その美女、旅に出ず。
マチルダがアランの為に始めてくれた露払いだったが、はっきり言って何の意味もなかった。
勇者を訪ねて来てみたら、魔術師らしき子供に冒険の危険さを諭されて追い返される……そんな人物など一人たりともいなかったのだ。皆、それなりの強い意志を持ってやってきているわけで、マチルダのように怖い目にあいたくないからやめておく、などと考え直す人物がいるはずもない。
むしろアランが実はとても弱く、臆病風に吹かれているだけなのではと言われる始末。
そこで涙目になっているマチルダに代わって結局はアラン本人が応対し、手合わせをして打ち負かし、そんな実力では足手まといだと追い返すという、以前と変わらない手段を取り続けていた。
数日前にマチルダは一度帰郷し、お師匠様と母親にセレンティエーゼでの長期滞在を告げてきたようだ。
今度は私物の色んな魔法具や薬品をアラン邸の客間に持ち込み、時間がある際には研究をしているらしい。根は真面目な魔術師なのだ。
一度、ヴォイチェフの手伝いをしようかと言ってきたそうだが、それは彼に断られている。それ以降はますます魔術や薬品の研究に没頭しているようである。
「アラン殿! おはようございまぁぁす!」
いつもの調子でヴォイチェフはアランの私室へと入って来た。カーテンを開け、窓を開け、アランがくるまっている毛布をはぎ取ろうとしてくる。
「うーん……相変わらずの朝の早さだね、爺」
年寄りは夜寝るのが早いせいで朝が早いと聞くが、ヴォイチェフに限ってはそれが当てはまらない。彼は誰よりも遅くに就寝し、誰よりも早くに目覚める。まさに執事の鏡のような人物だ。
「はっはっは! 御冗談を! もう昼前ですぞ、アラン殿。実は早朝からマチルダ殿に薬品に関する講義を受けておりましてな。その間にアラン殿が起きて来ればそれで良いと思っていたのですが、結局出てこられずガッカリでしたよ」
「えっ、そうなのか」
アランが自身でも驚いてしまうほどの、ぐうたらな生活習慣が染みついてしまっていたらしい。決して夜更かしをしていたわけでもないにも関わらず、このざまだ。
こうして起こされなければ、空腹の限界で目覚めるまで何日間もそのまま寝てしまうのではないだろうかと心配になる。
ごそごそと身じろぎをし、ようやくベッドから降り立つ。
確かに窓の外に朝日は射し込んでこず、お天道様は遥か高くに昇っているようだ。
「朝食はございませんぞ」
「分かってるって。でも昼食は出してくれよな。それで、マチルダからはどんな講義を?」
「なに、大したことでは。目覚め薬の精製方法をですな」
「どう考えても僕に使うものなんだよなぁ……」
げんなりしながら部屋着にそでを通し、アランはヴォイチェフの先導に従って階下へと向かった。
……
「あっ! 勇者様! おはようございます?」
疑問形なのはもう昼だからだろう。マチルダは淡い水色のワンピースに水色のとんがり魔女帽子を被っている。帽子の方は珍しい一品なので、特注品かもしれない。
「おはよう、マチルダ。ヴォイチェフに講義をしてくれたらしいね。偉いじゃないか」
「えらい? えへぇ」
頭をなででやると、マチルダはいつものように嬉しそうにはにかんでいる。その講義の内容は注意すべきものなのかもしれないが、この笑顔に免じて今は良しとしよう。
その時、カンッ、カンッと玄関先のドアノッカーの音が響いた。
「やれやれ、今日も来客のようだね」
「あ、あたしが追い返します!」
また、勇者であるアランへのお誘いを狙った強者の来訪だろう。今となっては来客がない日の方が珍しいくらいなので、もはや慣れっこだ。
「爺、出てくれるかい? 僕はしばらく自室に引っ込んでおくから、マチルダも露払いをお願いするね」
「かしこまりました」
「がってんしょうちのすけ!」
とはいえ、マチルダが追い返せるはずもなく、そのままアランが応対することにはなるのだろうが。
……
それから、小一時間経っただろうか。アランの自室に涙目のマチルダが飛び込んできた。
「ふぇぇぇん! 勇者様! お客様が帰ってくれませんでしたぁ!」
ここまでは予想通りだ。むしろ、小一時間も頑張ったことを褒めてあげるべきだろう。
「そうかそうか。どんな人だったか教えてくれるかな?」
「んーとね、女の人。神聖魔法が得意だって言ってたから、回復術師の人だと思う」
女僧侶か。それだけであれば珍しくも何ともない。
