その盗人、旅に出ず。
一難去ってまた一難とはよく言ったもので、アランの屋敷に安寧の日が訪れることは未だない。
リリーが憲兵隊に連れていかれたのも束の間、翌日にはやはり別の勇者パーティー加入希望者が現れるわけだ。
そんなある日の事。
「勇者様ー?」
この日は朝ではなく、夕方ごろにアランの自室へとかわいらしい声がかかった。ヴォイチェフではなくマチルダがアランへ声をかけに来たのは、彼女の希望に違いあるまい。
何かとアランの部屋に来たがる……というよりはアランに会える用事を作り出そうとするので、隙あらばアランと話したいということで間違いないようだ。
それ自体は問題ない。アランもマチルダと話すのは嫌いではない。
「どうぞ、開いてるよ」
お気に入りの小説を読んでいたアランが顔を上げる。予定が無ければ、日がなごろごろしているだけのアランにとって、読書は唯一の趣味のようなものだ。
「また今日もお客様だよー」
「はぁ……今日くらいは来客が無いかと期待していたんだけどね」
「うん。帰ってもらおうと思ったんだけど、何だか落ち着きのない人で」
だからこうして応対後、早々にアランを呼びに来たというわけか。落ち着きがないの意味が分かりかねるが、何やら後ろ暗い企みのある人物ならば看過できない。
……
「初めまして、僕がアランですが……」
サッ。
「え」
「あ、あらこんにちわー!」
いや、取ってつけたような笑顔を向けてくれているが、今、絶対に何か隠したよな。
いつもの応接間の席に座るのは麗しき女性。赤髪のショートカットを揺らし、茶色のロングスカートと白いブラウスを着ている人物であった。
一見、そこら辺にいる町娘にしか見えないが、その腰には扱いやすそうなショートソードを下げている。
つまり、剣術を使えるということだ。
アランを訪ねてきただけあって、腕利きの冒険者や戦士であることは間違いないだろう。
ここにきてアランは思い出したが、いつもはこの場にいるはずのヴォイチェフは不在だった。月に一度の登城日で、アランの様子などを国王陛下や大臣閣下に報告するため、王宮に出向いているはずだ。
「あの……」
「はい? あっ、これは失礼いたしました! 私、キャシーって言います! 勇者様に会えて感激です!」
アランに加え、後ろから入室してきたマチルダもジト目でキャシーと名乗った女性を見つめる。
「いや、そうではなくですね。何かいま、後ろ手に隠されましたが、どうされたんですか?」
「え、いえ! 何も!」
「失礼ですが、僕の命を狙う刺客であるという可能性もありますので、見せて頂いても?」
ただ、そうは言ったものの、アランはその可能性はゼロであると確信している。
なぜならば、キャシーが後ろ手に隠したのは応接間の壁に飾ってあった、銀製の燭台だからだ。
かなり素早い動きだったのは認める。常人であれば見逃していただろう。ただ、アランは曲がりなりにも勇者で、剣術の心得も人並み以上である。動体視力も伊達ではない。
「……なるほどね。さすがは勇者様だわ」
まさにお手上げ、と言った様子でテーブルの上に燭台を置くキャシー。
「その燭台で僕を殴る気だったんですか?」
「まさか! 私なんかが、貴方に勝てるわけないわよ!」
一気に砕けた会話口調に早変わりしたキャシーが、両手を挙げて降参のポーズをとりながら、ドスンと音を立ててソファに深々と座り直した。
「……うーん。あの棚にあった写真立てやゴブレット、真鍮の灰皿も無くなってますね」
「驚いた」
いや、驚いたのはこっちなんだがとは思いつつも、マチルダが言っていた「落ち着きのない人」の意味を改めて理解する。
そわそわしていたのか、うずうずしていたのか、キャシーはこの屋敷で目ぼしいものを盗むためにここへ入ってきたというわけだ。
「では、すぐに憲兵隊に……」
「ちょーっと待って!」
「何ですか? 白昼堂々、貴女が行った行為は泥棒ですよね」
今しがた座ったばかりのキャシーが、ガバッと立ち上がった。
そして、ロングスカートをはらりと軽くめくると、その中からアランが指摘していた他の品々がドサドサッと床に落ちる。
そんなところに隠していたのか。
「それはそうなんだけど! 私は昔、女盗賊団で頭領をやっていたの! 今は冒険者をやっているんだけど、その腕を買って貰いたくてここに来たのよ! 仲間を探してるんでしょ!? 私のスキルは旅の役に立つわよー!」
「盗みのスキルが、ですか? そうは思いませんが」
