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彼女の元カレ

作者: ユメオニ

 僕の彼女には元カレがいる。別にそんなの珍しいことじゃないだろう。そんなこと分かっている。でも僕はそのことがずっと気になっていた。彼女の元カレはどんな奴なのか。僕より格好いいのか。僕よりいい大学を出て頭がいいのか。僕より優しいのか。彼女は今でも元カレに未練タラタラだ。ちょっとした会話をしても元カレの存在がちらつく。その度に僕は彼女の元カレに嫉妬してしまう。だって僕には元カノなんていない。彼女は僕にできた初めての恋人。彼女の前に付き合っていた人なんていない。

 彼女との出会いは半年前。劇場でたまたま隣に座っていた。座る前にちらっと顔を見ただけだけど、ひと目見て可愛いと思った。彼女はちょっと古めの少女漫画を熱心に読んでいた。好きな劇作家が作、演出をしていることで観に行ったのだが、演劇自体はとても退屈だった。演劇に集中できなくて何となく隣に座っている彼女に意識を傾けると、彼女の息づかいが伝わってくるようで少し緊張した。僕は彼女の恋人になったつもりで演劇を観ていた。本当は彼女どころかたまたま隣り合わせただけの名前も知らない女の子だったけれど、つもりになることくらいは僕の自由だ。それくらいは好きにさせてくれ。

 でも、演劇の幕が閉じた時、失態を犯してしまった。

「つまらなかったね」

 隣の彼女につい声をかけてしまったのだ。まるで本当の彼女みたいに。

 言ってからすぐにしまった、と思った。彼女が僕の恋人であるのは僕の頭の中だけでのこと。実際に声をかけてどうする。

「うん、つまらなかった」

 でも、すぐに彼女からの返答があったのでびっくりとした。

 彼女の方を見ると、彼女も少しびっくりした顔で僕を見ていた。

 その後近くのカフェでお茶を飲んだ。そんなことは僕にとって全く普通のことなんかじゃない。僕は名前も知らない女の子を誘えるような、そんな軟派な男ではない。

 でも、彼女に対しては何故かできた。彼女はちょっとだけ悩む仕草をした後、イエスと答えた。

「劇団の公演は面白いのに、何で今日のはつまらなかったんだろう?」

「今日のキャストは葛井さんのやりたいことが全然分かってなかった。やっぱり外部公演は難しいわね」

 彼女も僕と同じ劇団のファンだった。僕らはひとしきりその劇団について話を咲かせた後、唐突に黙った。

 今日観た演劇と劇団以外のことで共通の話題なんて何もなかった。とりあえず僕らは自己紹介をしあった。

「泉賢人です」

「是草冨美です」

 その後、再び沈黙が訪れた。聞くべきことは一杯あるはずなのに、今日会ったばかりの人にそんな個人的なこと聞いていいものか悩んでいる間に沈黙が重くなっていった。

「あの!」

 彼女が突然意を決したように張り上げた言葉で沈黙が途切れた。

 僕が救世主現る、とばかりに顔を上げると、彼女は言った。

「カラオケ、行きませんか!私いま、もの凄く歌いたい気分なんです」

 彼女はもの凄く歌が下手だった。もの凄く下手くそなのにもの凄く気持ちよさそうに歌っていて、そのことに僕はちょっと感動してしまった。

「ほら、賢人くんも歌って歌って」

 さっきまでの彼女とは別人のような態度に押し切られるように僕にも歌える歌を歌い出すと、途中から彼女もデュエットしてきて、その横顔を見ながら、僕は胸がジンジンと熱くなるのを感じていた。