いつものような一騎打ちでお帰り願うとはならないだろうから、回復術の効果の高さで勝負、などが考えられる。
回復術自体、アランは得意ではないので、それで敵わなければ攻撃系の神聖魔法対決だろうか。
「あとね、おっぱいが大きい」
「え? あ、そ、そうなんだね……」
いろんな思案をしているところに、マチルダから突拍子もない無駄な情報が追加された。
「それから、すんごいエッチな服を着てるから、騙されちゃだめだよ!」
「なんだそりゃ。聖職者……だよな?」
ちょっと気になってきてしまうアラン。同性である上に子供であるマチルダから身体的特徴が飛び出すくらいだ。胸部や脚部などがかなり大胆に出た衣服であると思われる。
アランも17歳の健全な男子だ。女性に興味がないかと問われればないわけがない。勇者というだけあって、若い女性に言い寄られることも一度や二度ではない。
だが、今は来客を見てみたいだけの興味本位のものであり、いくら相手が色っぽいからといって、それが旅立ちを決心する一手にはなりえない。
「失礼します、僕がアランですが……って、えぇぇ!?」
客間に入室したアラン。その目に飛び込んできたのは、いつも通りに椅子に座る来客と、その体面に立って控えているヴォイチェフ。
アランが驚いたのはヴォイチェフが直立不動の姿勢のまま鼻血を垂れ流していたからだ。
「爺! 何やってるんだよ!? 怪我してるのなら、突っ立ってないで手当てしないと!」
「そ、それには及びません……怪我などしておりませんのでお気遣いなく」
「怪我じゃないの!? でも、鼻血は止めないと……っ!」
アランがあたふたしていると、後から入室してきたマチルダがティッシュ箱を両手で抱え、ヴォイチェフの目の前に突き出した。
「おじいさん! これ使って!」
「おぉ、これはすいませんな。マチルダ殿。この爺、一生の不覚でございました」
ティッシュを鼻に詰め、一応は大丈夫だと思うが、アランはいよいよ回復術師らしき来客の目の前に座った。
この一通りのやり取りを、妖艶な笑みを浮かべたままで黙ってみている人物だ。
背丈は並の女性といったところだが、マチルダが言っていた通り、胸部が非常に大きい。
それを見せびらかすために大きくはだけた白色の法衣。左右に開くバスローブやガウンのような形状で、下半身は太ももまで見えるほどに短い。
足元は白いブーツ。頭の上には十字架をかたどった紋様が施されたミトラ帽子を被っていた。
そこからはみ出る黄金色の髪の毛はウエーブががっており、顔にも小ぎれいな化粧をしていた。
年齢は20歳前後だろうか。若いのだとは思うが、それ以上に大人っぽい印象を受ける。
「えーと、こんにちは。アランです」
「えぇ、こんにちは。リリーと言います。お会いしたかったですわ、勇者様」
入室時からすでに笑顔だったが、さらに目を細めながら口角を上げ、リリーと名乗った女性は軽く会釈をした。
そして、今にも下着が見えそうなほどに裾の短い法衣を翻し、脚を組み替える。
なるほど。これがヴォイチェフを苦しめている原因か。
脚もそうだし、目線を上にやれば弾けそうな胸元。こちらは下着もつけず、法衣の下は素肌だけのようだ。もしかしたら下も……? などとは考えてはいけない。ヴォイチェフの二の舞になってしまう。
「あー……えぇと」
「勇者様っ! エッチな事考えちゃだめだよぉ!」
「か、考えるはずないだろそんな事!」
後方からマチルダの叱責が飛んでくるが、これは考えるなという方が無理な話だ。アランは決してむっつりスケベなつもりはないのだが、視線をどこに送ってもリリーの脚や胸の谷間は視界内にぼんやりと入ってきてしまう。
「あら、勇者様も一匹のオスなんですねぇ」
「ちょっと、そういう言い方はやめて頂きたいですけどね! それで、ご用件をうかがえますか! まさか、僕へ色仕掛けをする為に来たわけじゃないんでしょう?」
「ふふっ。まぁ、そう取っていただいても構いませんわ。勇者様が私のものになるのであれば、これ以上ない喜びかと存じます」
ぺろりといじらしく舌を出しながら、リリーは再度脚を組み替えた。心なしか姿勢も前のめりになって、胸元を見せつけているようにも感じる。
「……であれば、お引き取りください。僕はそういったお相手は必要としておりませんので」
「あら、それは残念」
「えっ?」