「えぇ!? ほら、魔族と邂逅した際に相手の武装解除とかできるんだよ!?」
言われてみれば確かにそうだなと気付く。アランには不殺の誓いがある。万が一、本当に万が一、旅に出て魔王討伐の任を全うすることになってしまった場合、このキャシーの能力は大いに活用されることとなるだろう。
しかし……
「武装解除する前に、剣術や魔術で無力化してしまえばよいのでは……」
殺さなければ良いわけで、気絶させたり怪我を負わせたり、その程度ならばアランの許容範囲内だ。
「確かにそうだけども! ほら、出来れば争いたくないときとかさぁ!」
そこまでしてアランの仲間に加わりたいのはなぜだろうか。旅立つつもりは毛頭なくとも、キャシーに少しばかり興味が湧いてきた。
「うーん……貴女の目的は何なんですか? 危険を冒してまで勇者パーティに入らずとも、それだけの腕があれば金品を盗むことなんて造作もないでしょう?」
別に、犯罪行為を助長しているわけでは無いのだが、世の中には悪代官のような者から金目のものを盗み、恵まれない人たちに施しを与える義賊のような盗人もいると聞く。
「そりゃぁ、勇者のお供ともなれば、見たこともないような貴重品だって手に入る可能性が高いでしょう? ほら、魔王が隠し持っていた秘蔵の宝玉……とか?」
「夢を見るのは自由ですが、それって貴重な品は僕や他の仲間ではなく、貴女が独り占めするということですよね。それもこっそり」
聞いて損をした、といった態度でアランがため息を一つ。
物欲や守銭奴というよりは、世に二つとない貴重な品を保有したいという独占欲だ。トレジャーハンターとしてはそれでよいのかもしれないが、勇者の仲間としては如何なものかと思う。
「あとは、そうだ! 開錠なんかも得意よ! 宝箱から牢獄、果ては秘密の扉まで、このキャシーちゃんにどーんと任せてほしいわね!」
「開錠ですか。それは確かに魅力的かもしれませんね。ところでキャシーさん。脱獄してきたばかりとか、そんな話ではありませんよね?」
「あ、え、えっと……」
まさかの図星か。キャシーの目が右往左往して泳いでいる。盗賊を名乗る割には、嘘をつけない素直な性格らしい。
冒険者というのも眉唾物だ。適当に準備してきた肩書かも知れない。
「憲兵隊に通報ですね」
「待って待って待って! 全部正直に話すから! 確かに私はちょーっと『おイタ』が過ぎて捕まってたんだけど! 牢からこっそり街に出たら、勇者の仲間を募集してるって話を聞いてさ! それで、世界のために私の能力を使いつつ、なんだかんだ貢献出来たら……」
「勇者の仲間で、国公認の盗賊、みたいな立ち位置を名乗れますね。それで投獄されていた今までの盗みの罪も帳消し、と。そういう腹ですか」
「話が早くて助かるわー。それで? ダメ、かな?」
本来であればそう簡単な話ではないと思うのだが、ここまで頑なに旅立ちを拒否しているアランが重い腰を上げたとなれば、キャシーの出自は不問となる可能性は大いにある。
中々良い着眼点だ。
「僕にとっては、犯罪者の隠れ蓑に利用されるだけで、メリットなんてないように思えるんですよね」
「だから一生懸命スキルの事を話したでしょ! 武装解除とか開錠とかさぁ! あとは偵察とか諜報とか、色々使ってよぉ! お望みなら寝所にもいくからさぁ! こう見えて、結構床上手なんだよぉ!」
「ちょっと、子供の前でなんてことを! 必死過ぎるでしょう! どんだけの覚悟なんだ、アンタ!」
顔を引きつらせつつ、後ろにちょこんと立っているマチルダの顔色を伺う。
「……?」
良かった。きょとんとしているだけで今の会話の内容は理解できていないようだ。
「また捕まっちゃうと厄介なんだよ。脱獄の罪って思ってたより重いらしくてね。ほんの出来心で開錠して見たら案外と簡単に出て来れちゃって……」
その才能を他のところで活かしてもらいところだ。
……ただ、それで勇者のところに来たのか、と妙に納得してしまい悔しくも感じる。
とはいえ、そんな事情を知ったところで彼女を仲間にするわけにもいかない。
「ではもう憲兵隊に……」
アランが再びそう言い出したところで気づく。ただでさえ、先日リリーという不届き物を憲兵隊に差し出したばかりだ。
キャシーをこのまま逮捕させたとして、勇者宅には犯罪者が集まっているという話が広まってしまっても厄介だ。
そうなれば、ここぞとばかりに名うての凶悪犯たちがアランを頼ってきてしまうかもしれない。いや、逮捕されるのだから来ないのか……?