「私、つまらない演劇観た後って無性に歌いたくなるんだよね」

 分かる、とても分かる、と慣れない歌を歌いすぎて涸れた喉をオレンジジュースで潤しながら何度も何度も頷いた。

「またつまらない演劇観たら呼んでいい?」

「え?」

「誰かに聞いてもらった方が発散できるって、今日分かったから!」

 それから僕らは連絡先を交換しあって、観たい演劇があれば一緒に観て、つまらない演劇を観たら歌い、面白い演劇を観たらやっぱりまた歌った。

「いい演劇観たらさ、私にも何かできるはずって思うんだよね。でも私なんてしがない事務員だし、何かを生み出すような才能もないから、歌うんだよね。ほら、賢人も歌いなよ」

 そうして半年くらい経った頃、つまらない演劇を観た後のカラオケで突然歌うのを止めると、彼女は叫ぶように言った。

「ねえ、私たちって、付き合ってるんだよね!」

「うん、付き合ってる」

 そうしてお互いの思いを確かめ合った後、僕らはいつものようにデュエットを歌った。その時は今まで以上に熱いハーモニーを奏でることが出来たと思う。

 付き合いだしてすぐに彼女に元カレがいることは分かった。彼女はよく元カレの話をした。

 元カレがどんなにイケメンだったか。元カレがどれだけいい奴だったか。元カレがどんなに心の支えだったか。

 最初はとりあえず頷いて聞いていたけど、段々とむかついてきた。

「そんなに素晴らしい彼氏なのにどうして別れちゃったんだよ」

 性格面倒くさいし歌下手くそだし、どうせ振られたんだろ、と思いながら聞くと、彼女は神妙な顔で押し黙った。

「いつまでも、彼に頼ってちゃいけないって思ったんだよね。このままじゃ私前に進めないって」

 彼女がそんな真面目くさった顔をすることはなかなかなかったので、それ以上追求することができなくなってしまった。

 そんな彼女の元カレがどうやら人間ではないと発覚したのはつい最近のことだ。彼女がいつも通り元カレの話をしている時に違和感を抱いた。

「昨日ちょっと早めの大掃除をしていたらね、元カレの毛を発見しちゃってね。しばらく感傷に浸っちゃったんだ」

 彼女がこんな風に元カレの話をすることは今に始まった話ではないので、いつものように何となく聞いていた。

「へえ。でもよく元カレの髪の毛だって分かったね」

「髪の毛じゃないよ。身体の毛だよ。そりゃ分かるよ。あんな金色に輝く毛なんて、あの人以外にありえないもの」

 僕はその時飲んでいた紅茶を吹き出しそうになってしまった。

「金色?元カレさん、外人だったの?」

「外人?まあ日本人ではないから外人っていえば外人かなぁ」

 僕は基本的に元カレがどんな人なのか、なるべく聞かないようにしていた。聞くと嫉妬してしまいそうで怖いからだ。

「何人?」

 でもさすがに気になって聞いてしまった。

「……アルティシア星」

 彼女がぽつり、と言った言葉を僕はすぐには認識できなかった。

「アルティシアセー?そんな国あったかな」

「違う。アルティシア星よ。国ではなく、星の名前」

 彼女はじっと僕の方を見て言ったが、その表情は真面目極まりなかった。

「え、カレって宇宙人?」

「宇宙ではないわね。こことは違う世界」

 頭の中にはてなマークがたくさん浮かぶ。彼女はアニメや漫画、ファンタジー小説が好きで、僕も普通の一般人よりはそういった知識がある方だから彼女に話を合わせることもできるのだけど、今回ばかりは何て答えればいいか分からなかった。