意外や意外、リリーはアランの返答を一瞬で認め、開け放っていた胸元のボタンもきっちりと首元まで止め直した。それでも豊満すぎて、はち切れそうではあるが。
「色に浮かされる御方であれば、私だってがっかりしていたかもしれませんわ。試すような真似をして申し訳ございません。改めまして、旅の僧侶をやっております、リリーと申します。この度は、神聖魔術師として勇者様のお仲間にしていただけないかと馳せ参じた次第でございますわ」
「こ、これはどうもご丁寧に。勇者のアランです。やはり陛下のお触れをご覧になって来られたのでしょうか?」
「いいえ、私は国王陛下から直々に、勇者様のお屋敷へ行ってみてくれないかとお言葉を賜りまして」
ということは、この明らかな色仕掛けも国王陛下の思し召しというわけだ。いよいよ打つ手を選ばなくなってきた感がある。
「陛下が……そうですか……」
そして、いくら命令とはいえ、それを実行してしまうリリーもどこかネジが外れている人物だと思って警戒しておいた方が良さそうだ。
「しかし、なぜ陛下はあなたに?」
「それは私も存じませんわ。確かに他の方よりは色香が漂ういい女だという自負はありますけれども、それで勇者様が私をお仲間に加えて下さるとは思えませんし……一応、ご指示があったのでダメもとでやったまでの事」
なるほど、自己肯定感の強い女性のようだ。しかし、確かにこれほどの美貌とスタイルの良さがあれば、こうなってしまうのも無理からぬことだ。決して、彼女に罪はない……と思いたい。
「おおよそ理解しました。しかしながら、僕はまだ旅に出る予定はないんです。お引き取り願えますでしょうか」
「えぇ? それは困ります。どうして旅に出るおつもりがないんですか? 勇者であることに何かご不満でも?」
「不満しかないですよ。僕だって好きで勇者に生まれたわけでは無いですから。それで、旅に出ない理由なんですが……おそらく、まだ魔王が生まれていないんです。これは生まれ持ったものだと思うので、誰かに理解してもらうのは難しい感覚だと思うのですが、魔王誕生の瞬間に、僕の中で焦燥感のようなものが生まれるはずなんです」
形の良い眉根を寄せ、リリーがアランの目をじっと見つめてくる。妙な人物ではあるが、話は真剣に聞いてくれているようだ。
「……嘘ですわね」
「はい?」
「勇者様は嘘をついておられるかと。目を見ればわかりますわ。そんな感覚は勇者様にもありません、違いますか?」
ふふん、と鼻を鳴らすリリー。かなり自信はあるようだ。
「なにっ!? アラン殿! 嘘をついておられるのか!?」
「なんで爺がそんなに大きく反応するんだよ!? それに、嘘だなんて言われても僕にはどうしようもない! 証明のしようがないんだから!」
これは、アランもリリーという人物への警戒度をさらに上げなければならないようだ。確かにこれは嘘だが、それをこうも容易く看破できるとは。
対人面において、嘘やごまかしが通用しない者もいる。彼女がまさにそうなのだろう。口先三寸ではどうしようもないかもしれない。
そして、アランの味方であるはずのヴォイチェフは既に彼女の言葉を信じ、術中に嵌まってしまっている。これは言葉ではなく、彼女の魅力にだが。
「なるほどねぇ……これは確かに、陛下も手を焼かれるはずですわ」
何がなるほどなのかは分からないが、彼女はアランが最も苦手とする手合いであるのは間違いない。
こうなれば、いつも通りの実力行使で帰ってもらうしかないだろう。
「仕方がありませんが、僕にだって人権はありますからね。何か、お手合わせでもして、僕が勝ったらお帰り頂く、というのはいかがでしょう?」
「お断りいたしますわ」
「分かりました、それでは支度を……えっ!?」
「お断りいたします。仮にそれで私を打ち倒しても、帰りませんわ」
何ということだ。話は平行線だというのに、勝負の結果に関わらずリリーはアランを旅立たせるのを諦めない。
打つ手なし。ついにアランは腹をくくるしかないのだろうか。
「じゃあどうすればいいんですか! 僕は魔王が誕生したと確信するまでここを動きませんよ!」
「確かにそれは困りますわね……では、こういうのはいかがかしら。魔王が誕生するその瞬間まで、私もここで待たせていただく、というのは」
「「お断りします!」」
アラン、そしてなぜかマチルダの声が重なり、応接間に響き渡った。
「ん、マチルダ? なんで君が?」
