チコの星2
並べられた食事の豪華な様にチコは舌なめずりをして手を合わせる。彼が真っ先に手を付けたのは、肉料理であった。串刺しの肉を大きな口を開けて貪り、肉汁を受け皿に零す姿は、礼儀を知らない動物らしい凶暴なものであった。膝の上に置いた猫が鳴き、ねだるのを頭を撫でることで誤魔化し、爪を立てて腕にしがみつかれるのも気にせず食事を続けた。
口いっぱいに物を含んだチコを見て、カルロは何となく遠慮しながら食事をする。食事の手は比較的早いカルロであったが、それでもチコほど礼儀をわきまえずに客人の目で醜態をさらすのは気がひかれた。
モイラは普段通りの食事であり、必ずしも礼儀に凝り固まったものではないが、丁寧で静かな食事をする。博士の夫人として相応しく、また歓談を交えた祝いの席にはちょうど良い気軽さもあった。
カルロは隣のチコの周囲に肉汁が飛んでいるのを気にして、視線を客人に向ける。そして、思わず頭を抱えた。グレモリーは町娘らしく、少量を少しずつ噛んで食事を楽しんでおり、モイラとよく似た態度であった。但し、時折食事の簡単な感想を述べ、レシピを前のめりで聞き出そうとする。その時だけは、腰を浮かせる。
そして、もう一方の人物、ビフロンスは「完璧な食事」を見せる。教科書に載ったものをそのまま書き写したような機械的で静かな振る舞いは、教材としては十分であっても、気持ちの良い食事には些か堅苦しい。銀のナイフ、フォーク、スプーンを持参し、串焼きはフォークを用いて器用に串から肉を外して食べる。咀嚼の際に歯を見せず、また唇の動きも限定的で静かなものであり、スープにはスプーンを用いて絶対に皿に口を付けない。パンをちぎる際にも細心の注意を払い、皿の上にさえ屑を一切零さずに食べる。姿勢は常に背筋を伸ばし、手以外をほとんど動かさず、また眉も目も動かない。チコと向かい合ってこそいるが、食事のマナーに対する指摘は一切せず、自分の食事に集中しきっていた。
(チコの方が逆に接しやすい……)
カルロは何か話題を繰り出そうと考えつつも、何を言えばいいのか分からず、正面を見たまま食事をするビフロンスの沈黙は、カルロにとって、堪えがたい程窮屈に感じられた。
「そうだ!死霊魔術が専門なんだって?」
口に物を含んだまま、チコが話す。カルロは思わず顔を覆った。ビフロンスは顔を上げる。そこで初めて、彼は食事中に笑顔を見せた。
「えぇ、そのようにいわれております」
その際にも殆ど口の中を見せないビフロンスに対し、唾を飛ばしながらチコは続ける。
「憑依?ネクロ?」
「ネクロマンスが中心ですね。憑依は嗜む程度に」
(あ、ちゃんと笑うんだ……)
ビフロンスは黒猫を一瞥し、再びチコに視線を向ける。彼は口周りにソースを付けたチコに、ナフキンを手渡した。チコはそれを受け取り、口を拭う。
「ネクロかぁ。ネクロはいまいちじゃない?生命維持にも使えないし、臭いし」
(それ専門家の前で言う?)
ビフロンスはカルロを一瞥し、怒ってはいない、という意思表示として、小さく首を横に振った。
「そうですね。確かにネクロマンスは臭く、汚濁した印象があるかと思います。憑依魔術は生命維持というよりは感情や意思の移転ですから、若返りにも使えますよね」
ビフロンスは敢えてチコの全体を見回す。視線を胸元で止めたのは、男らしい本能的な物なのか、それとも演技の一貫なのかはカルロには判別が出来なかった。
「そうそう!いやぁ、専門家は素晴らしいねぇ!うまい酒が飲めるッ!」
チコはワインを一気に飲み干し、歓喜の唸り声を上げた。カルロは水を啜りながら、冷めた表情でチコを見た。そして、思いついたようにビフロンスに話しかける。
「そういえば、死霊魔術を修めようと思ったきっかけってあるんですか?」
ビフロンスは苦笑して返す。
「僕の場合は生まれ持ったもの……勿論、悪魔としての後天的な物ですが、「ビフロンス」という柱は死霊魔術と関連させられることが多いのです」
「へぇー」
「そうは言っても、君がビフロンスとしての器に適していた、という事はあるだろう?」
チコが口いっぱいに料理を含んだまま訊ねた。ビフロンスは頷いた。
「死霊魔術には基本的な適性として、2つのうちいずれかの要素が必要になると言われています。一つは「生への飽くなき信仰」、もう一つは「生に対する異常なまでの執着」です。私の肉は恐らく、その両方を知った人間で、たまたま死霊魔術に対する才能を持っていたのでしょう」
「生への飽くなき信仰と、生に対する異常なまでの執着……?俺、もっと冒涜的な印象がありました」
カルロの言葉に、ビフロンスは微笑む。チコが指を振り、自慢げに語りだした。
「ちっちっち……。カルロ君、君は死霊魔術の本質を全く理解していないね!教会に毒されているとしか言いようがない。いいかい?死体を扱う魔術が死霊魔術だ。ネクロマンスとは、いわば再び命を吹き込み、使役する魔術、死体を動かすのだからね。そして、憑依魔術とは、自身をこの地に再臨させる、言わば生を繰り返させる魔術だ。要するに、生へ対する正しく真摯な姿勢がなければ、死霊魔術などできないんだよ」
「そんなものなんですか……」
カルロはいまいちピンとこないまま反応する。ビフロンスがフォローを入れるように、笑顔で返した。
「うぅん、つまりですね。「生きたい」という気持ちが強かったり、「命は至高で美しい輝きを見せる、すごく大事なものなんだ」という気持ちが強くないと、誰かを生き返らせようとしたり、自分の心だけでもこの地に永遠に残したい、とは思わないので、死霊魔術は大成しないんですよ。それこそ、常人では理解できない程緻密な死生観を持っている人間じゃないと駄目なんですよ」
「中には凄いのもいるからね、勘違いされやすいんだ。生の輝きを一瞬の死の瞬間に見出すような怪物とか。そんな奴らは、案外死霊魔術に向いていたりするんだけどね」
「それだけじゃないと思っていただけたら、それだけでもここに来たかいがありました」
ビフロンスは微笑む。カルロがはっきりと返事を返すと、チコとビフロンスはハイタッチをした。カルロはビフロンスに対する警戒心のようなものが消え、その後の食事は賑やかに進められた。




