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⑹『エターナルの忘却』
⑹『エターナルの忘却』
㈠
詰まる所、エターナルについては、俺は無頓着で居たいのだ。だからこそ、エターナルの忘却について、述べているのである。考え出せばきりがない。バイクに乗っていたって、いつはねられて死ぬかもわからないのに、毎日バイクに乗りながら、死の事を考えていたら、気が狂うだろうから。
㈡
であるからして、自然に生きるということを、大切にしている。例えば、自己の身に何か起こっても、それは、恨んだりすることではなく、自然現象の一部だ、と、捉えることにしているのだ。だから、エターナルの忘却の位置に、俺は佇んでいるのだ。
㈢
今、しかないのである。だから、今を全力で生きることが、何より大切だと、思う様になったという訳なのである。忘却したエターナルは、何処かを彷徨っているだろうが、エターナルに捉われ過ぎないこと、これが生活の第一目標にも、なっているということなのである。