どちらにせよ、犯罪者と多くの伝手があるのではないかと、変な目で見られることは避けられないだろう。
「って、え! 何で服を脱ごうとしてるんですか!」
「きゃーっ! 何なんですかこの人はぁっ!」
リリーといい、キャシーといい、この国の女性の貞操観念はどうなってしまっているのだ。たとえアランには勇者であり、美男子であるという条件があるとしてもだ。
「何でって! もう実演するしかないじゃないのさ! また捕まるのは御免だよ!」
「それは貴女が悪いんでしょうが!? あぁっ、ちょっと、くっつかないでください!」
「お願いだよぉ! 仲間にしてよぉ! 盗賊団も解散しちゃったし、私はもう他に行く当てもないんだよぉ!」
下着姿でアランの身体にまとまりつくキャシー。リリーほどではないが、なかなかに弾力のある胸囲だ。上から下まで盗賊らしくスラリとしていて、モデル体型という言葉がよく似合う。
「いいから、勇者様から離れてくださーいっ!」
ドンッ!
マチルダの手のひらから炎が上がる。天井を掠めようかという巨大な火球は、今にもアランとキャシーに向けて放たれそうだ。
アランも初めて見たが、やはりマチルダは天才児らしい。魔力を増幅させる効果がある杖もなしに、こんなにも強力な魔力を持っているとは。
「ひぃっ! なに、この子!? すごい魔力なんですけど!?」
マチルダの気迫と魔力に恐れをなしたキャシーが、さささっと離れて元の位置に座る。
その手には、何やらアランにも見覚えがある、衣服が一つ。
「あっ」
「あっ」
お互いにそう言いながら、アランは視線を自身の下半身へ。
いつの間にか剥ぎ取られたスラックス。そして淡い水色の下着が露わになっていた。
「……いつの間に」
「ご、ごめんっ! 返す! 返すから!」
まさか、即座に脱がされるとは思ってもみなかった。心地よい肌のぬくもりと甘い香りに油断していたとはいえ、これはアランの失態だ。
「勇者様! お客様も! 早く服をきなさーいっ!」
「「はいーーーーーっ!」」
二人は光の速さで着衣し、なんとかマチルダの火球が放たれるのを回避したのだった。
……
「ですが、素直に驚きましたよ。確かに貴女は凄腕の盗賊のようだ。僕から一本取ったも同然ですからね」
今まで散々、アランの仲間入りを目指す連中と様々な手合わせをしてきたが、してやられたのはこれが初めてだ。
無論、ヴォイチェフやマチルダの「始めっ」という合図から始まったわけでは無く、不意打ちの類だという言い逃れは出来る。
それでもアランは心の底からキャシーの腕だけは認めざるを得ない。
「おや? また別の……羽ペンとインクのセットが消えてますが」
「あらぁ、バレちゃったか」
「事あるごとに私物を盗ろうとするのはやめてもらいたいですね……」
「へへー、この辺はいい値段つくかなと思って」
ぺろりと舌を出し、スカートの中からアランに指摘された盗品を取り出すキャシー。油断も隙も無いとは正にこの事だ。
「……勇者様、どうするの? おまわりさん呼ぶの?」
「うーん、困ったね。僕もそうしたいところなんだけどさ」
「そんな! 後生だよ! 仲間にしておくれよぉ!」
ただ見逃してくれ、だけではない点が非常に厄介だ。このまま許すのは簡単だが、どうあってもキャシーを旅の仲間には出来ない。
「そうは言っても、僕はまだ旅に出るわけにはいかないんですよ。理由は面倒なので説明を省きますが」
「どういうこと? 『倒せ魔王! 勇者の旅の仲間募集! アットホームな職場です』っていう立札があったけど?」
「なんですかその立札は……始めは普通だったはずなのに、さては陛下、ちょっとふざけ出してるな……」
アランは滅多に家の外には出ないため知らなかったが、まさかそんな求人情報を国中にばら撒かれていたとは。
「そうだ。それであれば、こういうのはどうでしょう?」
「うん?」
アランに一つの閃きが走った。我ながら最高の案だ。
「実は今話したように、僕は旅には出れないんです。しかし、世間はその立札や噂話を鵜呑みにして、ここへ来てしまう」