「お断りします! やだよぉ、こんなエッチな人が近くにいるの!」
「あらあら。妬いてるのねおチビちゃん。可愛らしいですわね」
妬いているということは、マチルダがアランに気があるということになるのだが、この際それはどうだっていい。
リリーがここに居座るなんてことは考えたくもない。マチルダだけでも手一杯だというのに、それを許せば次々とアランの旅立ちを望む同居人が増え、屋敷は占拠されてしまいそうだ。
そうなれば四面楚歌。アランは心休まる場所がどこにも無くなってしまい、ここから逃げ出すことになる。
最悪な形での旅立ちだ。結局、どこかに身を隠すだけで魔王討伐には向かわないのだろうが、のんびりできなくなるのは辛い。
「いや、まさかそれが狙いか……? そんな馬鹿な。とにかく、それは承諾できません! 早々にお帰り下さい!」
「私だってはるばる来たんですから、少しは楽しませていただかないと」
「何を楽しむんですか!」
「何をって……それは、ねぇ? 勇者様のお身体……とか?」
頬を赤く染め、しおらしい顔で上目遣いをしながら、リリーはアランの目をまっすぐに見つめてきた。
「「やめてください!」」
再び二人分の叫び。
どこまで本気なのかは不明だが、国王に命令されただけがこの人の色仕掛けの理由ではなさそうだ。アランからしてみれば、本人だってノリノリではないかとしか思えない。
「これ以上、ここに居座るおつもりであれば、つまみ出すしかありませんよ。その後は憲兵隊に引き渡します」
「あらぁ、そんなつれないことを仰らないでください。ではこうしましょう。王都滞在の間は、宿をこのすぐ近くに取ってあります。毎日、お邪魔しますのでお話やお茶に付き合っていただけませんか?」
「それくらいなら構いませんが、絶対に僕の事を誘わないでください。その瞬間、つまみ出します」
これが最大の譲歩だ。毎日来られるのは厄介だが、力づくでも口先でも諦めないのであれば、こちらもじっくりと時間をかけるしかないだろう。
アランが諦めるのが先か、リリーが諦めるのが先か、根競べだ。
「誘う? それは旅にですか? それとも寝室に?」
「どっちもですよ! 何を言ってるんですか!?」
「ふふっ、冗談よ冗談。天下無双の勇者様といえどもウブなんですねぇ」
何やら転がされている気がしてならないが、ここは我慢だ。
アランが大きく反応すればするほど、リリーのペースに乗せられているだけの気がする。
「とにかく、今日はもうお帰り頂いても?」
「えぇ、今日はこのくらいにしておきましょう。また明日、楽しくお話ししましょうね?」
ウインクをしながら、リリーは退室していった。
アランも応接間を出ると、リリーを追いかけるようにヴォイチェフが小走りで続き、玄関の扉を開けて一礼しながら彼女を送り出した。
「ふぅ……何だか疲れたよ……」
「またあの人来るのぉ? いやだなぁ」
アランもマチルダも、リリーに会いたくないという点で意見は合致している。その理由はお互い全く異なるが。
「どのような理由であれ、旅立ってくれれば言うことはないんですがな。そろそろ腹を決められてはいかがか? 今ならばマチルダ殿にもご同道をお願いできますぞ。始めから3人のパーティーとなれば心強いでしょう」
鼻の穴にティッシュを詰めたままの、間抜けな顔で諭されても全く効果は無しだ。
「爺。そうなったらお役御免だけど、本当にそれでいいのかい?」
「もちろんですとも。これが我が生涯で最後のお勤めだと心に決めておりますので」
「ますます旅立つわけには行かなくなったね。爺には世話になったし、職を失わせるわけにはいかないよ」
「またそうやって屁理屈をこねなさる……」
……
そして翌朝。
「おっはよーーーう、勇者様!」
珍しく、ヴォイチェフではなくマチルダがアランを起こしに来た。
「うわっ!? マチルダ!?」
聞きなれていない目覚まし時計が効果抜群なように、甲高いマチルダの声はアランを一瞬にして覚醒状態へと変化させる。
「えへへぇ。来ちゃった」
「まったく……驚いたよ。まさか、こんなに可愛らしい女の子に寝込みを襲われてしまうなんてね」
仰向けになっているアランの腹の上に、マチルダはちょこんと座っている。屈託のない笑顔に癒され、久しぶりに気分の良い目覚めとなった。
「あらぁ? おチビちゃんより、私に襲われた方が嬉しかったんじゃないかしら?」
「!?」
聞こえるはずのない声に血の気が引く。
