……でも、間違いなくそれだけの聖女の力を有するのは、紛れもなくセリアが聖女だからだ。だから、セリアをルチアから離そうと無理やりこの離宮に閉じ込めた。まだ、証拠も押さえてなかったから……泣くな……」
うつ伏せになったままで、顔を両腕に埋めて泣いていた。ヴォルフラム殿下が私のために動いていたことを知ったからだ。
今も、背中から慈しむように寄り添っている。
「好きだよ、セリア……泣かないでくれ」
「ヴォルフラム殿下のせいです……」
「すまない……でも、絶対に見捨てないし、婚約も破棄しない。セリアがいなくなったら、王太子殿下の地位もいらないんだ……セリアと結婚したくて、王太子になろうとしていたんだ……」
王太子殿下の結婚相手は、聖女と決まっている。確かに、聖女は私一人ではない。でも、私は幼い頃から、聖女の能力が高く、家柄も含めて、私が聖女であるかぎり王太子殿下の結婚相手は、私に決まっていた。
それが、ヴォルフラム殿下が王太子にならなければ、私は次の王太子候補の婚約者になっただろう。私が聖女であるかぎりそうなるのだ。
背中から伝わってくるヴォルフラム殿下の熱が優しい。雪が降り始めているのに、寒いとは思えなくて……。
「ヴォルフラム殿下……私も……」
幼い頃からずっと好きだった。何事も一生懸命で、誰よりも王太子殿下に相応しくなろうとしていた。その姿に尊敬と憧れがあった。自分も彼に相応しくなるように頑張ろうと……。
私も、ヴォルフラム殿下が好きだと言おうとした。その時に慌ただしくなって来た。
「ギャウッ!!」
「ヴォルフラム殿下!! やっと見つけまし……たぁ!?」
私を全裸で押さえ込んでいるヴォルフラム殿下の姿に、小さな聖獣様は、毛を逆だてて怒り始めた。ブレッドは驚愕する。夜会から突然姿を消して、ずっと探していたらしい彼が固まったように立ち止まった。
「ヒィーーーー!! 何をなさっておいでですか!! ヴォルフラム殿下―!! ここは外ですよ!!」
「くっ……」
いいことろだったのに、と心の声が聞こえそうなヴォルフラム殿下が私の背中に顔を埋めた。
慌ててブレッドは、自身のマントをはぎ取っている。
「……ブレッド。助けてください! ヴォルフラム殿下が……!」
「はぁ!?」
ヴォルフラム殿下が、身体を起こして私の発言に驚いた。
「セリア様!! すぐにお助けします!! 離れてください! ヴォルフラム殿下! さすがに外は不味いですよ!!」
急いでヴォルフラム殿下にマントをかけて起き上がらせるブレッド。やっと背中が軽くなった。でも、少しもの淋しいと思える。
私も起き上がると、ブレッドのマントに全身を包まれたヴォルフラム殿下が鋭い視線で睨んでくる。
「……言っておくが、襲ったわけではないからな」
「知ってます。ちょっとした意地悪です」
「意地悪?」
「はい。だから、これで秘密にしていたことは、なかったことにします」
「それはどうも……では、俺からも……」
そう言って、ヴォルフラム殿下が近づいてくる。
「後で部屋に行くから……」
ヴォルフラム殿下の低くて男らしい声音が耳元で囁かれると、そのまま頬に口付けをされた。心臓がどくんとする。
耳元から離れれば、ヴォルフラム殿下が私をじっと見る。
「俺もこれで、セリアが秘密にしていたことは、なかったことにしてやろう。では、あとで……」
何も返事ができないでいた。ヴォルフラム殿下に頬とはいえ口付けをされたのだ。その紅潮した頬を手で押えたままで、ブレッドに連れられて行くヴォルフラム殿下を呆然と見ていた。
※※※
聖獣様を抱っこしたままで部屋に帰り、今は聖獣様が食事をしていた。
大皿の上に何個か用意された骨付き肉やミルクを美味しそうに食べている。
「まだ子供なのに、よく食べますね」
何の警戒もなく、聖獣様が私の置いた大皿から骨付き肉を頬張っていた。
不思議と誰も近づけない聖獣様。あのヴォルフラム殿下でさえ、近づくと警戒して怒っていた。
……どうして私に懐いているのだろうかと、不思議だった。
ルチアに力を奪われていって、私は聖女じゃなくなっていった。
そして、出来損ないの聖女もどき。もしくは、欠陥品の聖女。不安定な力の私は、いつしかそう呼ばれていた。
思い出すと、胸に重いものが圧し掛かっていた。聖獣様が私の膝に乗り、骨付き肉を食べ始めているからかもしれない。
