傾国のインフェクション1
カルロは通常通りに仕事をこなしていた。後輩に基本的な物の収納場所などを説明し、彼自身は付き添う合間に船の設計図などを見ながら研究をしていると、激しく扉を叩く音が響く。カルロが設計図から顔を上げると、工場に役人と思しき人物が入ったところだった。
「厳戒態勢のため、緊急にガレー船の量産をお願いいたします。また、我が国のために戦う意思のある勇敢な者達は、ここに署名をお願いいたします」
応対しているフェデナンドが令状を受け取り、役人らしき男を中へ案内する。工場に漂う木屑のにおいに一瞬顔を顰めた役人だったが、案内を受け入れて奥へと向かって行った。
「……志願兵?おい、戦争か……?」
「あれだろ?カルロが助けたっていうやつの報告した……」
「マジかよ、勘弁してくれよ!仕事増えるじゃねぇか!」
「そこかよ……」
工員たちは手を休めてひそひそと話しだした。波の音がかき消されたのに反して、停泊している船舶は上下左右から押し寄せる波にあおられる。それらはほぼ水平を保ったまま、吹き込む潮風に船尾を撫でられ、盛り上がった波に持ち上げられる。カルロは呆然と立ち尽くして、言葉を投げあう工員達の姿を眺めていた。
「あの、先輩……?」
「あ、悪い。何だ?」
「あぁ、いえ、ぼうっとしておられたので」
「そっか、悪い。ちょっとびっくりして」
カルロは苦笑して返す。後輩はそれを見つめると、小さく鼻から息を吐き、短く「そうですか」と答えた。カルロは悶々としながら仕事に戻る。後輩の刺すような視線に心を抉られつつ、冷や汗をかいた。
未だ暖かくはない潮風が汗に濡れた服をさらうと、カルロは身震いする。受けた視線を引き攣った笑みで返して誤魔化す。
(徴兵とか、ないよな……?)
カルロの脳裏には、かつてコッペンで経験した苦い記憶が蘇っていた。
侘しい村には無相応な馬車に乗って、傭兵を連れた軍隊が横切った。山と海に囲まれた小さな村の住民たちは、いずれも不思議そうに彼らの姿に首を傾げる。
傭兵たちは険しい表情で通り過ぎていく。規律のとれた王の軍勢はそのまま山の傾斜を避けるように村を抜けていく。村人たちは緊張した面持ちで十分に育った燕麦の選別を行い、目を合わせることのないようにした。カルロとその一家も同様に、目を逸らすために畑仕事に精を出す。誰一人として、それがこの村に何をもたらすかを知らずに、行軍する兵士達を見送った。
当日の夜、カルロが木の窓から外を眺めていると、ぞろぞろとカルロより年が四年から十年ほど程上の若者たちが村の集会場に集まっていた。まだ幼く、海賊行為も殆ど手伝い程度しかしたことのなかったカルロは、それが村長の主宰する会議か何かであろうと特に気にすることはなかった。
村は高く澄んだ夜空一杯に星を散りばめ、地面には動物や人の排泄物で作られた肥料のにおいを立ちこめさせている。
集会場の演壇代わりの角材に乗り、若者たちの前に立つのは、重厚な鎧に守られた領主らしい男達であった。兵士達は剣を空にめがけて掲げ、演壇の前に立つ。集まった若者たちの中には、あるものは志願してうまい飯を食おうと高らかに唱え、あるものは背中を丸めて見下ろす領主に悪態をつきあっていた。
遠くから見ていたカルロにとっては、鎧の男はとても勇敢で魅力的に映り、剣を掲げる兵士達もまた、チェインメイルを身に纏う、屈強そうな男達にしか見えなかった。
演壇の男が何やら激しく説明をし、身振り、手ぶりを使って多くの若者たちに訴えかける。半数は目を輝かせて歓声を上げ、また半数は無表情であった。やがて、彼らは二手に分かれる。歓声を上げた人々だけが残り、残りの人々はぞろぞろと家へ帰っていった。翌日には、残った人々は税よりいくらか多い麦穂を抱え、弓と矢を渡されて村の外へと向かって行った。
彼らが去って二週間は、コッペンはいたって平和であり、いつもの通り畑仕事をしては汗を拭う村であった。作物の発育も良好で、まだ収穫とはいかないものの、余剰生産分だけで冬を越せるほどのものではないかと予測された。
しかし、三週目に差し掛かる頃、再び領主が行軍から戻ってくる。
領主たちは村に残った半数の若者たちを整列させ、集会場に晒し上げた。村人全員が集められ、父親に従い肩肘を地面につくカルロは、これから何が起こるのかをよく理解できないまま、大人たちに一拍遅れて同じ行動をとる。領主は村長に向かってあれこれと注文を付け、徴兵の勅書を突きつける。大人たちはざわめき、閑散とした村は突然竜でも襲来したように騒がしくなった。若い狩人の一人が領主に詰め寄ろうとすると、彼は演壇の前の兵士にせき止められ、腹から首筋まで叩ききられてしまった。村人たちから悲鳴が起こる。
カルロは大人たちの壁に遮られたことで見ることが出来ず、顔を乗り出そうとすると、一気に父親に頭を押さえつけられた。
晒し上げられた若者たちは、一人ひとりに首輪をつけられ、それをロープで括り付けられると、兵士達に連れられて村の外へと消えて行った。後に残ったのは、子供の視界を遮る大人たちと、死体の後始末をする男達、何も見ることができずに駄々をこねる子供たちだった。
「先輩。どうしました?ぼぅっとして」
後輩の言葉に我に返ったカルロは、引き攣った笑みを返した。先程まで村の光景を目の当たりにしていたカルロの目は、虚ろなままで工具を見つめていた。
周囲を見渡すと、大量の材木と木屑で囲まれている。カルロの手には鋸が握られ、未完成のガレー船が数隻、並べられていた。
骨組みをほとんどむき出しにしたガレー船団は、砂浜に押し込まれた魚の腐乱死体のように無表情で佇んでいる。
(……俺、意識ないまま仕事してたのか……?)
カルロは表情を曇らせたまま、鋸を引く。脳裏に浮かぶ光景を塗りつぶすように意識が飛んだまま仕事をこなす自分への疑問符が次々と生まれる。カルロはふと裁断した材木の断面を確かめた。多少ごつごつはしていたが、断面は綺麗なもので、設計図通りの長さに切られている。鑢を掛ける男は断面に疑問を持つこともなく、カルロから手渡された仕事を粛々とこなした。
「あぁぁぁ!休ませろぉ!」
一人の男が手をふらつかせながら叫ぶ。その男がフェデナンドに頭に拳骨を食らわされると、工場には呑気な笑い声が響いた。
カルロは一人無表情のまま、鋸を引き続けた。




