十個の注文
本作品は、知人から以下のお題をいただき、それを元に構成いたしました。
・メカクレ
・幼稚園の年長さん
・墓
・ヤンデレお兄さん
・和風人外
・ホラー要素
・雨
・ラーメン
・矢印
・ジャ○ネットたかた
まぁ、ツッコミは置いといて、ですね。反映の度合がまちまちであることについては、ご容赦ください。
では、どうぞ。
町を歩いていた青年は、ふと道の反対側を、一人の少年が歩いているのを見つけた。
彼の目線の先にいたのは、水色のスモックを着、黒い帽子を被った、幼い少年であった。あどけない表情に、何某かの決意のようなものがたぎり、その小さい歩幅で、どこか遠く、遠くを目指して歩みを進めているように見えた。
「親とはぐれたのでしょうかね……。しかしそれにしては、不安そうな様子はないですが……」
青年の心に、蜃気楼のような揺らめきが生じた。そうして彼は、密かに先回ることにした。
(しらない、しらない!! ママなんて、パパなんて!!)
見かけは五歳か六歳、しかし大人びた寂しさに突き動かされて、少年は歩いていた。
(ママがわるいんだ、バスのおむかえにこないし、パパだってあそんでくれないし)
頬を真っ赤にして、涙をこらえながら毅然として、少年は道の端を、ここではないどこかを目指して歩いていた。
(“まいご”じゃないもん、“いえで”だもん)
少年は、家にいる間、ずっとつけられているテレビから流れている言葉を、隈なく憶えていた。家出の意味するところも理解していた。少年の、たった一人で歩むこの道は、親との再会を阻む迷宮ではない。その親との別れを彩るランウェイなのだ。赤や青、色とりどりの看板に照らされた、新たなる旅立ちの祝福のカーペットなのだ。
(さがしたって、みつからないからね!!)
少年は心の中で叫ぶと、無我夢中で駆け出していった。
どの位走ったのか、幼稚園の運動会でも、こんなに長い距離を走ったことはない。いや、人生を振り返ってみても、ここまで走ったことはなかった。
一体、ここはどこなのだろう、もうアメリカかな、と少年は顔を上げてみたが、塀の選挙ポスターには、平仮名が踊っていた。
「え〜、まだにほんなの?」
日本どころか、まだ自分の住んでいる町すら、抜け出していない訳だが、彼はもう随分と長い、約一キロ弱の旅をしてきた後なのだ。覚悟は、すでに薄れ始めていた。仰いだ曇天は重く垂れ込め、今にも雨が降りそうであった。
「あぁ、オレンジジュースのみたいなぁ……」
これは贅沢なことだ。何せ家では、お茶か水しか飲まされぬ。果実の芳香漂う甘い飲み物など、盆に訪れた祖父母の家で飲んだきりだ。
引き返そうかと、少年が目線を落とした時、大きな矢印が目に飛び込んできた。灰色の道路の真ん中に、大きく描かれた白い矢印。こんなものは初めて見た。少年が、その矢印を目で追っていくと――。
「あっ!? まただ!」
曲がり角の青い標識に、白抜きの矢印が描かれている。丁字路の右側を、身動ぎせずに指している。
少年は、面白くなって、その矢印の先には何があるのか確かめてみたくなった。親が遊んでくれない時間は、親のスマートフォンのゲームで暇を潰しているのだが、そこでも進むべき方向が矢印で示されることを、彼は知っていた。
角を曲がると、また矢印。塀に立てかけられた看板に、矢印が描いてあった。
(あれ、ぼくのみょうじとおなじのがある)
彼の名字は、『田中』という。看板には、漢字で書いてあるものの、その位であれば彼にでも読める。とにかく、少年は矢印の示す終着点を目指し、疲れた足をどうにか動かして、進んでいった。
それから四つか五つの矢印を通って、少年はとうとう行き当たった。その場所が何なのか、入り口の看板に書いてある漢字が何を意味するのか、彼には分からなかったが、その施設の中に林立する、様々な形の石組みには、見覚えがあった。帰省した時に、家族で訪れた場所に、よく似ていた。
結局、行き着いたのは、暗い、ジメジメとした場所。モノトーンの一本石の不壊の舞踏。少年でも、そこはかとない不吉さは、ひしひしと感じ取ることができた。
(かえろう……)
咄嗟にそう考えた。しかし、どの道を通り、どの坂を登り、どの横断歩道を渡ったか、まるで分からない。進もうにも、木々の中にそびえ立つ、数多くの石は、今にも襲いかかってきそうでならない。
怖くなった少年は、頭を抑えて、その場にうずくまってしまった。園服に土がつくのも気にせず、力なく膝を折ってしまった。
その時だった。
「ひゃっ!? つめたっ!」