「くぅん」
あっという間にミルクも無くなっている。
「ヴォルフラム殿下は、まだ来ないですね……ミルクのおかわりを頂いてきましょうか……」
育ち盛りだから、よく食べるのだろう。
聖獣様を膝から降ろして立ち上がると、急に聖獣様が毛を逆だてた。
「どうしましたか?」
「グゥ……」
すると、ノックの音がした。そっと扉を開けると、ヴォルフラム殿下が部屋に入ってきた。
「遅くなって悪かった……その……」
慣れない手つきで、ヴォルフラム殿下が私に両手いっぱいの青いバラを差し出してきた。
「アイスローズ……」
「セリアに贈りたい」
「これを私に……?」
アイスローズは城でしか作られてない。魔法で作られた、特別で貴重な青いバラだ。王族専用の庭園にしか、咲いてないのだ。だから、持ち出せるのも、王族だけで……。
「アイスローズの意味も知っているとは思うが……」
知っている。花言葉は『祝福』。王族は、好いた女性に求婚する時に贈るのだ。
「……ヴォルフラム殿下が、私が聖女のままでいられるように、かけあっていたと聞きました」
「聖女ではないと、セリアと結婚できないからな……聖女でなくても、結婚したいのは、セリアだけなんだ。だから、嫌われてでも、聖女を止めさせるわけにはいかなかった。すまない……俺が王太子候補をやめるべきだった」
「それはダメです。ヴォルフラム殿下は、王太子殿下に相応しい立派な方です」
ヴォルフラム殿下が、ずっと努力をしていたのを知っている。それを、なかったことにはできない。
ヴォルフラム殿下が、私を抱き寄せてそっと背後の扉を閉めた。
「聖女に戻したかったのも、ルチアに君の聖女の力を奪われたままにしたくなかった。俺の自分勝手だ」
「私がうかつだったのです。ブランディア伯爵邸の自分の部屋に魔法陣が展開されていることに気付かなくて……」
だから、妃教育だという名目で城の私の部屋に逃げていた。そのせいで、ブランディア伯爵邸に帰ってこない私にしびれを切らして、ルチアが聖女の力を完全に手に入れることができずに、バルコニーから突き落とした。
「そうだったのか……だが、もう大丈夫だ。ルチアは、閲覧禁止の区域への不法侵入と禁忌の書の無断使用、セリアを突き落とした罪も含めて、先ほど捕らえた。今頃ブレッドが牢屋へと送り込んでいる」
それで、私の部屋に来るのが遅くなったのだ。
「ルチアに突き落とされた時に、私を助けて下さったのは、聖獣様ではなくてヴォルフラム殿下だったのですね?」
「あの時は間に合わなかった。ルチアを張っていたのに、突然姿隠しの魔法で見失って……見つけた時には、セリアが突き落とされていた。手を伸ばしたのに届かなくて、俺も一緒に飛び降りたんだ。あのタイミングで獣化したのも予想外だった」
ヴォルフラム殿下の獣化が不安定だと言う。自分の意志で獣化するわけではないから、いつ大きな狼に変わるかも、そして、人間の姿に戻るかもわからないと言う。
「でも、誰が獣化の呪いを? ヴォルフラム殿下にかけることができるなんて、やり手ですね」
意外と隙のない殿下だった。魔法も使えるし、剣術の腕も一流だった。
「……そこにいる聖獣様だ」
「は?」
「だから、そこで寝ている聖獣様だ。ルチアと会い出してから、怒って俺に呪いをかけたんだ」
「聖獣様が!?」
「そうだ。セリアに懐いているのも、君だけが聖獣様の聖女だからだ、と思う。俺はそう確信している」
この聖獣様が?
そう思うと、驚いたと同時に、くすりと笑みが零れた。
「俺に懐かないのも、ヤキモチのような気がするし……笑うなよ」
「ふふっ、少しすっきりしました。聖獣様は、私のかわりにやり返していたんですね」
「俺が、セリアではなくルチアに近付いたからか? だが、あれは事情があってだな……」
「はい。わかってます」
「本当に?」
「はい」
そう返事をすると、ヴォルフラム殿下が真剣な眼差しで私の頬に手を添えた。
どきりとする。艶めいた雰囲気に、視線が交わる。
「好きだよ。セリア。どうか、結婚して欲しい。ずっと、好きなんだ」
「……はい」
ヴォルフラム殿下の顔が近づいてくると、そっと唇が重ねられた。
聖獣様は、何もかも見通していたように静かに眠っていた。
お読みいただきありがとうございました!