「その……元カレって、もしかして現実には存在していない人?」

「失礼ね。もちろん存在しているわよ。今も私の実家にちゃんといるわ」

「え、君の実家?」

 はてなマークが増殖しすぎて僕の頭の中ははち切れんばかりだ。

「そうよ。別れてから、実家に連れて帰ったから。私の部屋の押し入れの奥の方で今も眠っているわ」



「君の元カレに会わせて欲しい」

 ある日、意を決して彼女に頼み込んだ。寝ても覚めても彼女の元カレのことで頭がいっぱいになってしまい、仕事も他のことも何も手につかなかった。

「どうして会いたいの?」

 彼女は僕の目をじっと見て言った。

「君のことをちゃんと知りたいから」

その真っ直ぐな目に見つめられるとつい目を逸らしてしまいそうになるけれど、この時の僕は意地になって彼女から目を逸らなかった。

 彼女は根負けしたように目を逸らして言った。

「分かったわ。会わせてあげる。でも、あなた一人で会って。私はもう会わないって決めたから」

 彼女の実家は栃木県にある。初めて降りた駅だったけれど、お寺があったり小さなカフェがあちこち点在していて、住むのには良さそうな場所だった。

「ここで君は育ったんだね」

「何もない町よ。退屈な町」

「そうかな。僕には素敵な町のように見えるけど」

「長く住んでみればそうは思わないと思う」

 僕も自分が生まれ育った町について、彼女と同じように思っているかもしれない。それでも住みたい町ランキングで結構上位に上がっていたりする。だから何も言い返せなかった。

「ただいまぁ」

 彼女は今朝家を出たばかりみたいなテンションでそう言うと実家の家の中に上がる。

 彼女の実家はどこにでもある郊外の二階建ての一軒家だった。僕の家とそう変わらない構造なので、ちょっと懐かしくさえある。

「お帰りなさい。あら、あなたが泉くんね。いつも娘をありがとう」

 彼女のお母さんはいかにもお母さんといった感じのふくよかな女性で、ちょっと痩せ気味の彼女とはあまり似ていないようでありながら、雰囲気はやっぱりどこか似ていた。

「こちらこそ。いつも冨美さんにお世話になっています」

 社交辞令的な挨拶を、横で彼女は退屈そうに聞いていた。

 彼女の部屋は二階にある。部屋に入るなり、彼女は押し入れを指さした。

「その押し入れの奥の奥の方にカレはいるわ。後は自分で探して」

 そう言うと彼女は部屋を出て行ってしまった。

 彼女が子供の頃ずっと過ごしていた部屋に僕一人。

 それはちょっとワクワクするシチュエーションにも思えたが、この押し入れの奥に元カレが眠っているのだと思うと、緊張の方が勝った。

 ずっと嫉妬してきた彼女の元カレ。その正体がどんなものであるか、ずっと想像してきた。その正体を知るということは、彼女のことを本当に知るということだ。それを知った上で彼女を受け止めることができるのか。それが少し怖かった。

 押し入れを開けると、中にはたくさんの段ボール箱が積み上がっていた。これは、なかなかやりがいのありそうな仕事だ。僕は段ボール箱の中身を確認しながら一つ一つどかしていった。

 段ボール箱の中身は漫画本とか小説とかがほとんどで、僕が昔読んだことのあるものもたくさんあったので、つい手に取って中をパラパラ捲ったりしていたけれど、そんなことをしているといつまで経っても元カレには辿り着けないと思い、途中からは淡々と元カレを探し出す作業に集中した。

 本に混じって人形のようなものが時々顔を出したが、金色に輝く毛を持つ人形はいなかった。

 そして、最後の段ボール箱に辿り着いた。彼女が言ったように、押し入れの奥の奥にある段ボール箱。

 結局今まで箱の中を確認したのは、彼女の元カレに会う瞬間を少しでも遅らせたかったからに他ならない。僕は元カレに会うのが怖かった。でも、ここまで来たのだ。会わずに帰るわけにはいかない。

 最後の段ボール箱を床に下ろすと、中を開けた。

 真っ先に目に飛び込んできたのはカエルのぬいぐるみだった。カエルといってもリアルなカエルではなく、カエルの頭を持っているけれど身体は人間で騎士みたいな格好をしている、そんなぬいぐるみだった。カエルには金色に輝く毛どころか毛というものが全く生えていなかったので、これは元カレではない。