手の甲で、水の粒が弾けた。それを皮切りにして、雨粒のカーテンが黒雲の緞帳を引き裂いて、彼めがけて降り注いできた。
「えぇ〜っ!? ど、どうしよどうしよ……」
傘など、持ってきていない。雨が降るなんて聞いていない。迷う暇も与えられず、少年は霊園の木の下へ走り込んでいた。
雨は止む気配がない、水で濡れた身体が冷たく、カチカチと歯が鳴る。体育座りで、木の根に腰かけているうちに、少年は、雨が止んだら帰ろう、お家でテレビを見ててもいいじゃないかという気持が勝ってきた。
「帰らなくてもいいんじゃないかなぁ」
「わ、だれ!?」
突然に、後ろからかけられた高い声、木が話しかけてきたのかと思った。しかし、どっしりとした木の声とは、どうも思えず、少年は恐る恐る立ち上がると、幹に手をかけながら、顔だけ出して、木の裏側の様子をうかがった。そして、目があった。
「こんにちはぁ」
細く開いた垂れた目が、少年に向けられる。優しげな表情に、どこか毒々しさを湛えた青年。その背は、少年が見たことのある誰よりも高い。ただ体格は、その皚々とした和服のために、よく分からなかった。
「……こ、こんにちは」
「雨宿りかい?」
青年は、綽然とした動作で腰を下ろした。白い肌、均斉の取れた顔の半分を覆う白い髪、もう半分には、赤みがかった墨色の目があった。綺麗な人だと、少年は思ったが、だからといって、青年の質問に答えることはできなかった。
「せんせえに、しらないひととおはなしちゃいけないっていわれた」
「そうかい? 僕は君のこと、知ってるけどなぁ」
「うぅう……」
駄目だ、この青年は。少年が逃げることのできない何かを、既に持っている。何某かの予防線を、既に張っている。恐ろしくなった少年は、踵を返して、隣の木陰に逃げ出した。
「あははっ……、お〜い、待ってくれよぅ」
「うわぁあん、こわいよぉお!!」
すると、後ろからも声が追いかけてくる。駄目だ、本当にまずい人に目をつけられた。ニュースでも見たことがある。こういう人は、子供を連れ去ろうとするんだ。“ゆうかい”だ。少年は、訳も分からず泣き出した。丸い林檎の頬が一際赤くなり、そこを涙がポロポロと伝っていった。雨音が大きくなり、墓石を鞭打った。
「あぁ、参りましたね……。気は進まないが、仕方ないか……」
嘆息一つ。逃げる少年に向かって、青年は大きな声で叫んだ。
「これから、秋の季節になりますよねぇ!!」
雨音をかき消す、調子の外れた大声。少年の動きがピタリと止まった、展翅板の蝶のように。
「朝晩寒くなってきます、羽毛布団の買い替え、今がチャンスです!!」
少年が振り返る。頬は赤いが、涙は止まった。驚きが、勝っているのが傍目にも分かる。
「今ならなんと枕に、ご自宅で洗えるカバーもお着けして、お値段なんと……!!」
「い、いちまんきゅーせんはっぴゃくえん!!」
「なんですが……、今回シャバネットの特別価格といたしまして、放送終了後三十分以内のご注文に限りまして……」
「いちまんごせんはっぴゃくえんっ!!」
青年よりも大きな、少年のレスポンス。本当に効き目があったと、半ば呆れながら青年は、てくてくと歩み寄ってきた少年に、目を合わせる。
「なんでおにいさんは、ほくがタケダしゃちょーすきなのしってるの?」
「だから言ったじゃないか。僕は君のことを知ってるって。おじいさんのところでも、テレビで、見てたでしょ?」
少年は、合点がいった。確かに帰省していた時も、テレビばかり見ていた。将棋や花札は分からず、どう過ごしていいかも分からなかったからだ。それを知っているということは、この青年は、親戚の誰かであるということか。
幾分か緊張が解れ、警戒心が薄まった少年は、手招きに応えて、青年の膝の上に収まった。
「おにいさん、なんてなまえ?」
「僕かい? そうだな、ハクトと呼んでもらってかまわないよ」
「ふ〜ん、へんななまえ」
ハクト。聞いたことのない、不思議な響きの名前であった。
「それで、たいと君? 君はどうしてここに?」
少年、たいとは、自分の名をいきなり呼ばれ、肩をびくりと震わせたが、少し考えて話し始めた。
「ぼく、“いえで”してきたの」
「家出ね……」
バスの送り迎え、家にいるはずの母親は出てこない。やむなく先生が玄関まで届けてくれたが、憐れみや、よもすれば同輩の嘲弄の目線。無邪気な残虐を背に受けて、扉を開けるのも苦しいが、開けないのもまた苦しい。
「カップめんだったんだよ、ずっと」
同じ銘柄のカップ麺が、台所に山と積まれていた。そしてリビングには、一言だけの書置き。
――おゆをそそいで先にたべててね――