声がしたのは窓際だ。アランはマチルダを抱えたまま素早くそちらへ移動し、まだ閉じているカーテンを開け放った。
窓枠に腰かける絶世の美女、リリーが部屋の外で優雅に煙管をふかしていた。
僧侶というよりは遊女にしか見えない出で立ちだが、朝日に照らされて不思議と絵になる。それほどの美人である事は、悔しいが認めねばなるまい。
それよりも……
「ここ、二階ですよ! どうやって上がってきたんですか! というか、人の家の窓を勝手に開けないでください!」
「あらぁ、鍵を閉めないのが悪いんですよ? それに、私は部屋には入ってませんから不法侵入はしていませんもの。勇者様がまだおやすみのようでしたから。それから、上るのは造作もないことですわ。ほら、魔術でふわっと」
神聖魔術の使い手だと思っていたが、風魔法や転移魔法のような類も使えるのかもしれない。
アランは有名人には疎いが、国王から直々に声がかかるくらいなので、高名な僧侶であるのは間違いないのだろう。
「あぁもう! 一度降りて、玄関から入ってきてください!」
「はいはぁい」
ふわりと降りていくリリーは、言われた通りに玄関から入り直してきた。
マチルダを退室させている暇もなく、寝間着から平服に着替えたところ、既にリリーは後ろにいた。
「ちょっと! なんで寝室に来るんですか! 応接間に行ってください! 爺は何をやってるんだ!」
「執事様が扉を開けてくれたので、駆け足でここまで来たんですよ。ここが勇者様のお部屋かぁ。オスの匂いがしますわね」
「出ていけぇ!」
「あぁん」
部屋の中を物色し始めようとするリリーと、ついでにマチルダも追い出して、アランは息を整える。
幸せな寝覚めが次の瞬間にはスリリングな一幕となってしまった。本当に、あのリリーという僧侶は心臓に悪い。
このままでは、アランの方が根負けしてしまうのではないかと思ってしまうほどだ。
彼女の手が届かないどこかで、ひっそりと暮らすしかないのだろうか……
「お待たせいたしました。まさか、こんなに朝早くにいらっしゃるとは」
「早くお会いしたかったんです。驚かせてしまって、ごめんなさいね」
昨日と同じく、応接間で向かい合うアランとリリーの二人。ただし、ヴォイチェフは食事の準備をしており、マチルダはアランの隣に座っている。
「もしまたこんなことをするようであれば通報しますし、それでもやめなければ……僕はもうここから姿を消します」
「消える、ですって? それは困りますわね」
「僕が本気を出せば誰にも捕まらない自信はありますからね。二度と貴女にお会いすることもないでしょう」
「えっ!? やだぁ! 勇者様、あたしも連れていってください!」
今度はマチルダが駄々をこね始めた。彼女もアランと一緒にいたくてここに残っているのだ。捨てられると思ったのだろう。
「まぁ……マチルダくらいならいいか」
「やった!」
「それはおかしな話です。私も連れて行ってくださいな」
「はい!? 話聞いてました!? 貴女が妙な事をするから逃げ出すのに、何で僕が連れて行くんですか!」
もう話が滅茶苦茶だ。
「ではどうしてその子が良くて、私はダメなんですか? お慕いしている気持ちは同じだというのに……」
よよよ、といった様子で袖で涙を拭う仕草。もちろん、実際に涙が出ているわけでは無いのだが、今度は泣き落としという奴か。
お慕いしてるとは何だ。流れでとんでもないことを言われている気がする。
「だから、普通にしてくだされば結構ですから! 妙な事はしないでください!」
「わ、私だって勇者様を起こして差し上げたいんです! 色んな部分を!」
「結構です! 何を言ってるんですか、あなたは!」
色んな部分とは何なんだ。
またも変な発言でアランを困惑させ、マチルダからの不興を買ってしまっている。
「え、それはその、勇者様の初めてを奪えるのであれば私は……」
「爺! すぐに憲兵隊を呼んでくれ!」
とうとう限界を迎えたアランが大声を上げた。
そして、ヴォイチェフが応接間に駆け付けて数分後。
「ちょっと! 私は不審者なんかじゃありませんわ! 国王陛下から頼まれて勇者様のお屋敷に! あぁっ! 待ってよ! あぁぁぁぁっ!」
二人の憲兵に抱えられ、アランの屋敷を追い出されてしまった哀れな女が一人。
その姿を何ともやるせない気持ちで見つめる三人なのであった。
『妖艶のリリー、撃破……?』