 その段ボール箱には他にもたくさんのぬいぐるみが詰まっていた。それもディズニーとかよく知られているキャラクターのぬいぐるみではなく、見覚えのない個性的なぬいぐるみばかりだった。それらのぬいぐるみの造形には共通点があったので、もしかすると同じ作者によるぬいぐるみなのかもしれない。

 ぬいぐるみを一つ、また一つと取り出していき、見覚えのある金色に輝く毛を見つけた。一本だけではなく全体として見ると、それは本当に輝くような金色の毛だった。明らかに特別な輝きを放つ毛に包まれたその身体を僕は手に取った。


 帰り道、普段そんなにお喋りじゃない彼女はとてもお喋りだった。

「あの川沿いで毎年花火大会が開かれてね。その時だけたくさん人が集まるのが本当に嫌だったの。花火大会の後、きれいな川沿いにたくさんのゴミが落ちていて。ボランティアの人が一生懸命拾うんだけど、そんなことするくらいなら、最初から花火大会なんかやらなき やいいのにって思ってた」

 駅までの道をぶらぶらと歩きながら、彼女は子供の頃の思い出話を語った。

 彼女の元カレは熊だった。正確に言うならば、顔は熊だが人間のように二本足で立ち、王族のような煌びやかな衣装に身を包んでいた。その顔には品格と威厳が滲み出ていて、じっと見ているとぬいぐるみだということを忘れてしまいそうな、そんな存在感があった。

「初めまして、冨美の彼氏です」

 僕ははっきりと元カレの目を見て言った。その目は円らに凜々しく輝いていた。

「あなたのことはずっと冨美から聞いていました。あなたがどんなに素晴らしい人格者か。どんなにイケメンか。どんなに頼りになる存在か。……ずっとあなたに嫉妬していました。いつもあなたと比べられているようで怖かった」

 元カレは、そんな僕の恐れを全て見透かしていたかのような表情で話を聞いていた。というよりも、カレはずっと僕たちのことを見守ってくれていたのかもしれなかった。

「こうしてあなたにお会いできて光栄です。会わなければ、ずっとあなたのことを恐れたままだったかもしれない。いつもあなたの陰に怯えながらビクビクと冨美と接していたのかもしれない。でも、あなたと会えたことで、怯えは消えました。その代わり、目標ができました。いつかあなたを超えてみせる。あなたよりもたくましい存在になり、あなたよりも優しく彼女を包み込み、あなたよりも彼女のことを愛してみせます。そして、冨美にあなたのことを忘れさせてやります。それが僕の目標です。いつか、彼女のことを本当に守っていこうと決心できた時、またあなたに会いに来ます。その時まで待っていてください」

 元カレは微笑んでいるように見えた。こんな風に幼い頃の冨美もこの元カレと話したことが何度もあっただろう。そんな風に考えると、冨美のことが今までよりも愛しく感じられた。

「何、笑ってるの?」

 駅のホーム。電車が到着するのを待っている時、彼女が僕を見て言った。

「え、笑ってた?」

「薄ら笑い浮かべてたよ」

「元カレさんのこと思い出していてね」

 彼女の表情から微笑みのようなものが消えた。

「……元気そうだった?」

「カレは変わらないよ」

「昔を知らないくせに」

「でも分かるよ」

 だってぬいぐるみだし、とは言わなかった。元カレの熊は今でも変わらず彼女のことを思っている。そしてその思いを直接僕に託してくれた。僕にはそう感じられていて、そのことがとても嬉しかった。

「ねえ、冨美。実は今度僕も君にも会わせたい人がいるんだ」

 定刻通りに到着した電車に乗りこみながら、言った。

「え、誰?」

「僕の元カノ」

 僕らを乗せて、電車のドアが勢いよく閉まった。 


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― 新着の感想 ―
[気になる点]  男性は初めて交際したのではないでしょうか? [一言]  人間以外に逃げてしまう気持ちはいかなるものなのでしょうか?
2019/02/08 10:33 退会済み
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