温度のない書置き。ゴミ箱には同じような紙切れが、一つや二つではない。別に何を食べるかは問題ではない、ただ、誰と食べるか、或いは食べないかが問題であったのだ。
「それで家出したのか……」
「ママ、きづいてないよ。きっと」
「え?」
少年は、にっこりと笑った。
「だって、いつもおしごとしてばっかりなんだもん。ぼくがいなくても、いいんだよ、わかるもん」
突然、少年の視界が純白の何かさらさらとしたもので覆われる。息が苦しくなって、少年は四肢を無茶苦茶に動かした。
「あっ、痛っ! ……あぁ、ごめんねたいと君。つい……」
拘束が緩み、顔の表面が空気に触れる。水底から這い上がったような感覚を覚えた少年は、大きく深呼吸をしてから、ゆっくりと目を開けた。
今までで一番近くに、ハクトの顔があった。何故か彼まで、瞳を潤ませながら。少年はハクトの上で立て膝になり、彼の胸に抱かれていた。呆然としている少年に、青年は冷静さを繕うことも忘れて、言葉をかけた。
「いやぁ、なんだか居ても立ってもいられなくって、その、なんだろう……。可哀想、とも違うんだけど、ほら、僕はとにかくね……」
じわりと、白い頬に朱の色が射した。ハクトはもごもごと、言葉を舌で綴っては書き直すことを繰り返していたが、辛抱強く言葉を待つ少年の丸い目に捉えられ、やがてゆっくりと、口を開いた。
「……君のことを、ぎゅっ、って、抱きしめたくなっちゃったんだ」
細い目が、一層細くなり、口元がへらりと緩む。優しげな、聖母の彫像の顔。受容し、許容し、それでも尚、愛を注ぐような顔。
可哀想といえば、そんな無用の憐憫を寄せられたたいと君が可哀想だ。だけど、可愛いから、とも違うんだ。放っておけない、僕が側にいてあげたい。むしろ君が僕の側にいてほしい。家族が愛を注がない分は、僕が愛を注ごう。それ程までに君は、君は……。
ぐるぐると回転する思考。あぁ、いけない。彼からは見えない僕の手が、何かを探して蠢く。握っては開き、常に何かを欲する動きで……。
その葛藤を露知らず、少年は、青年の表情の変容に驚いていた。何かがあったのだろう、ただ、それが何であれ、今、自分の心に寄り添う存在は、肌触れ合う彼しかいないだろうと、少年は直感していた。
「おにいさん……、ぼくも、おにいさんのこと、ぎゅーって、しても、いい?」
「……っ!? …………えぇ、もちろんですよ?」
その了承を得る前に、少年は顔を埋めていた。小さい腕は、青年の大柄な身体を回り切らなかった。ぴったりと、身体の輪郭に沿うように伸びる腕は、しかし、優しい抱擁であった。
心音が、大きく聞こえた。お互いがお互いの、虚ろな身体に響鳴した。片や真っ白、片や真っ黒な、互いの木霊が耳朶に届いた。
(ごめんなさい、はなみずでちゃった)
すすり泣きなど、生まれて初めてだった。声を上げずに泣く人の気持が、ようやく少し分かったような気がした。雨は降り続いているが、雨音はどうして、聞こえなかった。心音が、煩い位だった。
優しくて、辛い。佇む墓石群に見守られ、二つの呼吸の音が重なっていった。
「たいと君……。もし僕が、僕が君を守ってあげる、って言ったら、君はどうするんだい……?」
訥々と、言葉を述べていく。平易な単語を選びながら。少年には、守るということが何なのか、いまいちよく分からなかったが、それが慈愛に満ちたものであることは、本能的に理解できた。
「ママもパパも、おにいさんみたいにやさしくないもん。おにいさんのほうが、やさしくて、あったかくて……、ぎゅーって、してくれて……」
舌足らずの、幼い声が、思いの丈を伝える。その一つ一つが、真実であり、希望であり、少年の心の中では、正しく“愛情”に同義であった。
「あのね、だからね、おにいさん。ぼく、おにいさんといっしょにいきたい!!」
雨音が、聞こえなくなった。今度は、心音の上書きではない、真の静寂が、二人、いや、たいととハクトを包み込んでいた。
「ありがとう……。ありがとうねぇ…………」
ばつり。
――
――
和装の青年が、立てかけられた看板を持ち上げると、霊園は消え去り、代わりに手入れのされていない、鬱蒼とした空き地が現れた。雨の音が、青年の言葉を掻き消した。
ところで、彼が片づけずに残した看板が一つある。黒い傘を差し、黒服に身を包んだやつれた顔の夫婦が、その看板の矢印に沿って歩いているのを、私は見ていた。
そう、ですね……。
とりあえずジャ○ネットぶち込まれた時は、とんでもないことになったと思いましたけどね……。
とりあえず、意見をくださった知人と弟には感謝の意を表します。
それでは。