黒犬の輪舞2
カルロは、帰宅してすぐに展望台から海を見下ろした。久々に帰宅したチコは、猫を抱きながら鼻歌交じりに萎れた花を集めていた。
「おぉ、お帰り」
「ただいま帰りました」
カルロは振り返らずに答える。大砲を放った直後の鉄の船からは黒々とした煙が上がり、砲弾は海の半ばに落とされた。砲撃が止むと、すぐに第二射目が打ちあがる。これはマッキオ広場にぎりぎり届かず、物凄い水しぶきを上げて港に着水した。音が伝わる程の強大な砲撃に、カルロは思わず息を呑む。
チコはカルロが食い入るように見る先に視線を送り、姿勢を崩して背凭れにもたれ込む。
「こんな夜半に何のつもりだろうね、グレモリー」
カルロは背中に寒気を感じ、初めて振り返る。
星々は輝きを増し、動かない星は激しく瞬く。青白い光を帯びた天球が降り注ぎ、焦げた臭いが展望台に充満する。食事が置かれたままの机の前には陽炎が起こり、一瞬巨大な火柱が上がる。火柱が煙を上げながら消えると、フェデリコと教会に立てこもった際の服装をしたグレモリーが現れた。
カルロは唖然とする。グレモリーはカルロと目が合うと、気さくに手を挙げて挨拶する。カルロは表情はそのままに、思わず会釈で返した。チコは椅子の向きを変え、グレモリーと向き合う。焦げた残り香が部屋に充満する中、グレモリーはチコに恭しく頭を下げた。
「チコ、貴方の前にこの姿で現れるのは久しぶりですね」
チコは視線を太腿に向け、にやつきながら頷いた。カルロは視線に気づいてチコの頭に軽くチョップをする。チコは犬のように鳴き、ペンを持った手で頭を掻く。グレモリーは苦笑しながら様子を見た。暫くして、チコも視線をグレモリーの太腿から顔に移すと、グレモリーは静かに話し始めた。
「少し、気になることがありまして」
「メディスの懐刀の事かい?」
チコはグレモリーが言い切る前に応える。グレモリーは頷き、今度はカルロに視線を向けた。
「カルロ君は甲板から叫んでいた人のこと、どう思った?」
カルロは眉を顰める。真っ先に浮かんだのは甲板から身を乗り出し、彼をコソ泥呼ばわりした人物だったが、彼にとっては、特別印象深い、という事もなかったのである。カルロは質問の意図を解しがたく、頭を掻いた。
「べつに、特に違和感はなかった」
「そう……」
グレモリーは声を細くする。暫く気まずい沈黙が場を支配する。沈黙を破ったのはチコの膝でくつろぐ猫であり、例の如く「ナー」と鳴く。チコは甘い声で「ナーさん」と呼び、猫の喉を撫でまわす。気持ちよさそうにゴロゴロと鳴く猫を見て、グレモリーも表情をほころばせた。
「あれからは死霊魔術の匂いがプンプンする」
チコは猫を撫でながら、低いトーンで言った。グレモリーは頷き、チコのもとに歩み寄る。
「そうですよね、やはり、あれは死体のように思われるのです」
「え、え、どういう事ですか?」
カルロがチコとグレモリーの間に入る。一瞬の沈黙の後、グレモリーが口を開いた。
「つまり、チコ先生と同じ憑依魔術ではないか、と思われるのです」
カルロは眉を顰める。
「でも、ジロードは教皇側だよね……?」
カルロの質問を受け、チコは手を叩いて笑った。カルロはグレモリーに説明を求める視線を送る。チコは手を激しく振り、笑いをこらえる。
「いや、つまり、こっちの人間じゃない疑いがあるってことだね?」
「……はぁ?」
「そうです。私達は特例として、我々の地獄から一部の人間を転生……転移させることがあるのですが、彼に関する情報が認められませんでしたので、私も動くことになりました」
カルロは鉄の船に視線を送る。チコは顎を摩りながら、口を開く。
「詳細は分からないのかい?」
グレモリーは黙って首を横に振る。チコはグレモリーの瞳を凝視する。グレモリーは黙ってチコと向き合った。
暫く睨みあうように目を向けあった後、チコは背もたれにもたれ掛かり、顔を天井に向ける。
「どうしようもないじゃないかー」
グレモリーは頭を下げた。
「すいません……」
チコは足を組み、肘掛けに肘をつけて頬杖をつく。得意げな笑みを浮かべる。カルロは再び頭を軽くチョップすると、チコはノートでそれを防ぐ。ノートはくしゃりと音を立てて歪み、カルロのチョップを防ぎきるには至らず、カルロに続けてノートにも叩かれた。
チコはノートを頭にこすりつけて形を治しながら、カルロを睨む。
「でも本当にどうしようもないじゃないか。だいたいね、君の観察力がもっとあればね、もう少しまともな状況だったと思うんだけどね?」
「ウっ」
チコはカルロにしたり顔を向ける。
カルロは下唇を口の中に引っ込め、息を吐き出す。そして、自分が男と相まみえた際の記憶を手繰り寄せる。帆船に強烈な一撃を与え、強固な船首で左舷を貫いた後、大量の麻袋を回収したうえで退散する。去り際に、鉄の船の甲板の光景が一瞬思い出された。
「甲板には、銀の道具があったな……あと、赤い液体が飛び出す仕掛け?」
「銀の道具?赤い液体が飛び出す仕掛けは赤ワインを自動的に注ぐように作った法陣術だろうけど、それはたぶん観賞用のものじゃないかな?」
チコは顎を摩りながら呟く。グレモリーがカルロに向き直る。
「銀の道具……?杯や燭台、杖と言ったものですか?」
「あ、ああ!それ、それ!」
「ありがとう!大ヒント!」
グレモリーはカルロの手を握る。柔らかい指が不意に豆のできた汚れた指を包み込む。カルロは少し赤面しながら、「あぁ、うん」と返した。チコが笑いをこらえて震える。
「それじゃあ、ちょっと上司に報告しておくね!」
グレモリーは手を離し、元気よく駆けだす。そのまま階段の段差でつまずきかけ、恥ずかしそうに笑う。カルロは手を振りながらそれを見送る。彼は彼女が視界から消えると手を振る速度を緩める。
展望台には、チコの笑いをこらえる声が響いた。