「そうね」
「それを排除してくれませんか? 具体的に言うと、立札を回収して処分してほしいんです。貴方の腕なら造作もないんじゃないでしょうか」
「えっ!? 国中のお触れを!? それはちょっと範囲が広すぎるよ!」
当然の反応だ。エレーヌ大陸全土となると、確かに荷が重いか。
「ではせめて王都セレンティエーゼ内だけでも。人口が多いのはやはりこの王都ですからね」
そこからの希望者が遮断されるだけでも、アランの応対が減って、多少はゴロゴロしていられる安寧秩序がもたらされるはずだ。
「うーん、まぁそれくらいなら良いよ。それで、報酬は? 国王陛下のお触れを排除するんだ。かなりのリスクを背負うのは理解できてるよね? バレればまた監獄行きだよ」
「報酬? 自身の泥棒を水に流してもらだけじゃ不安だとでも? それに、その仕事をしている最中以外、たとえば街を歩いているときなんかは勇者の仲間であると公言していただいていいですよ。これはかなりの報酬では?」
「本当に!? それはありがたいねぇ!」
キャシーにとって王都内、いや憲兵がいれば国中どこであろうと常に心休まることがない。その枷が消えるだけでもかなり生活はし易くなるはずだ。
「ただし、盗みの罪なんかで捕まった時には僕は助けませんからね。知らない人が、勝手に僕の仲間だと吹聴しているとしか言いません。無論、その分の罪も上乗せになるでしょうからご注意くださいね」
「結局それじゃあ根無し草じゃないか……生活資金はどうするの」
「さっきご自身で言われていた通り、冒険者にでもなれば良いんですよ。ダンジョンに行くパーティメンバーに同行して、思う存分にその腕を振るって下さい」
キャシーが腕組をして考え込む。やはり冒険者稼業は全くの出まかせだったんだな。
「じゃあさ、こっちからも交換条件を出してもいいかい?」
「どの口がそんなことを言ってるんですか。そんな条件提示なんてできる立場じゃないでしょう」
「いや! 勇者の仲間だって言うにしてもさ、それなりの証拠とかいるわけでしょ! 何でも良いから、私物を一つ下さいな! ハンカチでもペンでも良いから!」
言っていることは正しいのかもしれないが、悪用されないとも限らない。仮に彼女が捕まった際にアランの私物が出てきたら……
「いや、その場合は盗まれたと言えばいいだけの話ですね。分かりました、ではこのハンカチを。勇者家の紋章である翼竜が入った一品です」
「おほっ! こりゃありがたい! 憲兵にしょっ引かれそうになったら使わせてもらうよ!」
「僕の効力があるのは過去の罪だけとします。新たな罪状で挙げられたら、僕は知らないフリをしますからね」
一応は決まりだ。
ただし、これはあくまでもここだけの話となってしまうので、まずは関係者に連絡をしておく方が良いだろう。
「マチルダ、ちょっとキャシーさんと出てくるよ。お留守番を頼めるかな」
「はーい!」
「え、え、どこに行こうってんだい?」
立ち上がって玄関へ向かうアランに続き、キャシーが後ろをついてくる。
「戦士長のところです。僕の剣術師範だった方ですね。憲兵隊にも伝手があるので、キャシーさんの罪を帳消しにしてもらって、勇者の仲間だと話をつけておきます。ただし、新たな罪を犯した場合は知らないフリをするので容赦は要らないともね」
「うわぁ……」
平服に剣を下げ、戦士長がいる詰め所まで少し移動する。
王城内にも彼の執務室などはあるのだが、大抵は城下にある詰め所に併設された訓練所にいるのは長い付き合いの中で分かっている。
……
途中、町娘たちからの黄色い声、それと隣の美女は誰だという冷たい視線を同時に浴びながら、二人は詰め所に到着した。
ガチャガチャと鎧がすれる音、そして槍や剣が木人形に打ち付けられる音、いかにも訓練場といった雰囲気が漂う詰め所裏。
男たちが汗と涙を流しながら日々、肉体と精神を鍛える神聖な場所だ。
幼少期にここで戦士長、当時はその地位には無かった彼に、アランは剣術を教わった過去がある。
