獅子の庭2
高い天井から射す陽光は、計算されたように中央の巨大な船に射しこむ。それは、海婚祭で用いる黄金の船のレプリカであり、黄金は金メッキの代わりにくすんだ黄色い塗料を塗り込んでいたが、赤の塗料と高い船首はあの船とは変わらない威容を見せつけている。
所々にベンチが設置され、それらは必ず二つセットで、窓の位置に合わせて並べられていた。ベンチとベンチの間には観葉植物があり、白い大理石の中に射す光の中に、瑞々しい緑がよく映えている。一方で、シャンデリアには光は灯されておらず、小さくなった蝋燭が溶け固まったままで沈黙していた。
「おぉ、広い!明るい!」
カルロは目を輝かせる。天井を仰げば、太陽のような眩い白さの大理石、下には埃一つない。これまで沈んだ表情だったベンチに腰掛ける男達は、カルロの反応を見て苦笑する。エンリコも男達と同様の表情をした。
「あんまり騒がないで。中はピリピリしてるんだから」
「あ、悪い悪い」
カルロは首の後ろを掻いて笑う。エンリコは鼻で息を吐き、真剣な表情に戻った。
二人は黄金の船の裏側に向かう。裏側は二段ほどの小さな段差があり、それを昇ると、二人の警備兵が控える重厚な扉が現れる。警備兵たちはエンリコを認めると恭しく頭を下げ、天井から伸びる紐を引き、ベルを鳴らした。その音に遅れて数秒後、閉ざされた扉はゆっくりと中から開かれる。
ベンチに座っていた男は高いベルの音に一瞬びくつく。振り返り、エンリコと別の男が扉の向こうに消えて行く姿を認めると、驚愕の表情を見せたまま固まった。
二人は、この男の視線を背後に受けながら、堂々と開かれた扉を通る。
そこには、左右両翼に真っ赤な絨毯と良く磨かれた机、高級な椅子が並べられた巨大な議場が広がっていた。椅子には既に議員が座しており、開会の時間を待っている。彼らは皆カルロに冷たい視線を向け、口を結んでいた。
エンリコは彼らからカルロに向けられる刺すような視線を遮るようにしながら、ゆっくりと進む。重厚な扉が閉ざされる荘厳な音と共に、二人は元首のすぐ手前にある、証言者の席に座った。席に着く議員たちは怪訝そうに眉を顰めながら、隣席と話し始める。
カルロは姿勢を正すが、暫くして徐々に姿勢を崩れ始める。背筋をまっすぐに伸ばすことになれたエンリコは、カルロに視線を送り、囁いた。
「くれぐれも、粗相のないようにね」
エンリコがカルロの脇腹を軽くつつくと、エビが跳ねるときのように、カルロは背筋を伸ばした。
「わかってるって……」
カルロは息を呑み、天井を仰ぐ。天井の美しく連なった巨大な絵画に、思わず息を漏らし、東西南北の神々の騒動を見渡す。指先から雷雲を飛ばす神と、乙女の冠を作る神、見覚えのある月桂冠の乙女、年若き狩人が空を仰ぐ姿、大いなる光の輪郭、そして最後に旅人の神を見る。
カルロが視線をおろすと、議場の騒めきは一気に収まる。中央の議長席に、元首ピアッツァ・ダンドロが着いたからである。
書記官たちがぞろぞろと現れ、元首の前に集って座る。彼らはペンをインクに浸し、天井を見上げる。ピアッツァが資料を広げると、議場には一斉に紙を捲る音が響く。そして、議員たちが口を開いた。
「慈悲深き我らが主宰者聖マッキオよ、大船を担ぎ、葦の海原を渡したもうた偉大なる神よ、我らを光の下へと導き給え。天上の虹彩よ、眩き光の輪郭よ、再び我らを救い給え。我らは主宰者聖マッキオの導きに従い、理性と祈りを以て大海を治めることを誓おう」
議員たちは両手を組み、元首の真上にある天井を見上げる。カルロもそれに倣って同様のポーズをとる。暫くすると、彼らは素早く元首に視線を戻す。それと同時に、書記官たちはペンを取った。
カルロは暫くポーズを続けていたが、エンリコに脇腹をつつかれて元の姿勢に戻る。書記官二人がペンを取った姿を確認すると、元首は議場によく響く荘厳な声を発した。
「それでは、緊急議会を始めます。皆様、今回の議題はジロードの包囲に関する対抗策に関する会議です。我々十人委員会が苦渋を噛みしめる中、一つの意見を挙げて下さる真摯な人物が現れたため、これを紹介いたします。前方をご覧ください。右手が我が息子、エンリコ・ダンドロ、左手が発案者、カルロ・ジョアンです」
エンリコが立ち上がり、議員席に向けて頭を下げる。カルロもそれに少し遅れて立ち上がり、同様に頭を下げた。議員の中には小さく噴き出すものもいた。
「……では、カルロ・ジョアンさん。貴方の仰る作戦について、簡単に説明していただけますでしょうか」
エンリコが席に着こうとしたため、それに倣おうとしたカルロは、中腰のまま元首を見上げる。暫くその姿勢を維持していたが、再び立ち上がった。
カルロはエンリコを一瞥する。エンリコは小さく頷く。カルロは議員に向き直ると、はっきりとした声で語り始めた。
「ご紹介にあずかりました、お……私がカルロ・ジョアンです。至らぬこともあるかと思いますが、本日は宜しくお願いいたします」
カルロが頭を下げると、議員席からまばらな拍手が響く。カルロは頭を上げ、議員の拍手が止むのを待ち、再び口を開いた。
「私が提案したい作戦というのは、端的に言えば、ジロードを包囲するというものです」
議場にざわめきが起きる。カルロは真っ直ぐに、議員席を見た。
 




