チコの星3
食卓の料理が片付き、各人に蜂蜜菓子が配られると、グレモリーは咳払いをした。
「さて、そろそろ、本題に入りましょうか」
一同が姿勢を正し、真剣な表情を浮かべる。机上に添えられた蝋燭の炎が震える。グレモリーはビフロンスを一瞥すると、ビフロンスは頷いて空間を歪ませ、分厚い書籍を取り出した。
「調査の結果、彼が名乗った人物、ニッコロ・マキャヴェッリという人物は、我々の死亡者の中の人物のひとりであり、未だこちらにはいないことが分かっています」
分厚い書籍はひとりでにぱらぱらと捲られ、その人物の来歴が懇切丁寧に記された頁が開かれた。チコは頁を確認するや否や、悪魔たちに訊ねる。
「つまり、偽名だね?」
グレモリーは黙って頷く。そして、チコは資料を再び確認し、頷いた。
「なるほど、とても同一人物とは思えない。まるで同一人物の体を乗っ取ったような来歴だね」
「どういう事ですか?」
カルロが聞き返すと、悪魔の二人は互いに向き合い、ビフロンスが頷く。そして、視線をカルロに向けると、ビフロンスは静かで抑揚の少ない声で話し始めた。
「カルロ様がご確認されました、銀の道具ですが、我々の世界においては、あれは魔女が魔術を用いる際などに利用する道具なのです。魔術は私達の世界では特殊なものなので、皆様には少々理解しづらいかと思いますが、それらは必ずしも政治と結びつくものではなく、また、非現実的なものであると考えられています。つまり、基本的には、専門家以外が魔術に関する詳細な検討を行うことはありませんし、また実践することも少ないといえます」
展望台からは未だに祝杯を上げる人々の灯りが認められる。星空の光もますます強く、直近の揺れる炎が弱々しく感じられる。一方で、食卓に並べられたデザートは手を付けられずに沈黙し、普段はウネッザで最も明るい夜を堪能できる天文室は、相対的に暗くなっていた。
「つまり、彼はもしかすると、ニッコロ・マキャヴェッリの皮を被った悪魔の娼婦……悪魔の契約者ではないかと推察されるのです。さて、カルロ様、先程のお話、死霊魔術のお話を思い出して下さい」
「命と真摯に向き合う魔女……?」
ビフロンスは机上で指を組む。祈るように手のひらを重ね、真剣な表情で目を細めた。
「悪魔と契約をした者、永遠を観た者、命の終わりを知った者。僕には、一人、心当たりがあるのです。しかし、それは、果たして正しいのか、判別がつきません。ですので、確かめてきてほしいのです」
ビフロンスは空間を歪ませ、一枚の紙を取り出すと、それをカルロに手渡した。その用紙には、黒い犬と共に錬金術師が描かれていた。
「仮に私の予想した人物であれば、あの男は必ず、この天文室に訪れます。ですので、こう尋ねて欲しいのです。『四肢を束ねたりはなさらないのですか?』と」
「四肢を束ねたりはなさらないのですか?」
ビフロンスは頷く。彼はそのまま手渡した用紙を蝋燭の火に近づけるように促す。カルロは指示通りに紙を炎にかざした。すると、黒い犬はみるみるうちに蹄の悪魔に姿を変える。カルロは息を呑んだ。ビフロンスは組んだ指に顎を乗せる。
蹄の悪魔の隣に描かれた人物は、蕩けるように崩れ落ちていく。そして、最後には骨髄や肉を野ざらしにした黒焦げの物体になった。それは、炸裂弾によって四肢を吹き飛ばされたような、悍ましい光景だった。
「彼はこう答えるでしょう。「私の肉は既に犬に食い荒らされたのだ」と」
ビフロンスは取り出した書籍を歪んだ空間の中に戻し、死屍を炙り出された紙を睨み付ける。
「もし、黒い犬がその紙のようになった時は、何としてもここに立ち入らせることのないようにしてください。ですので、どうか、夜半に誰もここにいない、という状況は避けてください」
ビフロンスは三人に確認をする。三人が頷いたのを確認すると、ビフロンスは深く頭を下げた。
「……ありがとうございます。それと、もう一つ。チコ先生、私は暫くここに滞在してもよろしいのでしょうか」
「勿論、薄気味の悪い事件では悪魔が助けになることは、私もよくわかっている。カルロ君の部屋で休んでいけばいいだろう」
「ご協力、感謝いたします。……あぁ、そうだ。チコ先生、貴方はどうか、今生を大事に過ごしてくださいね」
チコは眉を持ち上げると、怪訝そうにビフロンスの目を見た。ビフロンスの目は穏やかなものになっており、蝋燭の灯りがよく似合う。チコは猫を撫でながら、何かを言いかけたが、口を噤んだ。
「カルロ君、今日は天文室に来ないようにしなさい。監視は私に任せたまえ」
「わかりました」
カルロが答えると、チコは満足そうに頷いた。そして、椅子を引きながら、階段の前に持っていく。彼はそのまま沈黙し、いつもよりも真剣な表情で星を見上げた。
「それでは、グレモリー。チコ先生と一緒にいてくださいますか?」
ビフロンスが空を見上げながら言うと、グレモリーはその口に人差し指を押し当てた。呆気にとられるビフロンスに対し、グレモリーは笑顔を見せる。
「それでも無粋だよ、ビフロンス」
そう言うと、グレモリーはデザートを嬉しそうに齧った。弾んだパイの音は、サクサクと展望台にリズミカルに響き渡った。