とはいえ、やはりムッとする男臭いこの場所はなかなかに耐え難いものがあり、アランはあまり好きではなかった。
「戦士長」
「おや、これはアラン殿」
予想通り、新兵らに剣の稽古をつけていた戦士長が出迎える。
筋骨隆々の男だが、その上についている顔は美丈夫で女性からの人気もある。アランに言わせれば、自身よりも彼の方がハンサムだとさえ思う。それほどの色男。
歳は三十路ちょうどだったはずだ。
「お前たちはそのまま素振りを続けろ!」
新兵らに指示を出しながら兜を外し、うっすらと生えた顎髭をいじりながら戦士長はアランたちに近寄ってきた。
「訓練中も完全武装とは、新兵らも疲れるでしょうね」
「ははっ。いついかなる時も全力で、がモットーですからね。それで、今日はどういったご用向きで? 手合わせであればいつでも歓迎しますが」
「それはご遠慮願います。貴方も好きですね……」
アランは何度も、師匠であったこの戦士長には勝っているのだが、戦士長も強い相手との試合は何よりも訓練になると思っており、負けると分かっていてもこうやって試合に誘ってくる。
「それは残念です。それで、こちらの美女は?」
「あぁ、彼女はキャシーさんです。僕の仲間になってくれるという話なんですが、彼女は元々盗賊でして」
「仲間? まさか、いよいよ旅立たれるんですか! これは僥倖だ!」
アランがなかなか旅立たないというのは有名な話なので、この戦士長も周知の事実だ。しかし、初めて耳にする仲間という言葉に、彼は大手を振って喜んでくれた。
結論から言うと旅立つ気などなく、騙しているようで悪いと思いながらもアランは言葉を続ける。
「いや、まぁその前段階といいますか。それはそれとして、凄腕の盗賊である彼女には犯罪歴があるんです。現在も追われる身でして、それをなんとか憲兵隊からは目を瞑っていただけるよう、お力をお貸しいただけないかと」
「ほう、それは難儀ですね。しかし、他でもないアラン殿の頼みとあれば、一肌脱ぎましょう。まさかとは思いますが、その前科は殺しなどではありませんよね、お嬢さん?」
「あ、はい! 盗みです! 殺しはやりません!」
堂々と宣言するキャシー。いや、堂々と言うのもおかしな話だが、この場合は仕方あるまい。
「であれば、何とかして見せましょう。アラン殿、旅のご無事をお祈りしておりますよ!」
「いや、だからまだすぐに旅立つわけでは……」
「そうなのですか? しかし、その為の第一歩であれば、こちらも応援してあげたくなるというものですから」
肝心な部分の話を聞いてくれないものかと冷や冷やしたが、戦士長はそこまでご都合主義で自分勝手な人間ではない。最終的にはおおよそのアランの状況を理解してくれたようだ。
無論、その旅立つ前準備という状況というのも、アランの嘘ではあるのだが。
「では、僕らはこの辺りで。訓練の邪魔をして申し訳ありませんでした。あとは頼みましたよ、戦士長」
「お願いね、カッコイイ戦士長さん!」
「もちろんです! 大船に乗ったつもりで、ドーンとお任せください!」
戦士長、そして未だ素振りを続けている新兵たちに一礼し、アランとキャシーは訓練場を後にした。
……
アランの屋敷の玄関前。今回もなかなかの迷惑客だったが、何とか今の生活を守り切ることができそうだ。
「では僕らもこの辺で別れましょう。立札の仕事の方、くれぐれも内密にお願いしますね」
「まっかせといて! 王都内だけなら二、三日でぜーんぶ消し去ってあげるよ」
一時はどうなることかと思ったが、頼もしい限りだ。
「それじゃあね、勇者様!」
ふわりと温かく、良い香りがしてキャシーの顔がアランへと一瞬で接近する。そのままアランの頬にキスをすると、彼女は一目散に逃げていった。
「あっ! ちょっと! やれやれ……変な人だ……って、えぇ!?」
またやられた。
応接間の時と同じように、アランのスラックスが消え去り、下着一枚の情けない姿で立っていたのだった……
『疾風のキャシー、撃破ならず……』