造船所へ2
部屋の中は倉庫の様に工具が置かれており、形を整えるためののみや金槌、鋸、斧などが壁一面に掛けられている。
「かけて」
カルロを座席に勧める。彼が下座に座ったのを確認すると、フェデナンドは椅子に腰掛けた。狭く雑多な工具が掛けられた部屋は壁が迫ってくるような圧迫感がある。フェデナンドは足を組み、一息ついた。
「……初めは下働きだ。工具箱を運んだり、茶汲みしたり、掃除したり、後は作業の補佐だな。給与は月の中日に支払っているから、翌月にいっぺんにだな。始業終業は鐘の鳴るとおりだが、後片付けをしてもらう関係で、初めはちょっと遅くなるだろうな」
「はい。明日から伺えばよろしいですか?」
フェデナンドはカルロの言葉に首を振る。暫く沈黙した後、足を組みかえたフェデナンドは、言いにくそうに話し始めた。
「……正直、俺たちはお前を歓迎していない。わかっていると思うが、コッペン?とかいう町の事も分からんし、産業スパイなんじゃないかとさえ思っている。博士の葬儀用の船が完成したら、その後の雇用は実力次第だ」
フェデナンドが鋭い視線を向ける。カルロは威勢よく返事をした。
「ところで、産業スパイって何ですか?」
「え?」
フェデナンドが目を丸くする。カルロも同じように聞き返す。暫く考えた後、フェデナンドはカルロに鋭い視線を送る。意味が分からずに首を傾げるカルロを見て、彼は困惑しながら続けた。
「技術を盗むスパイだぞ」
「技術は皆さんから盗ませてもらう気でいます!スパイって何ですか?」
フェデナンドは頭を掻く。カルロの嬉しそうな瞳に暫く目のやり場に困った彼は、部屋の隅にある樽や、業務報告書が保管されている鍵付きの金庫などに視線を移す。
「……コッペンってどんな街だったんだ?」
「滅多に人の来ない寒村ですね。占領後はウネッザの商船が時々来るようになりましたけどね」
フェデナンドは溜息を吐いた。あきれ顔の彼から何かを察したカルロは、反論も思いつかなかったため、なるべく威勢よく続けた。
「田舎者ですけど、勉強します!」
「じゃあ、今日は一旦帰れ。手続きはこっちでするから」
そう言ってフェデナンドが立つのに合わせて、カルロも立ち上がる。
彼は見送りの際にも造船の様子を逐一観察しながら、工員に挨拶がてら質問をして回る。工員たちは困惑しながらも、初歩的な質問にはつぶさに答えた。そうしてかなりの時間をかけて、カルロは工場を後にした。
最後に見送るフェデナンドに対して頭を下げる。駆け足で消えて行くカルロの後ろ姿を眺めながら、フェデナンドはぽつりとつぶやいた。
「服のわりに頭が悪いとはたまげたなぁ……」
奇抜な服装とはいえ、カルロのそれは若者の流行に乗ったものである。山間へ入る通り道に過ぎないコッペンという村が閑散とした村であろうと、その服装はある程度の資産がある、と予測させる。フェデナンドが一般常識を知っているだろうという前提で話を進めても、その行動はおかしくはない。
カルロはモイラが用意したゴンドラに飛び乗る。遅れてモイラが戻ってくると、再び聖マッキオ教会まで船を出した。
「モイラ婆さん、有難うございました」
海面の揺らぎに合わせて流れるゴンドラを、船頭は器用に櫂で操作する。モイラは穏やかな陽光と熟練の櫂によって航行するゴンドラに心地よさそうに目を瞑っていた。彼女はカルロに向けて微笑むと、手元のバスケットから何かを取り出す。
「こちらこそ、宜しくお願いします」
モイラが余りにも丁寧に頭を下げるので、カルロはそれを止める。
「そんなに頭を下げないでください。俺、泊めてもらいましたし、本当に助かりました!」
船頭が楽しそうにくつくつと笑う。ゆっくりとゴンドラを旋回させ、大運河に差し掛かるあたりで、ピンクの建物のある小広場に船を寄せた。
「いつかはこのカナル・グランデも抜けることになるんですよね」
カルロは目を輝かせながら帆船の行き交う大運河を見る。モイラは微笑む。揺れが落ち着くと、先にモイラが立ち上がり、船頭に補佐されながら広場に上がる。カルロも後に続く。緑がほとんど見られない広場には高貴な身分の人々が色分けされたトーガを着て語らっている。カルロは凝った体をほぐして、モイラに改めて礼を述べた。
「お金はあまりないのでしょう?今日も泊っていきなさい。もともと教会は、巡礼者の為に開けてあるんですから」
「でも、いいんですか?」
「えぇ。老いぼれは話し相手に飢えているのよ?」
船頭がゴンドラを離す。貨物を乗せたゴンドラはゆっくりとカナル・グランデの中に消えて行った。カルロは両手を挙げ、体全体で喜びを表現する。
「有難うございます!よっしゃ、頑張るぞ!」
海鳥が教会のドームにとまっている。教会の鐘と同時に、それらは青く高い空に飛び去っていく。重なって響く高い鐘の音が、海上のラグーナに響き渡った。