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造船物語 アルセナーレにようこそ!  作者: 民間人。
第五章 ウネッザ攻略戦線
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黒犬の輪舞4

 蒸されたような小部屋の中、ニッコロとピアッツァは他愛のない会話を始める。ニッコロからは、まずはウネッザの町の印象を、ピアッツァからは、ジロードの戦艦に対する印象を、それぞれ話し始める。そして、互いに霧の中を彷徨うように、一拍を置いて返答を返した。

 互いにうっすらと汗をかきながら、笑顔を崩さずに会話を続けていく。本題を切り出したのはピアッツァからであった。


「親書の方、ご拝読させていただきましたが、こちらとしては責任があるジロードに譲歩する気はありません。例えば、私の息子と貴方の娘は実際に愛し合っており、神の祝福を受けるべきです。そして、戦中に我々が被った損害は計り知れない程大きい。得られるべきであった利益の填補も含め、ジロードには賠償金を要求しなければなりません」


 ニッコロは首を右に傾げながら頷く。一段と濃くなった湿気が部屋に充満している。ニッコロは親書の写しを開き、机上に広げる。丁寧なあいさつの後に続くのは、今回の戦闘はなかったことにし、全て白紙に戻す、という要求だった。ニッコロは挨拶文の一部を朗読する。


「しかしながら、我が国が包囲した各要塞については、我々の撤退指令がなければ壊滅していたことは自明であります。我が国としては、彼らへの撤退が余儀なくされる以上、圧倒的に貴国の優勢であったとは言い難いでしょう。そして、何より、戦争の間に行われた非公式な海賊行為の数々を看過するわけにもいきません。よって、両国の戦争責任を比較衡量の末、以下のような解決案を提案させていただきます」


 ピアッツァは首を振る。鋭い目つきでニッコロを諫めた。


「非公式な海賊行為は我が国の責任では御座いません。そのうえ、仮にわが国が責任を負うとしても、それは些末なことに過ぎないでしょう。それとも、ジロードでは、戦利品には対価を支払う、という習わしがあるのでしょうか?あるのであれば、後学の為に是非理屈をお聞かせ願いたい」


 部屋中の額縁がニッコロの背中を見る。纏わりつく視線に背中を丸めつつ、彼の指は親書の一部を指さしなぞる。彼は唇を濡らすと、上目遣いでピアッツァを見る。しかし、そこには懇願の色は一切なく、寧ろ奇妙な自信さえ感じられる微笑を浮かべていた。


「左様でございますか?では、海賊行為をした人物は我々で探し出し、処分してもよろしいと?」


 ピアッツァは一拍おいて、すまし顔のまま答えた。


「それは我が国の問題ですので、ご心配は不要です」


 ニッコロは姿勢を元に戻すと、とぼけた顔をして首を傾げた。


「それはおかしい!我々は被害者なのですから、わが国の問題でもありましょう。それとも、ウネッザは海運の治安を破る事こそが神の教えに適うものと考えておられるのかな?」


「待ちなさい、それとこれとは別でしょう。貴国は貴国の海運の安全を、わが国は我が国の海運の安全を守るべきでしょう。そして、貴方達の領海で起こった事件でないならば、わが国の問題でしょう」


 額縁の視線がピアッツァに集まる。ニッコロの微笑は蝋燭の火に当てられ、皺のほりを深くした。


「いいえ、違いますね。海は無限に繋がる道路、その安全を脅かす海賊行為が看過できぬものであることは、海運国家であれば自明の理でしょう。仮に教皇がここにおいでなされば、いずれの方も口をそろえて我々を支持するでしょう」


 ニッコロはまくし立てる。今にも飛び上がりそうなほど前のめりになりながら、さり気なく親書を自分のもとに引き寄せる。ピアッツァは眉を顰めて唸る。


「わかりました。しかし、些末事であることを考えると、やはり賠償金と婚約の認容はのんでいただきたい」


「……では、賠償額の詳細については相談しましょう。わが国としては、開放した要塞の事も気にかけていただけると幸いです」


 ピアッツァは眉根を寄せたまま、黙って頷く。ニッコロは恭しく頭を下げる。ピアッツァは笑顔を作る。


「本日はこの辺りでよろしいでしょうか」


「はい、貴重なお時間をありがとうございました」


 ニッコロは丁寧な礼をすると、去り際に再び振り返って微笑んで見せ、部屋を去っていった。


 ピアッツァは一人席に着き、眉間をつまむ。取り残された湿度の熱と共に、ニッコロの尻に敷かれた羊毛のクッションが静かに元の形に戻る様を見つめる。額縁の視線が中空を泳ぎ始めると、蝋燭が揺らいで消えた。ピアッツァは眉間をつまんだ手を静かに机の上に置く。そのままその手でこぶしを握り、机を叩いた。


「ちぃっ……」


 ピアッツァは、ニッコロの後姿を錯視した。彼は目を瞑り、深呼吸をする。そして、脳内に浮かべた国際関係の中に、ジロードの背後に、教皇庁の関係を書き加えた。

 彼は目を開き、小さく溜息を吐く。そのまま顎を摩り、静かに思索を巡らせる。受け取っていた親書を開き、精読した。



 銀の杖が石を突く音は薄暗くなったマッキオ広場に甲高く響いた。ニッコロは空を見上げ、立ち止まる。空では、茜色が徐々に闇に飲まれていた。


 マッキオ広場から市場へ続く小道から、黒い犬が顔を出す。ニッコロは黒い犬の方を振り返ると、口角を持ち上げた。


「人間とは奇妙なものよ。輝きと陰りを交互に繰り返す。そして闇の中で光を探ろうと空を仰ぐのだ」


 ニッコロは手のひらを空に向け、雨粒を受けるように空を見る。空は徐々に陰り、星の瞬きが現れ始めた。黒い犬は強い鼻息を吐くと、ニッコロの足元に寄り付いた。

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