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造船物語 アルセナーレにようこそ!  作者: 民間人。
第二章 博士の葬列
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星と算術に学べ

 夕刻、教会に戻ってきたカルロは、教会に僅かばかりの寄付をして、パンとスープの質素な食事を分けてもらった。その後、夜が更けてくると、急な螺旋階段を上り、件の硝子張りの部屋に入った。


 例の如く車椅子に座る博士が夜空を見ながら記録を残す。

 観測に相応しい快晴の夜空には、星が瞬いている。固定した背の高い分度器と水に磁石を浮かせた羅針盤、ひじ掛け兼記録用の机、それにメモとインク壺という、学者らしい道具に周囲を囲まれ、黙って空を見上げている。カルロは静かに近づいた。


「ただいま帰りました」


 言葉を受けて、博士はやっと振り返る。そして、一拍おいて安堵したように微笑んだ。


「君か」


 カルロは黙って隣で星を見る。一つ一つは小さな光であるが、まるでそれらがこの部屋に集まってくるように瞬いている。


「綺麗ですね」


「ははは、君にはそう映るんだね」


 博士はからからと笑う。カルロは意味を解しかねて視線を博士に向けた。一通り楽しんだ様子の博士は、分度器で星を見ながら、器用にペンを使ってメモを取る。


「君も、この町で生きていくには勉強が必要だろう。まず、計測技術を学ばなければならない。造船の為には工具の勉強も必要だろう。ゆくゆくは製図なんかもするんだろうね。また、簿記を覚えなければならない。そうなると、文字も覚えなければね」


「はい。先ほど食事の合間に、シスターから色々教えてもらえるように頼んでみました。頑張らなくちゃ」


 カルロは空の星に負けないくらいに瞳を輝かせ、夜空を見る。月は満ち切っておらず、4分の1ほど足りない。其れでも結構な輝きであって、蝋燭も不要なように思える。


「そして、星についても学ばなければいけないね」


 博士は若者を見上げながら呟く。カルロは目を合わせ、首を傾げた。


「星?」


「航海の時にはね、星の運行が方角を知る手掛かりになる。羅針盤も当然必要だろうが、仮に整備士として海に出るときの為に、星についても基礎だけは学んでおかなくてはね」


「博士は、航海士じゃありませんよね?どうして星を学ぼうと思ったんですか?」


 分度器を動かす音しかならない静謐な部屋に、満天の星が降り注ぐ。カルロは目を凝らしながら、小さくて魅力的でもない名もない星々を見上げた。彼には、これらの小さな星の巡りが、博士にとって生涯をささげるに値するようなものには思えなかった。

  博士は机上のコンパスを利用して星の軌道の記録を取りながら、分度器から見えるものに目を凝らす。最も輝く月ではなく、輝きは強いが小さな星の一つを見ているらしい。


「僕が星を学ぶ理由、か。考えてみれば不思議なものだ。確か、この星がものを引き付け、別の星々も又物を引き付け、そして大地が動いていることを証明するために躍起になっていた気がするよ。星に関する話では師匠とも対立したりもしたが、師のデータの正確さを信頼して計算したら、色々なことが見えてくるようになったな。そうして気がづいたら、星を見る人になっていたかな」


 博士は懐かしそうに目を細める。半世紀以上生きてきた、ずっと古い記憶を手繰り寄せながら、その時々に星を見て感じたことを思い出しているらしい。カルロは正確に分度器を使うその姿を見下ろす。よく見れば、長いトーガの先にあるはずの足がない。それでも博士の表情は、喜びをかみしめているようだった。


「気が付いたら、か。俺も、気が付いたら船を作りたいって思っていました」


「そうか。……凡人が大業をなそうとするならば、相応の努力と言うものが必要だ。何故、そう感じたのか、どうしてここまで来るほどに心惹かれたのか……。今感じたことをしっかりと胸にしまっておきなさい。迷ったときには、戻ってこれるようにね」


 気づけばモイラも星を見るために空を眺めている。彼女は星々の運びを、純粋に楽しんでいる。彼女のささやかな喜びに満ちた瞳は、博士の優しくも真剣な眼差しとは一線を画している。彼女は盆にのせた紅茶を博士に手渡すと、眩しそうに目を細めた。


「たまには休んでくださいね」


 博士はそれを受け取ると少しだけ鼻を湯気に近づけ、満足げな吐息を漏らす。そして、はにかみがちに笑みを零した。


「助かるよ、有難う」


 博士は空から目を離し、湯気の立つ紅茶を啜る。モイラはカルロにもそれを勧める。カルロは高級品に目を輝かせ、モイラに礼を言った。おいしそうに紅茶を飲む姿に、モイラは小皺の酔った顔をくしゃりとさせて笑う。


「さぁ、もう休みなさい。君は明日から相当忙しく学ぶことになるだろうよ」


 博士が微笑む。カルロは残った紅茶を飲み干した。モイラがコップを受け取り、それを盆にのせる。カルロは姿勢を正し、頭を下げた。


「はい!おやすみなさい!」


若者の背中が階下へと消えて行く。輝く星の中に取り残された老夫婦は、実に美しい星の連なりを眺めながら、穏やかに湯気を揺らす紅茶を啜る。


「こうしていられるのも、あと幾年月あるだろうね」


「いつまでもしていられれば良いんだけどねぇ」


 モイラがしみじみと呟くと、博士は微笑する。彼の瞳には、長年老い続けた星々の輝きと、長年寄り添った妻の姿が見切れて映る。重ならない視界でそれらを捉えたまま、彼はカップをソーサーに乗せなおす。


「いつかは終わってしまうさ。美しい時間も、苦しい時間も。僕はその尊さを、こちらに来て初めて知ったんだよ」


「そうですね。私も、こうしていられる時間が長く続く為に、毎日礼拝しているんですもの」


 彼は妻へと視線を動かす。穏やかな笑みは変わらず、彼の心をとらえ続ける。はるか昔に求め続けていた平穏を噛みしめながら、少し苦い紅茶を啜る。


「最期まで付き合ってくれるかい?」


「えぇ。貴方はずっと、私のヒーローですもの」

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